1告白
「以上で戸嶋南高校の幕間討論を終わります」
楓太とは別の高校の制服を着たマイクを持った女子生徒がそう言って、楓太の周りの席はどんどん空いていく。中森の学校の劇が終わった。
予想以上だ、と楓太は思った。『高校演劇』というものを初めて見たせいか、それなりの感動はあった。本当に少ししか出なかったけれど、中森も昔とはかなり違って見えた。彼の言った通り、劇に出ていた役者は完全に役になりきっていると、素人ながらそう感じた。
その時一番楓太が切に感じたことは、自分にはきっと彼等と同じことはできないだろう、ということだった。
最後に幕間討論というものをやって、楓太には最初は何が何だかわからなかったが、観客がキャストや演出家に質問やら感想などを言う場であるらしい。もちろん楓太は黙ってその流れを見ているだけだった。
もう帰ろう。中森に声をかけて行こうとも思ったが、中森が何処に居るのかもわからなかったし、きっと彼は今片付けやら忙しいであろう。後でLONEに感想でも書いておけばいい。電話は面倒だ。
「ん?」
ホールから出ると、ふと出口の間際でたくさん人が集まっていることが気になった。何やら廊下の壁際に大きい白い紙が貼ってあるボードがあって、その前に人が集まっているようだった。がやがやとした人だかりの隙間から気になって覗いてみると、どうやらその近くにおいてある色ペンでその張ってある大きい紙に各校の劇の感想を書いていくもののようだ。各高校にそれはあって、よく見るとそれが廊下の壁を伝っていくつも置いてある。
『おつかれさまでしたー!これからも楽しみにしています!』
『みっちー!!!おつかれー可愛かったよー』
『戸嶋南演劇さいこう!』
大会といっても意外とそこまで厳粛なものじゃないんだな。
楓太はそう思いつつ、戸嶋南校とは別のボードも覗いてみた。
ずらっと、縦が1メートルくらいあるものではないかと思われる大きな紙に、たくさんの感想がかかれていた。内容は短いものから長いものまで、小さい文字から大きい文字までさまざまだった。楓太はそれを見てある種の快さのようなものを感じた。
劇は戸嶋南校しか見ていないため、内容はあまり理解できなかったが、流し読みをするだけで、何故かその劇を見たかのような錯覚に陥る。楽しさが伝わってくるような、感動が伝わってくるような。
楓太は途中で一つのボードに目が止まった。まだ出番が終わっていないのか、紙は高校名が書いてあるだけのまっさらな状態である。
「佐良津東高等学校演劇同好会?」
楓太は目を疑うと同時に首を傾げる。
『佐良津東高等学校』この学校は間違いなく楓太の通っている高校の名前だった。
あれ、うちの学校って演劇部なんてあったっけ?楓太はそう思った。
いや、違う。部じゃない、同好会?
楓太は入場するときに受付で渡された大会のパンフレットを見た。そもそも見に来る目的が中森の高校だけだったので、パンフレットはそこのページだけしか見ていなかったのだ。
「あった」
開いたページにはしっかりと楓太の通っている高校、佐良津東高校と活字で記してあり、その横に演劇同好会と書いてあった。
そこで楓太は疑問に思った。たしか、中森の高校『戸嶋南高校』は演劇部だった。なぜ同好会なのだろう?確かめてみると、今回の地区大会に参加している高校12校のうち11校が○○高校演劇部になっている。つまり同好会は佐良津東高校だけになっているということだった。
パンフレットの佐良津東の所を見ていると、開演は戸嶋南高校の次らしい、ということがわかった。時間的にはあと5~10分くらいだろう。
楓太はどうしようかと迷った。自分の通っている高校だからと言って、見ていく義理は確かにない。けれど、楓太は気が付いたらまたホールの中に戻っていた。自分でも自分の行動を不思議に思った。理由も思いつかない。ただ、言い訳をするとしたら、楓太はただ単純に気になってしまった、というだけだった。
それにどこか胸の中で湧き上がる先程の劇での昂揚感が、また押し寄せてきそうなそんな予感がしたのだ。
ホール全体が暗くなる。緞帳が下がっていて、見えるのはホールの左上についているデジタル時計だけだった。観客は先程より少ない気がする。周りに座っているのは知らない高校の制服ばかりできっと同じ大会に出ている他校の演劇部員であろう。佐良津東高生は、上級生は知っている人がいないからわからないけれど、一年生は見当たらなかった。
『プログラム9番、佐良津東高校演劇同好会作【クリスマス中止のお知らせ】を上演いたします』
最初のアナウンスで数名吹きだした音が聞こえた。確かにタイトルが強烈だ。楓太はそれを聞いて、まずどんなストーリーなのか想像するだけで楽しくなった。
暗い中BGMがなりだし、そのすぐ後に緞帳が上に上がりだした。舞台からは明るさがいっぱいに観客席に漏れ出す。
BGMはクリスマスによく聞くそれだった。けれど曲名は思い出さない。
劇の内容はこうだった。
今年もクリスマスイブを迎えた女子高校生アカネは16歳にしてはじめて両親からサンタクロースはいない、毎年プレゼントを枕元に置いていたのは両親である自分達だと告白される。
「嘘をついていたの?なんで?本当にサンタさんはいないの?…けれど私見たの。小学2年生の時、偶然サンタさんが私の枕元にプレゼントを置いてくれたのを」
それでも両親はいない、と言った。
親に裏切られたショックと現実を知ったショックとの両方を受けたアカネは家を飛び出し、夜冬空の中を駆けだした。ゆく当てもないアカネは近所の公園へ行った。
「お兄さんは、ここでなにをしているの?」
その公園では浮かない顔をした若いサラリーマンが一人でベンチに座っているのを見つけた。どうやらクリスマスイブの今日、会社が首になったらしい。
「じゃあ、お兄さんにはこの飴をあげるよ。今年のサンタクロースは飴しかくれなかったけれど、来年、再来年は絶対いいものもらえるよ」
アカネはポケットにたまたま入っていた飴をそのサラリーマンにあげた。サラリーマンはそのお礼にと一冊の本をくれた。そうやって、12月24日の夜、アカネは様々な人と出会い、その場で持っていたものを一つ、また一つと交換していく。所謂わらしべ長者のようなストーリーだった。
「プレゼントは大切な人と繋がりたいという気持ちを伝えるためにあるんだ。だから君もまたそんな人と出会えるように、私からはこれを君にあげる」
アカネは最後に失恋をしてしまった少年と出会う。アカネは今までの出会いから、プレゼントをする喜びや大切さを学び、家に帰って両親と和解する。
楓太は気づけばその劇に魅了されていた。クリスマスが近いこの時期にはぴったりな題材であると同時にその話が文句の付けどころのないほど面白かった。笑いあり感動ありの、これこそエンターテイメントと呼ぶべきものではないだろうか。
だが楓太にとっては、ただそれだけの劇ではなかった。
楓太は劇中、ある役をずっと見ていた。その役に魅了された。その役を見ている自分は何処か遠くの夜空の星を見るような、はたまた晴天の日の眩しい太陽を見ているような、そんな感覚に襲われていた。
その役とは主人公のアカネだった。アカネは劇中で楓太をその世界の中に引き込んだ。演技がうまいだけではなかった。中森の高校を思い出してみると演技が上手だと思う高校生は確かにいた。けれどアカネは違う。と楓太は直感で思った。何がどう違うとか、というのを冷静に言葉で説明するのは難しい。けれど一言で言うとしたら、そう。
綺麗だ。
そう思った。
アカネ役の少女は小柄で、どちらかというと女性としては『綺麗』という表現は似合わないかもしれない。けれど、綺麗だと思った。思ってしまった。舞台上で誰よりも栄えている。それはもちろん主役だから、というのもあるかもしれない。
けれど、楓太は彼女ほど輝ける人間を他に見たことがなかった。
汗をかきながら必死でセリフを放ち、身体全身で伝えたい世界を表現している彼女は、楓太には眩しすぎた。眩しすぎたのだ。
気付けばあっという間に1時間が過ぎて終わっていた。緞帳が降りる音とともに盛大な拍手が湧いた。楓太も気づけばじんじんと湧き上がる興奮と感動と供に鳥肌を立たせながら無心で手を叩いている。
例のごとく幕間討論になり、舞台の袖から劇に出ていたキャスト二人ともう一人の方が他校の演劇部員の二人と一緒に緞帳の前に出てきた。
「今から幕間討論を始めたいと思います。お疲れ様でした。では一人一人役名とお名前をお願いします」
高校生にしては大人びた女子生徒がマイクを受け取った。顔つきもしぐさも堂々としている。
「今回、演出兼アカネ母役を演じさせていただきました、木部奈琴です。最後までご視聴いただきありがとうございました」
丁寧にお辞儀をした後、隣に立っている男子生徒に渡す。彼は佐良津東高の制服を着ていて、眼鏡をかけている。いかにも変わり映えのしない普通の男子高校生の風貌だった。
「音響、副演出を担当した錫村賢治です」
ただそれだけ言って次に渡した。背はそんなに高くはないがクールだった。それでいて何となく近寄りがたいようなそんなイメージを受ける。
最後はアカネだった。さっきまで楓太が視線で追っていたアカネだった。だが終演後なのか緊張感が抜け、安心したような顔つきをしている。
「こ、今回、アカネ役をやらせていただきました天野海です。え、えっと。ありがとうございました」
深く短い礼をした。
天野海。楓太はその名前を一度だけ心の中で言った。その瞬間、楓太は急に胸の鼓動を覚えた。胸に手を当ててみる。楓太の目線の先にはアカネ、天野海だけが映った。この時楓太は味わったことのない、感じたことのない気持ちが湧き上がった。
彼女を見て、自分はどう感じたのか、またどうしたいのか、自分で自分がわからなくなった。ただ、彼女を見ている自分の心が揺るがされているのがよく分かる。
けれど楓太は自分が思っていることは1つしかないと結局の所わかっていたのだ。
「では、佐良津東高校に質疑また感想などある方は挙手してください」
楓太は気づいたら自分の右手が上がっていたことに驚きはしなかった。言いたいことがあった。今この場でないと言えないことを。もしここで伝えられなかったら、自分は一生後悔してしまうかもしれない。そうとまで思った。
マイクを持った係、他校の演劇部の生徒がこちらへやってきて自分にそれを渡す。
「お疲れ様です」
第一声にそう言うと壇上の三人は礼をした。
「佐良津東高校1年の溝口楓太といいます」
そう言うと、三人は驚いた顔を見せ、そして目つきを変えた。楓太自身の目つきと口元の閉まり具合も変わる。
「とても、よかったです。ありきたりな感想ですみません。実は今日他の高校の劇を見に来ていて、自分の高校に演劇同好会があるということを初めて知りました」
まず楓太が言いたいことはこうだった。
「私も同好会に入りたいです。今日の劇を見てそう思いました」
楓太は足元もマイクを持つ手元も、声も少し震えていた。楓太は人の前に立って物事を言えるタイプではなかった。それでもマイクを強く握り締め言いたいことを言う努力をした。ただそれだけでいいと思った。
「演技が上手だった、とかそういうことではなく、この今の劇に同好会の方々のすべてが込められていたような気がしました。稽古だけでなく毎日の積み重ねていたものが演技としても、物語の表現としても…。私は部活に入っていないので、この劇のようなものをみなさんと一緒に創っていきたい、とそう思いました」
楓太はそう言ったあと一度深呼吸をした。何となく肩の荷が下りたような気がした。けれどまだ楓太には伝えたいことがあったのだ。
「そしてアカネ役の天野海さん」
「は、はいっ」
急に名前を呼ばれ驚いたように裏返った声を出す。
彼女と目があった。
初めて世界が彼女と繋がった瞬間だった。
彼女を見つめる。ライトで綺麗に輝く瞳があった。楓太は彼女を見て思った。俺はあなたの演技が好きだと。ずっと近くで見ていたい。そしていつか遠くに見えるその壇上へ、あなたと同じ所に供に立ってみたいのだと。
「僕はあなたが好きだ!」
そう口からはなった瞬間あたりが真夜中の砂漠のように静まり返りかえった。気づかないのは楓太のみである。
「ずっとそばで見ていたい、あなたとその場に立ってみたい」
楓太はそうつづけた。楓太は熱意を込めて語っていたせいであまり気付かなかったが、辺りの人は皆当たり前のようにドン引きしていた。あるいは驚きで反応できていない人ばかりだった。
「あ、え、え、え、えっと、そ、それはど、どういう意味でしょうか」
マイクを持っていない天野海は数秒たった後に楓太という少年から言われた言葉の内容、意味に気が付き、どう反応したらよいか迷走中だった。聞き間違えかとも思った。
楓太は天野海がそう応えてから事態が少しおかしくなっている事にようやく気が付く。周りを見渡すと、周りにいる知らない人が皆自分の方を見て驚き、そして苦笑いを向けているものまでいる。これはどういうことだろう。自分はただ彼女の演技が好きだと言っただけなのに…。楓太は急に不安になった。
「君も大胆な事言うねぇー!そういう子うちの部は大歓迎だよ!」
アカネ母役をやっていた木部奈琴という女子生徒が楓太に向かってにっこりと自信にあふれた表情を向けている。
大胆?楓太はその言葉に気にかかった。
「すみません、今自分なんて言いました?」
楓太はもうどうこうしていられず、隣に座っていた他校の女子生徒に質問した。
「えっ?あ、あの…今、あの子の事が好きって言っていましたけど」
その子は楓太と目を合わそうとしない。
その答えが返ってきてから楓太は理解するのに4秒かかった。
「『演技が好き』ではなく?」
楓太は慌てて重ねて質問したが、その女子生徒は「はい…」と応えた。
そして楓太は自分が大変な失態を犯したことに気付くのはそれから6とコンマ3秒かかった。
気付いた瞬間楓太はとてつもない熱を感じた。冷や汗も出てきて、鳥肌も立った。あらゆる緊張状態の最高の状態であった。胸の鼓動が高まるというよりむしろ高まりすぎて急停止しそうな勢いだ。
楓太は急いで訂正をしなければならないと思った。テンパりすぎてそれも忘れて逃げ出す所でもあった。震える手で持っていたマイクを握り締めて、
「ち、違います!あああああなたの演技です!あなたの演技がす、好きだと言ったんです!誤解です!すすすすみません言い間違えましたあああああ」
楓太はついに堪え切れなくなった。マイクを隣の人に渡し一目散に逃げた。その場から離れ、ホールを出て、走って会場から離れた。
終わった。
楓太は走りながらそう思った。きっと今日佐良津東高の生徒も何人かはいたはずだ。もう明日から学校の笑いものにされてもおかしくない。行きたいと思っていた演劇同好会にもいけなくなってしまう。学校にも行けなくなってしまうかもしれない。そして彼女にもう合うことはできない。彼女と同じ場所に立つことも出来ない。
闇雲に帰っていた楓太はまるで世界が真っ白に見えていたようで、気が付いたら家に着いていた。もう既に悲しみは楓太の中に浸透していた。今の状態を表すもっとも適切な言葉は『絶望』だろう。
「おかえりー、どこ行ってたの?」
家の中に入ると妹に声をかけられたが、楓太には何も聞こえていないようで、返事を返さなかった。
「なによあいつ」
楓太の妹はソファに寝転がりながらポッキーを一口かじった。
そのまま自室のベッドに飛び込むが、寝たいわけではなかった。疲れはどっと押し寄せてくるのだが、どうしてもそんな気分にはなれない。まくらに顔を押し当てていると、まくらが少し湿る。無意識に涙が出ているようだった。
なんで今日自分はあんなことを言ったのだろう。なんで自分は今日あんなことを想い、そしてそれを言おうと思ったのか。今まであんな感情を持ったことがなかった。誰かを求めるということも誰かに追いつきたいと思ったこともなかった。今まで「自分は自分」としてマイペースで生きてきた楓太は、今日の自分が自分ではない気がしてしまう。それでも今とても悲しかった。一瞬で全てを失ったような気分だ。
彼女の顔が浮かんだ。劇中で演技をしている時の顔だった。嘘をついていた両親に対して怒っている時の顔、サラリーマンににっこりとしながら飴を渡す顔、そしてプレゼントを渡す意味に気が付いたときの彼女の切なさのこもった表情。楓太はそれを思いだすと胸が苦しくなった。