青獅子と塩系令嬢2
本能で恐怖を感じた私が絞り出すように発した声と、副団長さんの声が重なった。
だから、聞き間違えたのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
そう思うことにして半ば逃避しようとしていたのに。
「あなたの作った菓子をもっと食べたいんです」
私を現実に戻したのは、副団長さんのそんな一言だった。
え、この人今、何て言った……?
「ええと、確かにこのマドレーヌは私が作ったものですが……」
「“まどれーぬ”ですね。見た目は素朴ですが、とても美味しいですね」
あ、しまった。
思わずこの世界にないお菓子の名前を口にしてしまった。
「それにしても、変わらず優しい味で嬉しくなりました」
慌てて口を塞ぐが、副団長さんは大して気にしていない様子だ。
それは良かったけれど、“変わらず”ってどういう意味なんだろう……?
詳しく聞きたい気もするが、これ以上ボロが出そうで怖い。
どう答えるのが良いのか分からず言葉を詰まらせていると、副団長さんは困ったように微笑んだ。
「すみません、変なことを言って。まあとにかく、私はあなたの作る菓子にすっかり惚れ込んでしまったんです。それはもう、地獄の訓練を君の兄上に押し付けてここへやって来るくらいには」
確かに彼の言っていることが本当なら、あのリーンお兄様を退けてアポ無しでここに来たくらいだ、余程マドレーヌを気に入ってくれたのだろう。
……正直、ちょっと嬉しいかも。
「はぁ。それはどうも」
しかし今感じている喜びとは裏腹に、そんな愛想のない反応しかできなかった。
私の素っ気ない態度に、紳士的に接してくれていた副団長さんも笑顔で固まっている。
ああ、やっぱり。
こういう時に素直に喜びを表せないところがいけないんだろうな。
自分で自分が嫌になる。
そう思い一度俯いたが、謝った方が良いだろうかと視線だけ上げて副団長さんの様子を窺うと、なぜか彼は額に手をあてて上を向いていた。
「あの、どうかされましたか……?不愉快な思いをされたのであれば、謝ります。申し訳ありません」
やはり気分を害してしまったのだろうかと頭を下げようとすると、違うんです!と慌てて止められた。
「いや、なんでもありません。気にしないで下さい。あーっと、それで、私にも菓子を作って欲しいという要望には応えてくれますか?」
少し頬が赤い気がするが、まあ気のせいだろう。
とりあえず副団長さんの話を詳しく聞くと、どうやらお菓子を食べたいという話は、一度や二度のことではなく、できれば定期的に作ってほしいということだった。
まあお菓子なんてほぼ毎日作っているから、その中のひとつやふたつ副団長さんに渡したところで、労力は変わらない。
だから作ることに関しては別に問題ないのだが……。
「その、お渡しする方法はなにかお考えですか?申し訳ないのですが、直接お届けに上がるのはちょっと……」
情けない話だが、ほぼ引きこもりなので、職場にお持ちしなければいけないのであれば、お断りするしかない。
人の多いところは苦手だし、王宮なんてもってのほかだもの。
だからといって、忙しいはずである副団長さんがわざわざ取りに来るわけはないだろうし。
「ああ、それなら心配しないで下さい。こいつに頼むつもりですよ」
そう言うと副団長さんは、パチンと指を鳴らした。
すると何もなかったはずの彼の頭上が突然キラキラと光り輝いたかと思うと、大きな鳥が現れた。
「精霊……ですか?」
「そう。私の使い魔です」
副団長さんが手をかざすと、精霊である使い魔の鳥はその上にそっと止まった。
キラキラした赤や黄、橙色の翼が美しい、まるで不死鳥のようだ。
「鳥、好きなんですか?」
ほえ~っと見惚れていると、くすくすと笑われた。
しまった、呆けた変な顔を見られてしまった。
「まあ、はい。とても綺麗ですね。使い魔さんのお名前はなんですか?」
こほんと咳払いをして居住まいを正すが、取り繕えていなかったようで、なおも副団長さんは笑いを収めていない。
それが気恥ずかしくてじろりと睨んでみたが、あまり迫力はなかったようだ。
「ふっ、すみません、つい。こいつはゼン。あなたが名前を呼べば姿を現しますので、袋か何かに入れて菓子を託して下さい。会話で意思の疎通もできますから、ご安心を」
そう言う副団長さんに続いて、なんとゼンがくちばしを開いた。
「菓子の遣いに使われるのは正直不本意だが……。主の命だからな、仕方ない」
しゃ、しゃべった!
それに渋い声!かっこいい!!
「それで?引き受けてもらえますか?」
ずいっと副団長さんが身を乗り出す。
どうやら本気のようだ。
どうしよう、引き受ける理由もないが、断る理由もない。
まあ私になんの得もないと言われたらそうなのだが……でも。
ちらりとゼンのその麗しい姿を見つめる。
意外かもしれないが、私は動物好きである。
しかしこの無表情のせいか、小動物にはあまり好かれない。
けれど、ゼンならば会話もできるし、ついでにお菓子をあげれば、ひょっとして懐いてくれるかもしれない。
そんな邪な気持ちで、机の上へと移動してきたゼンを見る。
仲良くなれると良いな。
それで、撫でさせてもらえるようになったら嬉しい。
「……分かりました。お作りします」
やった!と副団長さんの顔が綻んだのが見えた。
ゼンに会えるのも嬉しいし、それに。
『あなたの作った菓子をもっと食べたい』
そう言ってもらえたのが、嬉しかったから。
前世で働いていた時も、お客様の喜んでくれる顔がとても嬉しかった。
ああ、私はここにいて良いんだって、思えた。
「副団長さんがよろしければ、お菓子はほぼ毎日作りますから、お渡しが可能です。大体三時頃になるかと思いますが、その時間にゼンを呼び出しても構いませんか?」
「なっ……」
「はい!構いません!!」
私の言葉にゼンはたじろいだが、副団長さんは嬉しそうに即答した。
主人でもない赤の他人が、使い魔をしょっちゅう呼び出しても良いだなんて……。
よほどお菓子が好きなのね。
「では、早速明日から。ああそうだ、今日作ったスイートポテトがまだ残っておりますので、良ければお土産にいくつか包ませましょうか?」
「ぜひ!!」
恐らく年上だとは思うが、キラキラした目で興奮する副団長さんがちょっぴり可愛く見えた。
まるで子犬のようねと思いながら、扉の前に立つロイドにお菓子を包むよう、お願いするのだった。