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たいようとひまわり

作者: 深チョンピ

 俺が察するに、世の中3タイプの人間にきっちりと分けられる。

 最初に、その場の空気に合わせて行動する人。このタイプは一番無難だが、同時に一番流されやすいタイプである。

 そして次に多いのは空気をあまり気にしないタイプ。俗に言う、空気が読めない人間、マイペースな人間だ。勿論このタイプにも欠点はあるし、長所もある。他人の行動で、自分の結果が左右されないというのは、疲れないでいい。

 そして最後のタイプ。そして同時に、これが一番厄介なタイプ。近くにこの人間が居たら、賢い人間ならまず避けて通るタイプだ。


「たいよ〜」


 具体的に、どういう感じで厄介かというと、前述の二つのタイプのどの特徴とも被らないタイプである、という事に尽きる。当たり障りない行動、協調性がない行動、そのどれにも当てはまらないという事は、つまりそういう事だ。……そう。誰彼構わなく、自分のペースに話を持っていくタイプだ。


「おーい、たっいよぅく〜ん」


 勿論、それはリーダーシップとはまったく別物だ。そもそもこのタイプ3は先導者ではない。独裁者なのだ。悪びれる事を知らない。もう根が腐ってるっていうか死んでるっていうか、とにかく生粋の悪なのだ。


「……禁千弐百拾壱式……八○女!!」


「はぎやややゃゃゃっっっ!!」


 精神の深層まで沈んでいた俺の後頭部から首の辺りに、凄まじい衝撃が走る。そして、強制的に浮上させられる意識。勢い余って俺は、目の前の机にしこたま顔面ををぶつけた。


「遊びは終わりだ! 泣けぇ! 叫べぇ!! そしてぇぇ……」


「アホか! そして死ぬか! ていうかただのウエスタンラリアットじゃねぇか!!」


 ひりひりと痛む鼻先を押さえ、無防備な俺に某赤い長髪のお兄さんの超必殺技らしきものをかました、間違いなくタイプ3の女を睨みつける。当たり所が悪ければ、見事に昇天するような技なのに、その女は全く悪びれている様子がなかった。

 俺より年上なのに、まったく子供っぽくて色気がないロリータな容姿。ずっと昔から全く変わらない長い髪を掻き揚げ、そして、俺の幼馴染にして先輩である村木向日葵むらき ひまわりは、ふんと鼻を鳴らし、まるで邪悪な魔王のような笑顔をこの俺に向けた。


「おお、たいよう。ようやく目覚めたか。勇者ロ○の血を引く者よ」


 風紀委員会室に、小学生よろしくの未発達な声が響く。そして目の前のちっこいが正真正銘の大魔王は、その関東平野よりも平らな胸を張り、偉そうに両腕を組んだ。

 ちなみに、この先輩の言う「太陽」とは、そのまんま俺の名前である。大抵は苗字の方の「水原」で呼ばれるが、ひまちゃん……じゃない、村木先輩は、昔からの馴染みで俺の事を「たいよう」と呼んでいた。


「……ええ。しっかりと覚醒しましたよ。おかげでステータスが“しに”に成りかけましたが」


 座椅子に座っている俺と目線が一致している先輩に、俺は溜息交じりで返事をする。男だったら、間違いなくぶっ飛ばしてた所だが、このちっこい先輩相手だと、なんだかそんな気も失せてしまう。


 ――まさしく、悪の権化……!


 小さい頃から、まったく変わっていないその姿。そしてその強引な手口。気が付けば、俺はいつもこの人のペースだった。

 

「それじゃ、会議を再開する!」


 そういって向かいの席に先輩はちょこんと腰掛け、俺の手元にあるのと同じ灰色の藁半紙を再び読み上げる。題目は“打倒生徒会”。この手書きくさいが、最悪の内容の一文を読むだけで、俺は顔から一気に血の気が引いていく思いがした。

 ……と、多少紹介が遅れたが、今俺と先輩は、学園の風紀委員会の委員会室に居る。通称『ダストシュート』。日本語でゴミ箱と呼ばれるその空間は、数人がようやく会議が出来るぐらいのスペースしかない小さな空間に、悪い伝統なのか雑多なプリント類が山のように積まれた、まさにゴミ溜め……もといカオス空間だった。


「……と、言う訳で」


 読み終わった藁半紙を机に叩きつけ、村木先輩は大げさに立ち上がって拳を上げた。


「この予算編成は、我々風紀委員に対する挑戦である!!」


「まぁ、風紀委員って言っても、まともに仕事してるのは俺だけですけどね」


 実際、一年生の俺を副委員長に担ぎ出してる時点ですでに風紀委員は崩壊寸前だろう。それに俺だって、最初は名前を貸すだけって約束で入ったはずなのに、何でいつの間にかせっせと委員会の全ての仕事しているんだ?


「いやいや、せっかく減った人口ですから……」


「だから、予算も減らされたんじゃないですか」


「むぅ。しかし! これはあまりにもじゃないか! うちの生徒会には血も涙も、金すらないのか!」


 子供のようにぷぅと頬を膨らまし、先輩は黒板をばんばんと叩く。そこに書かれたのは、ただ、「予算九十九パーセントカット」の一言。手元の資料によると、去年の予算は八万円だから、八万を百分割して、今年は八百円って事になる。長期休暇を抜きにすれば期間は十ヶ月、毎月八十円という小学生の小遣いより少ない金額で活動しなければいけないのだ。


「たいよー、いい!? 年間八百円よ! 八百円! 吉野家で牛丼の並二杯食べて終わりよ!? ふざけてるの通り越して何かの儀式よ!? これは! 本来、この冥王学園では生徒会と風紀委員は教職員に匹敵する権力を有し、数々の武勲、功績を挙げてきたのよ! ……なのに、何よこの予算は! ていうか今日本ではすっごく急速にインフレが進行しているの!? それともここは仮想現実!? どっかのアホなプレイヤー達がやり込み過ぎて明らかにゲームバランスが崩壊してるオンラインゲーム!?」


 辺り一面に唾を飛ばし、身振り手振りを交えて必死に力説する風紀委員長。俺はそんな力説しすぎて、はぁはぁ言ってる先輩を横目でじーっと眺め、眠い目を擦りながら大きな欠伸を欠いた。


「夕方からアンパン○ンがあるんで、もう帰っていいですか?」


「あ、じゃ待って、あたしも帰るから……じゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!! たいよーが帰ったらあたし一人で会議だろがぃ!! ていうか、会話まるで聞く気なし!? 私は幼児向けアニメのアンパン以下!?」


「だって、どうしようもないじゃないですか。生徒会の決定じゃ。いくら権力があったって言ったって、もう何年も昔でしょ?」


 そもそも、持ち物検査と服装検査ごときで予算を八万も取ってた去年の風紀委員の方がどうかしてるだろ。普通に考えてたら、当然の結果だと思うけど。


「副委員長のお前があきらめてどうする! 学校の風紀が、今まさに乱れようとしてるんだぞ!? 悪がはびこり、正義が駆逐されていくんだぞ!? それでいいのか! たいよーには愛校心がないのかぁ!! 飛べぇ! 片道切符の戦闘機で飛ぶのだ!!」


「いやいや、うちの学校って相当校則きついですよ? この前の持ち物検査だって、校則違反の物は雑誌が数冊とCDが数枚。ま、先輩はサボってたから分からないでしょうけど」


 うぐっと一言、ついで拳を震わせ、先輩は何か言いたげに俺を見ると、そのまま何も言わずに机に倒れこむ。先輩の揚げ足を取ってる訳じゃないが、でも全部事実だというのは、はっきりと言っておく。


「俺は……誇り高きサイ○人の王子だぞ……?」


「……どうでも良いですけど、彼の星は今の風紀委員会の現状のごとく木っ端微塵になりましたから」


「…………じゃあ、セイバーでいい」


「ていうか、先輩は見切り発射しすぎです。分かる俺もどうかと思いますけど、大抵の男子は既に引いてますよ?」


「何とでも言えばいい……。このムラキ・ヒマワリには、正しいと信じる夢がある!」


「……先輩、そろそろ止めないと、本当にゲロ以下のにおいがプンプンしてきます」


 ていうか、作戦会議と言ったって、先輩がさっきから喋ってるのを俺が聞いてるだけじゃないか。そもそも、いつも一緒の二人じゃ会議は成立しないし。


「まぁ、おふざけはこれくらいにして、早速本題に入ろうか」


「……」


 ……まだ本題じゃなかったのか。


「ご覧の通り、我が風紀委員会は、純然たる悪の権化生徒会の下衆な陰謀によって現在存続の危機に瀕している。このままでは、夏休みの三泊四日熱海合宿も、冬休みのスキー合宿イン苗木も、全て中止になってしまうのだ!」


「ていうか、そんな合宿計画してる時点で、もう風紀委員会の存在価値はゼロですよ?」


「はい! たかが副委員長のたいよーの意見はシカト! 大体、夏合宿にいたっては既に予約済みです!」


「……自費でいけよ」


「はい! たかが副委員長のたいよーの意見はシカト! 自費で行きたきゃ、勝手に行ってくださーい!」


「……」


 もう何だか、本当に生徒会の仕事がいかに的確だったかというのが、この目の前の真の悪の権化を見て実感した。こんな悪い奴に、お金を渡しちゃいけないよね。


「という訳で、ただ今から生徒会室に突入&直談判に行きまーす!」


「はっ!?」


 何だか今、目の前の小さな生物から、絶対に聞いてはいけないものを聞いちゃったような気がしたんだけど。気のせいだよね? そうだよね? そうだ、気のせいだ。先輩の言葉は、今から家に帰って、平和に子供向けのアニメを見ながら、あーあ、明日土曜日なのに学校とかだりぃ。俺も○次元ポケット欲しいーとか言って過ごすっていう意味だ!


「あの、このまま家帰って、ドラ○もんを見るの間違いですよね?」


「大丈夫! クレしんには間に合わせるから!」


 いやいや! 余裕で七時過ぎてんじゃねぇか! ていうか今から三時間以上も粘る気ですか!?


「すいません、俺用事があるんで」


「一緒に来ると?」


「誰が行くかぁ! このボケぇ!! 大体、入学早々生徒会室に殴り込んだら、まず間違いなく問題Zもんだいじーに成るじゃろがい!!」


「私と一緒に行動している時点で、たいよーは既に危険分Cきけんぶんしーだよ♪」


「開き直るな! いいですか、このまま行っても悪いのは俺達であって、生徒会は非常に良い決定を下してるんですから、門前払い食らって終わりです!」


「安心して、とっておきの秘策があるんだよ♪」


 そう言いながら、先輩はポケットから何枚かの紙切れを取り出す。そしてそれを机の上に放り投げると、勝ち誇ったようににんまりと笑みを浮かべた。


「生徒会会長の、マル秘写真! 名づけて不純異性交遊編! だよ♪」


「いやいやいやいやいやいやいや!! 軽くていうか普通に犯罪じゃねぇか! 盗撮だよ!? 犯罪なんだよ!? ていうか何処からそんなもん引っ張り出して来た!?」


「写真部の小野田君。彼を脅して、尾行させたんだよ♪」


「“だよ♪”じゃねぇ! それにそれ既に語尾でも何でもないし、萌えとかじゃないから!! いいか、ひまちゃん? 仮にも、うちの学校の生徒会は教職員と肩を並べるほどの権力があるんだよ!? そんな愚行に出たら、普通に風紀委員会は終わりだよ!?」


 俺の必死の説得&説教に、ようやく落ち着いて机に座って考え込む村木先輩。いくら鬼畜な先輩だって、さすがにここまで言えば思い直してくれるはずだ。それに、小野田先輩にも後で謝っておかないと。


「……よくわかんねぇ♪」


「…………うおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 声にならない叫びが、悲しみの波動となって『ダストシュート』に響き渡った。







「で、君達は嫌がらせに来たんだね?」


 生徒会室の奥の席に座る生徒会長こと、蒼井賢一あおい けんいちが、溜息混じりに俺達に言った。


「いや、これは生徒会に対する、あくまで“意見”です。決して嫌がらせでも、ストーカー行為でも、見られたくない不都合な事実でもありません」


 と言いながら、俺の隣で村木先輩はタンクローリーで舗装されたようなぺったんこな胸を張る。そしてその膨らみのない制服の胸ポケットには、例の生徒会マル秘写真不純異性交遊編が、意味深に半分だけその姿を出していた。


「……言っておくが、公私の区別はつけているつもりだ。だから、その写真は交渉の材料には使えないぞ? 村木風紀委員長」


「勿論、私もこんな下品なものを交渉材料にする気はありませんよ。しかし、どうでしょう? 所詮は貴方も人間。見栄や体裁は、少なからず持ち合わせているはずです。ですから、仮にこれが生徒間に出回るような事になれば……分かりますよね? 蒼井生徒会長」


「それはそうだ。君の言う見栄や体裁は、自身の誇りや信念に繋がるものだ。それが一般とは異なろうと、私はそう解釈している。そしてそれらを綺麗さっぱり捨て去る事は、一凡人である私には敵わないだろう。だが、それらを脅かす原因があるとすれば、私は容赦なく切り捨てる自信がある。伊達に私も、他の者を蹴落としてこの座に居る訳ではない」


「ふっ……。権力者としては立派な人間だ。しかし、君は、女性には嫌われるタイプだ。貴方が手に入れた名声は、全て自身の力によるものだと勘違いなされている。それでは、いつか女に寝首を掻かれますぞ? 生徒会長」


「人の上に立つ人間である以上、そういう色事には構っていられないのでね。それに、この地位は誰の力でもない、自分の力で勝ち取ったものだ。他人が何をしてくれた? 女が何をしてくれた? 私が信じるのは、私の力だけだ」


 悪の権化に屈せず、その素晴らしい人間性を振りかざす正義の剣、蒼井会長。そして悪の権化であり、その正義を嘲笑う正真正銘の悪の矛、村木風紀委員長。決して相容れない二人の間に、今、凄まじい闘気が巻き起こっていた。


 ――何、この無駄に難しい会話。


 どっかの歴史小説ライクな難しい会話に、生徒会のメンバーすら欠伸をしている。ていうか、今回の生徒会長は他に立候補者が居なかったから、選挙やってないだろ。


「とにかく、予算は九十九パーセントカット。これは決定だ。実績のない委員会や部活に、予算を割くほどこの学校は寛容ではない。八百円も貰えるだけ、感謝してほしいくらいだよ」


「……むぅ」


 さすがに、今回ばかりは村木先輩もお手上げだろう。相手は正論、こっちは異論。対決させれば、負けるのは目に見えている。


「……じゃあ、実績をあげればいいんですよね?」


「当然だ。我々冥王学園生徒会は完全実力主義だ。実績が上がれば評価するし、下がれば見放す。実績さえ上げられれば、それに見合った会費は支給しよう」


 今までの俺達(村木先輩の)の非礼など構う様子もなく、あくまで生徒会の責務を果たす蒼井生徒会長。その姿はまるで、愚かな民へせめてもの慈悲の雨を降らす神のようで、俺は少しだけ、その存在を信じてもいいかなって、思った。


「じゃあ、実績二倍で、今まで通りの予算、三倍で今までの予算の倍の予算ね」


 今までの蒼井会長の寛大な処置など構う様子もなく、あくまで自分の欲望に忠実な我等が村木風紀委員長。その姿はまるで、歯を食いしばって努力を続ける青少年に、厳しい豪雨を降らせる悪魔のようで、俺は結構、自重しろよって、思った。


「そのレートは無理だが、それなりの予算にしてやる。――でも、まぁ、私も来年は再任出来るか分からないから、はっきりとは言えないが」


「先輩、それならいいんじゃ……」


 隣に立っている先輩に、俺はそっと耳打ちする。ていうかこれだけ寛大な処置を取ってもらって、これ以上何か言うもんなら罰が当たるだろう。来年までなら何とか実績は上げられそうだし、それまでに風紀委員会を立て直すことも可能だし。


「黙れ、カトンボ」


「……」


 ……俺は、生きてちゃいけない人間ですか?


「ていうか、相手の譲歩に応じましょうよ……。ね? こっちとしても悪い話じゃ……」


「ふん、本当に甘いわね、たいよーは。……これじゃ、夏の浜辺、ウハウハ天国イン熱海も、ロマンチックな夜、エロエロ理想郷インスキー場もパーよ。それにまだ私は、最後の切り札を出したわけじゃないわ……」


 俺に振り向こうともせず、村木先輩は目を伏せて静かに呟く。口元には、幼い見た目に全く似合わない邪悪な笑み。これがもし天使のような穏やかな笑みなら、俺はもしかしたら惚れてたかもしれん。


 ――まぁ、それは万が一にもない事だが。


 などと心の中でツッコミつつ、俺は先輩の次の一挙一動を見守る。なんかご大層に切り札なんて言ってたけど、大丈夫かな? ていうか、なるべく普通の文章で表現出来るギリギリの奴にしてね。


「いいですか!? 生徒会長!!」


 今まで硬く口を閉ざしていた先輩が、溜めに溜めまくってようやく口を開く。その言葉に、今まで間延びしていた生徒会のメンバーもビクッとして先輩の方を向いた。


「明日の放課後、もう一度ここに来ます! 勿論、その手にはたくさんの成果を持ってね……!」


「な!?」


 先輩の言葉に、一同が絶句する。そして隣に居た俺すらも、びっくりして思わず先輩の顔を覗き込んでしまった。


「村木風紀委員長……?」


「ご安心ください。策はあります。多少手荒なものになるかもしれませんが、それは結果がものをいう世界。貴方の言う通り、実績を上げてみせますよ。生徒会長?」


「……いやいやいやいや! 何言ってんですか!? 先輩!」


「何って、意見を言っているんですよ? 水原副委員長? では行きましょうか」


 俺の意見を流し、騒然としている生徒会室をさっさと後にする村木先輩。その姿を、俺はただ呆然と見続けていた。


「あ……」


 一人取り残され、とりあえず俺も周りに頭を下げながら生徒会室を後にする。ここに長居たら、間違いなく顔と名前を覚えられてしまう。それだけは断固阻止だ!


「……君も、大変だねぇ。水原太陽君」


 不意に、後ろから声がかかる。振り向いた先にいた声の主は、意外にも今まで先輩と話をしていた蒼井生徒会長だった。……どうして俺の名前を?


「知らない相手に名前を呼ばれて驚いたかい?」


 会長の言葉に、俺はとりあえず頷いた。


「……地元が、君と同じでね。あの地域に住む学生で、君の名前を知らない奴なんていないよ。それより、とんだお荷物を背負い込んだように見えるが?」


「お荷物って……先輩の事ですか?」


 俺の言葉に、生徒会長は微笑を浮かべて頷く。その笑みは、先程まで見せていたような寛大なものとは違った、どこか人を小馬鹿にしたような、そんな感じのものだった。


「実際、君も大変だろう。中学校の時のように自由に振舞えない上に、貴重な放課後さえも彼女のワガママで奪われるんだ。――まぁ、他の生徒にしてみれば、君のおかげで彼女のワガママに振り回される事も少なくなった、と思う人も居るけどね」


 会長の言葉に反応し、横の方から誰かの笑い声が聞こえる。それは、明らかに先輩への悪意に満ちた、この世でもっとも下衆な笑い。俺はその笑いが聞こえた方を向くと、何も言わずに静かにそいつを睨みつけた。


「おっと、ここでの暴力は控えてくれないか、水原君。そういう事は私達や教員の目の届かない所でやってくれ」


「……別に、そういうつもりは」


「そういうつもりが無くとも、傍から見れば君が暴力を振るうように見えてしまうんだよ」


「……」


「まぁ、とにかく。彼女が卒業するまで風紀委員会は潰す気はないよ。煩い子供ガキの玩具を取るほど僕らも馬鹿じゃない。君も君で、あいつのお守りをするだけで大学進学の内申稼ぎになるんだ。こんな良い話、他にないだろう? それに、教員らにもその方が都合が良いんじゃないかな? 学校側は未だに君を入学させた事を失敗した気でいるしね」


 生徒会長の声が、だんだんと俺の耳からと遠ざかってくる。そして耳元には、かつてよく耳にした呪詛の言葉。人を簡単に地獄に突き落とすような、それほど酷い言葉がまるでステレオのように響いてくる。それは、両親であり、教師であり、喧嘩相手であり、警察であり、――親しかった仲間であり。何人、何十人にもなる大合唱が、まるで俺を貶めるかのように、止まる事なく刹那の時間を永遠に変えた。

 

 ――…………悪者? 俺は、ここでも爪弾きなのか?


 逃げるようにして後にして来た地元。両親に、しばらく帰るなと言われた自宅。何度も呼び出され、その度に返り討ちにしてきた先輩達。そして、今まで信じてきた仲間達の裏切り。一人で泣き明かした夜。今まで硬く閉ざしてきた感情が、何だか、波のようになって一気に押し寄せてくるのを感じた。


 ――まぁ、いいじゃん。たいよーにはたいよーなりの正義が出来たんでしょ?


 意識が沈みかけたその時、俺はふと、あの日のあの言葉を思い出す。本人はまったく無意識だろうけど、まったく覚えていないだろうけど、それは、社会からドロップアウトしかけていた俺を救ってくれた本当に優しかった一言。それは、俺にもう一度チャンスをくれた本当に救いの一言。そして、それこそ、いつも一緒にいるあの幼馴染の一言だった。


「それとも、大学進学より、この学校で名を上げ……」


「生徒会長」


 生徒会長の言葉を遮り、いささか不機嫌な顔をする生徒会長を真っ直ぐに見つめる。そしてようやく意を決すると、腹から吐き出すように言葉を紡いだ。


おさとは、多くの人の上に立ち、それを治め、育む人間の事を言います。そして、人の上に立つ長は、総じて集団一人一人の発展と平和に尽力します。これだけは、集団の人数が変わっても世界共通。唯一の必要条件にして、唯一の絶対条件です」


「そんな事、言われなくとも知っているさ」


「……では、その事を知っている貴方は、どうしてたった一人の人間とすら、一生懸命向き合う気がないんです? 一生懸命助けようとしないんです?」


「何を言うかと思ったらそんな事……」


「端数切捨て、とでもおっしゃりますか? 確かに、多くの者の利益となるために、少数の者の利益を切り捨てるのは已む無い事かもしれません。だけど、たった一人の者にすら真っ直ぐに向き合おうとしない者が、多くの者の利益など考えられるはずがありません。そんな奴が一生懸命向き合っているのは、結局自分自身の利益だけなんです。これでもお分かりになると言いますか? 蒼井生徒会長?」


 真っ直ぐ見据える先に、蒼井会長の憎悪の瞳が映る。そして静まり返る生徒会室。俺は軽く頭を下げると、構わずにそのまま生徒会室を後にした。








「で、どうするつもりです? 村木先輩?」


「ん?」


 村木先輩が、生徒会室で大見得を切ってから一時間後。場所を学校から近くの大通りに移し、俺が村木先輩の後をくっ付いていく感じで、夜の通りを歩いていた。


「ん? じゃないでしょ? 村木先輩。あんな事言って、本当に大丈夫なんですか?」


「んー……」


「まさか、また見切り発射とか言わないでくださいよ? 恥かくのは先輩だけじゃないんですから」


 俺も俺で、上級生である蒼井生徒会長にあんな事言っちまったし、ここで成果を上げられなかったら、絶対に風紀委員会は終わりだろう。だから、今は本当に本当に本っ当に、不毛だけど、このちっこい大魔王にかけるしかない。


「夜中のアニメってさ、異様にクオリティ高い奴あるじゃん? どうしてあれゴールデンでやんないのかな? 明らかに昼間の奴とクオリティが違うじゃん」


「作品自体の人気とかで視聴率が取れないからじゃないですか? だけど、コアなファンが多いから高品質にしたりしてるとか……って、あからさまに話を逸らさないでください」


「逸らしてはないよ。ただもう現実に向き合いたくないだけ」


「……やっぱり何も考えていなかったんですね?」


「いやいや! そんな事はないよ!」


 ほとんど絶望に近い表情で見つめている俺に、村木先輩は大きく頭を振って返答した。


「私は、たいよーが何か策を考えていると考えてたの!」


「結局人任せ!?」


 目の前がじわじわとぼやけて、街頭の明かりがキラキラ光る。かの有名な心の汗なんかじゃない。これは、列記とした俺の涙だ!


「もぅ、そんなへこまないでよ、たいよー。諦めなければ、絶対に奇跡は起こるって!」


「奇跡を信じてる時点で、ほとんど可能性がゼロな気がするのは俺だけでしょうか?」


「可能性はゼロでも、私達には熱ーいTAMASHII〜魂〜があるじゃん! 諦めるな! 野球は九回裏スリーアウトからだ!」


「先輩のTAMASHII〜魂〜はただのお金の執着心じゃねぇか! それにスリーアウトじゃ既にゲームセットだよ!」


「何を言う! お金が無きゃ強い選手を他球団から引っこ抜けないでしょうが!! スター軍団の輝きを保つには、それなりの金の輝きも必要なの!」


「そんなセ・リーグの某プロ野球球団みたいな思想は止めてください! ていうかもう成果とか探す気ないでしょ!?」


「あるよ! ありますよ! ええありますとも! ただ、もう面倒くさくて、あーあ、こんな事たいよーに押し付けてさっさと家に帰って金曜○ードショーが見たいなー的な考えが浮かんでただけです!」


「面倒くさい時点でもう思いっきりやる気ねぇじゃんか!!」


 ――ああ……。こりゃ間違いなく終わった……。明日学校行ったら、間違いなく蒼井生徒会長に蔑んだ目で見られるんだろうな……。隣の小さな関東平野は平然としていられるかも知んないけど、俺は絶対にもう学校来れないぞ……。

 当てもなくとぼとぼと、そしてふらふらと夜の大通りを歩いていると、ふと目の前に冥王学園の制服を着た集団が目に入る。部活帰りだろうか。俺はしばらくぼんやりとその一団を目で追っていると、どういう訳だかその集団は、ぞろぞろと人通りの少ない裏路地へと入っていった。


 ――こんな時間に、何処に行くんだ?


 よくよく考えてみたら、部活帰りの人間にしては服装が乱れすぎている。髪の色を染めている奴もいたし、中にはピアスを空けている奴もいた。そして、俺の中に、中学時代で培われた、ある種の直感的なものが働く。これは、ひょっとすると、ひょっとするかも知れん。


「……ひまちゃん」


 気を引き締め、俺はひまちゃんの方を向く。ひまちゃんにこの事を伝えようとも思ったが、俺は寸での所で思い直す。人数は多い。俺一人なら殴られても何とかなるが、ひまちゃんは百歩……一億歩譲っても女の子だ。さすがに、付き合わせる訳にはいかない。俺はこちらを向いたひまちゃんに、悟られないように笑みを浮かべた。


「どしたの? たいよー?」


「いや、何でもない。それより、二人で行動するより二手に別れた方が効率がいいんじゃないかな? 何だかんだでここの通りは幅があるし、見回りするならそっちの方が効率がいいと思う」 


「効率がいいって……この空前絶後の超絶美人の私を独りきりにするって事!? この野獣蠢く夜のコンクリートジャングルに、この3K(可愛い、可憐、か弱い)美人の私を一人にする気なの!?」


「3K(汚い、きつい、危険)は納得するけど、空前絶後の超絶美人は真っ向から否定しとく。まぁ、そういう事になるね。でも、期限は明日な訳だし、ここはそっちの方が得策でしょ?」


「んー……」


 ひまちゃんが、訝しげに俺の方を見つめる。さすがに気づいてはいないと思うが、これで断られても困る。そして、俺と視線が交錯し、しばらくひまちゃんは俺を見つめると、何か決心したように、何時もの様に元気よく頷いた。


「よろしい。許可するぞ、水原一等。貴様の戦果を期待しておる!」


 どこかの軍曹よろしくな敬礼をすると、俺は笑みを浮かべて一度だけ頷く。そして振り向くと、そのまま先程学生達が向かった道へと走っていった。









 俺が裏路地に入ってすぐに目に映ったのは、先程の一団が誰かを取り囲んで騒いでいる姿だった。その面をよく見れば、冥王学園でも悪名高い不良の一味。学年は恐らく皆俺より上だ。やっぱり、ただ事ではない。俺はすぐさま近くの壁に隠れると、そのまま息を潜めて静かに耳を澄ました。


「おい、おっさん、黙りこくってねぇでさっさと金出しちゃえよ」


「それともおっさんニートか? 財布の中身俺らより少ねぇとか?」


 一人の不良の言葉に、全員が下衆な笑いを上げる。街灯がなくてよくは見えないが、絶対に不良達は下品な笑みを浮かべている。その想像で俺は若干の不快感を覚え、微妙な顔をして眉を顰めた。ていうか、お前らも傍から見たらニート予備軍だぞ?


 ――これ、今流行りのオヤジ……狩りだよ、な?


 明らかに不良の学生とそれに囲まれ、姿が見えないが恐らく中年の男。この不良と中年の男に、何らかの接点があるとは考えづらい。……不良、中年。不良、中年。不良。中年。……不良中年? ……あれ? 不良中年だっけ?


「……まったく。君達、その制服を見るとどうやら冥王学園の生徒だな?」


 今度は不良とは質の違う、掠れたハスキーな声が聞こえる。俺は意識を取り戻し、壁からそっと顔を出すと、不良の間から僅かに見える男性を見た。


「冥王も落ちたものだな。君達のような品性の欠片もない学生を入学させるとは」


 俺の目に映った男性は、取り囲んでいる男達に比べれば明らかに小さい身長に、白髪が混じった前髪を大胆に後ろに流している、一見探せば何処にでも居るような中年の男性だった。しかし、その眼光はこんな状況にも関わらず恐ろしいほど鋭く光っており、周りの生徒をこれでもかというくらいに睨みつけていた。


「何だと? お前ぶっ殺されてぇのか!?」


「その言動が既に品性に欠けるんだ。それとも言葉の意味を理解出来ないのか?」


 ――おいおい、おっさん。それは絶対ヤバいだろ。


 不良というものは、自分で馬鹿な事をしているくせに、それを指摘されるとまるで狂犬のように噛み付いてくる不可解生物だ。例え正論をぶつけても、そいつらにとって間違いなら意地でも自分達を正当化する。おっさんの怒りたい気持ちも分かるが、それは流石に禁句だって。


「テメェ……。おい、こいつやっちまおうぜ?」


 おっさんの言葉に、ついにリーダー格っぽい感じの不良がおっさんの胸倉を掴む。……だから言ってんだろ。おっさん。そういう奴って、十中八九誰かを殴りたいだけなんだ。それも、自分より明らかに弱い人間を。


 ――これも、風紀委員の仕事なのかな?


 溜息を吐き、俺はそっと壁から背を離す。どうやら、そろそろ出番らしい。このまま出そびれて、おっさんがこいつ等に殴られたんじゃ元も子もない。


「あの……ちょっといいですか?」


 畏まった感じでそう言い、頭を掻いてそっと不良達の前に歩みを進める。睨みつけてくる不良。そして意外な乱入に、不思議そうな顔をする胸倉を掴まれたおっさん。うわー、何だこの変な空気。俺、何か空気読めてない感じじゃん。今、明らかに誰か舌打ちしてたもん。


「何だよお前は!」


 リーダー格の男がおっさんの胸倉を放し、世間ではメンチという名の睨みを利かせながら俺に近づいて来る。気付けばリーダー格と俺の顔の距離がおよそで三十センチまで縮まる。俺が首をちょっとでも突き出せば、まだまだファーストな俺の唇を、この目の前のリーダー格の男に捧げられる距離だ。


 ――って、何考えてんだ俺!


 こりゃ、完全に思考がひまちゃんに毒されてるな。うん。間違いない。このままだったら間違いなくノリで男の唇を奪って、ふふ、ごちそうさま♪ なんて言って、それでちょっとツンデレな彼が、顔を真っ赤に染めてバ、バカ! とか言って……違う違う! どうしてそうなる! 何で俺はガチホモに走ろうとしてんだ!


「さっきから何にやけてやがる!」


 目の前の男の声に、俺はふと我に返り、危なく俺のファーストキスの相手になっていたかも知れない不良の顔を見る。……危ない危ない。あのまま暴走していたら、俺は間違いなくこの豚鼻とキスする所だった。


「別ににやけてませんよ。それより、貴方達冥王学園の生徒ですよね?」


「あ? だったら何だよ? それがお前に関係あるのかよ!」


 俺と視線を外す事無く、男は素早い動作で横にあったポリバケツを蹴っ飛ばす。そして同時に飛び散る中身。これを掃除する人、本当にごめんなさいね。後でちゃんと片付けさせて帰りますから。


「関係ない事ないです。貴方達が今しているのは、冥王学園の学生にはあるまじき不健全な行動です。それに加えて暴行未遂、恐喝未遂、強盗未遂と法に触れる行為でもあります。これは明らかな校則違反です」


 ひまちゃんにみっちりと教え込まれた生徒手帳の第四ページ、生徒心得の校則を頭に浮かべ、俺はその一つ一つをこの状況に当てはめて考えてみる。これ覚えても絶対に役に立たないだろとか思っていたが、まさかこんな所で役に立つとは思わなかった。きっと、役に立つのは生涯を通してこれが最後だろうけど。


「だったら何だってんだ? お前、そんなに俺にぶっ飛ばされたいのか?」


「この言葉を聞いてどうして貴方はそういう結論に行き着くんです? アホなんですか?」


「ごちゃごちゃうるせーよ。お前自分が何してるのか分かってんのか?」


「貴方と話しているんです。話してる本人が何で分からないんです? アホなんですか?」


「そういう意味じゃねぇよ! 何で俺達に喧嘩売ってんのか聞いてんだよ!」


「喧嘩の売り買いは出来ないです。よーく考えれば分かりませんか? アホなんですか?」


 怒り狂った男が俺の胸倉を掴み、これでもかというくらいに俺を睨みつけてくる。……大した事はない。この程度、神居北斗市内に腐るほどいる。それこそ、適当に石を投げれば十回に一回くらいはぶつかるくらい沢山居る。つまり、月並みって事だ。


「そこのおじさん」


 睨み付けるリーダー格の男から視線を外し、俺は今も呆然と俺を見つめているおっさんに視線を向ける。おっさんは一瞬驚いたような顔を見せたが、直ぐに気を取り直すと、間もなく俺に返事をした。


「後は、この冥王学園風紀委員、水原太陽にお任せ下さい。それと、うちの学生が大変迷惑をお掛けしました」


 そう言って軽く頭を下げると、俺は再び目の前の男に視線を戻す。重なる視線。高鳴る鼓動。そして、そっと零れる相手の吐息。これがもし学園一の美少女だったら、俺はどんなに嬉しかっただろうか。どんなに興奮もといときめいていただろうか。だが、そんな俺のささやかな願望を打ち砕き、目の前に居るのはやっぱりただの豚鼻。幻想から俺を引きずり出し、現実はこれだよと、まるで男は見せつけるように俺にそのヒクヒク動く豚鼻を近づけてきた。


「……?」


「早く行ってください。そして家に帰ったら、俺のために金〇ロードショーを録画しておいてください」


「……手前ぇ! さっきからゴチャゴチャと! 良い加減にしろ!」


 おっさんから不良共が一人、また一人と離れ、いつの間にか全員が俺の周りに集まってくる。おっさんはそれを見ると、その隙を突いて急いで反対側の道に抜けていった。……良し、作戦通り。これでおっさんの危険は無くなった。後はこいつらを、どうやって粛清するかだ。


「ボコボコにしてやる!」


 言い終わるか否かのタイミングで、弓のように後ろに引かれた男の右腕が、俺目掛けて勢いよく振り下ろされた。















「いや……、なんかその、すいません……」


 頭を掻きながら、足元のあちらこちらに転がっている不良達に俺は頭を下げる。一人は顔が赤黒く腫れ、一人は腹部の激痛に腹を抱え、一人は涙目になりながら鼻から絶え間なく流れる鼻血を抑えていた。

 ぶっちゃけ、俺も人と喧嘩するのは久しぶりだったし、少し本気を出しちゃったのは認める。顔面へのハイキックに後ろ回し蹴り、飛び膝蹴り、一本背負い、それで終いの垂直降下式ブレーンバスター。途中、俺はアポロ11号なんだァァァ!! って感じで叫んでた気もするし、……うん。大分調子に乗っちゃったね。


「大丈夫ですか? 俺もその……調子に乗っちゃって……」


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」


 俺は笑顔を浮かべて手を差し伸べるが、差し伸べられた不良は涙を流しながら全力で本通りの方へ走って逃げていく。ああ、俺、本当に悪い事しちゃったな……。今走って行った男の目、完全に俺の事悪魔みたいに見てたし。


「あの……」


「ぎゃああああああ!!!! すいませんすいませんもうちょうしにのらないですだからいのちだけはいのちだけはああああ!!!!」


 真っ赤に腫れた頬を抑え、リーダー格の男は尻込みしながら全力で後ろに後退りしてゆく。なんか、ここまで極端に拒否されると、それはそれでもの凄い腹が立つな。


 ――ああ、面倒臭せぇ。


 さっきの張り合いはどうした! お前それでも男か! ……って言いたいけど、そもそもここまでボッコボコにしたのは俺なんだし、先に殴りかかってきたのは向こうだけど、傍から見たら明らか悪いのは俺だし……ああー面倒っ!! こいつら面倒っ!! 全部面倒っ!! もうお家帰してよ!


「もう、悪い事しないでね?」


 とりあえず、これだけ確認取ったらもう帰ろう。ひまちゃんは絶対先に帰ってるし、俺がここに居る理由はない。ていうか、早く帰ってもうニュース見て寝たい。いや寝させて下さい。せめて夢の中だけは可愛い義理の妹と色気ムンムンな義理の姉とおっちょこちょいでドジっ子な義理の母と昔から俺が大好きな美人の幼馴染とミステリアスなクラスの担任とツンデレでメガネな委員長と俺に一目惚れしちゃう謎の美人転校生達と一緒に過ごしたいんだ。頼むから大人しく頷いてくれよ。


「はい! もうしませんもうしませんこきゅうもやめますしんぞうもとめますだからもうなぐらないでえええぇぇぇ!!!!」


 ……うん。もういいか。どうやら分かってくれたみたいだし。それに、時間ももうすぐ十時になっちまう。このままじゃ、俺自身も校則違反になっちゃうな。


「それじゃ……自分はもう行くんで」


「あの……」


 鼻血を抑えていた男が、不思議そうな目で俺を方を見つめている。何だ、正気を保っている奴もいるじゃん。俺も大分腕が鈍ったな。まぁ、別にいいけど。俺は視線を下に向けると、そっと男の顔を覗き込んだ。


「何か?」


「……その、貴方は一体……」


「いや、ただの通りすがりの冥王学園風紀委員ですよ?」


「ただの風紀委員が……あの! 馬鹿にしてるんじゃなくて、普通の人間が、こんな大人数をあっと言う間に倒せるはずないじゃないですか……」


 何だ。そんな愚問か。てっきり俺はお前を呪うとか、俺が幸せの絶頂の時にそれを奪いに来るとか、そういう恐ろしい事を言われるのかと思ってひやひやしたぞ。

 俺は少し考え、立ち上がって男に背を向ける。もうここには用はない。こいつ等を警察に引き渡せばそれなりの成果が得られるかも知れないけど、そんな気もなんだか起きないし。まぁ、そんな事してもあの大魔王の利益にしかならないんだし、ここは大目にみてやろうか。


「あの……最後に名前だけでも」


「…………水原です」


「みず……はら? って、あの水原太陽!?」


 何かが閃いたような男を背に、俺は静かに歩き始める。恐らく、この男達はもう悪さはしないだろう。……昔の悪名が、こんな所で役に立つとは思わなかった。


 ――……。



 “百人切りの水原”

 “魁皇中の太陽”

 “人間破壊兵器”


 ……最後の人間破壊兵器はなんかおかしいと思うけど、とりあえず、俺が今みたいな不良達の間で伝説になっているのは知っている。実際、今まで何十人もの不良とかヤンキーとか族の皆さんを引退・卒業に追い込んできたし、中学校の頃はそれで何度も先輩に呼び出されたりした。勿論、俺に勝てた人間はいなかった。


 だけど、その分沢山沢山孤独だった。親も俺の事は完全に見放していたし、友達や級友も怖がって俺に近づかなくなった。淡々と学校に通い、身にかかる火の粉を振り払い、そして誰と喋る訳でもなく家に帰って寝る。今考えてみると、あれでよく生きられたなぁって思うくらい、本当に孤独だった。


 そんなある日、俺は久しぶりに幼馴染のひまちゃんにあった。昔と変わらず、低身長でペチャパイだった。そして会って早々、思い切りビンタされた。あんたには、正義がないって言われた。


 正直、それは図星だった。どうしてあんなに喧嘩を売られるようになったのかは覚えていないけど、あの時は喧嘩を売られて、喜んで買っていたのは確かだった。人を殴る事に、自分の生き甲斐を見出していたような気もする。結局、俺は寂しさを紛らわすために、誰かを殴っていたのだった。


 ひまちゃんは俺に一つの約束をさせた。もう暴力は振るわないと。そして心に、正しいと思う“正義”を一つでいいから持つと、そう俺に約束させた。


 中学三年生になってから、俺は誰も殴らなくなった。喧嘩を売られても、全く意に介さなかった。その内、周りにようやく人が戻って来て、俺を少しずつだが受け入れてくれて、何時の間にか、俺の孤独は少しだけ薄れていた。


 だけど、それは上辺だけだった。教師はずっと俺の事を無視していたし、級友は何時だって俺の陰口を叩いていた。家に帰れば無機質な五千円札が毎日テーブルの上に置かれ、俺は涙を流しながら買ってきた弁当を口の中に押し込んでいた。……悲しかった。昔のツケは、ゆっくりと俺を蝕んでいるようだった。


 それでも、ひまちゃんだけは俺の味方だった。厳しい事も言われたけど、俺は何度も彼女に励まされた。嬉しかった。自分の存在が、初めて誰かに認められたような気がした。


 ――……。




「…………随分とカッコいいじゃない? たいよー」


 物思いに耽りながら歩き始めた次の瞬間。先ほど俺が隠れていた場所から不意に声をかけられる。俺はそっと振り返ると、そこには通りで別れたはずのひまちゃんが、俺にソッポを向きながら立っていた。


「……見てたの?」


「うん。豚鼻の奴にフロントネックホールドしてた辺りから」


 いやいやいやいや! 俺そこまでひどい事やってないから! ていうかそれ軽く死んじゃうだろ!


「嘘よ、嘘。たいよーが一人で行ったのが何だか怪しくて、それで後を追ったの」


 それ軽くストーカーだろって言うツッコミを飲み込み、俺は溜め息を吐いてひまちゃんの方を見る。彼女の顔に笑みはない。というより、俺の顔すら見ようとしていない。そりゃそうだ。ずっと前とはいえ、俺はひまちゃんとの大事な約束を、たった今破ったのだから。こんな態度を取られても、俺は決して何も言えないんだ。


「幻滅した?」


「……うん。とっても」


「…………ゴメン」


「……」


 二人の間に、微かな沈黙が続く。人を助けるためとは言っても、所詮暴力は暴力だ。方法はいくらでもあった。だけど、俺はひまちゃんが最も嫌いな暴力を使ったんだ。軽蔑されて当然だろう。この暴力が仮に世界中のすべての人間が認めても、彼女はきっと、――きっと認めてくれないだろう。彼女は傲岸不遜な人間だが、物事の善悪は絶対に妥協しない人間だから。



「………しないで」


「え?」


 ひまちゃんが何か言っている。俺は顔を上げると、再びひまちゃんの方を向いた。


「勘違いしないで。私は、たいよーが私の居ない所で正義の味方みたいにカッコよく悪者をやっつけようとしてたのが気に食わないの!」


 彼女の意外な言葉に、俺は唖然としてひまちゃんの方を見る。確かに顔は笑っていない。確かに俺の方を見ようとしていない。だが、その頬は僅かに朱が差し、口元も何だか軽蔑というより、どちらかと言うと怒っている感じでへの字につり上がっていた。


 ――……もしかしたら、ひまちゃんは自分だけ蚊帳の外にされたのを怒っているのか?


 とりあえず、俺が封印を解いて暴力を振るった事は怒っていないようだった。俺は心の中で安堵の溜め息を吐くと、そのまま気恥ずかしく頭を掻いた。


「その……だって、ひまちゃんが怪我したら責任取れないし……」


「大丈夫だもん。あんな奴らだったら私でもボッコボコに出来るもん」


 それは無理だ。


「それに……ひまちゃんに暴力を使う所、見られたくなかったし……」


「………………あのね。正義の下で振るう力は、暴力とは言わないの! たいよーが誰かを助けるために使った力は、暴力じゃなくて制裁なの!」


 語尾だけが妙に強まり、ひまちゃんが眉を顰めて俺を睨み付ける。勿論迫力はない。だけど、そこには何処か、俺を心配するような暖かな意思が籠っているような気がした。


 ――ありがとう。


 俺は下を向き、軽く笑みを浮かべる。……不覚にも、その顔が可愛いと思ってしまった事は、きっと誰にも言えない。

 そして、目の前のこのちょっと強がりだけど、根は優しいこの女性を守りたいって思ってしまった事は、絶対に生涯誰にも言えないだろう。

 ようやく俺は、自分の居場所を手に入れられたような気がした。

















「いやぁ、普段から私達は見回りを続けていたんですが、何時も一歩手前で逃げられていたんですよ。だけどまぁ、私の勘と言うんですかね、それがピーンと働いて、今回の発見に至ったんですよ。それもひとえに私達の努力の賜ですね。ていうか委員長である私の努力と言うんでしょうか? あっはっはっはっはっはっは!!」


 深々と座椅子に座り、昨日の俺の手柄をまるで自分の手柄のように村木先輩は話を続けている。こんなに生き生きとした笑顔、今までに見た事がない。まるでその言葉(ほとんど嘘)が自分のあるべき姿とでも言うように、彼女は激しく研磨されて真っ平らになったような胸を張り、何時も以上に元気一杯に笑ってた。


 ――……前言撤回。やっぱりこの女、性根の腐ったタイプ3の人間だ。


 今俺達風紀委員は、授業中にも関わらず二人揃って仲良く理事長室にいる。その理由はただ一つ、昨日のウチの学校の生徒が起こしたオヤジ狩り事件を、その身を挺して事前に阻止したからだった。昨日の事件は結局警察沙汰にはならなかったものの、どうやらこの一連の事件を目撃していた学校関係者が居たらしく、今日の朝には学校中の知る所となった。そして、事件を発見した俺達風紀委員は緊急の全校集会でお呼びがかかる運びとなり、全校生徒の前でその正義感と勇気を称えられた。こうして、一夜にして風紀委員会の権力は上昇し、学校中にその名を知らしめる事となったのだった。

 ……と、こう言っちゃうと何だか英雄にでもなった気分になるのだが、実際は昔からの風紀委員の黒い噂のせいで事件もやらせ説や捏造説が実しやかに学校中で語られ、結局、生徒間ではま、どうでもいいかという結論に達してしまい、教職員も問題児の二大巨頭の俺や先輩の話題を出したくないのか特に取り立てられる事もなく、こうしてとりあえず形式上、理事長にお褒めの言葉を頂くため、ふらふらと理事長室にやって来たのだった。


 だが、そこで俺は、衝撃の事実を知る事になったのだった。


「私も、君達のような風紀委員がこの学園に居て本当に良かったと思ったよ。それにしても、昨日は本当に有難う。水原太陽君」


 ひまちゃんの媚び諂いを軽やかにかわし、聞き覚えのあるハスキーな声が理事長室に響き渡る。俺が苦笑いをしながら顔を上げると、そこには白髪の混じったオールバックの中年のおじさんこと、冥王学園の理事長、刃金銅鈴はがね どうりんの姿があった。

 そう、何を隠そうあのおっさん、この冥王学園の理事長だったのだ。道理で冥王学園の生徒であるあの不良共に厳しく当たっていた訳だ。自分の学校の生徒なのだから、風紀が乱れているのに腹を立てるのは当然だろう。刃金さんは俺の方を見ると、軽く笑みを浮かべて俺に頷いて見せた。


 ――世間って、案外狭いんだなぁ……。


「ところで理事長」


 今まで笑いながら話していた先輩が、急に真面目な顔になる。今更そんな顔しても絶対に遅いと思うが、俺は軽く息を吐くと隣で刃金さんを見ている先輩の言葉に耳を傾けた。


「実は、私達風紀委員は只今存続の危機に瀕しているのです」


「存続の危機?」


「はい。私達は日頃、学校の見回りや、持ち物検査、学校の備品管理など様々な仕事をなるべく資金を節約して行っていました。しかし、横暴な生徒会の面々がそれらの資金を無駄とし、今年の会費を九十九パーセントカットを言い渡してきたのです。そのせいで、我等の仕事は大きく制限され、今や会員は二人になってしまう始末……。確かに、我々の仕事は見回りなど地味な仕事が多いです。そのため目立たず、成果も上げられず、生徒会の目に留まる事もありません。しかし、我々は日夜生徒のため、強いては学校のために活動しなければいけません。そのためにはどうしても資金が必要なんです。もし、この学校の風紀を今まで以上に良くしたいとお考えなら、我々に会費の現状維持という、チャンスを下さい!」


 ――なんたるペテン師! 村木向日葵! お前はそれでも人間なのか!


 時折すすり泣き、時折いきり立ち、彼女は全身全霊で刃金さんに訴えかける。勿論、全て演技だ。それは何時も近くに居る俺が言うのだからそれは確かである。それに、そんな活動、俺は全くした覚えがない! ていうかこのちびっ子大魔王、権力をフル活用して学校から会費をむしり取る気だ! お願い、騙されないで! 刃金さん!


「……そうだな。いいだろう。今年の予算も、君達が希望する金額に近い金額を出してあげるよう、生徒会によく言っておくよ」


「本当ですか! ……うぅ、有難う御座います……。これで私達は、今まで通り学校の風紀を守るために、精一杯活動できます……」


 演劇部も舌を巻いて逃げる程の嘘泣きを決め込み、彼女は刃金さんに何度もお礼を言う。だが俺は、彼女がお礼を言っている時、その顔が僅かにほくそ笑んでいるのを見逃さなかった。……この、悪魔!


「ただし条件がある」


「え?」


 泣真似を止め、村木先輩と俺は刃金さんに目をやる。条件……。生徒会の時もそうだったけど、なんだかとても嫌な予感がしてきた。


「この私を、風紀委員会の顧問とする事だ。どうだ?」


 ――……………………ええーーーーーーーーーーー!?!?












 ……こうして、俺は冥王学園風紀委員会副会長として学校の秩序をひまちゃんから守るために孤軍奮闘するんだが、それはまた別の話……。



                                          to be continued......かな?

この話は、現在連載中の吸血鬼英雄譚〜Der Ring des Nibelungen〜と同系列の話となっています。直接的な関係はないですが、読み比べてみると所々共通する部分があるので、英雄譚を読んでもらい、こちらも読んでもらえると、より一層楽しめる仕様になっております。

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[一言]  ところどころ挟まれる小ネタは正直よく分からない部分もあったんですが、それを差し引いても充分楽しんで読むことができました。  話の根幹がしっかりしていると思いましたし、風紀委員の二人の台詞回…
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