第九話 アイム
「ほら、ヒカルの隣にもいるよ」
――見えない存在
第九話 アイム
二時間を越える受け答えを終え、ヒカルはやっとのことで警察署から解放された。質問の内容はいたって単純なものだ。
あれは何なのか?生き物なのか?どこから現れたのか?君はあそこで何をしていたのか?そういった質問が延々と繰り返された。早苗の供述した怪物の報告書とヒカルの証言を合わせれば、より多くの人に怪物の存在を明かせる。だが、ヒカルはこのことについては口外厳禁と釘を刺されてしまった。
夜の遊歩道を歩き、ヒカルは最寄りの駅までの道のりを進む。夜風は生暖かく、燦燦とした昼夜の余熱を感じさせた。
(よお、終わったのか)
ヒカルの耳元を過ぎ去った風が、あの声をポンと弾き出した。
「あんた、いったい何者なの?」
ヒカルの次なる疑問である。敵ではない雰囲気ではあるが、油断はできない。得体の知れないものは、いつまでたっても得体の知れないものでしかない。だから、人は知ろうとする欲求に駆られる。理解できないことが自分の周りをうろうろするのは気分の良いものではないのだ。
(オイラはアイム。光の精霊だ!)
ヒカルは盛大に噴き出した。
「あははっ、私もとうとう終わりってわけね!」
自分は今妖精と対話している。世界が壊される夢を見て、悪魔と戦って、挙句の果てに妖精だ。
(別にさ、信じてもらえなくてもいいよ。ねーちゃんの世界じゃ非常識なことなんだろ、オイラたちの存在は)
拗ねたような声が返ってきた。どうやら子供っぽい性格らしい。もしくは、本当に子供の姿をした精霊なのかもしれない。
「アイムね。覚えておくわ」
ヒカルは笑い声を抑え、腹部をさすりながら言った。
「私はヒカル。歩田ヒカル。高校生……っていってもアイムにはわからないか」
向かいから歩いてきた、毛並みの良いヨークシャーテリアを散歩させている若い女性とすれ違ってから、アイムが反論する。
(わかるよ。中学校の次に上がれる学校のことだろ?風に乗って、この世界の情報はいろいろ集めてきたんだ)
「風に乗って? アイムっていったい、何者なの?」
ヒカルは街灯の真下に立ち止まり、先ほどと同じような質問を投げかける。虫が明かりを求めぶつかる音が、車の通らないこの遊歩道ではやけに大きく響いた。
(何者って言われてもなぁ……うーん、『世界の干渉を打ち消す者』って言えばわかりやすいか? あ、逆にわかりにくいか)
「『世界の干渉を打ち消す者』?」
(そう。どちらかの世界の生き物が過剰な干渉をした場合、そいつを始末するのがオイラたちの役目ってわけさ。それで、世界の干渉を打ち消したことになる。オイラたちは神聖様に作り出され、その命令に従っているだけさ)
「『世界の干渉を打ち消す者を作り出す者』ってわけね」
ヒカルはそう呟き、混乱しかけた情報を整理し、再び歩き出した。
「神聖様……そいつは、いわゆる神様みたいなものなの?」
(オイラにとっちゃ神様だね。そっちの世界でも、人を作り出したのは神様なんだろ?)
「ええ、まあ……」
なかなか話の本質に近づけないことをもどかしく思いつつも、どうにか状況を飲み込む努力を払う。
(そっちの世界にも神聖様はいるはずだぜ。こっちの神聖様は婆ちゃんの姿だから、そっちの神聖様は爺ちゃんなんじゃないか?)
確かに、芸術作品に描かれる神は、キリスト教という色が強いけれども、威厳ある老齢の男であった。
「アイムの目的は、世界の干渉を打ち消すこと……つまり、あの悪魔を倒すことなのよね。いったいどうやってあんな化け物倒すのよ?」
(もちろん、ヒカルねーちゃんの力を借りるのさ!)
ヒカルは絶句した。それが目的で、この少年のような声の持ち主は風に乗って自分を追いかけてきたのかと思うと、怒りとも哀れみとも付かない妙な気分がヒカルの中に舞い上がった。
(大丈夫だって! 奴が襲ってきた時は、また剣を出してやるからさ!)
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私があの化け物を倒さなきゃいけないの? ほ、ほら、腕だってもうこんなにプルプルで……!」
アイムに頼られるのを防ごうと、ヒカルは全身を使って『使えない人間』をアピールした。
(でもヒカルねーちゃん、バシバシってレイピア振り回して、あのおっかない化け物を追っ払えたじゃないか)
わくわくした期待感がアイムの声から感じられた。
(そういうことで、バルバリッチを倒すまでのしばらくの間。よろしく頼むな、ヒカルねーちゃん! それじゃオイラ、バルバリッチの潜伏場所や神聖様の居場所を探してみるから!)
「ちょっと待って、私は――」
通り抜けた風を振り返り、手で実体の無いアイムを掴もうとしても、無理な話だった。
ひとり残されたヒカルは、口をへの字に曲げて、ただ立ち尽くすことしかできなかった。