2入部
「あ、はい!き、昨日はお騒がせいたしました。一年の溝口楓太といいます。これからよろしくお願いいたします!」
「あ、あれ?」
木部の拍子抜けた声がしたので楓太は顔を上げてみる。すると、重かった扉の向こうには一人しかおらず、広々としたホールの一番後ろの席に腰掛けてパソコンをいじっていた。男子だ。
「え?」
「どちら様?」
そう聞かれた楓太はどうしていいかわからず、
「先輩!裏切りましたねっ!」
楓太は木部奈琴をにらみつける。
「そ、そんな裏切ったなんて人聞きの悪い…」
「くそぉ、こんな人信用するんじゃなかった!ちょっとだけ騙されてた自分が恥ずかしいっ!」
楓太は泣きたくなった。実際楓太はその扉を開けるともうそこには同好会員が何人も集まって自分が来るのを待っていてくれているものだと、暖かな歓迎を受けるものだとばかり思っていた。
「で、実際だれなの?」
「あー、えーと、一年生新入部員の溝口楓太君」
その男子生徒は少し考えたあと「あー、昨日の」と言いながら少しくすりと笑った。
「だっ誰が新入部員ですか!こんなとこやめてやる!」
楓太は涙を浮かべまたも木部奈琴をにらみつける。
するとその男子生徒は立ち上がり、彼は右手を楓太に差し出してきた。
「二年錫村賢治、よろしく」
楓太はその右手を見つめるとなんだか急に怒りが収まり、気づいたら自分も右手を出していたことに気が付く。
「お、お願いします…」
なんだか腑に落ちない。けれど彼が右手を差し出した瞬間、悔しいけれど自分が認められた気がしたのだ。
「あれですよね?昨日音響を担当していたって言っていた」
「うん、そう」
錫村は素っ気ない返事をした。
「すずけんは主に音響、副演出、また台本の潤色なんかをやる裏方のスペシャリスト。こう見えてすずけん結構真面目だから、わからないことあったら聞いていいよ」
「こう見えて、は余計だ」
そう言いながらまたパソコンに向かって作業を再開させた。すずけんこと錫村賢治は青ぶちのメガネをかけていて、髪は少し長めのなかなかの美少年だ。
木部は見た目が高校生に見えない。老けているという訳ではなく、背が高く顔がすらっとしているせいでとても大人びて見える。そこら辺のアイドルやモデルなんかよりも魅力的な様相である。
「そういえば、皆遅いね」
木部は錫村にそう聞く。楓太も気になっていたが、今このホールには楓太を含めて三人しかいない。昨日は少なくとも役者だけで5人はいたはずだ。
「柊は部活に顔ださなきゃいけないらしい。新田、鳥島は今日は部室が使える日だからな。一縷は来月号の原稿をそろそろ上げないといけないって言ってた。渡部兄妹は例のごとく実験だそうだ」
楓太は錫村の話を漏らさず聞いていたが、何の事を言っているのかよく分からなかった。部活やら、部室やら、原稿やら、おまけに例の実験ってなんだ?って感じだ。
「すみません」
「ん?なに?」
木部が応える。
「この同好会の皆さんは、何か別に他の部活に入っているんですか?」
「うーん、全員って程じゃないけど、大体入っているよ。例えば、私は水泳部のマネをやってる。夏以外は時間が作りやすいからね。そこのすずけんは幽霊部員として写真部に籍を置いているよ。脚本潤色やら、音響やら、やることが多いからね。あと趣味で何やってるんだっけ?動画制作?」
「ゲーム実況だよ」
錫村がパソコンをいじりながら応える。眼鏡に画面の光が反射している。
「そうそう、ゲーム実況ってやつ。そこそこ人気なんだって」
「そうなんですか」
楓太も聞いたことがあった。ゲームをやりながら、喋っている動画を投稿するという物のことだ。
「ところで楓太君は何部に入っているの?君あんまり学校で見ない顔だけれど」
「えっと…」
楓太は口ごもった。先輩の話を聞いた今、自分の事を話すのが恥ずかしく感じて堂々と言えなかった。
「ん?どうしたの?」
それでも話さないと、と思った。普通なら隠すことでもないから。楓太は口を開こうとする。
「彼なら俺と一緒だよ。写真部。前に名簿見た時に名前が載っていたのを見たことがある」
錫村は楓太が口に出す前に応えた。楓太は彼を見るが、未だパソコンをいじったまま片耳にイヤホンをしている。
その通りだった。
「ふーん、そうなんだ。どう?忙しくても皆時間を探して稽古しているから、上手いも下手も関係なし!逆に色々な能力とか性格を持っている人が多いからそれがプラスになることもあるんだよね」
木部は声をはってそういった。なるほど、人に説得させるときの迫力が違う。流石だと思ってしまった。
「あ、そういえば海は?」
木部が急に話題を変えた。楓太は彼女が言った名前に条件反射してびくりと体を反応させる。楓太がその名前を知らないはずはなかった。
「あいつは追試」
錫村がそう言うと、木部は苦笑いをしながら頭をかいた。
「ああ、またか」
楓太はその話が、というか主に天野海の事が気になってつい質問をしてしまう。
「その、天野さんって、追試ってことは成績悪いんですか?」
「あ、君やっぱ海の事気になってるのかな?」
木部の顔がにやにやしている。楓太は少し嫌な汗をかいた。
「あ、いや、そういうことではなくて」
「じゃあどういうことなのかな?」
「こら」
声のした方を見ると、ノートパソコンのキーボードを打ちながら錫村がつっこむ。見事なブラインドタッチだ。
「あんまりからかってやるな」
「へいへい」
楓太は安堵して知らずに溜息を出した。
「で、ところで楓太君や」
改まって木部が声をかける。
「なんですか?」
少し怒り気味に返事をする。この人に気を許してはだめだ、という本能が働くようになった。
「君は海の事を知らないの?」
「え?」
急にそんな事を聞かれ、少し戸惑った。もちろん知らないわけがなかった。
「昨日アカネ役をやっていた方ですよね?」
「うん、まあそうなんだけれど。君って一年生だよね?」
木部が少し目を細めた。楓太には話の趣旨が読めなかった。
「は、はい。そうですけれど…」
語尾が少し弱くなる。理由はないけれど、不安な気持ちに襲われる。
「あの子、一年生なんだけれど」
楓太は木部が言ったその発言の意味をすぐには理解できなかった。
「ええっ!?」
そして理解したころには楓太は抑えることなく、大きな声を出していた。
だって、昨日の劇で主役をやっていたし、てっきり2年生なのかと…。楓太は頭の中で見たことと聞いたことの整理をした。楓太には昨日の役者の中で彼女がダントツで演技がうまく見えていたのだ。
「い、一年生なんですか?」
「やっぱり知らなかったんだ。どう、驚いた?」
木部は何が面白いのか、にやにやしている。
「だって、昨日だって主役やってましたし、それに一年生にしては他の役者に負けず劣らずの演技のうまさでしたし」
「お、言うね少年。まあ一年生が主役をやっちゃあいけないことはないからね。でも私もすごいと思った。正直あそこまでできる子だとは思ってなかったよ」
楓太は余計胸が高鳴った。あれ程すごい人が自分と歳が同じだとは考えていなかった。確かに楓太よりもはるかに小さい子役とかが、テレビで歳離れした演技をする事は見たことがある。けれど、あれとは違う凄さがある。
楓太はそれでもこの同好会に同じ一年生がいると聞いただけでも、楓太が抱えていた一抹の不安が少し解消された。
「それで、天野さんは成績が悪いんですか?」
楓太は再度聞く。
「いや、その逆だよ」
木部はそう応える。
「え?」
でも追試って。
「確かに俺もあいつ以上の天才をこの目で見たことが無いな」
まあ、天災でもあるけどな。と錫村が付け加える。
「ど、どういうことですか?」
「まあ、会ってみればわかるよ。そのうち皆も集まってくるだろうしね」