生まれて初めて3桁の『評価ポイント』を見てビビり散らかした阿呆アラサーの話とそれにまつわる諸々
204ポイント。先日投稿したエッセイで頂いた合計の評価ポイント。(2026年6月11日現在)
きっと「た、大したことねえ~w」と感じる方も多いとは自覚している。噂によると『売れてる作品』というのは1万ポイントとか超えてるらしいし。1万ポイント!?
しかし今まで書いてきた小説1作品のマックスが60台のポイントであることを踏まえれば、当社比だとかなりのものであることは一目瞭然だろう。
3桁を超える数字なんて私のユーザーホームで見ると思わなかった。なんてかわいそうなユーザーホーム、外れの書き手を引いて残念だったな。
それに偉大なるネトコン様の感想サービス様以外の感想様も初めて書かれていた。しかも4件様も。本当に感想様って書いてもらえることあるんだ……。
いやまあ確かに嬉しい。嬉しいんだが、色々と思うこともあった。
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先日のエッセイでも書いたが恥ずかしながら他の方の作品を読み込む機会は少なく、検索機能も自作品の確認以外ではあまり使用しない。
だからか実際どれくらいのポイントを獲得できればここでいっぱしの作家だと名乗っていいのか分かってない。無知です無知。ムチムチです。
しかし詳しい基準などよく知らないが、とにかく私は『底辺作家』という分類にカテゴライズされると思う。
このネット小説投稿界隈、当然ながら「初めて書いた小説が高い評価をゲットして書籍化できたぜ!」なんてケースもあるだろう。
そしてそれを成し遂げた方は『超』がつくほど才能に恵まれた天才、もしくは正しい努力・対策・広報ができた秀才だ。冗談抜きでめっちゃ凄い。そういう方は自分をたくさん褒めてあげて欲しい。
で、そうなるともちろん私はそんなすんげえレベルの人間ではない。だから先に言ったような『底辺作家』と呼ばれる存在なのだろうなと思う。ぶっちゃけこの言葉あまりよろしくないなあと思っているが。
私とてあまりポイントに振りまわされたくないとは考えているものの、他者から評価される指標を無視するわけにもいかない。そういうことなので先のエッセイのポイントは自分にとって驚くべきものだった。
ところで私は別に評価ポイント制度自体を否定する気などない。
どこの小説投稿サイトにしろ『読み手にとっての一定の判断基準』や『書き手にとっての競争の種』を用意しないときちんと機能しないのは当然だろう。それくらい分かる。アラサーの大人を舐めるなよ!
それに最近はいかなる概念であっても評価される時代、私だって何かを利用する際にレビューや評価を利用する立場だ。なので自分の時だけ他者評価制度の悪口を言うわけにはいかん。言う時あるけど。たまには許して。
しかし月並みだが『他者による評価』がすべてかというとそうでもない。
たとえば自宅の近くにネット上での評判がイマイチな病院があるが、私は特に気にせず行っている。もう何年にもなるけど嫌な思いしたことないので。
SNSで酷評されてる作品が自分にとって好きなものだった経験も多い。まあその時は「はははっ!コイツらこれの良さが分かんねえなんて大したことないな!」と爆笑してる。実はちょっと傷ついてるけど。
ただとにもかくにも評価(評価ポイント)というのはあって困るものではないが、それだけが完全なる指針じゃないというのも事実だろう。
よく言われることだろうが、低評価もしくは評価がないというだけで見てこなかったもの(これは小説に限らない)の中に、誰かの琴線に触れる何かがあるかもしれない。
それにこれは逆もしかりだ。
先日の私のエッセイだって色々と幸運が重なって人目に留まり、評価を頂けたんだと思う。もし運が悪かったら誰からも読まれることもなく、ポイントを頂くこともなく、データの海に埋もれていったんだろうなあ。
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ここで物凄くパーソナルな話をしよう。私の父親は昨年亡くなった。
そしてそんな父はある分野の研究者をしていて、それにまつわる著書をいくつか出版したのだが……笑ってしまうぐらい本たちは売れてない。いや本音を言うと笑えないレベルに。
しかもそのほとんど(というか恐らくすべて)自費出版であって、引くほど大赤字だ。もう真っ赤よ真っ赤。鮮やかなほどの真っ赤。
結果、遺品として自宅に残ったのは山ほどの在庫。しかも揃いも揃って分厚い本ばかり。
困り果てた私たち家族。様々な法要をこなしつつ、とにかく知り合いをはじめとした色んな人に頭を下げまくり、泣きそうな表情を浮かべて情に訴えて配って回った。たまに鬼気迫る表情で無理やり本を押し付けたのは内緒。
息子としてはこの残された本の件から長年の父の生き様に至るまで言いたいことはたくさんあるが、他方でひとつだけ見習うべきところがある。
父は一度も「こんなに売れ残るなら本を出すのやめればよかった」なんて言うことがなかった。
それどころか自分の本に対して『売れる』とか『売れない』とかそういう俗的な次元とは逸脱した、圧倒的な愛情と自信を抱いていたのだ。正直言うと家族からしたら困ることだが、何だか徐々に「こういうことが大事なんだろうな」って私も感じてきた。
だからか(?)前回のエッセイにポイントを頂いて以降、むしろ今まで書いてきた作品の評価&ブックマークと過去のPV数にきちんと目を向けている。
そもそも自分が考えたものを形にすることがまず大事。
そしてたとえ『人気作』と比較して著しく数は少なかろうとも、自身の手で生み出したものを(一瞬でも)読んでくれてた方々には深い感謝をすべきだと改めて強く思ったからだ。
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少し話は逸れるが、底辺作家の身からするとそもそも小説投稿サイトはルールさえ守れば(ここ重要!)基本的には好きに作品を投稿していい場所だと認識している。ただAI云々についてはまた別の議論が起きるので一旦省く。そもそもこれは前回のエッセイで触れてる。あと面倒な話になりそうでコワい。
しかしこういうことを言うと「いや読み手は無料とはいえ貴重な時間を割いてるんだ!質の悪いものを世に出すな!」という意見も絶対出てくる。
そしてこれはその立場からすると決して間違っていない。そりゃそうだ。誰だって時間は有限なのだから。
では常に良質な作品を供給するため、『一定期間内』に『定められたポイント』を『獲得できなかった作品』は自動削除されるようなシステムも一考すべきだろう。こうすれば低品質のものは一掃される。私の作品群も綺麗さっぱりデリートだ。
……でもこれはあまりにも極論だね。実際に導入すると間違いなく色んな不正が出てくる。酷いトラブルも起こりうる。自分で発案しといて普通にどうかなと思う。
そもそも現時点で作品検索機能に総合ポイントの範囲指定カテゴリーが存在しているから、もうこれで充分ではないだろうか?
さて。ここまで色々と偉そうに書いてきたが、このエッセイはどれだけの人に読まれるのだろうか。
前回のエッセイを上回るかもしれないし、過去の小説たちすら下回るほどの激少PVで終わってしまうかもしれない。
ただこれまでの、そしてこれからの作品も含めて全然売れなかった亡き父の本たちよりは読まれ欲しいものではある。
なぜなら赤字まみれの本を現世に残して旅立った父の遺影に、これからもブツブツと愚痴を呟きたいからだ。
こんなこと書いてきましたが、前回更新した尿路結石のエッセイは投稿してすぐにちょっと問題を見つけたので一旦検索除外にしてます。一応修正しますが再投稿は気が向いたらになるかも、というどうでもいいお知らせ。
そもそも尿路結石のエッセイって何?




