第1話:内向的な少女と「奇妙な男」
■請求記号:N-0001
■書名:『星渡りのリヴェル』(未完)
■性質:混合書
■著者:神崎 栞
■状態:更新停止(三年と二百十一日)
■四つの確認:根源 ○ / 委託 ✕ / 完全 ○ / 反証 ―
天草学園。
「キーンコーン……カーンコーン……」と、休み時間を告げるチャイムが鳴り響く。
窓際の列、後ろから二番目の席に座っているのは神崎栞、十七歳、天草学園の二年生だ。
クラスでの彼女は正真正銘の内向的なタイプで、目立つところはほとんどなく、学業成績はそこそこ、運動もそこそこ、部活には入っておらず、友達もいない。
休み時間になるたび、彼女は眠るか、スマホをいじるか、あるいは授業が終わるまでぼんやりと窓の外を眺めて過ごす。だが今日はいつもと違い、彼女は一冊の本を取り出して読んでいた。実のところ、これもまたスマホをいじること、眠ること、そして終わるまでぼんやりすることに並ぶ、休み時間の数少ない暇つぶしのひとつだった。
実際、彼女には他人に知られたくない過去があった。それは、かつて小説を書いていたということだ。これは両親も、友達も、担任の教師でさえ、誰ひとりとして知らないことだった。
『星渡りのリヴェル』。それが、彼女の処女作であり、同時に最後の作品となった小説のタイトルだ。
物語は、栞が中学二年生の夏、ある小説投稿サイトで初めて連載を始めたところから始まる。広大な星の海を帆走し、まだ誰も見たことのない星々を探し求める少年・リヴェルの冒険を描いた物語だ。
だが哀れなことに、ブックマーク数はわずか37件で止まっていた。最も読まれた日でさえ、閲覧数はせいぜい120PVほど。全十二話で、寄せられた感想はたったの一行だけだった。
『続き、楽しみにしています……』
三年前のその一行を、栞は今でも忘れていない。
その本の最後の更新は、中学二年生の冬の初めだった。続きを書こうとするたびに彼女の手は止まり、結末を恐れた。この旅に終止符を打ってしまった後、リヴェルが本当に永遠に消えてしまうのではないかという恐怖があったのだ。
「今日は疲れちゃったし、次の話は書けそうにないや。また今度にしよう……」
「あああ! この話、面白くない! ネタに詰まっちゃった……もういいや、また今度もっといいアイデアを準備してからにしよう」
そしていつしか、徐々にそうした言い訳の言葉のほうが、物語を紡ぐ文字よりもずっと流暢に出てくるようになり、書くことを止めさせていった。
本のしおりを意味する「栞」という名前は、祖母が彼女につけてくれたものだ。「ここまで読んだ」と読者が覚えておくために、本の途中に挟む小さな紙片。それなのに彼女自身は、リヴェルの物語の途中に栞を挟んだまま、そこに置いたことすら忘れたふりをしているのだった。
「キーンコーン……カーンコーン」と、授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。
栞は目を上げ、教室の壁に掛かった時計を見た。
「もう授業か……?」
彼女はすぐに本を鞄にしまい、次の授業を待った。
放課後になると、栞はまっすぐ家に帰った。どうせどの部活にも入っていないのだ。いや、あるいは「帰宅部」というのも、きっと部活のひとつに数えられるのかもしれない……?
電車で22分、徒歩で7分を経て、彼女はついに自宅へと辿り着いた。玄関に入り、明かりをつけると、そこにはいつも通りの空っぽの家が待っていた。
母は地元の病院で看護師をしており、夜勤がある日は家に帰らない。父は電機メーカーの社員で、ほとんどいつも深夜遅くまで残業してから帰ってくる。今夜もそうだった。だから今日、彼女はまたひとりで夕食をとらなければならない。
「ただいま……」
彼女は言った。これまで何度口にしたか分からない、けれど聞いてくれる相手を得られない言葉だった。
午前一時。栞は寝つけずにベッドの上で寝返りを打ちながら、ぼんやりとスマホの画面に目をやり、ふいに現れた一行の通知に息を止めた。
『「星渡りのリヴェル」第十二話に新しい感想が書き込まれました』
三年もの長い歳月を経て届いた、初めての通知だ! 彼女は心の中でそう思った。そして、緊張に震える指先で画面に触れた。
思いがけないことに、送信者の名前はまさに――「リヴェル」。彼女自身が作り出したキャラクターの名前だった。
『迎えに来てください! あなたの部屋のすぐそこ、本棚の後ろにある扉のところで!』
彼女はしばらく呆然とし、それからすぐに、今考えたばかりの荒唐無稽な可能性を打ち消した。
「……誰かのいたずら、だよね」
彼女はかすかに声を出した。誰にも聞かれていないのに、まるで自分自身への言い訳のように聞こえた。
それでも、栞はゆっくりとベッドから降りた。
部屋の本棚は、壁にぴったりとくっつけて置かれている。小学生の頃に買ってもらった、人の背丈よりも高い白い棚で、かなりの時間が経っているにもかかわらず、毎日拭き掃除をしているため歳月の跡はほとんど見られない。
両手を置いて軽く押してみると、彼女の記憶にあるよりもずっと軽く動いた。
彼女を驚かせたのは、本棚の後ろに本当に扉があったことだ。
これまでずっと、単調な白い壁紙しかなかったはずのその場所に、今や古びた木製の扉がいつの間にかすっぽりと収まって現れていた。真鍮の取っ手は少しだけくすんでいる。
取っ手に触れる前に、栞は短く息を吸い込んだ。
「……リヴェル?」
三年ぶりに、彼女は自分の小説の登場人物の名前を呼んだ。
返事の代わりに、扉が内側から静かに開いた。
そこに立っていたのはリヴェルではなく、背の高い、黒いスーツを着たひとりの男だった。
いや、彼女はそれを「人」と呼んでいいのかどうかすら分からなかった。首から上に、顔がまったくないのだ。その場所に存在する唯一のものは、ブラックホールのような物体? と、その縁にぼんやりと浮かび上がる赤い光の輪だけだった。
彼が身に纏っている三つ揃いのスーツは、驚くほど皺ひとつなく上等だった。ベストもネクタイも一ミリの狂いもなく整えられており、漆黒の身体とは明確に異なるわずかな光沢を帯びた生地が、彼の着ているものが本当に「衣服」であることをはっきりと証明していた。
これはおそらく、人生の終わりまで彼女がけっして忘れることのできない光景だろう。
「いらっしゃいませ」
極限まで落ち着き払った、平坦な男の声だった。感情の機微がまったく読み取れない。まあそれもそうだ、そもそも彼には顔がないのだから。
「いかなるご用件でしょうか?」
栞はハッとして呆然とした状態から我に返った。
「あっ! す、すみません、あ、えっと……私の小説の、主人公が……ここにいると聞いて……」
「少々お待ちください。確認いたします」
彼女が気づかない一瞬のうちに、栞は白と黒のタイル張りの床の部屋にいた。四方は奥の見えない暗い空間となっており、正面の一番奥にだけ、もうひとつの木製の扉があった。
栞が少し下を見ると、目の前には木製の執務机があり、その上にはいつ用意されたのかも分からない、珈琲の香りとともに飲み口から熱い湯気を立てるふたつのカップがすでに置かれていた。さらに、執務机を挟んで向かい合うように二脚の折りたたみ椅子が置かれている。男は珈琲のカップを栞の前へとそっと滑らせ、手を差し出して促した。
「どうぞ。本題に入る前に、まずは少し休む必要がありますから。行き届かないおもてなしで申し訳ありません」
「あっ……はい、大丈夫です! とにかく、ありがとうございます!」
促されるままに彼女は腰を下ろし、カップを持ち上げて一口飲んだ。優しいほろ苦さと温かさが舌先に広がっていく。
彼女がカップを置いたすぐそばには、書きかけの原稿用紙の束が積み重ねられていた。男は何も言わず、静かに栞のカップを紙の束から十センチほど遠ざけた。彼女もなぜなのか理由を聞く勇気はなかった。
男は胸ポケットから小さなカードを取り出し、波ひとつない平坦な口調で読み上げた。
「『星渡りのリヴェル』。著者:神崎栞。状態:更新停止――三年と二百十一日」
彼女の胸がぎゅっと締めつけられた。まるでお白洲の法廷に立たされ、判決を言い渡されたかのようだった。
「……ごめんなさい」
「いいえ。あなたが謝ることは何もありません」
これは本当に彼女を慰めているのだろうか? 相手に顔がないため、栞にはどうやっても推測できなかった。
男は黒く細長い指先を置き、カードの最後の行を指し示した。そこには四つの項目が並べて記されている。
根源、委託、完全、反証。
そのうちの二つの項目には丸印が付けられていたが、「委託」と記された二番目の欄にだけは、小さなバツ印が付けられていた。
「ただ一点だけ、この本を預けた方の名前が、記録の書類にありません」
「預けた……? 私、この本を預けたことなんてありません」
「はい。そのことはよく存じております」
「じゃあ、いったい誰が……」
「不明です」
男は淡々と続けた。
「この場所では、持ち主でなくとも本を預けることはできます。ですが、預けた方の記録がない本は、原則としてここに存在してはなりません」
そっと視線を動かすと、カウンターの脇の壁に古びた木札が掛かっているのが見えた。その最初の行にはこう書かれている。
『一、書いた者が、持ち主である』
その下にもいくつか項目が並んでいるようだったが、彼女がよく見る前に男が声を上げた。
「誰のものでもない本というのは、少しだけ危ないのです」
「危ない……ですか?」
「はい。詳細はあとで説明いたします」
栞は両手で温かいカップを包み込んだ。頭の中には聞きたいことが山ほどあった。けれど、唇から最初に飛び出してきたのは、たったひとつの質問だけだった。
「……リヴェルに、会えますか?」
「はい。彼は第7書架の32番にいらっしゃいます。ご案内いたします」
ぼんやりしているうちに、彼女はうっかりひとつの言葉を口走っていた。
「私……続きを書くとは、約束できません」
言ってしまってから、彼女自身もハッとした。なぜならそれは、彼女が最も言いたかった言葉であり、同時に最も言うのが怖かった言葉でもあったからだ。
しかし男は、一拍のためらいもなく即座に答えた。
「約束していただく必要はありません」
「……えっ?」
「お客様はまだ、何も借りていらっしゃいません。したがって、返さなければならない期限もありません」
相変わらず少しの温かみもない声だった。それなのに栞は、目に見えない重荷が自分の両肩からすっと下ろされたような気がした。
「まずは、会うことです。本日の手続きは、それだけで十分です」
栞はしばらく黙り込み、カップの中で揺れる黒い水面をじっと見つめた。
それから彼女はゆっくりとカップをソーサーに戻し、小さく頷いた。
「……行きます」
司書はカウンターの下から薄い帳面を取り出し、栞の前に開いて置いた。表紙には『来館者名簿』の四文字が記されている。
「こちらにご署名を」
彼女は差し出されたペンを受け取り、白い紙の上に自分の名前を書いた。
神崎栞。
男は静かに帳面を閉じると、受付カウンターの奥深くへと続く扉を大きく開けた。
「ようこそ、図書館へ」
栞がその敷居に片足を踏み出したまさにその瞬間、彼女は周囲の光景に衝撃を受けた。
「ここは……」
彼女の目の前には、果てしなくどこまでも広がる巨大な本棚の列があった。栞の学校の図書室では、本は0から9までの十進分類番号に従って下から上へと並べられ、どの木製の棚も高校生の手がちょうど届く高さだった。だがここでは、棚の列は木の縁が天井のない深淵の空間へと溶け込むまで高く伸びている。
しかし、彼女にめまいを起こさせたのはそれらの高さではなく、それらが隣り合って置かれている「並び方」だった。
ちょうど彼女の胸の高さにある棚には、角の擦り切れた星のシールが貼られた手帳の隣に、風が吹いただけで頁がめくれてしまいそうなほど薄い冊子が置かれており、その薄い本の背表紙には『全可能次元の年代記』というタイトルがあった。
そこからわずか一握りほど離れたところには文字が縦に走る分厚い本があり、その隣には文字が横に走る本、そして背表紙の中心に向かってオアシスの渦のように文字列が渦巻いている本があった。
中には紙の背表紙すらなく、ただ星の光を煌めかせる海水そのものが二枚の木の仕切り板の間に挟まれて立っているだけの本もあった。また、二枚の鏡を向かい合わせに伏せたような本もあり、栞がそれらをまっすぐ見た瞬間、自分の視線が内側の頁の余白へと吸い込まれていくような感覚を覚えた。
「それらを見ないでください。さもないと面倒なことになりますよ」
「は、はい!」
道すがら、栞は入口から第7書架の32番までの道を覚えようと、歩数を数えてみたことがあった。一度目は十四歩かかった。二度目、まさにその同じ廊下で、彼女は五十歩歩ききってもまだ辿り着かなかった。
男がふいに立ち止まり、振り返って彼女に何か間違って持ち込んだものはないかと尋ねて初めて、彼女はいつの間にか手の中に一枚のメモ用紙――持ち込みの許可を得ていない物――を間違って握りしめていたことに気づき、ぎょっとした。
男が歩み寄り、栞の手から静かにその紙を取り上げると、第7書架はすぐ左肩の脇、半歩にも満たない距離にたちまち現れた。
その時、彼女はひとつのことを理解した。この図書館では、本棚と本棚のあいだは歩数や距離では測られない。ここで自分がどのような「権限」を持っているかによって測られるのだ。
無数に連なる本棚の奥深く、どこか遠い場所から、聞き覚えのある少年の声がふいに響いてきた。
「……栞? 本当に、来てくれたのか!」
それは三年前、彼女が最後に書き下ろしたセリフと、まったく同じ声だった。
この行まで頁を預かってくださり、ありがとうございます。
続きをお読みになりたい場合は、どうか栞を一枚、挟んでおいてくださいね!




