誰のものでもない時代
フリードたちは都市を囲む城壁の上に上り、門の外に広がる景色を一望しながら、エルノスは水筒の水を飲んだ。
それを見てフリードも鉄仮面の下から水筒に口をつけ、社交辞令的に水を飲む。
「俺、衛兵隊辞めようと思っています」
エルノスが開口一番に告げると、フリードが水を飲む動作が止まった。
「今すぐじゃないですけど」とエルノスが後から付け加えた。
「金か」
「はい」
「都の平均賃金よりも稼いでるはずだが」
「はい。でももっと稼げる職場に行きたいだけです」
「そうか」
結構大きなことを打ち明けたつもりだったのだが、フリードにとっては意外ではなかったようだった。
ただ、エルノス側も、この人になら見透かされていてもおかしくはないと思っていたので、特に動じたりはしなかった。
「ここで会計や検閲の知識を学んだら、狩猟ギルドの事務の試験を受けるつもりです」
「どれ位を目途に発つつもりだ」
「1,2年を目途に」
「そうか」
「すいません」
「なぜ謝る」
「良くして頂いているので」
フリードの元には過去に多くの部下がいたが、規則に厳しく、門番の勤務中、賄賂の類を受け取ることを一切良しとしなかったため、他の小隊長の元へと離れていった。
金欲に目がくらむものが多い中、唯一配属からずっとフリードの下で勤務を続けたのがエルノスだった。
淡い青灰色の瞳に、整った鼻筋。やや幼さは残るも鋭い輪郭。
短く切りそろえられた金色の髪は夕暮れの光を浴びて淡く輝き、煌びやかな光を放っている。見目麗しい青年である。
性格もフリードほどではないが真面目で実直だ。平服の上からでも筋肉の輪郭が分かる、細身ながらも鍛え抜かれた体は、日々の訓練を欠かさない彼の誠実さが表れたものといってもいいだろう。
金欲に溺れるような性格ではない彼が、何のために金を欲しているのかフリードは知っていた。
「俺が育った孤児院。今経営難なんです」
「施設を養う金が欲しいと」
「はい。できる限り多くの金が」
フリードに回答を先回りされ、エルノスは頷いた。
「15年前に邪神は滅びたけど、邪神がもたらした厄災で親や故郷を失った者たちはまだ沢山います」
100年前、この世界に突如として出現した、【邪神】と呼ばれる存在がいた。
生き物の進化の歴史を無視し、無から生まれた人間を遥かに凌駕した超生物。
突如として急増した疫病や、地形や気候を大きく変動させる天変地異。
これらの厄災が邪神の力によって生み出され、当時人間が生態系の頂点に君臨していた世界は、大きく変貌を遂げることとなった。
ドラゴンやキマイラといった超生物による蹂躙。
世界に行き渡る不治の病。
地を割く地震。 街を鎮める大豪雨。
邪神の出現以後、人間は大きく数を減らし、次第に住処を奪われていった。
だが、人類が大きくその数を減らす中、もたらされたのは被害だけではなかった。
邪神の出現以後に新しく生まれた新生児の一部が、超常的な力を身に宿し、生まれるようになり、人類は超生物にあらがう術を次第に得ていったのだった。
やがて、人類は超人たちを中心に、人間の世界を取り戻すべく団結し、見事世界の厄災の根源ともいえる邪神を撃ち滅ぼすことに成功した。
邪神討伐から15年経ち、ある程度の平穏を取り戻した世界が、今フリードたちが生きている世界である。
「俺は居場所を失った人たちに、俺の力で居場所を作ってあげたいです」
「お前も小遣い稼ぎをすればいいんじゃないか」
「汚れた金で子どもたちは養えないでしょう」
肯定も否定もしない淡々とした様子に、ほっとしたような拍子抜けしたような気持ちになる。
思えばこの男の下で働き始めて半年ほどだが、仕事のこと以外で何か言葉を貰った覚えはない。突き放しているのか、受け止めてくれているのか、当初はこの男の心理が分からなかった。
だが、暫く同じ現場で働くことで、フリードが肯定も否定しない時、たいていの場合は肯定だというのは何となくわかるようになってきた。人の考え方に私情を交えたくないだけなのだと。
上司の横顔を見てから干し肉をかじると、門の前に巨大な紅い竜の死体を乗せた荷台が現れた。
「ははは! すげえなこりゃ! これまたでかいやつを仕留めましたね‼」
ドラゴンの姿を認識した門番たちが、興奮しながら荷台の側へと駆けていく。
「持ち場を離れるな」と小言を吐きながら、フリードは門番たちの視線を躱して、都を出入りする人間がいないか上から伺っている。
「あの赤竜。いくらで売れると思います?」
「上手く解体できれば金貨7000は下らんな。状態が良い」
エルノスはその半分の金額を見積もっていたので、提示された金額にギョッと目を見開いた。金、銀、銅と貨幣の種類はあるが、銅、銀は100枚分が上の貨幣と同価値となる。
銀貨換算で70万枚。エルノスたちが一生かかっても支払えないような金額だ。
「心臓を一突で仕留められたのがでかい。他の臓器は無事な上に、血液が多く採れただろう」
「そうか。血液や臓器は完全万能薬の材料になる」
「鱗や革、骨や肉。あらゆる部位が高価な素材になるが、血液や臓器があそこまで残るのは珍しい。周辺の街に知らせが行けば、商人たちが押し寄せてくる」
「来週は混雑しそうですね」
大きな金が動くがゆえに、都市の中だけでは消化しきれない。
大きな仕入れがあったときには、王都や周辺諸国に大々的に宣伝が行き届く。そうなると目当ての品を求め多くの商人たちが来訪し、門番は一気に忙しくなる。
「転職先はあの狩猟ギルドか」
「はい。一度は落ちました」
衛兵隊の給与は決して悪くはない。にも関わらず、最近衛兵隊が人手不足に悩まされている原因は、邪神によって生み出された超生物——魔物を狩猟し生計を立てる【狩猟ギルド】の登場がある。
突如として世界各地に出現し、人類の住処を荒れに荒らした魔物たち。いきなり現れたそれらの生物は甚大なる被害と共に、莫大な益ももたらした。
魔物の素材はこの世界に存在していたあらゆる素材よりも、はるかに優れた性質を持ち、ものによっては未知の力を宿しているものもあった。
魔物の素材で作られた武器や防具は、他の素材で作られたあらゆる武具を凌駕し、魔物の素材で作られた薬は、それまで治せなかった不治の病を完治させる。
当然、その素材は高値で取引されるため、魔物を倒せる腕っぷしがあるものがまず夢見るのは【狩猟ギルド】への就職となり、大きな金や仕事が集まるギルドには、事務や会計といった分野でさえも優秀な人材が自然と集まっていく。
要は国や都市が内政を行うために欲しがっていた人材が狩猟ギルドに流れて行っているのである。国や都市の公務につくことがギルド登場まではかなりのステータスとなっていたのだが、今やギルドに就職できなかった者たちのセーフティーネット扱いである。
「俺の故郷を滅ぼした魔物たちも、今じゃ宝もの扱いです。それを生み出した邪神を益神と崇める宗教も生まれたと聞きます。平和になったということでしょうか」
エルノスの生まれ故郷は邪神が生み出した魔物によって滅ぼされ、両親をはじめとした親しい人を皆失った。魔物も、それを生み出した邪神も忌むべき対象だった。
だが、邪神が滅びてまだ15年ほどしかたっていないのに、高品質の素材が採れること、そしてそれを狩れる人間たちが台頭したことで、魔物は貴重な資源という見方に変わっていった。
「少なくとも、邪神の時代は終わった」
「でも、魔物を殺せる力は一部の人間しか持ってない」
かつての繁栄を取り戻さんとばかりに、『ハルトヴァルグ』をはじめとした都市を中心に各地は復興を遂げていく。
だが、邪神は滅びても魔物は残っている。一部の人間は魔物を倒せるが、そうでない人間にとっては脅威なのは変わりない。
平和になった。エルノスがそういわれるたびに引っかかるのはそこなのだ。
「人間の時代、と呼ぶには牙城が脆い気がするんです」
人間が繁栄を取り戻せたのは、超常的な力を持つ一部の人間のおかげ。
種ではなく、個人で考えたときに、まだ外にうろついている脅威に対し、自分はあまりに無力である。
邪神の時代を終え、人間は安心して暮らせる場所を取り戻しつつある。だが、その力のない自分からすれば、その土台はあまりに脆い。そんな気持ち悪さをエルノスは抱えていた。
「……世界も時代も、誰のものでもない」
エルノスの独白を聞き終えたフリードが続けた。
「だから俺は門を守っている」
「……?」
その発言の真意をとらえかねていたところで、「休憩時間過ぎたぞー」と下から同僚が叫んだ。
エルノスは「すいません、行きます」と立ち上がり、勤務に戻ろうと踵を返す。
「——おい」
立ち去ろうとするエルノスの背に、フリードが呼びかけた。
「お前の希望しているギルドだが、面接担当の者とあの女が知り合いだったはずだ。真面目に勤務していれば紹介状くらい書いてくれるだろう」
「え——」
「まずは門番として務めを果たせ」
あの女、というのはヴィヴィアナのことである。
「——あ、ありがとうございます‼」
思わぬところからギルドへの伝手と激励の言葉を貰い、エルノスは嬉しさと驚きで声を上ずらせながら、深い礼をした。
背筋を整えながらも、興奮で少し早くなった足取りで戻るエルノスを見送り、フリードも宿舎へと帰っていった。




