表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖  作者: 国騾馬 禁忌
3/13

第二話 国守 欣治

第二話 国守 欣治


  国守(くにもり)  欣治(きんじ)は、十余年という間、父親の勤める鉄工所にて、人生の大半を仕事に献上してきた男だった。歳は三六、鉄工所の跡取りである。

 国守鉄工所。それが彼の勤める会社の登録名称であるが、これは大手製鉄コンビナートのように大地帯を工業製造地として展開するような、国の傾倒に関わる製造業の要というものではなく、下町の一区画に位置し、発注された部品を製造し、提供するだけの下請け会社であった。

 といっても、それなりに広大な敷地と設備があり、溶鉱炉には、戦前に施された秘伝の設計もある。ここで製造しているものは、製造中止になった留め具から看板、果ては百メートルほどの長さを持つ輸送業者用の鎖といったものだった。

 今日も現親方である父の指導の下、キンジは溶接の技術を学んでいる。アーク溶接の一工程の区切りがつくと、キンジは溶接面を上げ、物置に使っているテーブルから白タオルを取り上げ、額の汗を拭いた。

 加工場、特に溶接場は炉の近くに作られたこともあり、その室内温度は想像を絶するものがある。キンジはペットボトルのキャップを開けると、500ミリリットルのそれを一気飲みした。流した汗で空いた身体の空白が、湯水のようにぬるい茶で満たされていく。

「キンジ、ここらで昼にしようや。ミチオさん、頼むな」

 一際職人としての風格を滲み出させた男が炉に向かい合った腰掛から立ち上がり、キンジへと声をかけた。キンジの父であり、この鉄工所の七代目親方を務める国守  久治(ひさはる)である。治久の隣に腰掛けていたのは、この鉄工所に勤めて四十年の大ベテランの河野 道夫。みんなは『ミチオさん』『カワノのダンナ』などと親しみと敬意を表して呼んでいる。

「おう」

 と短くキンジはうなずき、父子は昼の休憩に入った。



「おめえもだいぶ様になってきたじゃねえか」

 久治は首掛けタオルでしきりに汗を拭いながらキンジへと笑いかける。

「もう少しで俺も引退だが、お前なら安心して跡を任せられるな」

 数年前から久治はこう言い結んでから、

「飯だ、飯だ!」

 と、テーブルに置かれたカップ麺を開け、湯を沸かすのだった。

「ところでお前、良い人はいないのか」

 久治はそれだけが不安だというように、声を沈めて言った。

「いない」

 キンジはぶっきらぼうに答え、コンビニ袋の中からプラスチック容器の弁当を取り出した。買出しに行った若い連中に頼んでいた昼飯だ。キンジは箸を取り出し、弁当の蓋を開ける。から揚げを箸でひょいっとつまみ、丸ごとほおばった。その後で、ごっそりと持ち上げた白飯を口に運んだ。

「俺も仕事仕事と、お前に押し付けすぎたかもな」

 久治は頭をかきながら、少し弁明を含めた調子で言った。




 キンジは、言ってみればまったくの無所属派であった。

 家が製造業に携わっているということもあり、工業科の高校に進学、卒業と同時に久治の下で見習いとして働き続けた。成績は優秀であるが、協調性、社交性に欠け、無口で頑固といったタイプの職人気質を持っていた。

 それだけで、彼を無所属派と言うのは大げさである。

 彼を無所属と言わしめる本質には、彼の両親すら気付いてはいない。もしかしたら、当の本人であるキンジにも気がついていないのかもしれない。

 酒はしない、女とは遊ばない、煙草も吸わない。テレビやラジオにも心の安らぎを置かず、釣りやゴルフといった趣味もない。本も読まなければ、食の好みもない。娯楽や嗜好といった経済効果にほとんど介入しないのが、キンジという人であった。

 言ってみれば、彼には好みが無いのだ。蒸し暑い工場で仕事をし、その後で飲みたいと思うのは、果たして暑さでぬるくなった茶であるだろうか。キンキンと頭の芯まで凍ってしまうような冷茶を好むのが一般的であるだろう。



「俺は、今は仕事に打ち込んでいたい。嫁は、そのうち見合いで探す」

 キンジはご飯を飲み込み、使い古した逃れ文句を言った。

「若いのもだいぶ仕事を覚えてきた、どうだ、今度の夏ぐらいどこかに出かけてもいいんだぞ」

 家でも仕事場でもない、他の場所。それがキンジには皆目見当がつかなかった。

「いい。俺は早く一人前になれるように、仕事を続けたい」

 それがキンジの答えだった。

「キンジよぉ。俺は、何かがお前に足りないと思っているんだ。『何か』、お前には足りない。それをお前が見つけるまで、親方は俺が続けるぞ」

 久治は長年職場で働いてきた故に、息子をよく観察していた。だからこそ、彼なりにキンジの中に、欠けた何かを見い出したのだろう。

「俺に足りないものは技術だ。それを身につけるため、親父の指導の下で修行してるんじゃないか」

 ただ黙々とご飯とから揚げを交互に口へと運びながら、キンジは冷静な反応を示す。久治は何かもごもごと言いかけたが、沸きあがった湯にその言葉を紡ごうとした意識を奪われた。沸騰した湯をカップに入れ、その上に加薬を浮かべる。

「お前は『鉄の意志を持つ男』だもんなあ」

 湯を入れた久治は諦めた風に言った。キンジという人間は頑固なのだ。その頑固さといったら父親以上で、『鉄の意志を持つ男』といったキンジの代名詞が生まれるほどだった。





 無所属派といっても夢を見ないわけではなかった。

 むしろここ最近、キンジは奇妙な夢を見るようになっていたのだ。目が覚めた後も、その夢のことははっきりと記憶に留めていた。

 キンジは、周りの人間にその夢の内容を話したことが一度もなかった。なぜなら、嗜好や娯楽といった感情を排斥したキンジにとっては、予知夢や異世界といった概念すらなかったのだから。

 見た夢がどうも不思議だ、とそこまでは思うことができても、この夢は何を知らせているのか、そこまで考えを発展させる能力がキンジにはなかった。否、キンジは優秀であり、いわゆる頭のキレる人間だった。数日前に見た夢を忘れずに、順序の狂いもなく追憶できるほど、記憶力も優れている。思考を発展させる力がないのではなく、思考を続ける気がないだけであった。



 それがたとえ、世界が崩壊してゆく夢であっても。

 キンジには特別、何か思うことは、何もなかったのだ。



 キンジの見る夢。それには二つの世界が登場した。

 今キンジが暮らしている世界と、奇妙な生き物が闊歩している世界の二つだ。

 キンジが見続けているのは、もう一つの世界――それを異世界だとはキンジ自身認識していなかったが、キンジが得ている空想知識だけでは、その世界の有り様は到底キンジの想像力の及ぶものではなかった――そこから、大量の怪物が地球へと押し寄せてくる夢であった。

 カッターナイフで切りつけた白紙のように空間が縦に裂け、数知れない生き物たちが波濤のごとく押し寄せてくるのだ。日本を含めた全世界に怪物たちは一斉出現し、無差別に人間を殺し、貪り食らうのだ。軍隊も兵器も、その数に圧倒されていた。

 普通の人間なら精神が崩壊してもおかしくはないような光景の夢を、キンジは何日も見続けていた。しかし、夢から覚めても、キンジは汗一つかいていない顔を洗い、何事もなかったかのように仕事場へと出勤するのだ。特別なにかを思うわけではなかったからだ。

 そのキンジの無常観的なアイデンティティは、冷却した鉄のごとく、誰かに変えられるものでもなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ