条件反射
聞いたことのある声だった。
電子の世界で、最近頻繁に聞いた声。
それが、最も隔たりのない空気に乗って、
耳に届いた。
顔を上げる。
「桃子猫…さん」
ランさんと呼ばれたから桃子猫と答えた。
そういう推測と方法が頭に浮かぶ前に、
直感的に名前を呼んだ。
アイコンを想起する以前に、
名前と目の前の女性の姿が合致する。
長い前髪を七三に分け、
七を大きく横にたなびかせている。
もはや閉じる機能の無い、
茶色のコートを羽織っている。
その下には凹凸の分かるワインレッドの、
名称の分からない服。
黒のタイトな…パンツ?。
それらの中心であり主役である、セレブリティな顔。
無粋な発想が浮かばない、完全無欠。
言葉の端々、
或いは行動から何となく理解はしていた。
ただ、今対峙してみて初めて理解した。
桃子猫に会うことの印象が、
大と小で反復横跳びしていた理由。
予想が外れないという信頼感と、
外れないことで「別世界の人間」として
直視してしまう恐怖が、混在していたからだ。
正直な話、詐欺がどうとかよりも深刻な問題だった。
今ここに確定した。
桃子猫は向こう側の人間だ。
いつかを思い出す。
大学で隣の席にかこつけて絡んでいただいた時、
コンマ二秒で陽キャと判断し、そっと壁を敷いた。
故意ではない。
なんなら少し抵抗したが、
それでも私の心は閉ざしてしまった。
「こんにちは」
「コニチハ」
いつの間にか空いていた隣に腰かけ、
白いトランクを正面に置いた。
「ソノ、どれくらい待っタ?」
「二...一時間くらいですかね」
「ソッカ」
少しまごついている。
まあ桃子猫も相応のギャップが存在しているだろう。
アバターのローブに色を合わせた程度の努力だ。
髪型は多少似ているかもしれないが、
誤差の範囲だろう。
ここはリードした方がいいだろうか。
「お腹空いてますか?」
「あ、ウン」
「じゃあ、行きましょう」
「ン」
立ち上がり、
とりあえずカツ丼チェーン店に足を向ける。
「何か食べたいものはありますか?」
「ンーとね、んーと…」
ハイヒールの歩調を意識していなかった。
ゆっくりと合わせる。
「ランさんのオススメ」
「承りました」
並んで歩く。
並んだからこそ、身長差が顕になる。
桃子猫が頭一つ抜けている。
ゲームでは私の方が高いのに。
頭を見つめていると、桃子猫が目を合わせてきた。
見つめ返す。
目を逸らされた。
流石に見苦しかったか。
まあ我慢してもらおう。
前を向き直ると、
周りの視線がこちらに集まっていることに気づく。
レストランや雑貨店が増え、
比較的忙しくない人達がここにはいる。
だからこそ、桃子猫に目がいくのだろう。
道行く眼福といった程度の、粘ついた一瞥。
当人はこれをどう思うのだろう。
何か気が紛れる話題。
「そういえば、初回限定の薬草採集クエスト、
行ってませんでしたよね」
「ドッペルフリーの?」
「ええ、今度一緒にどうです?」
「イイネ…あと」
「はい」
「考えてることがあってネ」
「はい」
桃子猫が心中を話すのは、初めてかもしれない。
「武器…どうしよかなっテ」
「武器ですか?」
確かに、桃子猫が武器を振るっていた記憶は無い。
武器すらも持ち合わせていなかったはず。
「爪で攻撃するとか、
獣人専用の武器とかが想定されているかもしれません」
「どういうカンジ?」
「例えば…つけ爪とか、篭手とか」
「わかんない」
「そうですね…」
スマホを起動し、画像を検索する。
「こんな感じですかね」
よくあるRPGの、武闘家の爪武器を見せる。
「オー」
顔近。
「あるかな?コレ」
「自由度が高いので、
売ってなくても同じ形の物を作れば」
「オー」
顔が離れていった。
「どうして武器が欲しくなったんです?」
「ンー、盾で防いだ時っテ、
敵から一番近いの私じゃなイ?」
「そうですね」
「だかラ、モンスター倒すならそれがいいかなっテ」
「なるほど」
理に富んでいる話だ。
獣人だから力の伸び代もあるだろうし、
今のうちに慣らしておくのもいいだろう。
「盾の持ち手は、左手のままにしますか?」
「ウン」
話が進む。
気が紛れているといいが。
そのまま歩いていると、見知った看板が目に入る。
「着きました」




