恋心と父心 後編
朝、前編を投稿しております。
まだ前編をご覧になっていない方は、ひとつ戻ってお読み下さい。
* * *
シュタイン伯爵家の一室、ユリウスはひとりでその部屋を訪ねた。
『ごめんね呼び出して。最後に少しだけ、話したくて』
ユリウスだけを呼び出したアルベルトは、自分の座る正面のソファに座るよう促した。
一見普段と変わらない様子のアルベルトの表情を窺いながら、少し緊張気味にユリウスは腰を下ろす。
そんなユリウスににっこりと微笑み、アルベルトはジゼルのことを話すべく、口を開いた。
『ジゼルと、恋人になったんだよね』
『はい、いずれは婚約を申し込みたいと、そう思っています』
『まさかとは思うけれど、あの子の作る菓子目当てじゃないだろうね?』
本気で聞いているのか、はたまた冗談なのか。
――――読めない。
さすがあのジークハルト殿の父君だなと、ユリウスは内心で冷や汗をかいた。
『……正直、もうジゼルの菓子無しには生きられないと半ば本気で思うくらいに彼女の菓子に惚れ込んでいるのは事実です。ですが、それとは別に、そしてそれ以上に、私はジゼルに惚れているんです』
へえ?と微笑む伯爵の目の奥があまり笑っていないように見え、ユリウスは震えそうになる。
『その優しさと、強さと、愛らしさに惹かれたんです。彼女を守りたい、支え合っていきたいと思った。だから、今日こうして挨拶に出向いたのです』
下手な小細工は不要。
素直に心のままに答えるだけだと、ユリウスは腹を括った。
『…………そう、か。うん、分かったよ』
そんなユリウスの答えに、ほっとしたようにアルベルトは表情を和らげた。
『……あのね、あの娘から表情が乏しくなったのは、母親が亡くなってすぐ、病に倒れてからだったんだ。それまでは普通の子どもと変わらない、表情豊かであどけない子だった。それが、三日三晩苦しんで熱が下がったら、もう今のジゼルになっていた。表情がなくなっただけじゃない。急に大人びて、料理に詳しくなって。まるで人が変わったようだった。感情がなくなってしまったわけではなかったから、良かったけれど』
突然告げられた事実に驚きながらも、昔を懐かしむようなアルベルトの表情に、ユリウスは黙ってその続きを待った。
『……そんなあの子が心配で、私は自由にさせてあげようと思った。菓子作りが特別好きそうだったから、こんなに美味しい菓子を作れるなら王宮に召されるかもねなんて言ってしまったんだけれど……。それが悪かったみたいでね。そこから知識も技術もセーブするようになってしまった』
ああ、それで。
ユリウスはあの日王宮の中庭で聞いたジゼルの話を理解した。
自分と両親もそうだったが、言葉とは難しいものだ。
期待だけを込めてもいけないし、素っ気なさすぎてもいけない。
ちょっとしたすれ違いで関係がものすごく拗れることも、またその逆もあり得るのだということを、ユリウスはもう知っている。
『だからね、そんなあの子を導いてくれた君には、本当に感謝しているんだ。あんなに生き生きとしているあの子を見ることができて、私は幸せだよ。ありがとうって、ずっと伝えたかった。……今の君になら、ジゼルを任せられる。これからも、娘をよろしく頼むよ』
『――――はい。彼女の気持ちを一番に考えて、彼女と共に幸せになりたいと思います』
満足したように頷く、心からジゼルを思い遣るアルベルトの表情に、ユリウスは決意を新たにする。
必ず、ジゼルとともに、幸せになろうと。
「ユリウス様?どうかしましたか?」
「ああ、すみません。少しぼおっとしてしまいました」
シュタイン家のエントランスで別れの挨拶をしながら、先程のアルベルトとの会話を思い出していたユリウスは、首を捻るジゼルに謝罪する。
「離れがたいなと思ってしまいまして」
「〜〜っ!またそんなことを言って……。明日もまた会えるのに……」
自分の前だとすっかり表情豊かになったジゼルに、ユリウスの頬は自然と緩む。
「それでも、ですよ。俺のあなたへの気持ちを舐めないで下さい。もう逃してと言われても放してあげられませんからね。覚悟して下さい」
ユリウスの台詞に、ジゼルの頬はまた真っ赤に染まる。
ぐっと一瞬言葉に詰まったジゼルだが、意を決して口を開く。
「……そんなの、私もです。ユリウス様は気付いていないかもしれませんが、私、結構嫉妬深いところがあるかもしれなくて。私こそ、もうユリウス様の手を放せそうにありません。だから……っ、か、覚悟して下さいね!」
最後はどうにでもなれ!と言い放つようになってしまったジゼルに、ユリウスは驚き、そして笑みを深めた。
「大丈夫ですよ。俺の方が絶対に嫉妬深いですから」
「……それは張り合うところではありませんよ……」
そう言いながらも受け入れられたことが嬉しくて。
そしてそんなジゼルを愛しく思ったユリウスは、また明日とその形の良い頭を撫でた。
(伯爵、俺はこれからもずっと、ジゼルのこの笑顔を守りたいと、そう思います)
娘を想うアルベルトの気持ちを胸に、ユリウスはジゼルの唇にキスを落とした。




