第6章
タケシは一歩後退し、居心地悪そうにした。
「カイト様、そんな目で見ないでください…」
カイトがますます険しい表情を浮かべるにつれ、タケシは身を縮めていった。その笑顔は、いつしか苦い表情へと変わっていく。
「す、すみません、木村様が僕が戦えないと知って…でも、本当にお願いなんてしていません!」
「だが、断りもしなかっただろう!」
苛立ったカイトは冷たく背を向け、中庭にタケシを置き去りにした。
――タケシ! 俺の名前はタケシだ。もしかして、知っておいてほしいと思って…。
王子は足を止めた。振り返り、悲しげな表情を見た瞬間、少しずつその険しい表情が和らいでいった。
――タケシ…。
責められていたタケシは、恐る恐る数歩前へと進み出た。
「俺は君の教えにふさわしい者になるよ。」
タケシは慎重にカイトの表情を読み取りながら、控えめにそう付け加えた。
「今まで見たことがないほど真剣に取り組むし、木村様から与えられたこの特権に恥じないようにする。お願いだ、カイト様、俺にチャンスをくれないか…」
その真摯な眼差しと捨てられた子犬のような表情が、ついにカイトからため息を引き出した。
「まただ。」カイトは踵を返してつぶやいた。
「違う、違う!ごめん! もし嫌なら、もうしないから!」
タケシは慌ててカイトを追いかけた。
「無理だろうな。」
「できる!」
「いや、無理だ。」
「でも、できるって!」
「その『でも、できる』がもう子供っぽいんだよ。」カイトは嘲笑するように言った。
「俺、真面目な生徒になるって約束したけど、子供じゃなくなるとは言ってないよ。」
タケシはいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「お前ってやつは…」
またもやカイトの口からため息が漏れた。
「…手のつけようがないな。」
そう不機嫌に言い捨て、彼は再び屋敷の方へと歩き出した。
この奇妙な男は、疲れさせられたとはいえ、カイトを「打ち負かした」のだった。
タケシは嬉々としてカイトの後を追った。
「君は俺のことが好きじゃない、いや、むしろ嫌っているかもしれない。でも、絶対に俺たちは友達になるって決めたんだ。」
「別に… ああ、疲れるんだよ、お前は。」
カイトは顔を手で覆いながらうめいた。
「ほらね、俺のことが嫌いなんだ。」
「で、それが楽しいのか?」
「いずれ絶対に変わるってわかってるからさ!」
タケシは満面の笑みを浮かべ、喜びに輝いていた。
その無邪気な笑顔に驚いたカイトは、タケシをじっと見つめた。
何もかもを失った者にしては、なんて溢れる活力と無邪気さだろうか。
その陽気な表情は天使のようで、理解しがたいながらも、カイトはこの少年に妙な魅力を感じずにはいられなかった。
「少しでも油断したら…」
「油断は一切いたしません、先生!」
タケシはまるで軍人のようにピシッと敬礼する勢いで答えた。
仮の療養用のベッドの上には、屋敷の使用人が用意した二着の衣装が置かれていた。一方は淡い色合いで、もう一方はやや色鮮やかだった。
カイトは淡い方を広げた。それは、半袖の広袖を持つキモノ風の上着と、ミドルカットの軽い黒革の足袋ブーツに合わせるため、ふくらはぎまで絞られた流れるようなダークグレーのズボンだった。
「授業中は、弟子と同じ服装を着用することになる。」
タケシはそのくすんだ色合いを眺めた。それは、街中で誇らしげに着られていた多彩な色とは大きく異なっていた。
「なぜ灰色なんですか?キムラ家の色は黄金だと思っていましたが…」
「黄金は、我々の女神である天照大神の太陽の色だ。知恵や、護りと癒しの霊的な技の象徴でもある。一方で、灰色は、光を受ける前の無知の闇を表す。だからこそ、弟子たちは試練に耐え、神を代表するに相応しいと認められるまでこの服を着るのだ。また、純血の者、つまり我々の直系の家族、師範、そして力を持つ戦士だけが黄金を纏うことを許される。加えて、能力を持たない者たちとは、衣装の全てが異なるのだ。」
「なるほど。じゃあ俺は灰色でいいや。」
タケシは少々軽い調子でそう言った。その無邪気さに、カイトは眉をひそめた。
「軽々しく考えているのではないだろうな?」
タケシの瞳から、瞬く間に陽気さが消えた。彼を不当に裁かれたように感じたからだ。
「キムラ殿下、俺には一族も、家族も、何もありません。名前以外は空っぽの存在なんです。本気で俺がこれを軽く見ていると思うんですか?あなたとあなたの教えだけが、今の俺に残された全てです。それでは… 不十分ですか?」
彼の言葉には深い悲しみがこもっており、カイトの心に鋭く刺さった。彼は、自分でも気づかぬうちに、喜びの裏に隠されたタケシの緑の瞳の憂いに引き込まれていた。その目は何も語らずとも、深い苦悩を宿していた。カイトは視線を逸らした。賢い者なら、この少年を早計に判断することなく、その勇気を見抜いていただろう。同じ境遇に立たされれば、年長者でさえ挫けていたに違いない。
タケシは、カイトの嵐のような眼差しに、これまでとは異なる柔らかさを見つけた。それは、無意識に差し向けられた許しの光―彼の隠された絶望に静かに応えるものだった。不和は、静かに消えていった。
再び元気を取り戻したタケシは、黒い放浪者の服を脱ぎ、用意された新しい服に着替え始めた。裸の背中が露わになったとき、カイトは思わず目を奪われた。そこに刻まれた傷跡を見て、思わず息を飲んだ。だが、服がその傷を隠すと、彼の瞳は大きく見開かれた。
「先生、弟子をそんなにじっと見つめて、恥ずかしくはありませんか?」
タケシが振り返ると、頬を染めて微笑んだ。
カイトも思わず顔が赤くなった。それは、タケシにとっては何とも楽しい反応だった。
「ばっ、馬鹿なことを言うな! 見てなどいない!」カイトは声を荒げ、くるりと背を向けた。「…とにかく、もう遅い。明日の朝七時、弟子たちの庭に遅れるなよ。最初の授業だ。」
「カイト様!」
襖の前で、彼は足を止め、振り返った。タケシの顔には、優しい微笑みが浮かんでいた。
「カイト様、ありがとう。」タケシの声は、感情に揺れていた。「本当に、色々とありがとうございます。」
一瞬言葉を失ったカイトは、この心乱されるやり取りを断ち切るように、何も言わずに襖を引き、静かにその場を立ち去った。
***
月明かりの下、家族の庭を行ったり来たりしているカイト王子の頭から、あの傷跡のことが離れなかった。あの痕跡は、決して偶然のものとは思えなかった。しかし、タケシを迎え入れることに反対していた父親にこのことを伝えれば、状況がさらに悪化するのは間違いなかった。
「カイト、どうしたの?」
母ユナの声に、カイトは振り返った。
「ああ、母上。」カイトはほっとした表情で言った。「タケシのことを話したいんです。彼の肩甲骨の間に赤い印を見たような気がします。特定の一部のクランでしか見られないもので、何を言いたいかお分かりですよね…」
ユナの顔が一瞬強張った。追放の印。ツバサが自らの息子を追放したというのか。胃に重く苦しいものが湧き上がる。だが、長男の前で感情を表に出すわけにはいかなかった。
「確信があるわけではないのよね?」ユナは平静を装いながら尋ねた。「もしかしたら、ただの古い傷跡かもしれない。火傷の痕かもしれない。それに、仮に彼がそういったクランの出身だったとしても、それが彼を断罪する理由になるの?」
「母上、あの者たちは私たちとは違います…」
「カイト君、我が街や地方の住民全員があなたの友人だと思う?」
「いいえ、それは不可能です。」
「そうでしょう。同じように、私たちと違う名前を持つすべての者を敵と見なすことも不可能なの。しかも、キムラ家が完璧だとでも思う? あなたの父はそう信じたがっているようだけど…」
ユナの穏やかながらも厳しい言葉が、カイトの心の奥に少しずつ届いていった。
カイトは目を伏せ、思案にふけった。この世のすべての人間をその出自で断罪したり、他のクランよりも自分たちが上だと思い込むことは、大いなる傲慢であることに間違いなかった。それに、彼自身、民の過ちを認めているし、愚かな風習には辟易していた。
深くため息をつく。
「私はただ、母上…我が領地の人々を守りたいのです。彼らは我々に依存していますから。」
「それで、あなたは自分たちだけを守り、無実の者たちを犠牲にするような統治者になりたいの?」
「いえ、もちろんそんなことはありません…」
「それなら、よく覚えておきなさい、カイト。偏見や不寛容は、多くの悲劇を生むのよ。」
ユナの鋭い視線を避けるように、カイトは目を逸らした。
「キムラの名があったところで、世界に対して何の優位性も与えはしないわ。私たちは皆、人間よ。どんなに愚かで狭量な者が何を言おうとも…」
カイトはひそかに笑みを浮かべた。
「母上が誰のことを言っているか、察しがつきますよ。」そう言って、父親の姿が思い浮かぶのは、あまりにも明白だった。
ユナは微笑を浮かべながらカイトの腕に軽く絡め、そのまま領地を見渡せる公園の一角へと彼を誘った。柔らかな草の上に腰を下ろすと、高台からの景色は絶景そのものだった。静寂の中に広がる街並みは、遥か先のナミダ湖とその川に続き、さらにその向こうの森へと消えていく。漆黒の湖面は、満天の星空をそのまま映し出し、まるで完璧な点描画のように輝いていた。
「カイト、あなたに話しておきたいことがあるの。私が他のクランの出身だということは知っているわね?」
「ええ、知っています。でも父上はいつも、母上の出自について語るのを拒んでいました。」
ユナは重い心を抱えたまま空を仰いだ。無数の星々が、彼女の銀色の瞳に反射し、まるで千のダイヤモンドのように煌めいた。
「カイト、あなたの父がその話を避けるのは、私がかつて敵対するクランの出身だからよ。」
カイトは目を見開き、驚きの表情を隠せなかった。
「母上… 本当ですか?」
「そんなに驚くことかしら?」
「いや… その… 驚いてはいないのですが…」
「もし驚いていないのなら、『でも』なんて言葉は出てこないはずよ。」 ユナは悲しげにそう呟いた。
それが痛ましい真実だった。息子は父親の足跡を追っていた。幼い頃から毒のような言葉を浴び続けてきた結果、彼の心はすでに不健康な状態に陥っていた。
「ごめんなさい、母上。あなたを傷つけるつもりはなかったんです…」
ユナは息子をじっと見つめた。この道を歩むべきではなかった。
「あなたのせいじゃないわ。あの人のせいよ。」彼女は苦い口調で答えた。「私のせいでもあるわね。もっと警戒すべきだった。」
「母上、あなたは私が知っている中で一番賢く、謙虚な人です。父上に何と言われようと。」
ユナの唇に柔らかな笑みが咲いた。彼女は優しく息子の頬に触れた。
「私はあなたが満足するまで自分を見つめ直します。私は一番になりたいわけではない。ただ、日々少しでも明るくなりたいだけです。」
「それはとても賢い言葉ね、カイト。」彼女は息子の手を取り、安堵の表情を浮かべながら言った。「あなたは私たちの先輩たちがあなたと同じ年齢だったころより、ずっと謙虚よ。」
「それでも、私は母上を傷つけてしまいました。」
「もし償いたいと思うなら、ゲストを平等に扱うことを忘れないで。どこから来た人であろうと。」
彼は彼女の手をしっかりと握った。
「約束します。」
「カイト、覚えておいて。私たちの間に立てる壁は、私たちを隔てるものではない。憎しみから生まれる行動こそが、私たちを引き離すのよ。」
彼女はすでに高く上った月を見上げた。
「私たちの先祖は命をもって罪を償ったけれど、私たちはその足跡を追っているのね。」彼女は自分に言い聞かせるように呟いた。
「人は天からの贈り物に値しないと示され、神々はその罰を下し、世界を終末によって浄化した。信じる者を滅ぼし、いくつかの力強い者たちに、新たな光が与えられた。」カイトはその言葉を繰り返した。
ユナは歯を食いしばったように苦い笑みを浮かべた。
「今でも、彼らはその思想家たちの伝説を広め続けているのね。」
人間の不完全さを隠し、力を讃える言葉は、しばしば現実を歪め、甘い嘘にすり替えられる。それをユナは深く理解していた。この絶え間ない力への渇望こそが、遠い未来にすべてを滅ぼすことになるのだろう。果たして、それが本当の神の意志だったのだろうか。
「本当に、二千年前に日本が神々の怒りを受けたと信じているのですか?あの大災害が、ただ国を壊滅させただけではなかったか?」
「私が確信しているのは、強者たちが自分たちの支配を確立するために、物語を作り上げたということだけです。」
過去から深い苦悩が湧き上がり、ユナの唇が震えた。
「私がよく知っている二人の男が、その傲慢な男たちの中にいたのよ。」
「よく知っている…ですか?」
カイトは困惑しながら彼女を見つめた。
「父上のことを話しているのですか?」
ユナの沈黙が、彼の質問に対する唯一の答えだった。それは意味深い沈黙だった。
「この二人の男たちは野心に取り憑かれ、もし源の天皇が最も卑劣な力を持っていなければ、躊躇なくその玉座に座っていたでしょう。栄光がなかった代わりに、彼らの同盟は私たちに死をもたらしました。」
叫び声の響き、炎;苦しみが再び浮かび上がった。彼女の心は締め付けられた。
「何があったのですか?」
「多くのことよ。」彼女は呟いた。「多くの秘密が鍵のかかった箱の中に隠され、そして何よりも、多くの悲劇があった。」
自分の家族や師匠たちが大切に守ってきた数多くの謎に慣れているカイトは、質問することすら思いつかなかった。彼は頭を垂れ、数本の草を弄んだ。
「ユウ師はケン・ムサシが大戦の責任を負っていると言っています。」
「他人に責任を押し付けるのは、いつでも簡単なことよ。」彼女は冷静さを保ちながらも、苛立ちを感じさせた。「私たちは皆、大きな決断を前にした時、選択の余地がある。ケン・ムサシは他の問題の一つに過ぎなかった。その問題を解決するために、この二人は判断を誤り、その結果、同盟は崩れた。それ以降、この島の三つの一族は互いに離れ、再び一つになれなかった。それ以来、私は兄とは一度も会っていない…」
彼女は悲しげに彼を見つめた。
「私は毎日、あなたがより良い未来に貢献することを選ぶよう、天照大神に祈っています…」
「必ず成し遂げます、約束します。」カイトは彼女の手を取り、力強く誓った。
ユウナは優しく微笑むと、立ち上がった。
「母上、父と関わりのあったもう一人の男とは、誰だったのですか?」
ユウナは息子に背を向けたまま立ち止まった。長い髪が冷たい風に揺らぎ、顔の一部が露わになり、不思議な笑みがその唇に浮かんだのが見えた。
「その日が来れば、お前は自ら知ることになるだろう…」