第三話 魔道具職人
第三話 魔道具職人
命の価値に、次元は無い。
この救いの言葉を与えてくれたのは、彼女の崇拝する生命魔術師エクシスだ。
「エクシス様の野望のためにー」
歌いながら繊細な指先で球面に文様を彫り込んでいるのは、まだ十五にも満たない女魔道具職人、ウィグルである。彼女の淡い赤銅色の髪が、純粋な意図を彷彿とさせる艶を振りまきながら揺れていた。
「エクシス様のお役にたちますー」
幼い声であるが、美しい声音であった。歌うと作業の効率があがるのか、少女は魔力が高密度に形成された刃の先を巧みに操って、神業ともいえる速度で複雑怪奇な模様を描き出す。
魔道具職人。
それは主に、魔力の込められた道具を造り出す職人の呼称であるが、誰にでもなれるものではない。魔道の道に携わって五十を越えるベテランの老魔術師でも魔力のこもった道具を作れないものもいれば、この少女のように天才的なセンスと直感的な術式にて高等なものを作れるものもいる。
魔道具と呼ばれる彼ら魔道具職人の作品は、魔力を持たない大衆の心をひどく魅了した。その作品には、簡単にイメージするだけで炎の塊を作り出せる水晶といった護身用のものもあれば、遠く離れた地点同士を一瞬にして移動できる台座といった便利な発明品もある。
特別な力を持たない民衆や戦士、果ては富豪や王までもが、高名な魔道具職人の製造した素晴らしき魔道具を欲した。需要と価値はますます高まり、魔道具職人は国から保護されるほどの重要な職業とされた。
もうひとつ、職人の活動を推奨する機関に『魔術師連合』というものがあった。その名の示すとおり魔術師の集まりであり、魔法学校の設立と経営、小国家の戦争の中和、世界の真理の探求が主だった活動内容だ。
エクシスもウィグルもこの『魔術師連合』に所属していたが、エクシスは数日前に破門の宣告を受け、それとともにその命を形なき暗闇より狙われる側になってしまったのだ。
エクシスの行っている生命倫理に反する禁術の研究、それが破門の理由であった。
ウィグルはエクシスに付き従ったとばっちりで指名手配の対象となってしまったが、それほどの厳罰が課されているわけではないというのが、不幸な彼女の唯一の幸いといったところだ。
「エクシス様に尽くしますー」
陽気な歌を口ずさむこの無邪気な少女も魔道具職人だが、その技術力は他の職人を超越していた。彫造に必要なのは、がむしゃらに注ぎ込む努力でもなければ、経験から得られる反省の技術でもない。与えたのは神か魔王かは定かではないが、この世に生まれ落ちた瞬間に決まる、天賦の才が優秀な魔道具職人には必要だったのだ。
そして、ウィグルには、十分すぎるほどの才能があった。
「エクシス様に捧げますー」
エクシスに愛されているかは定かではないが、創造の神に愛でられているのは確かである。天才的才能を持つウィグルが 夙夜造り続けているのは、前代未聞の代物だった。
「たとえこの身が朽ちようともー」
エクシスの力になりたい、エクシスの希望に応えたい。その想いだけが、二日も徹夜で作業を続けているウィグルの原動力だった。
「ぱっぱっ!」
ウィグルは歌のリズムに合わせ、模様の彫り込まれた黒い球に手のひらを開閉させる動作をしてみせた。果物ほどの大きさの球、そのあちこちに走っている溝から、青白い電光にも似た輝きが起こる。
「たとえ、この身が朽ちようともー」
最後の仕上げと言わんばかりに、ウィグルはより一層、手のひらに意識を集中させる。すると、目に見えるほどの魔力の奔流が、彼女の手のひらから一直線に黒球へと吸い込まれていった。
「あたしはあなたの心で生きますー! ふう、終わりました」
ウィグルはへたり込み、出来上がった球を四方八方から眺め回した。
その球には、どす黒い悲しみを予感させるような邪な光沢があった。光沢の淵には、吸い込まれるような漆黒の溝。用途別に分けたツールが掛かっているレンガの壁を背景に、その球は存在自体が異質な印象を見るもの全てに与え、製作者である彼女自身も、得体の知れない恐怖に自ら慄いた。
「ウィグル。完成したんだね」
レンガ造りの部屋の入り口にいたフードを目深に被った男が、ややじれったさが混ざった声で呼びかけた。
床に倒れこんでいたウィグルは、その声を聞くや否や、軽業師も真似できない速さで起き上がり、夜空の星も驚くような輝きをその赤い瞳に浮かべた。
「エクシス様! できあがりました! これです!」
ウィグルは、まるで憧れの人に恋文を差し出すように、両手のひらでその黒球を大事そうに包み込み、エクシスの前に掲げた。
「おお、これは……!」
その黒い球の邪気に気圧されたのか、長年の野望の展望が開けてきたことに感極まったのか、エクシスは久しく声帯が忘れていた興奮の声を上げた。
「素晴らしいできだ、ウィグル」
憧れのエクシスに賞賛の言葉をもらったにも関わらず、黒球を渡した瞬間から、ウィグルの身体は無意識から溢れ出した浮遊感に抵抗できなくなってしまった。
「エクシス様、あたしずっとあなたの側に……」
そう言うのが精一杯で、ウィグルはへなへなと骨のない軟体動物のように床に寝転んでしまった。そしてすぐに、乾きでぱさぱさになった唇の間から、規則正しい呼吸のリズムが漏れ聞こえてきた。
「その精神力、どこから沸いてくるのか。自主的な崇拝こそが、最高の洗脳術というわけか。しかしウィグル、コストとリスクが高いようだな、これは」
エクシスはウィグルに関した呟きをもらしていたが、眠り込んだウィグルには目もくれず、手渡された黒球に魅入っていた。
「兄さん、これでもうすぐ会えるね」
フードの深淵な暗がりの奥、エクシスの薄暗い瞳孔は恍惚に見開かれていた。彼の瞳が映し出す光景は、支配ではない。破壊でもなければ死でもない。そこにあるのは、全ての命を原点に還そうという無の意思であった。
幾重にも混じり合った異種族の血の海に、エクシスは黒い球を持って佇んでいた。その足元に横たわるのは、何体もの亜人の死骸である。その死体のいずれも、胸に大きな穴を開けて息絶えていた。白いバラの花弁を彷彿とさせるように胸骨が外気に晒され、その奥には血も噴出さない闇の 窟穴が開いていた。
エクシスは、『この方面』に関しては――この世界で限定した話だが――おそらく世界一といっていい知識と研究結果を所持していた。それ故、この暗黒の球が適応しうる生物の条件を理解し始めていた。
「 子鬼、 人豚、 犬騎士、 鳥人。これらの種族にこの驚異の力を与えるには、さらなるウィグルの進化が必要であろう」
暗黒球の使用目的。この暗黒球は、生体を『ここではない別の世界』に送り込むための装置であった。古代の悪意ある魔術師はこの暗黒球を開発・利用し、 永久に語り継がれる神話と化け物を向こう側の世界にもたらしたのだ。
エクシスは暗黒時代の儀式祭壇や、生命実験の記録の研究を進め、とうとうこの魔道具を作らせる段階まで到達したのだ。あとは、実際的な記録と観察の積み重ねだ。
「次は 人狼……いや、奴らの王は粗野だ。この研究の犠牲となる崇高さを理解する脳も持たない鬼畜だ。人狼のデータは後に回すとして」
言葉をいったん区切ると、エクシスは密室の片隅で震えている異形たちを見回した。目に留まったのは、一際体格の大きい異形だった。
「悪魔にでも埋め込んでみるか。おい、そこの」
そう言い、エクシスはその紫肌の生き物を指差した。
その生物は、隆々とした筋肉を備えている他、鋭い切っ先の尻尾と、下あごより突き出た太い牙を持っていた。そしてなにより目立つのは、鳥人よりも幅の広いゴム質の翼だ。この醜い生物は牙の脇から唾液を冷たい床へと垂れ落としながら、おずおずとエクシスの前に歩み出る。
「種族は『バルバリッチ』か。貴重な戦力だが、この暗黒球の適正は高いぞ。何せウィグルは、初めてにして相当な作品を作ってしまったみたいだからね」
エクシスはピチャピチャと音を立ててバルバリッチに歩み寄り、左手に暗黒球をかざした。
「君らに神がいるのなら、成功するように祈るがいい。もしも、君を悪魔に生んだ神を最後に信じられたら――」
エクシスは身体全体の魔力を高め、左手の暗黒球にその生み出した力の全てを注ぎ込む。
「――君は白い翼を得られるかもね」
エクシスはバルバリッチの身体にねじ込むように、暗黒球を押さえつけた。
ずずっと音を立て、暗黒球がバルバリッチの体内に取り込まれていく。
内部で爆発が起きれば不適性、何事もなく生命活動を継続できたら適性。恐ろしき二択の禁断の魔術の文献には、これだけのヒントしか書かれていなかった。このヒントから新しい法則と結果を導き出すのがエクシスの義務であり、探求者全体に共通する課題だ。
バルバリッチと、果物大の暗黒球。
果たしてその結果は、適性であった。