2女子禁制
連れてこられたのはファミレスでもラーメン屋でも、低コストの牛丼屋でもなかった。
「ここは?」
楓太は見るからに怪しいと疑るように聞いた。
鳥島に連れてこられた目的地はどうやらここらしい。
楓太の目の前に広がるのは誰がどう言おうとただのアパートであった。
「まあついて来ればわかるって」
ついてくるとはどこまでの事だろう。今からこのアパートのどこか一室へ入りその中までの事を言っているのだろうか。
そのアパートは2階建てだった。古そうでもなければ新築にも見えない。白い壁は少しだけくすんだ色をしており、この空気になじんでいるようだった。
鳥島はコツコツとそのアパートの階段を上がっていく、そこは鉄製の少し頼りない階段ではあったが人が行き来するには問題ないだろう。
楓太はとりあえずついていくことにした。なんだか怖い、という気持ちもないわけではなかった。優しくしてもらっているとはいえまだ楓太は今目の前にいる鳥島を含め先輩たちの事をほとんど知っていないにも等しいといえる。
そして鳥島はそんな楓太の気持ちを知りもせず、とある一室の前につきインターホンをためらわず押すのだ。楓太は203と書かれた標識を見る。
「お、きた」
中から聞き覚えのある声が聞こえ、楓太はその声が誰の声かを思いだすと同時に眼の前のドアが開いたのだ。
「新田先輩?」
「さ、中に入って。もう準備はしておいたよ」
扉を大きく開ける。玄関には1、2、3人分の靴が脱いである。
「やっほー!はらへったぜぇー」
鳥島は空気を吐き出すようにつぶやく。やはりご飯を食べるのだろうか。ここで?
どこかで外食をするものだと思っていた楓太は言われるがままに部屋の中へ入る。
部屋の中はもわっと暖かい空気が立ち込め何か良い匂いが漂っている。
「だから言っているだろう。あのコイルガンは今後のリニアモーター開発の先がけとなるんだぞ!危ないからという理由で止められるものか!」
「いや、でも先生が危ないって言っているからさぁ。これはどうにもならないよ。あの発射音のせいで上の階で練習している吹奏楽部にも迷惑かけているみたいだし」
中にはまだ楓太の見なれている人たちがいた。とても賑やかだ。
「そういうことなら、部屋に防音材を貼っておくから」
「そういうことじゃなくて、今は何にあてているか知らないけど、学校側も教室の壁に穴をあけてほしくないんだと」
「なんだと?貴様もあのコイルガンの餌食になりたいってか?」
「ほらほら、その話はまた今度にしよう。溝口君来たよ」
新田が二人の会話を中断させる。先程から普通の部活動とは思えない会話をしていたのはもちろんその『コイルガン』という科学兵器を制作している科学研究部兼演劇同好会に所属している渡部彼方と写真部幽霊部員兼演劇同好会で音響を担当している錫村賢治だった。
二人はテーブルを囲い床に座っている。そしてそのテーブルの上は。
「お鍋ですか?」
もう既にぐつぐつと音を立て湯気をここぞとばかりに飛ばしている鍋が置いてあったのだ。
「もう冷えてきたからね」
楓太は納得した。なぜ先輩方が今日に限って稽古が終わり次第そそくさと帰っていったのか。いつも鳥島は新田と帰っているのに、一人で楓太を誘ってここに連れてきたのか。
「これは演劇同好会女子禁制の鍋パなのさ」
鳥島はよだれを垂らしそうにしながら鍋を見つめながら言った。
「新田が一人暮らしをしていて、この部屋使って不定期でみんなで飯を食べるんだ」
錫村の発言に楓太は驚いた。
「新田先輩一人暮らししているんですか」
「そうだよ」
楓太は一人暮らしの部屋は初めて見るので新鮮な感じがした。あたりを見渡す。確かに入った時から家族で住むには少し狭いよなぁとは思っていた。それでもワンルームでなく今いる部屋と寝室があるようだ。
「今までもこうやって、たこパやったり、お好み焼きつくったり、餃子作ったこともあったな」
新田の話を聞いて楓太はテンションが上がってきた。
「それで今日は鍋をしようってわけなんだ」
渡部は先程までの不服そうだった表情を戻して言った。
「まあ、君とは話したいことはたくさんあるけど先に食べようか」
「はい」
話したいこと?新田の言葉に少し疑問を抱いたが、ここは先輩方のご厚意に甘えようということで返事をした。
鍋はキムチ鍋だった。具材は野菜に肉に色々入っていて、とにかくおいしい。
「おいしいです!」
「確かに上手いな!これならいくらでも食えるぜ」
「まだ具材あるからたくさん食べて」
調理したのは主に新田のようだった。実際は具材を切ってもとを入れるだけなのだが、ここでは立派な鍋奉行である。楓太は勉強もなにもできて料理もできるとは、と少し悔しい気持ちがあった。
「ふむ、この鍋に入っているキノコにはなビタミンC、D、またカルシウムや鉄などのミネラルも入っていて、疲労回復にいいのだ。またニンジンにはベータカロテンが入っていてな…」
「はいはいもういいから」
彼方を軽くあしらう錫村。楓太はそんな日常的な情景を見ていて不思議と笑みがこぼれた。
今日の失敗でひどく落ち込んでいたが、それも少し軽くなった。しかしだからといって忘れていいことにはならないと楓太は自分に言い聞かせる。
「どう?同好会はもう慣れた?」
そんな楓太の安堵を察したのか新田が声をかける。
「……」
返事をしづらかった。居心地がいいといえばいい。それは先輩方が楓太に良くしてくれているからだ。ただ自分が他の同好会員と同じように事をこなしているといえばそれは全くである。
「まだ、努力することがいっぱいです」
持っていた箸とお椀を置く。
「同好会に入る時は不思議と不安な気持ちはなかったんです。全くといえば嘘になりますけど」
「まあ、あんなこと言っちゃったしね」
笑いながら鳥島は言う。あんな事とはもはやあの事しかあるまい。
「ひとこと多い」
新田はそう言い、コップにお茶を注ぎ飲む。一息ついてから続ける。
「それで?」
「あの劇を見たからなんですかね、あんな劇をつくっているのだからこの人たちには心配せずともついていける。そう思ったんです」
「ふむ」
腕くみをしながら彼方は頷く。
「いや、彼方は含まれていないと思うけど」
ジト目をする錫村。なにおうと彼方はまた彼とにらみ合う。
楓太はふと息を吸い込んだ。先輩たちはそんなことを言いながら自分の話をしっかりと聞いている。それは彼等の眼を見ればわかるのだ。
「でも自分は居場所を求めてここへ来ているんじゃないってわかっているんです。自分はもっと努力して、演技がうまくなりたいんです」
「演技がうまくなってどうしたいの?」
楓太の方をしっかりと見つめ新田はふとそんなことを聞いてくる。
少しいやらしい質問だと楓太は思った。それは一生懸命勉強している人に向かってなんで勉強しているのと聞いてきているようなものと同じような気がしたのだ。
それでもこたえることはもう既に決まっている。自分はこのために演劇同好会に入ったのだという明確な理由が。
「舞台に立ちたいです。あの会場で見た、近いようで遠いあの場所へ」
気付いたら楓太は思ったことを口にしていた。こんな感覚は初めてだと楓太は思った。なんだろう、今まで以上に闘争心がかきたてられるような、拳を握りしめたら力が湧いてきそうな、そんな気がした。
「うん。良い目標だね。改めてようこそ、演劇同好会へ」
新田は楓太に向けて手を差し出す。
「よ、よろしくお願いします」
楓太は予想もしていなかった返事に少しどぎまぎしながら手を出した。彼はしっかりと楓太の手を握る。
「よしっ!明日から厳しくいくかー」
鳥島はにやりと少し怖い顔をする。
「そ、そんなぁ」
「演技上手くなりたいんでしょ?具体的な演技指導はあまりできないけれど、演出は厳しくいくからね」
鳥島に合わせるように錫村もそう言った。でも楓太は嬉しかった。自身そうして欲しいと思っていたのだ。あまり厳しいのは困るけれど。
「そのついでにうちの科学研究部に入らないかい?そのうち大道具の仕事も教えるとしよう。私と妹の遥は大道具もやっているのだ」
「あの部には入りません」
楓太はきっぱりと断る。
「ええ~」
「こちらこそ、お願いいたします!」
楓太は座ったまま頭を下げた。
「まあそんなにかたくなるなって。今日は早く同好会に慣れるように色々な事をおしえてやっから」
色々な事?鳥島は少し気になることを言った。
ばんっ!と鳥島は目の前のテーブルをたたき立ち上がる。
「君もわかっていたと思うが今までこの同好会の男女比は4:5で女子の方が多かった!おかげで俺たちの立場はとても弱いものだった!」
急に鳥島はスピーチを始める。
「確かに部長も女子の木部先輩ですね」
「そうなのだよ。おかげで、『主役は私だ!』『却下』『大道具はもっと派手にしたいからお金を出してほしい』『やだ』『偏光顕微鏡が欲しい!』『はぁ?』の繰り返しでもはやうちの同好会では男女平等は幻となってしまった」
「最後のは彼方のただの欲望だけどね、というか全部か」
錫村はそう言うと、もう自分は関係ないと言ったように最新型のスマートフォンの画面を見ている。
「そこに溝口、お前が入った!おかげで我らは対等になれたのだ」
「は、はぁ」
「ただ、まだこの立場が急転することはないだろう。そこでだ!溝口にいつでも恐ろしい女共に対抗するため、この俺が色々と教えてあげようということだ」
鳥島は何やらよからぬことを考えているらしい。それでも楓太は先輩の誘いにしっかり断らなきゃいけないのに、それができずにいた。それになんか楽しそう
「俺は知らないよ」
「私もだ」
「俺も」
「ええっ!」
新田に続き、ほかの先輩は逃げるようにそう言う。よっぽどよからぬことなのだろう。
「よーししっかり聞いておけよ。メモはだめだ。見つかったら殺される」
「え」
そんな感じで楓太は鳥島から女子の先輩方の弱点や悪口を聞かされた。驚きだったのが、木部が昔は人見知りで物静かな少女だったということ、コミュ障の真反対みたいな美香が実は重度のオタクで腐っているとか、遙が実はかなりモテているが残念な部活に入っているせいで告白する猛者は変人が多いとか、一縷が背が小さく子供っぽいことを気にしていて、コンタクトにしたのもそのためだとか、色々な不必要?な情報が集まった。
「そして最後に海の事なんだが」
楓太は待ってましたとばかりにごくりと唾をのむ。
「実はあいつに関しては特に何もないんだ」
「え?」
どういうことだ?鳥島の言ったことが受け取れずにいた。
「いやー、あいつさ人付き合いがうまいって言うかなんというかで、裏の顔を見せてくれねーんだ」
「どういうことですか?」
「実は今日君を呼んだことにも関係しているんだけど、海後輩のことでね、君に相談があるんだ」
相談?新田が急にそんなことを言うので楓太は身構えた。
「俺に、ですか?」
「そう。今君を含めて一年生が海後輩と二人ということは知ってるよね」
「はい」
「僕たちも海後輩はそれなりに大事にしてきたんだ。でもやっぱり学年の差がある。君が入ってくれるまで一年は海一人だったんだ。だからそのせいで彼女は自分の事をあまり表に出さない」
そうなのかなぁ。と楓太は一瞬思った。楓太の眼から見て彼女はあまりそうには見えていなかった。いつも元気で、楽しそうに部活をしている様子しか楓太は見たことがない。
「だからもし海が僕たちに話しにくいことがありそうだったら、君にそれを聞いて欲しんだ。頼めるかな」
さっきの鳥島のスピーチとは打って変わって真面目な話になったことはすぐにわかった。
「わかりました。彼女が自分で良ければ…ですけれど」
そう楓太は言ったけれど、そんなことを言ったって自分はまだ彼女と知り合ったばかりなのだ。楓太も彼女の事をよく知らないし、彼女もまた自分の事はよく知らない。少し不安になる。
けれど先輩方の力になりたいと思う。
そして彼女の事をよく知りたいという自分もいる。
「ありがとう」
新田はそう言った。楓太のコップにお茶がなくなったのを見つけ、お茶を入れる。
「で、結局溝口、お前はどうなの?」
「何がですか?」
楓太は新田から受け取ったお茶を飲む。
「海のこと好きなんだろ?」
「ぶはっ!げほっげほっ」
急な質問に楓太はお茶を吹きだしむせた。お茶が変なところに入った。聞いたのは鳥島だ。彼はもはや確信犯と言った感じにわるい表情を浮かべている。
「な、なんでそんなことき…」
「実は俺も気になる」
「錫村先輩までっ?!」
さっきまでスマートフォンに目を向けて興味なさそうにしていた錫村もきょとんとした目でこちらを見てくる。やめてください。そんな目で見ないでください。
「恋というのは科学では証明できないからな。私も色々と聞いてみたいものだ」
「ちょ、ちょっと!新田先輩助けてください!」
「うん。で、どうなの?」
新田までもが楓太を裏切った。
「うわぁあああ!!」
「マイクで、公衆の面前で、堂々とうちの大事な後輩に告白してくれたもんなぁ」
鳥島はぐいぐいと楓太の方に近づき腕を楓太の首に巻いてくる。
今日やっぱ来るんじゃなかった。後悔しても遅い。
「な、なんでもないです!な、何とも思ってないです!そんな顔したって無駄ですよ!絶対そんなことなんてないんですからぁああ!」
楓太はこの後好き放題いじられた。不思議と嫌な気持ちはそんなになかった。ただ、このままでは自分の身が危ないと思い、少しずつこの先輩たちの弱点も見つけていかなければとそう思ったのだ。
帰りは鍋で温まった体を寒い夜道にさらし、自然と笑みがこぼれたことに気付くのだった。




