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徒然なるままに  作者: 水無月旬
第三幕
14/21

5 舞台に立つこと

 外はもう薄暗く、耳や鼻やらがやけに冷たく感じる。白い息も出ていた。

 楓太は一刻も早く彼女の元へ行かなければならないと思った。


『学校を出たすぐの所に公園があるでしょう?そこにいると思うの』

 楓太は一縷が教えてくれたようにその公園へと向かった。


「いた」

 公園へ入るとベンチに座っている海がいた。外灯で照らされ、見てはいられない悲壮感が漂っている。

 楓太は一度呼吸を整え、ためらわず近づいていく。


「風邪ひいちゃうよ。公演近いんだから体には気をつけないと」

 海は楓太の声に気付き、びくっと体を反応させ、慌てて振り向く。


「なんで…」

 海は驚いた表情を浮かべる。自分がなぜここにいるのがわかったのかというような感じだった。


「一縷先輩も、よくここに来ていたんだって」

「望先輩が」

「どう落ち着いた?」

 楓太は彼女から少し離れて座った。ここでもう少しでも近づく勇気があれば、と思った。


「うん。だけど私」

 彼女の身体が震えている事に気が付いた。どれだけ彼女が真剣に悩んでいたのか楓太は改めて思い知らせれることになった。そんな彼女を見た時、楓太は単純に彼女を受け止めたいと思った。


「私公演には出れない」

「どうして?」

 楓太は尋ねるが、彼女はなかなか返事をしようとしてくれない。楓太は彼女の方を見て応えてくれるまで待った。彼女が話してくれる気がしたのだ。


「怖いの」

 彼女はか細い声で話し始めた。


「楓太君はこの間の大会の結果を知ってるよね?」

 この間楓太が見た劇で、佐良津東高校は県大会への切符を逃したのだ。


「私はその主役に抜擢された。最初は嬉しかったの。でもこの大会は先輩たちの最後の大会だった。私が何を言いたいかわかるよね?」


 わからないわけがなかった。なぜ先日先輩方が自分をご飯に誘ってまであの事を話したのか。思い出してみると、あの時の自分はまだ少し軽い気分でその話を聞いていたように思う。先輩方の方がしっかり海の事を見てあげられているじゃないか。楓太は自分自身に絶望した。


 海は責任を感じてしまっているのだ。一年生が一人しかいない中で主役に選ばれて、それでいい成績を収められなかった。誰にも言えず、彼女はそれを苦しんでいたのだ。


「大会前は、先輩に申し訳ないと思いながらもしっかり自分のできることをやろうと思ってた。でも思っていただけだった。実際に良い演技ができないからあの結果が出た」


「でも海さん一人がそこまで背負い込む必要はないんじゃ…」

「皆そういうの!」

 彼女が声を荒げる。楓太は驚きはしたが、それでも彼女の言うことには最後まで耳を離さなかった。


「結果発表の後、泣いていた私に先輩方みんなそう声をかけてくれた。皆泣きたい気持ちを押えて私を励ましてくれていたのに。私は自分一人だけ泣いていることが許せなくて、大会の次の日からは頑張っていつも通りに、普段の自分でいようと思ったの」


 楓太はそれを聞いて納得がいった。楓太が同好会に入ってから見ていた海は普段の海ではなかったのだ。あの笑顔にも彼女の我慢が入っていたのだ。


「でも、舞台に立つのが怖かった」

 彼女は次第に泣くのをこらえるような声になった。座っているひざ元で拳を震えながら握っているのが見える。


「あの時の自分の演技の何が駄目で、何が原因で次に進めなかったのか。稽古を重ねるたびにわからなくなって怖くなった。もしかしたら自分が一生懸命やってきたことは間違っている事なんじゃないかって」


 楓太は彼女の言ったことすべてを理解できたわけではなかった。楓太はまだあの場所に立っていない。人の前で演じることの怖さを知らない。それを評価されることの怖さも知らない。

けれど、海があの大会の結果だけで迷っている事は間違っている。ということだけはわかる。


「海さんはなんで俺が同好会に入ったかわかる?」

 海はその問いに答えなかった。まるで今から楓太が言うことを否定したいと思っているように。


「あの劇を見て入りたくなったってあの時言ったよね。俺はあの劇に魅せられた。海さんの演技に魅せられた。演技のうまさだけじゃない。海さんの一生懸命さに魅せられた。俺は海さんを見て演劇をやりたいと思ったよ。海さんが楽しそうに演技をするから、俺はやりたいって思ったんだ。きっとちがう誰かだったらそんなことは思わなかったと思う」


 海はただ黙って楓太の言っている事を聞いていた。楓太は緊張と必死さで口の中が乾くのを覚えたが、止めるつもりはなかった。まだ言い足りないことがたくさんある。一つ一つ吟味しながら言葉を紡ぐ。


「最近先輩達みんな心配してた。海さんが言いたくても自分たちに言えないことがあるんじゃないかって。君はそんなことでくよくよしてちゃいけない。俺が言えることでもないけれど、けれど先輩たちはきっと今回の劇で海さんが主役にぴったりだと思ったから、海さんならきっと一生懸命に演じてくれると思ったから、自分たちより海さんにやらせたいと思ったから、君を主役に選んだんだ。俺は舞台の上に立ちたい。立って海さんと劇をつくりたい。そして俺は、一生懸命やることを君に負けたくないと思ってる。だから君を迎えに来た」


 楓太の心中は不安だった。自分はわかっているつもりで何もわかっていないんじゃないか、そんなことを言われたら自分の事を嫌いになるんじゃないか。思いたくてもそんな気持ちが頭の中をかすめる。


「君は強いんだね」

 海は口を開いた。小さい声で短くそう言った。


「どうして?」

「私が君を否定するかもしれない、君の言葉に耳を貸さなかったかもしれない。それなのにこんな私にそんなことを言ってくれる」


「だって…海さんだから」

 楓太は当たり前のようにそう応えた。本当にそう思えた。


「そっか」

 少し間を置いて、ふと隣で座っていた彼女が起ち上った。

 そして楓太の目の前に立ち、手を差し出す。


「ありがと。君の言葉信じてみる。私も絶対負けない。君に、自分自身に」

 楓太は顔を上げる。彼女は泣いていたようだった。目が少し赤い。今は涙が乾いている。


「うん、がんばろう」

 楓太は彼女の手を取って立ち上がった。




「おそい!」

 木部はジト目で帰ってきた楓太と海を見た。


「すみません」

 海は素直に謝った。きっと長く休憩していたことと、さっきの稽古の事、もろもろのことについてだろう。


 木部は少し安心した表情を浮かべ、楓太の方に突っかかってきた。

「ちょっと、君もだよ?」

 木部はあからさまに楓太の方を見る。


「君からは外に出るなんて聞いてないけどなぁ?」

「す、すみません」

 不本意だ!寒い思いしたのに!


「まあいいや、これから君には力仕事を頼もうかな?」

 木部は舞台の方を見る。

「今日の部活は終わり。そろそろ片づけをしようか」

 楓太は舞台の方を見ると、舞台には公演仕様にセットされたパネルや大道具などが置かれている。


 それを見てすぐに察した。

「美香さん手伝います!」

 小走りで舞台の方へ向かった。なんでもやりましょう!


「もう休憩はいいの?」

 木部は柊の方へ行った楓太を満足そうに見ながら、少し意地悪く海に尋ねる。


 海はすぐに木部の思っていたことを察した。さっきは怒っていたが、自分の事を心配してくれた先輩にはとても悪いことをしたと思った。

 でもそれは表に出さない。


「はい、大丈夫です。私負けませんから」

 海は笑顔で応えた。

 何に?と木部は疑問に思ったが、そんなことどうでもいいと思った。



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