ログ・ホライズン あるアキバの物語
ログ・ホライズンの二次創作です。軽い短編集ですのでお気軽に読んでいただけると幸いです。
アキバの街にいる一人の冒険者とおなじみのキャラのちょっとした交わりの物語。
ネタ元としてソムリエとバーテンダーという漫画を参考にしています。
どちらもドラマにもなった作品ですが(ちなみにわたしはドラマは見てませんが)面白い作品でしたので、とっても好きなのです。
それでは、しばしのお付き合い、よろしくお願いします……
「先日の円卓会議の議題資料を纏めた物です」
「ありがとう」
「昨日行われた模擬戦の報告書をお持ちしました」
「そこに置いておいてくれないか」
「セルジアット候からの使者がコレを」
「目を通しておくよ」
「ミロード。前回のゴブリン討伐遠征時の各部隊からの報告ですが」
「それは高山君に先に目を通してくれと」
「ですから、彼女が目を通しましたので必要と思われる部分だけ渡すようにと」
「……そうか、ありがとう」
「失礼します。ミロード、海洋機構との会合ですがロデリック商会も参席していいかとの打診が」
「勝手に加わればいいだろうっ!」
D.D.Dのギルドホールの一室。
ギルドマスターのクラスティの執務室で響いた彼の怒声に驚いたのは、目の前の女性プレーヤーだけではない。多分、一番驚いたのは他ならぬクラスティ自身だったろう。
「っ! す、すまない」
「い、いえ。その」
言いあぐねる彼女になんとか笑顔を見せれば
「ミチタカさんとロデリックさんには了承の旨を伝えておいて貰えますか」
「は、はい」
「ありがとう。急に声を上げてしまって申し訳ない」
真摯に頭を下げるクラスティに、彼女もまた笑顔を見せる。その余裕は生まれたらしい。
「いえ。私はなんとも思ってません。それでは失礼します」
「あぁ」
笑顔で部屋を後にする彼女を見送るが、そのドアが閉まる前に次の人影が現れた事に、クラスティは深い溜め息を付くのだった。
◇ ◇ ◇
時刻はもう日付を跨いで久しい午前1時に指しかかろうとしている。
「……ふぅ」
いつもより足取りが重い。そんな気持ちを引きずりながらクラスティは夜のアキバを歩いていた。
最近では深夜まで灯かりの灯る場所もアキバには出来ている。皆、日々の疲れを癒す術を持ち出したという事だろう。
そんな夜に彼の足が向き止る場所。それが――――
Ber――parlor――
ビルの地下へと下りる階段の突き当たりに設けられた重たそうな木の扉を開ければ、
「いらっしゃい」
一人のバーテンダーがクラスティを迎え入れた。
テーブル席が4席。そしてカウンターに10席ほどが設けられているバー。
クラスティにとっては馴染みと言って良い店だ。
食事に関する革命的発見が知れ渡ってからの世界の激変は凄まじいものがあった。
食事、服飾、技術。そしてそれは醸造にまで広がる事になる。
採れる果物や穀物を使い、熟成を増すための魔法アイテムを使用することで、自分達の居た現実世界のソレと同じ酒類を実現出来る様になった事は、酒を嗜むプレーヤーにとってはまさに朗報だった。
もっとも、未成年も多い冒険者が相手だ。その年齢確認にはエルダー・テイルではない現実世界の年齢が適応されるが、あくまでも自己申告である事は否めない。
現状、それが円卓会議の悩みの一つでもあるのだが、クラスティとしてもバーの中に入ってしまえば堅苦しい事を言う気は更々ないのが現実。
「ビール、いいですか。アニキ」
「……はいよ」
コースターの上に乗せられたジョッキが差し出される。
差し出したのは店主でバーテンダー。
名をアロンと云う。
アロンは最古参の冒険者だ。
このアキバで古参と呼ばれる者達は多い。もちろんシロエもクラスティも古参のプレーヤーだ。
だがアロンは文字通りの最古参。つまり、エルダー・テイルが発売された時から、日本語でプレイ出来る様になる前からのプレーヤーだからである。
初めて発売された1998年、アロンは10歳の少年だった。それから21年。今では彼も31歳になり、そのIN率もそれほど高くはなくなったが、それでも変わらずエルダー・テイルをプレイし続けている。
職業は〈妖術師〉。そしてレベルは……62。
たった数百時間プレイするだけで現状、レベル90まではすぐに到達する事が出来るエルダー・テイルにあって、アロンはある意味で特殊なプレーヤーだ。
彼はレベルを上げる事や大規模戦闘を制する事に思考を向けては居なかった。
彼のプレイスタイルは一貫している。
サブ職のコンプリートである。
彼は様々なサブ職業に付いていた。
ある時は〈料理人〉。ある時は〈刀匠〉。またある時は〈短杖闘士〉など、まさに手当たり次第の様々である。
一つのサブ職に就いてはカンストレベルまで極め、それを終えるとまた次のサブ職へ。
それがアロンのエルダー・テイルの一貫した楽しみ方だった。だからこそのレベル62である。基本、彼にはプレーヤーレベルを上げたいと思う欲が無いのだ。
しかし、エルダー・テイルにおいてシロエがそうであった様に、貴重な情報や的確な助言を与えてくれる者は非常に重宝される。
アロンは冒険にこそ参加を要請される事は無かったが、それぞれのサブ職についての助言は多く求められた。それを嫌な顔一つせずに付き合ってくれるこの最古参の変わったプレーヤーは、皆からは〈アニキ〉の愛称で親しまれていたのだった。
与えられたビールをほぼ一気に飲み干したクラスティは、少し乱暴気味にグラスを置けば
「もう一杯いいですか」
と空のジョッキを差し出した。
「良い飲みっぷりだねぇ」
「流石は円卓会議代表のギルマス・クラスティ、ですか?」
「…………ほらよ」
もう一杯、ビールを差し出す。
飲まずにグラスの中の泡を眺めるが
「アニキは呑気でいいですね。だいたい本来は最古参であるアニキの仕事でしょう」
つまらなさそうな瞳がカウンター越しのアロンに向けられるが、アロンは微笑みを浮かべたままだ。
「俺はそんな柄じゃない。ただのバーテンダーにゃ荷が勝ち過ぎてるだろ。第一、俺はギルドにも入ってないしな」
彼は一度として、どのギルドにもどの団体にも所属した事は無い。
「それが呑気だって言ってるんですっ!」
一気に飲み干したグラスがドンっ! とカウンターを叩く。
「この非常時にギルドもへったくれも無いでしょうっ! この異常事態に際しては個人の感情なんて構ってられないっ! 負える役割が有る人は本意じゃなくても負うべきなんですっ! アニキだったら皆付いてく、そんなのは始めから分かりきってる事でしょう!」
「お前達は良くやってくれてると思ってるよ」
「僕の! 何がどうだってんですかっ!」
空になったグラス倒し、思わず立ち上がる。
「僕はただの若造ですっ! べつに企業の経営者でも省庁の官僚でもなんでもないっ、どこにでもいるただ平凡な若造ですよっ! 何千人の社員を抱えたことも無いし国を動かした事なんて有る分けないっ! そんな僕に何をどうしろっていうんですかっ!」
「…………」
息を荒げるクラスティと黙って見詰め、静かに倒れたジョッキに手を伸ばしながら「……座れよ」と促す。
「…………すいませんでした」
「謝るこたないさ」
うつむき座るクラスティに静かに答える。
僅かな沈黙の後、顔を上げずにクラスティは
「なんでもいいです……一杯ください。それ飲んだら帰ります」
「分かったよ」
そしてアロンは、静かに背後の棚から一本のボトルを取り出す。
「現実のお前にはこんな一杯は作らないんだが、エルダー・テイルのお前になら、こんな一杯が相応しい」
「今の……僕?」
「どうぞ、お客様」
カウンターに、静かに差し出されたのは――
「水割りでございます」
――ウイスキーの水割りだった。
思わず、クラスティに苦笑が零れる。
「随分と手を抜かれましたね。カウンターで声を荒げる僕は、ただの面倒な客ですか……」
「覚えとけよクラスティ」
顔を上げれば、そこにはアロンの微笑が見える。
「面倒な客なんかバーには居ないんだよ。もし客を面倒だと思った奴が居たならソイツはバーテンダーじゃない、ただの阿呆だ。お前、俺を阿呆呼ばわりするのか?」
「そんなことは……」
少し慌てて、グラスに口を付けると、クラスティの目が開かれた。
「……美味いっ」
「ありがとさん」
特に好きだった訳では無いし、それほど多く飲んだ経験も無い。
だがクラスティも現実ではウイスキーくらいはいくらでも飲んだ事はあるし、ロックで楽しむほどの酒飲みじゃない。いつだって水割りだった。でも
「こんなに美味い水割り、初めてです」
クラスティは思わずもう一口含む。
「これは何かしてるんですか? その、魔法とかアイテムとか、現実では出来ない事をなにか」
そうとしか思えない、とばかりのクラスティにアロンは少しだけ首を振る。
「別にただのウイスキーを水で薄めただけだよ。もっとも、冒険者特性のウイスキーだからな。山崎やモルトが飲めないのが悲しいとこだが、まぁこのボトルだって味わい深いさ」
「水で薄めただけ……でも、確かに薄いですけど味はしっかりしてます。こんな水割り飲んだことない」
噛み締める様に飲みグラスを置く。
半分ほど残った水割りに視線を落としていれば、クラスティに言葉が落ちる。
「……たとえば疲れた客が居る」
「え?」
見上げても、アロンは静かにグラスを拭いている。
「朝からひたすら書類の山に追われてろくに食事も摂ってない。神経は逆立ち苛々はつのる。ストレスで胃は疲れ、思いに任せて酒をあおってみた所でそれに酔う事も出来ない」
「なんでそんな事が」
分かるのか不思議だった。
「ズボンの皺だよ」
「っ」
見れば確かに、自分のズボンには深い皺が刻まれている。
「そんなに深い皺を作るんだ。多分朝からずっとデスクワークだったんだろ?」
「……はい」
円卓会議とギルド。いつも大量の事務処理に追われている。
「戦闘系って謳ってる位だからな。お前にとっちゃストレス以外の何者でもない。それに酒の臭いと足取り」
「?」
別に酔ってるとは思ってなかった。
「バーテンダーをなめるなよ。良い酒、悪い酒、酔っているか、酔おうとしてるのか、あるいは呑まれたいのか。バーテンダーなら見れば分かる」
「…………」
「そんな客にはどんな酒も強過ぎる。水割りにしたところで通常のレシピ、アルコール1に対して水2は強過ぎるだろう」
「でも」
もう一度、グラスを見る。
「これは確かに薄いですが味はしっかりしてます。やっぱり魔法かなにかで」
「氷だよ」
「っ…………氷?」
グラスには数個の氷が在った。
「ギリギリまでアルコール度数を落としても溶け出してバランスを崩さない……硬い氷」
使ったのは飲み物に入れる用の氷ではなく、食品などを冷凍する為の氷室の氷を砕いて入れた。
それが普通ではない事は、クラスティにも分かる。
「……失礼な事を喚いた僕に……そんな事まで」
うつむくクラスティの耳に、カウンターの中で拭き終わったグラスが置かれた音が聞こえる。
「知ってるか? クラスティ」
「……なにをですか?」
答えながらも答えを知っている。多分、自分は何も知らないのだろうと。
「バーに独りで来る奴はみんな不幸を抱えてるんだよ」
「不幸?」
見れば、アロンはタバコに火を点けていた。
「仕事、恋愛、金に友情。家族や自分の未来って奴もいる。皆、それぞれどっかしら不幸や不安を抱えてドアを引くんだ。じゃなきゃ独りでなんか来やしないさ」
「それぞれの不幸や不安……ですか」
自分は? と問いかける。
本来の自分には過分な責任と期待に、押しつぶされそうな――不安があった。
「だからな。バーテンダーの一番の仕事は酒を出す事じゃない。目では見えない客の不幸を見る事。声には出さない客の不安を聞く事。それが一番大事な仕事なんだよ」
見て、聞いて。
そして少しだけ、その背負っている不幸をその場に下ろしていかせる。
その為のバーであり、その為の一杯。
もう一度グラスを傾ければ、冷ややかな香りが喉を通っていく。自分の中の、少しだけささくれ立ったなにかと共に。
ふ、と思う。
「じゃあ、バーテンダーが不幸な時は?」
誰が見て、何が聞いて、何処に下ろすのだろうか。
そんな問いの視線には、やはり微笑の視線が返されれば
「決まってるさ。バーテンダーが不幸な時は、独りで耐えるんだよ。それが嫌ならバーテンダーには成らない方がいい」
その表情には微塵の迷いも無かった。
「それもバーテンダーの仕事、ですか」
「いんや。そいつがバーテンダーの生き方って奴だよ」
自分で選んだ、自分の生き方。
そして自分の今も、やはり自分で選んだのだと……
最後の水割りを一気に飲み干せば、その勢いのままに席から腰を浮かせる。
「ご馳走様でした」
「……イイ顔になった」
入って来た時よりも、とは言わなくても良いだろう。
「今度は違う酒、飲みに来ます。もちろん誰かと」
彼が帰り、誰も居なくなったバーの中。クラスティが閉めたドアに、彼が飲み干したグラスを掲げる。
「行けるとこまで行ってみろ。それでも駄目なら、骨は拾ってやるからよ」
彼の航海に、独り…………乾杯
◇ ◇ ◇
「まいど~」
「ん?」
カランカラン♪ とドアを開けて入って来たのは〈西風の旅団〉の面々だ。
「いらっしゃい」
「ちぃ~す」
「こんにちは、アニキさん」
彼女達が扉を開けたのは
shop――parlor――
バーと同じビルの一階で、やはりアロンが経営しているアイテムショップだった。
昼はショップの店長で夜はバーテンダー。それがアロンの二足のワラジという訳だ。
「今日は?」
「これからちょっとシブヤまで行くからさ、〈エンピリアルの矢〉を少し欲しくて」
〈暗殺者〉の女の子の言葉に笑顔を見せはするが
「そいつは物騒だな。でかいクエストか?」
一本で金貨1600枚。天の炎を意味する攻撃アイテムである。おつかい程度のクエストではないのだろう。
「結構上のレベルを倒さないと上がらないもんね。私達もソウ様に負けてらんないし」
「私ももうすぐ91なんだ~」
「そいつは凄いな」
〈守護戦士〉のキョウコに笑顔を見せながら、頼まれた矢をカウンターの上に置く。
「ほらよ。んで数は?」
「ん~、5本でいいや」
「まいどあり」
勘定を済ませていると皆は思い思いの品を店内で見て回っている。
そんな彼女達にアロンは
「しかしソウジロウがそんなにレベル100に興味が有るとは思わなかったな。どちらかというと現状に満足しても良さそうなもんだけどな。お前達も居るんだし」
「欲しいですね。100でも200でも。それで少しでも皆を守れるなら、僕はどこまでもチカラが欲しいです」
「っ! ソウ様」
「ソウちゃん」
仲間が驚く中で、やわらかい笑みを浮かべて剣聖・ソウジロウは店へと入ってきた。
「よう、ソウジロウ」
「こんにちは」
笑顔のまま向かい合う2人だったが、すぐにアロンは近くの棚に向かう。
「丁度良かったよ」
「え?」
「お前に頼まれてたやつ、あがってるから持ってけよ」
ごとり、とカウンターの上に置いたのは一本の刀。
〈神刀・湖鴉丸〉
剣聖・ソウジロウ・セタの愛刀である。
「早いですね、やっぱりアニキだ」
「へいへい。お代は置いてけよ」
「分かってますよ」
言いながらその剣を抜き放つ。
まるで生き返ったかの様に深い輝きを放っている。
「相変わらず良い仕事、してますね」
〈武士〉のイサミが感嘆の声を洩らす。
「局長の刀、まるで別物みたい」
「ま~、アロンちゃんは最古の〈刀匠〉だもんね~」
「やめろ。お前に言われると気色悪い」
「まぁ! なによイケズ!」
〈西風の旅団〉にあって珍しい男性プレーヤーのドルチェだったが、オネエ言葉の屈強な〈吟遊詩人〉とは旧知の間柄らしい。
そのやり取りもどちらかと言えばふざけ合っている様にしか見えない。
だがドルチェの言葉も嘘ではない。
〈刀匠〉もアロンのコンプリートしたサブ職の一つであり、実装されてからすぐに取り掛かったという事を加味すれば、最古の〈刀匠〉は事実を言い表している。実際、現在の状況で〈刀鍛冶〉を生業としている者は、そのほとんどがアロンに師事、もしくは師事を受けた者に師事していると言っても問題は無いだろう。
皆の笑い声の中で刀を眺めるソウジロウに
「リキャストタイムを少しだけ短くしといた。その分、湖鴉丸の負担が少しだけ増えたが、まぁ問題ないだろう」
「ありがとうございます」
礼を言い、ゆっくりと腰に通した鞘に刀を納めた――――刹那
「っ疾!」
「へ?」
イサミが思わず呆けた声を洩らす中で、ソウジロウは雷速の如き居合い抜きをアロンに放っていた。
皆が、それが居合いだと理解した時には、既に刃は鞘の中へと納められている。
静まり返る店内の中、それでも笑みを浮かべているアロンにソウジロウは
「今のをかわすなんて、やっぱりアニキは凄いです。前には断られましたけど、やっぱり西風の旅団に入りませんか?」
「何度も断らせるなよソウジロウ。流石に俺も申し訳なくなってくるだろうが」
「ふふ、それも狙いの一つですから」
失礼しました。と代金を置いて店を出るソウジロウの背中に
「俺が避けなかったら、お前どうする積もりだったんだよ」
その答えに、少しだけ興味があった。
だがソウジロウは笑う。
「その時は大神殿で、アニキに謝るつもりでしたよ」
そう、笑顔で言ってのけたのだった。
一瞬置いていかれそうになった仲間達だったが
「あ、待ってよ局長」
「ソウ様~」
皆、慌てて後を追いかけ店を出て行く。ドルチェも後を追おうとしたが「なぁドルチェ」とアロンの言葉に振り返れば、笑みをなくしたアロンの目がある。
「ナズナに言っとけ。ソウジロウをしっかり見てやれってな」
「アロン?」
らしくない。
そんな印象をそのまま表情に見せると
「……かわしちゃいねぇよ」
「? でもさっき」
放った居合いはアロンを傷付けなかった。
「俺は微動だにしてないさ。斬れなかったんだじゃない。ソウジロウの奴は……斬らなかったんだ」
避けたのはアロンじゃなく、ソウジロウ。
「それって普通じゃない? べつにソウちゃんだって本気でアンタを斬ろうとなんて」
「あいつは本気だったさ」
「え?」
ドルチェにはアロンの言わんとしている事が掴めない。が、その表情が真剣さを増す。
アロンの目は、それだけ真剣だった。
「あいつは本気で俺を斬ろうとした。斬るつもりで抜刀して斬るつもりで振り抜いた。そして僅かに剣先をずらして俺をかわし…………かわした俺を本気で褒めてる」
「……アロン」
現実世界で、アロンもドルチェもそんな人間は大勢目にしてきた。
「ソウジロウの奴、ズレはじめてるぞ」
「そして自分がそれに気付いていない、のね」
精神と身体が少しずつズレていく。
自分の認識と、身体の反応に齟齬が生まれ始めている。
エルダー・テイルに巻き込まれた今の状況下では、確かにある程度は予想の範囲内の事だろう。
現実を受け入れているとはいえ、やはり異常な時間の中に居ることは明らかなのだ。その中で平時と同じ自分を保つのはやはり難しい事なのかも知れない。
「レベル100だろうが200だろうがソウジロウはまだまだガキだ。そこんとこは抑えて相手してやれ。じゃないと潰れるぞ、あいつ」
「わかったわ。彼女には伝えとく。アタシも気をつけとくから、心配しないでね」
「あぁ」
誰も居なくなった店内で、ただアロンは若い武士の後姿を思い浮かべるだけだ。
そして願わくば、自分の打った刀が少しでも、いつか訪れるギリギリの生と死の刹那の中で、彼の命を守ってくれる事を祈る。
「刀なんて壊れてもいい。砕けてもいい。だがお前は戻って来い…………なぁ、ソウジロウ」
そんな祈りを、脳裏に浮かぶ背中に送り続けるのだった。
◇ ◇ ◇
〈parlor〉は盛況だった。もちろん、いつもに比べては、といった程度だろう。
適度に埋まったカウンターとテーブル席に一組。
そんな少しだけ賑やかな店内で、独りカウンターで美味そうに酒を飲んでいるのはナズナだ。
「だから~、アニキが西風の旅団に入ってソウジの面倒見てくれれば事は済むのにさ~」
「何寝ぼけた事言ってんだよナズナ」
他の客のグラスを作りながらも耳は立てる。
「お前が選んだお前の場所だろう? それともいっそ俺のとこで働くか? バイト代は弾むぞ」
「……ふ~んだ」
どこか拗ねた感じを見せるナズナに「ったく」と苦笑いを見せて声を重ねようかと思う矢先に、彼女の手が待ったを示す。
もちろん、ナズナも分かってはいるのだから。
「ごめん、分かってる積もり。ソウジにはわたしが付いてるから大丈夫だよ」
「そうだな」
お代わりのグラスを置き「お前も苦労が絶えないな」と頭を少しおざなりに撫でる。
少しだけくすぐったそうに目を閉じるナズナだったが、どうやら機嫌は良くなった様だ。明るい口調に戻れば
「まぁ苦労が絶えないのはカナミの時からずっとだしねー」
思えば茶会の時も、それはそれは苦労したものだ。もっとも、かく言う自分もシロエなどに言わせれば周りを振り回せていた側かも知れないが。
なまじ頭が切れたが為に、シロエには結構な迷惑だったろうと可笑しくなってしまう。
そこで気になる事は一つ。
「でぇ? 彼女とは連絡取ってたんでしょ?」
「ん? そりゃな。大災害前はそうだが、流石に今は、な」
「わたしはあれ以来音信不通だったんだけど、彼女は元気にしてた?」
「あいつから元気を取ったら何も残らないだろ? 気が向いたって理由で何回か日本にも来てたしな」
「カナミが?」
「まぁ、ほとんどはトンボ返りだったけどな」
アロンとカナミが現実で繋がっているのは知っていた。
ナズナもカナミとは茶会のオフ会で実際に会った事は有るが、勿論アニキとの面識は無い。
一度カナミにアロンについて聞いてみた事もあったが、
「あ~んな語るべき事の何も無い男も珍しいよね~。だから話せる様なものもな~んにも無し♪」
そう言ってはぐらかされた記憶がはっきりと残っていた。
もっとも、その後でアロンに会いに行くと言って嬉々としてオフ会をトンズラしたのを見て、カナミにも可愛いとこがあると笑ったものだ。
「もう一度、会えるといいね、アニキ」
「さぁて、どうだかな」
「ん?」
会いたくないのだろうかと首を傾げれば
「多分エルダー・テイルに居るぞ、あいつ」
「えっ! カナミが?」
それは聞いてない。
何度見ても自分のフレンドリストの中のカナミは……とそこで気が付く。
「そうかサーバー」
「あぁ。北欧サーバーだからな。リストには反映されないし念話も出来ないけど、な」
グラスを拭きながら可笑しそうに笑うアロン。
「あいつノウアスフィアの開墾、楽しみにしてたからな。確か今は〈格闘家〉でやってた筈だな」
「へぇ。カナミが」
だとすると、これは少しだけ楽しい展開になるかもしれない。
あの彼女が、この現状に黙っていられる筈など無いのだから。
「どうすると思う?」
「さぁてね。もしかしたらこっちに向かってるかもな」
「へ?」
思わず疑問を浮かべるが
「まさか〈妖精の輪〉?」
「どうかな。ま、下手すりゃ足って泳いででも来るんじゃないか?」
「北欧からぁ?」
「カナミ、だからな」
「それは……」
いくら何でも、とも思ったが、少しだけ彼女の行動を思い出してみれば
「あ、あるっちゃあるかもね」
「だろ?」
そんな女性だった。
思わず、2人で吹き出して笑っていると
「っと! いらっしゃ、い?」
新たな来客が、訪れたのだが
「ちょ! なんでそうなるんだよマリエさん」
「知らんもん! うちに聞かんで直継やんが自分の胸に聞いてみればええ」
「だからあれはそんなんじゃないって」
「うち知らんもんっ」
ご存知、〈アキバのひまわり〉こと三日月同盟ギルマス・マリエールと元〈茶会〉メンバーにして〈記録の地平線〉の〈守護戦士〉の直継だ。
だが、どうにも雲行きが怪しいらしい。
手前のテーブル席に座った2人の下にアロンが向かえば、なにやら言い争いをしている様子だ。
だが自分が行った時は流石に少し矛を収めてくれる判断はまだ出来るらしい。
「いらっしゃい、御二人さん」
「ちわっす、アニキ」
「……どうもぉ」
どうやらマリエールがご立腹らしいと笑みを浮かべるが
「どうする? 軽くなんか喰ってくか? それとも食事は済ませた後かな」
「軽くつまむ程度でいいんですけど」
「直継やんは可愛い女の子達にい~っぱいご馳走になったからお腹一杯やもんね~」
「ちょ! だからあれはっ」
話の流れを聞いてると、どうやら待ち合わせしている間に、かなり先に着いた直継に通り縋った冒険者の女の子達が喫茶店に誘ったらしい。
D.D.Dに所属しているらしいがモンスターに襲われている時に助け、少しの間だけ直継が師範システムを使って教えを施した事があるという。
もちろん、女性だけのパーティーでもなかったし、ほんの短い間だけの話だが、今この時に直継を誘ったのが女性だけだったのが災いした。
向こうとしてもお礼の積もりだったし、直継としても彼女達の上達振りやあれから経験したクエストを嬉しそうに話すを聞いているのは、教え子の自慢話を聞いている様で微笑ましかった。
不幸だったのはマリエールも約束した時間よりも早くに待ち合わせ場所に向かい、運悪く談笑している直継達を見掛けてしまった事だろう。
そこから先はもうドミノ倒しだ。
直継としても事実を並べるだけなのだが、マリエールの視点からすれば事実などはどうでもいいのだ。ただ楽しそうに女の子達と談笑していた現実の前には真実などまったく意味を成さない。
「アニキからも言ってやってくれよ」
「俺に振るなよ!」
「だいたいソウジじゃあるまいし俺がそんなにモテ祭りになる訳無いっしょ」
「それはそうなんだが」
「ふ~ん。それじゃあまるで、うちは男を見る目が無いっちゅう事やんか」
「へ?」
思わぬヤブヘビにたじろいでしまう。
「と、とにかく軽い物を持ってくるからな。あと飲み物なんだが」
「そんなんアニキに任せる! 今は直継やんの裏切りが問題なんやっ」
「裏切りってなんだよマリエさん! そりゃいくらなんでも言い過ぎ祭りだぜ」
「どこが言い過ぎやねんっ」
「ちょちょちょっ! 分かった、分かったから!」
流石にヒートアップされては堪らない。
なんとか割って入れば
「んじゃ酒は適当なの持ってくるから。お前等は少し黙って座ってろ。みんなの目も有るし、な」
「「へ?」」
見れば店内の注目が集まっている事に気が付き、ばつが悪そうに座る。
少しして、テーブルに来たアロンの手には一本のボトルが。
「ワイン?」
「エルダー・テイルにも有ったんか」
少し驚いた感じの二人に笑みを洩らし
「素材の葡萄は昔から有ったからな。長期熟成には時間が無いが、そこは魔法アイテムを使えばクリアできる。幸せな話なんだが」
「「ん?」」
言いあぐねるアロンに首を傾げると
「やっぱり熟成が上手くいき難いからな。はじめのうちはワインが閉じてるんだ」
「そんで?」
「こうして」
栓を抜き
「少し時間を置いて香りが開くまで時間が掛かるのが残念なところかな」
そのまま置いて去ろうとするアロンに
「このままじゃ飲めないのか? アニキ」
「飲んでみるか?」
グラスに少し入れたものを2人に差し出すが
「ホントだ」
「ほんま、あんまり美味ないなぁ」
少し、現実で飲んでいたワインとは違う風味だ。
「だからこうして時間を置くんだよ」
「どれくらいだ?」
「うちはさっさと飲んで帰りたいんやけど」
そんな2人に片目を瞑れば
「長い時間が掛かるんだ。それはもう、長~~い時間が、ね」
なにか軽い食い物持ってくるよ、とテーブルを去るのだった。
ナズナは黙って飲んでいたが、酒の肴には2人のテーブルは最高だった。
「直継やんは結局うちの事なんかなんも興味ないんや」
「なんでそうなるんだよ。ちょっとしつこいぜマリエさん」
「しつこい!? それうちの事か? うちの事言っとるん!」
もう売り言葉に買い言葉である。
まったくもって出口が見えない。
「ほなら直継やん、うち等が初めて2人きりでお酒飲んだのいつか覚えとるん!」
「そんなの覚えてるってばよ。あの天秤祭りの終わった夜で」
「ほぅら。やっぱり覚えてないやん」
「ちょ! 天秤祭りの夜で間違いないじゃないか」
「ぜんぜん違うっ!」
どこか、くすくすと堪え切れない笑いがナズナから漏れるが、ナズナの前には呑気に他の客と談笑するアロンの姿が有る
「ほっとくなんて珍しいなぁ、アニキ」
アロンの意外な面を垣間見た気がした。
「…………」
「思い出せへんならもうえぇよ……」
「いや、覚えてるに決まってるんだよ俺は」
「…………」
もうテーブルの上のツマミは残りも僅か。
流石にナズナも心配になってくる。
あぁ見えても直継は細かい心配りが出来る好漢だ。茶会の頃にも何度直継の雰囲気や言葉で皆が救われたかしれない。
ナズナとしても彼に助け舟の一つでも出してやろうかとも思ったが
「…………そろそろ、かな」
「ん?」
聞こえた呟きに視線を移せば、アロンは微笑みを浮かべてカウンターから出て行った。
「…………ぁ、ザントリーフ海岸」
「せや」
視線を上げれば嬉しそうに笑顔を見せるマリエールが居る。
ほんとうに、ひまわりだと直継は思う。
「あれが、うちと直継やんが初めて2人で飲んだ夜」
「皆が寝た後で……あの浜辺で」
「月、綺麗やったらから寝るのが勿体無かったんやもん」
思い出すのは綺麗な月夜。
「もっとも、まさかあの後であんな騒ぎになるとはな」
「結局、うちの水着あんまり見せられんかったしな。直継やんは惜しい事したなぁ」
「よく言うよ。班長に言われて真っ赤になって隠れたくせに」
「そ! それは言わんといてぇって何べん言わすんよ」
「ははは。悪い悪い」
「ほんま、直継やんは意地悪いわぁ。うちも苦労するわ」
「そいつは失礼」
互いに見詰め、互いに笑い合えた。
「お待ちどうさま」
「あ、アニキ」
「もうええん?」
笑顔を向けられたアロンは「あぁ」と受け答え、テーブルに置いてあったワインを手に取り2人のグラスに注ぐ。
「……ほんとだ。美味いや」
「さっきとは全然違う。ほんまに同じワインなんか」
「待ったかいがあったろう?」
「あぁ」
「ほんまや」
笑顔を見せあい、「そんじゃ改めて」との直継の言葉でグラスを掲げれば
「乾杯」
「乾杯や」
2人の笑顔と会話は、それから暫くの間、バーを優しく満たしていたのだった。
席を立った2人がカウンターにくれば会計を済まし
「美味かったよ、アニキ。またな」
「アニキおおきに。また今度皆で来るよって、って直継やん待ってぇな!」
「シシシ。急げよマリエさん。楽しみにしてた大道芸始まっちまうぞ」
「分かってるってば。ほなねアニキ。あ、だから待ってって直継や~ん」
来た時も騒がしかったが、去る時もまた騒がしい。
そんな2人を面白そうに眺めていたが、少しだけ大きく溜め息を付いたのはナズナだ。
「幸せそうで良~わね~。直継の癖に生意気ね……邪魔してやろうかしら」
先ほど助けようと思ったのは何処へやらだ。
どうにも黒いものが湧き上がってくるが
「お前もそろそろ相手でも探せよ。いつまで俺の店でオープンクローズやってるつもりだ?」
開店で飛び込んで、閉店まで飲み続ける。
ナズナはこの店の超常連といったところだろう。
「わたしはソウジのお守りで手一杯なの」
「モテない言い訳か? 寂しいねぇ」
「む~……アニキってばわたしに冷たくない?」
「そんな事ないだろ? どんだけ安くしてやってると思ってるんだよ。なんなら正規で料金取るぞ」
「…………くぅ~~」
「寝るな!」
しょうもない。でも楽しいと思えるやり取りを経れば、ふと思う。
「そう言えばあの2人に出したワインって結構良い物なんでしょ~? 今度わたしにも出して欲しいな~」
今度、と注釈をつけて言ってみただけだたのだが
「ん? もう一本あるから飲んでみるか?」
アロンは何気に答えてカウンターの上に2人に出したのと同じワインを置く。
確かに飲みたいと言ったのは自分だが、流石に
「っつかアニキ」
「ん?」
栓を開けるアロンに声をかける。
「今から開けて、飲めるのは朝になるんじゃないの~」
それならそれでも構わないが、とは思うのだが、それを否定するのはアロンだ。
「そんな必要はないさ」
「へ? それは?」
アロンはカウンターにガラスの容器を置けば、そこにワインを移し出す。
「デキャンタージュって云うんだけどな。こうして空気に触れさせてやるとワインが開くんだよ」
「へ~…………って! だったらなんでさっき」
直継とマリエールのテーブルでは、ワインを自然と開かせた。
「喧嘩したままじゃあ、ロートシルトも安ワインも一緒だよ。味もへったくれもない」
「じゃあ」
「あの2人に必要だったのは美味いワインでも美味い料理でもない…………時間だよ」
カウンターに置かれたグラスにワインがゆっくりと注がれていく。
「シャンパンにもウイスキーにも……日本酒、焼酎、そしてワイン。どれもそれぞれに熟成に必要な時間が存在するもんだ。だから時には」
ナズナの前に、綺麗な赤を魅せるワイングラスが置かれた。
「酒の時間に合わせて時を過ごすのも、偶には良いものだと思わないか?」
「……それで仲直り出来る2人も居る、かぁ」
この店を出る時のあの笑顔。それが見れる為にはあの時間が必要だった。
だとすれば、それはきっと有意義な時間の過ごし方なのだろうと思う。
それもまた、バーでの時間の過ごし方なのだから。
「ねぇアニキ。グラス、もう一個くれない?」
「ん? 別に構わんが」
グラスを一個差し出せば、ナズナはそこにワインを注ぎだす。
「もう他に客は居ないみたいだしさ」
あの2人が帰った後、既に残ったているのはナズナ一人だ。
「どっかの色ボケ2人に中てられた寂しい独り身の女に付き合ってもバチは当たらないよね~」
「…………まぁ、偶には良いか」
「やっぱ、アニキは話せるねぇ」
互いにワインが注がれたグラスを手に取り少し持ち上げる。
そして2人は小さく微笑み
「アキバのひまわりと――
「茶会の朴念仁にぃ――
ドアの向こうに消えた2人の背中に、精一杯の応援を込めて……グラスを合わせるのだった。
「「乾杯」」