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風刃の侍  作者: 綾粕一
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第二話


 小蔵役の小役人藤龍之進は二人扶持の貧乏武士である。子供はできなかったが今の生活にそれほどの不満を持ってはいなかった。美しい妻とつつましく暮らしていくことにむしろ喜びを感じていた。

 最も妻を娶る前はそうではなかった。下級武士の家に生まれ、貧乏でみじめな少年時代を送った龍之進は皆がそうであるように、剣の腕を磨き立身出世を考えていた。そのため武芸には人一倍熱心であった。

 あるとき、ふとしたことで浪人長谷部陣右衛門と知り合い、その剣の腕に惚れこみ、その弟子になることを所望した。もっとも陣右衛門の方は変わった男で、「剣なぞ覚えても無駄だ」と取り合ってもくれなかった。しかし龍之進はあきらめることなく熱心に教えを請い、それに根負けした陣右衛門は身の回りの世話と教えを守ることを条件に承諾した。ただしその教え方も一風変わっていた。

「武士は剣にあらず。剣は武士にあらず」

 禅問答のようなことをいった。陣右衛門は剣客というよりはまるで学者のようにただいろいろのことを語った。龍之進はじっと聞いていたがそのうち「先生、稽古をつけてください」と頼むのだった。

「ふむ、剣の道は人の道。まあ、よい……表にでるか」

 そんなことをいいながら庭にでるのだった。

「さあ、かかって来い」

 陣右衛門は落ちていた木の枝を拾う。

 龍之進は木刀を構え打ち込んでいく。

 しかし龍之進の木刀は師をかすりもしなかった。陣右衛門は龍之進の周りを風のように舞って、時折枝で彼の頭や腕や足をはたくのだった。

 やがて、陣右衛門は「お主はただただ相手を倒そう倒そうと思うばかりじゃ。それでは人の道に外れておろう。剣の道は人の道。稽古は終わりじゃ」というと持っていた小枝を龍之進に渡すと、すたすたと部屋に戻りゴロリと横になってしまうのだった。しばらくすると大きなイビキをかきながら寝てしまうのだった。


 そんな日々を過ごすうちに龍之進の心に変化が起こっていた。

 もともと下級武士の藤家は蔵奉行の下で代々勤めていた。それ以上でもそれ以下でもなかった。所詮、家柄が昇進を決めていた。能力がなくても家老の息子は家老になる。

 いつしか師の教えこそが龍之進の心に深く染みこんでいったとき、師は龍之進に言った。

「稽古は今日で最後としよう」

「え、それは何故でございますか」

「少々、ここに長く留まりすぎた。わしは旅に出ることにした」

 驚く龍之進にさらに言葉を続けた。

「それに教えることはすべて教えた。後はお主自身で考えることじゃ。さあかかって来い」

 陣右衛門は真剣を抜いた。

 龍之進も真剣を構える。

 二人は静かに相対した。静かな立会だった。風が舞うごとく剣は空を切る音だけで剣と剣の交じえる金属音はなかった。

 一剣も交えることなく稽古を終えると師は風のように去っていった。

 龍之進はじっとその姿を目に焼き付けるように見送った。



 藤龍之進は今日も城に出仕し黙々と仕事をこなしていた。

「龍之進、龍之進はおるか」

 上役がいささか慌ててやってきた。

「は、これに」

 米蔵の奥で餅米の俵の数を記帳していた龍之進は声をあげた。

「おお、そこにいたのか。龍之進、お主、何かしでかしたのか?」

「いえ、何もしておりませぬが……?」

「ほんとか? 御家老様がお呼びだぞ。何か粗相でもしなければ、お主ごときものに声がかかるわけがあるまいに……」

「ですが、拙者はなにも……」

「まあ、よい。ついてまいれ」

 上役のあとについていく龍之進に同僚たちは好奇の目を向けた。


「御免、小蔵役藤龍之進を連れてまいりました」

 上役の声は少々うわずっていた。

「うむ、入れ」

「その方が藤龍之進か」

 気難しい顔で家老間宮大膳がじろりと龍之進をにらんだ。脂ぎって太った体を大儀そうに脇息で支えていた。

「はっ。藤龍之進でございます」

「うむ。龍之進、そちは明後日の御前試合にでるのじゃ。よいな」

「は、その儀でしたら、わたくしのようなものが出るのは恐れ多いことで……お断りいたしたく存じます」

「そのようなことは言われんでもわかっておる。小蔵役のような小役人が御前試合に出るなどとは前代未聞じゃ。もってのほかであるが、殿の御所望じゃ。よいな、これは藩命である。辞退はまかりならん」

 家老は苦虫を噛みつぶしたような顔でまくしたてた。

「ははっ」

 龍之進は頭を下げるしかなかった。


 御前試合は早朝から太鼓の合図で粛々と始まった。藩主を中心に藩の重役たちが左右に居流れるなか、腕に覚えのある名だたる藩士らは次々と名乗りをあげて剣技を競った。

 本命である瓜生剛左は順調に勝ち上がっていった。

 それは当然のごとく受け留められたが、見物人の間では波乱含みの試合にみな成り行きを注目していた。あるものは好奇の眼差しを、あるものは侮蔑の目を、またあるものは期待のまなざしを向けていた。今日の試合の主役は藤龍之進に集まっていた。

 藤龍之進の名が呼ばれたとき場内はざわついた。彼の顔を知るものはほとんどいなかった。ただ藩主の推挙を受けていたことは知らないものはいなかった。小蔵役の下級藩士が出ることなどかつてないことだった。その上、藩主の推挙を受けていたこともあっていやが上にも龍之進は衆目の注目を集めた。

 ほとんどがやっかみと好奇の目で龍之進を見つめた。

 しかし、風が舞うような鮮やかな剣捌きに次々と名のある藩士がいとも簡単に敗れていくにつれ羨望と拍手でいやが上にも盛り上がっていった。

 藩主も上機嫌であった。自分の目に狂いがなかったことに満足の笑みがこぼれるのだった。

 まさに衆目の関心は毎年の覇者瓜生剛左か無名の藤龍之進か、どちらが勝つのかに集まっていた。

 いよいよそのときがやってきた。

 藩主に向かい藤龍之進と瓜生剛左は深深と礼をし、互いに向かい合った。

 瓜生は警護役で藩一の剣の使い手である。毎年、御前試合では腕に覚えのある藩士らをことごとく退けてきた。本年もまた龍之進の友山井善九郎を一撃のもとに破っていた。

 一方、藤龍之進もまた妻の峰に仕立ててもらった一張羅の羽織と袴を着こなして同僚を簡単に退けてきた。

 瓜生の剣が剛とすれば龍之進のそれは柔であった。

 瓜生はじりじりと間合いを詰めてきた。龍之進は木刀を正眼に構えたまま身じろぎもせずじっと瓜生の目を見つめるだけだった。

 一陣の風が走りぬける。木の葉が舞い上がる。

 その刹那、瓜生剛左の鋭い気合とともに上段から龍之進の頭をめがけて打ち込んできた。龍之進は風が舞うがごとくにふわりと沈んだ。かと思うと瓜生剛左の背後に回っていた。

「それまで!」

 軍配は龍之進に上がった。龍之進の木刀が瓜生の胴を撫でていたのだ。真剣ならば胴はザッくりと斬られていたであろう。

「くっ!」

 瓜生は片膝をついて悔しそうな顔をした。

「藤龍之進、見事であった!」

 藩主の声に龍之進は地面に正座し頭を下げた。

「お待ちくだされ。今一度、真剣にて試合を!」

 瓜生は叫んだ。

「見苦しいぞ。剛左。勝負はあった」

 藩主は一喝した。


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