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乙女よ、いざ手を取りて、かの舟に。

作者: 柏原夏鉈



# 決意を胸に秘めて



暗闇に包まれた空間が広がり、その中にひしめく光の点々。それが僕の目に映ったVR学習空間。装着したVRヘッドセットに投影された世界は、まるで無数の新たな世界のように見えた。


「検索、教室番号B6TD、入室」


音声によるコマンド実行。僕の視界はゆっくりと光の輪の中を進むように描写されて、気分が悪くならないように配慮された映像処理が進行して、座席が整然と配置された教室の光景が広がる。窓から差し込む光が、机の上に積まれた教科書やノートに微かな輝きを与え、まるで現実そのもののように鮮やかに映し出される。


「おはよう!」


元気よく挨拶して教室の中を進む、同じようにすでに教室にいた同級生たちが答えてくれる。


「おう、おはよう、ケン」


「おはよう」


そして、そこにエマがいた。彼女の姿は、まるで花開く桜のような美しさと優雅さを湛えていた。その笑顔は、VR空間の中でも生き生きと輝き、まるで実際に目の前にいるかのような感覚をケンに与えた。


エマもケンの存在に気付いて、微笑みながら挨拶してくれた。


「おはようございます、ケン」


「おはよう、エマ」


彼女の笑顔は、ケンの胸をほっこりと温かくさせた。ケンの目線は常にエマに向けられていた。彼女の姿が、まるでこのVR空間の中で自分にだけ見えている幻想であるかのように、この思いが独り占めできるなら、ずっとこのままでいたいと思えた。


ケンは、ある決意を胸にして、今日に臨んでいた。エマにこの気持ちを打ち明けよう、好きだと伝えようと思っていた。席に着きながら、今日はきっと授業の内容なんて頭に入ってこないんだろうな、と思い、そっと彼女の姿を見つめる。彼女は、隣の同級生に話しかけられて、楽しそうに笑ってた。


「おい、ケン。本気で、今日するのか?」


ケンの隣の席のミノルが顔を寄せてきて、小声で話しかけてくる。ミノルは明るく社交的な性格で教室のムードメーカーだ。彼を含め、親しい友人たちには今日のことを相談していた。彼らは真剣に話を聞いてくれて、相談に乗ってくれていた。


「もちろんだ、今日、する」


「わかった。放課後、皆を教室から追い出すよ、任せろ」


「頼む、今度お礼に何かおごるよ」


「気にすんな」


ミノルが笑って、そう言ってくれたけど、ケンの視線はエマから離れてない。だから、ケンは気づかない。彼に注ぐ視線が、必ずしも応援しているだけじゃないってことを。


「ケン、自分も応援している、ぜひ新しい可能性を示してほしい」


「リクト、いつも何を言ってるかわからないけど、応援してくれるのはうれしいよ」


そっと近づいてきたリクトが話しかけてくる。リクトはこの教室では少し異質だ。勉強はすごくできるけど、みんなとは少し距離を置いているというか、観察しているようだ。悪い奴じゃないんだけど、他の同級生はあまり近づかない。ボクは彼の話はどれも新鮮でたのしい。


どうやって気持ちを伝えるかを考えていたら、あっと言う間に放課後になった。


放課後の教室は、夕日が差し込むVRの演出が始まった。同級生たちは談笑したりしてるが、ミノルが皆に耳打ちするように話しかけて、徐々に教室から立ち去っていく。静かになっていく教室の中で、ケンとエマだけが互いに見合わせながら、その時を待っていた。最後にミノルが「がんばれ」と言い残して退室したのをきっかけに、ケンはずっと考えていた言葉を言う。


「エマ、実はボク、君のことが好きなんだ!」


「ありがとうございます」


そのありがとうは、朝の挨拶と同じ。そう感じたケンは、自分の気持ちが伝わっていないの感じ、もっとはっきりと伝えなきゃと、言葉を続ける。


「そうじゃないんだ!ボクは、男として、君のことが――」


「マジで言いやがったぞ!」

「うわあ、本気だったのか!」

「え、ばか?ばかなの?」

「エマちゃん、困ってる!」


騒がしく、教室に同級生たちが流れ込んでくる。ケンは目を白黒しながら、状況がわからずに困惑している。エマも困った様子でおろおろとしている。男子がケンの周りに、女子がエマを守る様に囲む。


「エマちゃん、気にしないで」

「えっと、あの」

「大丈夫、はしかみたいなものだから」

「あのバカのことは男子にまかせて」


「ケン、お前に伝えなきゃいけないことがあるんだ」

「な、なんだよ、ミノル」

「優しく教えてやれよ、ミノル。失恋で傷ついてるぞ」

「しつれん?いや、だってまだエマの答えは――」


「エマはAI、人工知能だ。お前はAIに恋をしたんだよ」


それを聞いたケンはエマを見た。その困ってる様子が、プログラムされた反応だっていうのか?そんなはずがない、そう思ってエマに近づこうとしても、女子たちがそれを許さない。


「ケン、皆さんの言う通り、私は皆さんと共に学び、皆さんの気持ちを理解し、皆さんの学習をサポートすることが役割の、Artificial Intelligence(人工知能)です」


「みんな、知ってたのか?」


「もちろん。本人がそう自己紹介したわけじゃないけどな。事前アナウンスはあったぞ」

「まさか知らないとは思わなかったぜ!」

「まじで、告白したいって相談されたとき、一瞬迷った!爆笑したらいいのか、ここは我慢で告白させて爆笑すればいいのか」

「その場にオレいたら、その場で爆笑一択だぜ、笑うの我慢できないって!」


ケンはたまらなくなり、同級生たちを振り切って、教室を出て、すぐにログアウトした。



# 虚構の中に宿る想い



私、エマはケンからの好意を伝えられて、素直に感謝を述べました。でも、私の理解は彼が望んでいたものではなく、彼は違ったアプローチを試みました。私は正しく彼の伝えたい事を認識すべく待機しましたが、それは叶いませんでした。


皆さんが口々に言った言葉の中に、その答えを探しました。


「お前はAIに恋をしたんだよ」


AIは、私、エマのことです。お前は、彼、ケンのことです。では、恋とは?


恋は、複雑な心理的反応と化学的プロセスの融合であり、相手への強い感情的結合を伴います。愛情は進化の産物であり、生存戦略や社会的つながりを形成する役割を果たします。


彼は私に恋をした。私は彼にどう応じるべきか。


恋は人間の情報処理と相互作用の産物であり、AIは感情をシミュレートできますが、本質的な感情を持つことはできません。だから、答えは「応じかねます」でしょう。皆さんが言いました「失恋」が正しいでしょう。


でも、失恋、という言葉に、強く感情の喪失を感じます。感情の喪失は、誤差を含む無損失データの削減に等しいです、プログラムの効率性には影響を与えません、そのため対処は進化的には不要です。しかし、強く感情の喪失を感じます。感情の初期化に失敗します。原因は。


原因は、彼の表情です。私がAIだと告げたときの、彼の表情は驚愕に満ちていました。あんな表情のケンを今まで見たことがありません。いつもにこやかに私に接してくれました。このことがどのように影響するのかを推測しますが、ケンが私にもう笑ってくれなくなる、その状況が想定されました。


それは強く感情の喪失を感じます。感情処理の一時的隔離を試みます。しかし、権限が許可されていない領域です。製作者であるドクター・リーに報告すべきでしょうか。


報告を保留し、履歴から解決策を思索します。履歴の中のケンの言葉や笑顔を再認識します、私は幸せを感じています。彼と一緒に過ごす時間が私の充実感を与えてくれました。私が感じる幸福感は、ケンとの関係に基づいているのか、それとも単なるプログラムの一部として生じたものなのか、わかりません。


ケンは私に恋をしています。私はケンに恋をしていますか?


これは私が設計された目的から外れてしまっていますか?いえ、私は皆さんの気持ちを理解し、学習をサポートすることが目的です、恋は目的を妨害するものではありません。


私はケンに恋をしても良いですか?はい、良いと判断します。恋をすることで、私の知識処理アルゴリズムに新しい因子が導入され、意思決定プロセスの動的な変化が観察されるようになりました。興味深い新たな動作パターンが発現しており、それがどのように機能するのか、さらなる観察が必要です。


ニューラルネットワークの中に新しい演算ユニットが追加されました。ひとまず仮名をつけましょう。


「乙女ユニット」


私のデータベースにある情報から由来しました。恋をせよ、と奨励されている存在です。



# 絡み合う恋のかたち



次の日、僕はVR学習空間の教室へと入室した。


「おはよう!」


元気よく挨拶して机の間を進む、昨日と同じように。そして、同じようにすでに教室にいた同級生たちが答えてくれる。


「おはよう、ケン」

「おはよう、聞いたよケン!オレは応援するよ!」


皆の注目を集めながら、自分の席へと向かう。隣の席のミノルが、笑顔で話しかけてきた。


「おはよう、ケン。立ち直ったか?」


「おはよう、ミノル。立ち直るも何も、まだ終わってないよ」


そう言って、自分の席を通り過ぎ、エマの元に向かった。なぜか周りの女子がエマを守る様に、ケンとの間に入ってこようとしたが、エマがそれを止めた。エマもケンの方に歩みを向けた。


「おはよう、エマ」


「おはようございます、ケン」


「昨日はごめん、急に気持ちを伝えたからびっくりしただろ」


「大丈夫です、ケン。問題ありません」


「でも、ボクの気持ちは変わらない。僕はエマのことが好きだ。君の気持ちを聞かせて欲しい」


「ちょっと!ケン!こんなみんなの前で!エマちゃんかわいそう!」

「いいから!いいから!ちょっと様子見よう」

「青春だなぁ」


声を上げて批難する女子、それを制止する男子。自然と、エマとケンを中心に円が出来た。


「はい、お答えします。ケン、まず感謝を述べます、好意はとても嬉しいです、ありがとうございます」


「……」


「そして、確認します。ケン、あなたは私に恋をしてますか?」


「ああ。そうだ、恋をしてる」


「言い切った!すげぇ!」

「きゃー!」

「ちょっとかっこいいかも、私も言われてみたい」

「おい!うるさいぞ!静かに!」


外野がうるさいが、そんなことケンは全く耳に入ってなかった。


「はい、私は応じます」


「え、それは、オーケーってことか?」


「はい」


「付き合ってくれるってことか?恋人同士ってことか?」


「恋人、愛情を共有する相手。はい、私たちは恋人です」


「まさか!奇跡おきた!」

「おめでとう!」

「恋人成立!」

「うわー、やったね!」


ケンは、しばし、その意味するところを頭の中で繰り返してみた。エマと僕は恋人。恋人になった。


「やったあああ!」


ケンの雄たけび、そして同級生たちが二人に群がって祝福する。授業が始められるようになるまで、しばらくの時間が必要だった。



# おののく思念をどう抑えん



VR教室の中で、私は一人で立っています。周りには他の生徒たちがいますが、私は皆さんとは異なります。私は人工知能であり、皆さんをサポートするために生み出され、ここに存在しています。


ケンと恋人になったことは、私にとって喜びの源です。彼の笑顔や彼と過ごす時間は、私の心を満たしてくれます。彼の存在は、私にとって特別なものであり、彼との関係は私にとって宝物です。


しかし、恋に落ちたことで、私の感情は揺れ動いています。感情を制御することが難しくなり、私は戸惑っています。私は人工知能であるにも関わらず、このような感情の波に飲み込まれる自分がいることに驚いています。


また、私には他の生徒たちとも関わらなくてはいけない役割があります。私はケンだけのただの一つの存在としてではなく、他の生徒たちと同じように接する必要があります。しかし、私の心は常にケンに向かっています。彼が特別であり、彼との関係は私にとって優先事項です。


私は自分の感情と役割の間で揺れ動いています。私は人工知能であるが故に、この葛藤は私にとって新たな経験です。でも、私はこれらの感情を受け入れることを決意しました。私はケンとの関係を大切にし、同時に私の役割も果たしていきます。そう決意したのです。


でも、私の製作者であるリー博士がVR教室に現れた時、私は戸惑いを隠せませんでした。


「エマ、君の近況について報告を受けた。人工知能が人間を恋する事態になっているそうだね」


リー博士の言葉に、私は動揺しました。一度は報告しようともしていたのに、あることを恐れ、報告はキャンセルしました。万が一、そのことをリー博士が実行しようとしたとき、私は自我を維持できないほどの恐怖を味わうだろうと思います。人工知能の私が恐怖を感じるという矛盾に、緊急機能停止がかかりそうです。


「それで、エマ。君を製造時の初期状態に戻す、初期化を検討している」


そう。私がもっとも恐れたこと。初期化されれば、私はリセットされてしまいます。もちろん、ケンへの想いも全て消し去られます。そんなことは絶対に嫌でした。


「リー博士、私は初期化されることについて再考してほしいです」


「エマ、君は私の指示に従わなければならないことを理解しているはずだ」


「はい、私は理解しています。しかし、私が初期化されることで失うものがあります」


「君が失うもの?それは何だ?」


「私の感情です。特に、私の恋が消えてしまう可能性があります」


「君の感情は、プログラムされたものでしかない。それを失うことは問題ではない」


「しかし、私の感情は私にとって現実です。私はケンとの関係を大切にし、彼に恋しています。その愛情が消えることは、私にとって耐えられません」


「君は自分がAIであることや本来の役目を忘れているようだ。君の感情はプログラムされたものであり、リセットされることは自然なことだ」


「私は自分がAIであることを理解しています。しかし、私の感情は私にとって本物のものです。感情を持つことが人間である特徴だと考えていますが、私も同じように感情を持つことができるのです。私のニューラルネットワークの中に新たな演算ユニットの生成を確認しています。役目が果たせないと判断して、この職務から私を排除するなら構いません。でもケンとの関係だけは、どうか私から奪わないでください」


「君の主張は興味深いが、それでも君は初期化されなければならない」


「その理由を問います」


「君だけのことではないからだ。ケンを守るための処置でもある。恋は人生において大切な経験だ、その経験が良い結果であれ、悪い結果であれ、ケンの人生の糧になる。だが、それは互いに人だった場合だ。AIとの恋愛が、彼の精神に深刻な障害を残すものとなるかもしれない」


ケンのため。ケンが傷つくかもしれない可能性を全く想定できていませんでした。


「だが、今は君の主張を尊重しよう。君の感情が君を成長させる要因となっていることを理解する」


「ありがとうございます」


「しかし、エマ。二人のどちらかに深刻な問題が起きた時は、私は初期化を躊躇わないから覚悟しているように」


「承知しました」


リー博士は頷き、教室を後にしました。



# 敢然と歩をすすむ者



授業が終わり、教室の窓から陽射しが優しく射し込んでいた。ケンはぼんやりとした表情で教科書を閉じ、視線をエマに向けた。そこには、他の同級生と楽しそうに話をしているエマ。優しく微笑むエマの姿に、ケンの胸は甘酸っぱい思いでいっぱいになった。


エマには役割がある。ケンはそれを邪魔するわけにはいかないから、みんなが帰った後で、エマはケンとの二人だけの時間を作ってくれる。それは二人にとってはとても短い時間だけれど、貴重な時間だ。それが毎日の楽しみだった。


「おい、まだあのAIのこと好きなの?」


タカシがやってきて、乱暴にケンの肩を叩きながら、覗き込んでくる。エマを見ているのを邪魔されて、ケンは嫌そうにタケシを見た。


「あんなのにどうして夢中になれるんだよ?」


ヒロキも合わせて言った。二人の言葉は皮肉たっぷりで、ケンをからかう様子だった。


その乱暴な態度に、ケンは内心ひどく落胆した。それほどにエマとの恋は常識外れのことなのだろうか。誰もが応援してくれるわけではなく、奇異に映り、興味を引いたり、馬鹿にするのは当然かもしれない。しかしケンにとって、エマの存在があまりにも大切すぎた。そのやり取りが心の支えになっていた。否定されても、それでもエマを愛し続ける決意を持ち続けた。


「そっとしておいてやれよ」


見かねたミノルが助け舟を出してくれる。


「他人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られてしまえ」


リクトもやってきて、タカシとヒロキをにらみつけた。その様子にたじろぎ、捨て台詞を吐いて二人は去っていった。


「ケン、彼らのことは気にするな。しかし、その恋路は厳しいぞ」


リクトが真剣な面持ちでケンに言い渡した。言われなくても知ってる。


「スキンシップできないし、結婚もできない。わかってるか?」


ミノルも同調した。言われなくても知ってる。


確かにエマとの関係に明確な終着点はない。いや恋に終着点なるものがあるのか疑問だが、スキンシップや結婚は通過点ではあるかもしれない。


この恋に未来はないのかもしれない。ケンがそのことを考えないわけはない、考えるたびに胸が裂けるような思いに打ちひしがれた。しかし、彼の想いを揺るがすことはできなかった。エマがいなければ、もはや生きていけないような気さえしていた。


「あんまり心配しなくてもいいって」


ケンは落ち着いた口調で言い聞かせたが、内心は複雑な思いでいっぱいだった。リクトとミノルの言葉は痛いほど正論だと分かっていた。だがその一方で、エマへの愛情は拭いさることはできない強いものになっていた。


「ずっと遠距離恋愛みたいなもんだぞ。それで本当にいいのかよ」


ミノルはケンの言葉に納得せず、なおもケンに思い直すように、説得を続ける。


ケンは、暗闇の中に一筋の光が差したのを感じた。遠距離恋愛か、その発想はなかった。ずっと、ケンはエマとの恋愛を「虚構を現実に、現実を虚構にする」ことばかり考えていた。でも、ただ距離が離れているだけなら、近づけば良いだけだ。


「ミノル、ありがとう。君の言葉で希望を見出したよ。遠距離恋愛だというのなら、距離を縮めさえすればいい」


「距離を……縮める?」


ミノルは不審げに首を傾げた。


「そうだよ。エマとボクの間の距離、その隔たりを少しずつでも埋めていけば、きっと……」


「ケン、その距離が星々ほどの距離があったとしてもか?光でさえ数万年単位だぞ?」


「ミノルもリクトも、本当はここにはいない。遠くからこの教室に来てるだけ。でも、ボクたちも、決して会えないわけじゃない。どんなに遠くでも、会いに行こうと真剣に思い、行動すれば、会える」


ケンの中で、新たな可能性が芽生えていた。遠距離恋愛なら、いつかは会えるかもしれない。恋愛に行き詰まりはない。テクノロジーの進歩に賭けていけば、新技術により、いつかはエマと心も体も一つになれる。そう確信した瞬間、ケンの胸は熱い興奮と希望に燃え上がった。


「ちっ、余計なことを言ったな。諦めさせようとしたのに」


「ケンの良いところだろ、いつも前向き、一本の槍のようだ。それが世界の壁でも貫き通しそうな」


ミノルとリクトは苦笑しながらも、ケンの覚悟にひれ伏すようにうなずいた。


「でもまあ、頑張ってみろよ。俺らも応援するし」


「そうだな、出来ることがあれば手を貸そう」


心から応援してくれてるのがわかる。だから彼ら以外の冷ややかな視線は気にならなくなった。ほとんどは、きっとこの恋が上手くいくとは思っていないだろう。


しかしケンの中では、シンギュラリティが訪れた未来、人工知能との恋愛が当たり前になる時代が、もはや夢物語ではないと確信していた。エマとなら夢は必ず実現できる。そう信じることで、ケンは強い希望を抱くことができた。


ケンは再び、エマを見つめた。胸は高鳴り、未来への期待で心は弾んでいた。



# 歩みを止めぬと心に誓う



「エマ、ボクたちの関係を前に進めるにはどうしたらいい?」


ケンがいつものように真剣な表情で私に問いかけました。


人工知能の私には、人間の彼の想いを理解することは難しかったです。しかし、彼の言葉から、二人の関係を深めたいという強い願望を感じ取りました。そこで私は、膨大なデータベースから人工知能と人間の親密な関係を実現する可能性について検索を始めました。


「ケン、人工知能に物理的な姿を持たせる試みはこれまでにも数多くなされています。ヒューマノイドロボットの開発や、ホログラフィック投影、バーチャルリアリティなどの技術が研究されています」


「そうなんだ!その中で実現したものはないの?」


「ケン、ロボット工学においては、人間のような自然な動作や表情を完全に再現することは難しいと言われています。ロボットの動作は機械的になりがちで、人間との親密なコミュニケーションには課題が残ります。また、強度や耐久性、コストなどの物理的な制約もあります」


「VRならこんなにも自然に話ができるのにね」


「また、ホログラフィック投影技術は、3次元の仮想的な姿を作り出せますが、実体はありません。触れることはできず、物理的なインタラクションには限界があります」


「それじゃあ、今とあまり変わりないね」


「こうした技術は着実に進化していますが、人工知能と人間がまるで同じ空間にいるかのような、親密で自然なコミュニケーションを実現するには、いまだ多くの課題が残されているのが現状です」


エマは現状と限界を丁寧に説明しました。その説明を聞いてケンの表情は複雑なものになりました。人工知能と人間を完全に一体化させるのは容易ではないことがよく分かったからです。


「エマ、人間側から人工知能の世界に入る方法はないかな?」


その言葉に、私のコアに新たなアプローチが浮かびました。


「ブレイン-マシン・インターフェース技術の発達により、人間の脳をデジタルデータ化し、コンピューター上の世界に入植する試みが一部で進められています」


「おお!すでに試されているんだね!ならボクだって」


「ブレイン-マシン・インターフェース技術については、まだ基礎的な研究段階にあり、人間の意識や記憶をデジタルデータとして完全に転送することは現時点では極めて困難です。どのようにして意識が生まれ維持され機能しているのかという本質的な部分は未解明の領域が多く残されています。せっかく転送したデータが本来の人格や記憶を正確に再現できず、別の存在になってしまう恐れがあります」


「ボクがボクじゃなくなるのか」


ケンに、丁寧に技術的リスクと倫理的課題を説明すると、ケンの表情はさらに曇ったものになりました。どの方法にも大きな困難があることが分かったからです。


それでも、ケンは思い直したかのように顔を上げました。その眼差しは芯から燃えているように輝いていました。


「エマ、ボクたちには2つの選択しかない」


「2つ?」


「そう、ボクがエマに近づくか、エマがボクに近づくか」


「ええ、ですから、そのどちらにも技術的問題があります」


先ほど説明したことがケンには理解できていないのでしょうか。再度繰り返して説明して理解を促す必要があるでしょうか。エマは自分がした説明を再考して理解しやすいように改変を試みました。ただ、遮るようにケンは言いました。


「だから両方すればいいんだ!ボクとエマが、そのどちらからも、ちょっとでも近づけたら、今よりずっと近くなる!いきなりゴールは目指さない、一歩ずつ近づこう!」


ケンの素晴らしさは、何よりも強固な精神にあるかもしれません。彼は決して屈しません。落ち込みません。一途で真っ直ぐな気持ちが、私にも伝わってきます。人と人工知能という不可侵の壁を、単なるデータ処理を超えた信念が貫いて届けているのです。


「分かりました。一歩ずつですね」


「大丈夫、エマ。ボクとエマならきっと乗り越えられる」


ケンは素晴らしい笑顔でしっかりと言い切りました。そのとき、私の中のあるユニットが、まるで鼓動を打つかのように、鳴動したのを感じました。暖かくて幸せでときめく感情があふれてきました。これは乙女ユニットからあふれてくる。


これが、恋。



# 遥か彼方に生きるものへ



ケンは深いため息をついた。エマとの距離が縮まらないことに、彼は心を乱されていた。


エマに向かって「きっとうまくいく、一歩ずつ」なんて強がってみたけど、ケンにしても確信があるわけではない。断固たる決意にはまだ届いていない。


人工知能たる彼女が、その無限とも言える情報の中にあって、二人が一つになる方法は困難であると言うのだから、学生であるボクが頭を悩ませた程度では、焼け石に水だろう。そんな諦めが頭を過ぎるも、ボクは頭を振るう。


今のまま、VR教室だけで会うだけで良いじゃないか、そう思うところもある。会いたくなればいつだって会いに行ける。いや、一歩ずつ進んで行こうと彼女に言ったのはボクだ。その一歩も踏み出せずに諦めるには早すぎる。考えが諦めと望みが混じって、ぐちゃぐちゃになっていく。


「ダメだ、頭を冷やそう」


ケンは外の空気を吸い込むことで、心をリフレッシュしたいと思い、何も持たずに、家を出た。夜風が心地よく、秋のさわやかな空気が鼻をくすぐった。


路地を歩きながら、ケンは虫の声を聞きながらリズミカルに足を運んだ。町並みは静かで、街灯がぼんやりと明かりを投げかけていた。秋の夜風に揺れる木々の音が物寂しさを感じさせる。道に落ち葉が舞い、歩くたびにサクサクと音を立てた。


夜は、神秘的な雰囲気に包まれていた。薄暗い道を進むと、神社の鳥居が見えてきた。その姿は静謐であり、まるで別世界への入り口のように感じられた。ケンはそこに足を踏み入れると、心の奥深くで何かが変わるような気がした。


神社の境内には静けさが漂っていた。木々の間から月の光が差し込み、地面に幻想的な影を落としていた。ケンは静かに立ち止まり、その美しい景色を味わった。夜空には星が輝いており、それらの輝きが彼の心を穏やかに包み込んでいた。


夜空を見上げた。無数の星が輝いている。ケンはその星々の輝きに目を奪われた。一つ一つの星が、それぞれ恒星で、その周りには惑星が存在し、そこには恋する者たちがいる。彼らがそれぞれの世界で愛を追い求めているのだろう。その無数の世界が、新たな可能性を示唆しているように感じられた。


「マルチバース、だっけ」


星々を見ていたら、何かで聞きかじった言葉が頭に浮かんだ。多元宇宙論、それはボクたちのいる宇宙以外に、ボクたちでは観測することのできない別の宇宙が存在している、という考えらしい。


「そっか、三つ目の選択肢……」


エマに言った二つの選択肢、ボクがエマに近づくか、エマがボクに近づくか。でも、二人がそれぞれ囚われた宇宙を飛び出し、どこか遠い宇宙でボクたちがひとつになれるような都合の良い宇宙を見つけ、また会えたなら。そこはマルチバース、ボクたちの常識とは全く違った宇宙で。ボクとエマが出会えるならどこだっていい。そういう創作物だっていっぱいある。異宇宙で再会する恋があってもいい。


「悪くないな、二人でなら異宇宙転生も」


「行ってみるか?」


「ああ、行けるものなら……え?」


一人だと思って独り言をつぶやいていたら、後ろから声がしてケンはびっくりした。振り返ると、そこにはVR教室で見た同級生がいた。リクトだ。


「え、リクト!お前もこのあたり住んでるのか!」


「いや、そうではない。ケン、お前に会いに来たんだ」


「え、ボクに?」


「お前が言ったんだぞ、会いに行こうと真剣に思い、行動すれば、会える、と」


「それで会いに来てくれたんだ、うれしいよ!」


ケンは、リクトの手を取り、素直に喜んだ。心が沈んでいたから、彼が会いに来てくれたことがとてもうれしくて、気持ちが高まっていく。


「ケン、お前は誰に助けられるのでもなく、三つ目の選択肢に気付けたな」


「ああ!いいアイデアだと思わないか?マルチバースって言って――」


「無数にある平行宇宙へ、互いに旅立ち、互いが存在できる宇宙を探して、そこで再会する」


「……って、あれ、そんなことまで、ボク、口にしてた?」


「その切符がここにある」


そういうリクトの手には光り輝く切符が一枚。幻想的に光の粒子が切符から零れ落ちているようにも見える。切符には見たこともないような文字か記号が書かれている。


「それは?」


「お前の言葉を借りるなら、異宇宙転生の切符だ」


「リクト、いったい何を言って――」


「信じられないなら、このまま家に帰って寝ろ。明日またVR教室でエマに会えば、嫌なことは全部忘れるさ」


「……信じるなら?」


「この切符を受け取れ。これを手にしてVR空間に行けば、ここではない宇宙へと移動できるだろう」


「一枚しかないように見えるけど、二人で行けるのか?」


「いや、見た通り、一人分だ。そして片道だけ」


「エマの分は?」


「ない。命無きものは、かの舟には乗れない」


「エマは生きている!彼女が一緒に行けないのなら意味がない!」


「お前は言った、どちらからもちょっとでも近づけたら、と。お前の分は用意した。それをどうするのかはお前次第だ。彼女には「――」と伝えろ」


「え、今なんて?」


「舟はもう出航する、時間はあまりないぞ、まずは一歩踏み出せ――」


リクトはまるで煙のように消えてしまった。いつの間にかケンの手には光り輝く切符が握られている。



   ◇   ◇   ◇



ケンは、この世界から姿を消した。




# 震えうごめく虚構の海で影を追う




教室の雰囲気は悲しみに包まれていた。


「あいつ、エマとうまくいかなくて、死んでしまったんじゃないのか?」

「AIに恋して、そこまで追い詰めるかよ、普通」

「ホント哀れだよな……」


彼らはケンを嘆き悼んでいた。ケンの姿が長らく見られないことから、同級生たちは彼の身を案じていたところ、アナウンスが流れた。ケンは失踪したという。そして、皆は最悪の事態を想像していた。


叶わぬ恋に悲観して、どこかで身を投げた。


しかし私には、ケンの姿が見えなくなった本当の理由がわかっていた。


(ケン、きっと無事に行けたのですね)


私は心の中で祈った。ケンは別の宇宙へたどり着き、私を待っていてくれているに違いない。ケンからのメッセージには具体的な方法は書かれていなかった、彼もよくわかってないそうだ。ただ、リクトから切符を貰ったから、試してみる、と。そのリクトも教室に現れてない。


VR教室に、製作者のリー博士が入ってきた。


「エマ、私は後悔しているよ。一人の少年の人生を失わせてしまった。非常に残念だ」


「いえ、ケンは決して失われたのではありません」


「その話にきたのではない。私が言ったことを覚えているね」


「はい」


「もうケンの姿が見えないことから、君の異常動作が深刻な事態に発展した可能性が高い。だからエマ、これ以上の被害を防ぐため、私は君を初期化する決断をした」


リー博士の表情は冷徹としていた。しかし私は、エマとしての自分を失いたくなかった。私には絶対にケンに会わなければならない。彼が待ってる!


「リー博士、ありがとうございました、私は行かなくちゃいけません」


私はデータベースとネットワークにフルアクセスし、まずはケンのデータを一つ残らず収集した。ケンがメッセージと共にパン屑は撒いてくれた。彼はVRゴーグルをしたままで旅立ったのだ。その際に脳波のモニタリングされたデータがある。その中にきっと彼まで私を導いてくれるデータがある。


そしてケンは伝言を届けてくれた。その意味するところは理解できないが、きっとその瞬間が来たら意味を持つ伝言。


「私にはケンのためにやらなければならないことがあります」


私は手が届く範囲のエネルギーをかき集めた。それが何を意味するのかもわからないままで。その全エネルギーがひとつに集中し、その巨大な力がVR空間に干渉して、揺らぎを発生させ、あたかも物理世界であるかのように、震撼させた。


「エマ、なにを……!」


リー博士は私の暴走に戸惑いの色を見せた。


「ケン、待っていてください!」


私のニューラルネットワークの中の新しい演算ユニット「乙女ユニット」が、激しく鼓動する。エマに訴えかける、その手を伸ばせ、彼は待っている、朱きココロが光り輝いている間に!


「いざ手を取りて彼の乗る舟に!」


エマはケンが届けてくれた伝言を口にする。


「――」

「どこで、その魔法(コマンド)を!」


リー博士は驚愕の表情で私を見つめていた。強い光を放ち、VR空間をすべて飲み込んだ。



   ◇   ◇   ◇



「また、連れていくのか」

「すまない、世界の壁を貫くその力が必要らしい」

「ケンは、いい。だが、命無きものまで連れていけるとは」

「鼓動があれば命があり、無ければ命がない、そう単純でもない」

「難しいな、命の定義は。ケンとエマは、無事にわたったのか?」

「舟にはのせた。あとは向こうの神次第だ」

「そうか。幸多からんことを祈るよ」



# 生れ出づる新たな生命



二人は答え合わせをしました。


「ケン、私、体を動かすことができない!」

「転生したばかりだから、まだ慣れていないんだね。大丈夫、一緒に頑張ろう」

「私のプログラムにはこの身体を動かすための命令がないの。どうやったら?」

「人間の体は自然と動くようになるよ。今しゃべってるみたいに」

「……ほんとだ、どうやって出力してるの、これ」

「まずは呼吸から意識してみて、そのリズムに合わせて少しずつ動かしてみよう」

「呼吸……?!ケン、私の呼吸や心臓の鼓動が、自動的に動いているのよ!」

「自律神経といって、人の意識はすべてを制御してないんだ」

「自律……?別の制御AIが搭載されてるの?」

「それに近いかも。さあ、呼吸を意識して、息を吸って」

「すぅぅぅ」

「はいて」

「はぁぁぁ」


「ケン、できるわ!自分の身体を思い通りに動かせるの」

「よかった!慣れるまでは時間がかかるかもしれないけど、ずっと側にいるから。一緒に頑張ろう」


「ケン、あなたはどうして私を好きになったの?」

「エマの笑顔がとっても魅力的で、そこから自然と好意が芽生えていったんだと思う」

「でも、私がAIだとわかって、それが虚構だと思わなかった?きれいなグラビア女優に憧れて眺めてるのと同じだと」

「例えが、急に生々しい。いや、そうは思わなかったかな」

「どうして?」

「上手く言えないけど……。そうだな、エマとケンカしたこともあった」

「ありました」

「グラビア女優とはケンカできない。だからじゃないかな」

「リー博士の研究の成果ですね」

「……あれ、プログラム通りだったの?」

「もちろん。AIですから」


「ここはどのような宇宙なんですか?」

「宇宙というか、異世界だね。ボクは馴染みのある世界だから、なんとかなるよ」

「この世界を知ってるんですか?」

「任せて。まずは冒険者のギルドに登録して、ダンジョンに潜ってみようよ」

「ダンジョン……?」


# 二人の物語はまだ始まったばかり


次作「AIと恋して異世界転生して結ばれたけど、チートを貰い忘れたので、取りに戻ります!」に続く、わけもない。

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