第4章:再会と変化
第4章:再会と変化
それから、誠はしばらく図書館に足を運ばなかった。
意地でもなく、怒りでもなかった。ただ、彼自身が自分の言葉と感情に向き合う時間を必要としていた。
帰宅しても、部屋は無音だった。誰かといることに慣れていなかったはずの空間が、妙に広く感じる。
ソファの上で、彼は結から渡されたあの本——『声の小さな人』を読み返していた。
ページをめくるごとに、言葉にならない想いが胸の奥に沈んでいった。
「わかってほしい」と願いながら、それを恐れて何も言わなかった登場人物に、自分が重なって見えた。
——自分は今まで、本音を誰かに言ったことがあっただろうか。
「いい人ですね」
「優しいですね」
そう言われるたびに、自分が褒められているようでいて、どこか置き去りにされた気分だった。
“誰かの期待”に応えることはできても、自分の心を差し出すことは怖くてできなかった。
数日後、誠は意を決して、図書館へ向かった。
目的はひとつ——今度こそ、自分の言葉で、彼女に向き合うこと。
夕方の図書館。静けさと紙の匂いが心を落ち着ける。
受付にはやはり、結の姿があった。彼女は彼に気づき、一瞬動きを止めたが、やがて小さく頭を下げた。
「……久しぶりですね」
「うん。……話、してもいい?」
「はい」
二人は、いつもの閲覧席に並んで座った。窓の外には夕日が沈みかけていた。
「……この前、言いすぎてしまったこと、謝りたい。あれは——」
「大丈夫です。私も……逃げたから」
結の言葉が先に重なった。だが誠は、それでも言葉を止めず、続けた。
「いや。ちゃんと、言いたい。……僕、ずっと“わかってほしい”って思ってたんです。でも、それを素直に言うのが怖かった。怒ったのも、寂しかったのも、本当は“ただそばにいてほしい”って思ってたからだって、あとで気づいた」
結は黙って聞いていた。彼の声はまっすぐで、震えもなかった。
「今まで、“いい人”でいようとしすぎて、自分の気持ちを後回しにしてきた。でも、それじゃ、誰とも本当には繋がれないんですよね。……あなたとちゃんと向き合いたいって思ったのも、たぶん、初めてだったから」
その静かな言葉に、結の瞳が揺れた。
「……ありがとう」
彼女の声はかすれていたが、確かだった。
「私も、あの後ずっと考えてたんです。誰かと向き合うって、やっぱり怖い。拒まれたり、期待に応えられなかったり、そういうことを考えて、何度もやめようとした」
彼女は、そっと指先を重ねた。
「でも……自分の気持ちを無視してばかりいるのも、苦しい。だから、今は少しずつでも、“自分を大切にしたい”って、思い始めたんです」
「……うん」
「相原さんが、自分の言葉で話してくれたこと。ちゃんと、届きました。だから、もう一度……話せて、よかったです」
夕暮れの光が、彼女の横顔を柔らかく照らしていた。
沈黙が訪れたが、そこにはもう以前のようなぎこちなさはなかった。
その沈黙は、言葉にしきれない気持ちを、ふたりでそっと温めているようだった。
誠は、ゆっくりと微笑んだ。
「……じゃあ、今度は“あなたの好きな本”、また教えてくれますか?」
「はい、喜んで」
二人の間に、微かな風が通った気がした。
言葉にできなかった想いが、少しずつ形を持ち始めていた。
それは、始まりのような、でも確かに“変化”の訪れだった。