副団長の遠い記憶3
その後、訓練を終えて帰宅した俺に、母がどうだったかと聞いてきた。
今までだったら、「別に」とか、「普通です」とか、大した答えを返していなかった。
けれど、勇気を出して伝えてみた。
父と折り合いの悪い貴族の息子がいて、手合わせで負けたこと。
怒った父に、この訓練中に勝てなければ家には帰さないと言われたこと。
……父にそう言われて、悲しかったこと。
もっとしっかり剣術を学んで強くなりたいと思っていたが、努力しても強くなれなかったら失望されてしまうのではと不安に思い、稽古も中途半端な気持ちで受けていたこと。
震える声で、涙目になりながら訴えた。
『あなた……そんなことを言ったのですか!?』
『すっ、すまん!ユリウスはやればできるはずなのに、いつも力を抜いているから、そう言って焚き付ければ必ず勝てるだろうと思って……。自信をつけてやりたかったんだ』
俺の話を聞いて激怒する母に、父は小さくなってそう答えた。
思ってもみなかった理由に、驚きすぎて俺の涙は引っ込んでしまった。
話を良く聞くと、両親は俺が優秀な兄達に引け目を感じていることに気付いていたらしく、どう接すれば良いのか分からなかったのだという。
そっとして、見守っていてやろう。
できなくても叱ったりせず、やりたいこと、好きなことを見つけたらそれを伸ばしてやろう。
どうやら剣術に興味があるようだ、騎士団に入ってはどうかと勧めよう。
負けたことでやる気を失ってしまってはいけない、やればできると自信をつけさせてやりたい。
そんな、不器用な親心。
『でも、あの手合わせの相手……。父上の嫌いな奴の息子なんでしょう?』
『あら、ゲルハルト伯爵のご子息のこと?』
母によると、確かに父の苦手な男ではあるが、ケンカするほど……というやつなのだという。
『あいつの息子などにと少なからず思ったのは確かだが』とぼそぼそと白状する父の背中を、母が笑顔で叩く。
男のくだらない競争意識だから気にしないのよと、バッサリ切った。
『君から歩み寄るというひとつの小さな動きで、驚くほど簡単に解決するかもしれない』という言葉が頭に浮かぶ。
なんだ、こんな単純なことだったのか。
『……俺、もっとちゃんと剣術を学びたい。できれば魔術も。両方使いこなせる騎士になりたいんだ』
やっと息子の本音が聞けたと、両親は嬉しそうに頷いた。
『良い目標だな。頑張れ』
『応援しているわ』
“頑張れ”
“応援している”
ただ、そんな言葉が欲しかったのだと気付いた。
きちんと俺を見てくれているのだと、安心することができたから。
『……努力する』
努力することができるのが、嬉しかった。
その日、俺はやっと両親の顔を正面から見ることができたんだ。
「その次の日、君が嬉しそうに報告してくれるのが嬉しかったなぁ。そのまた次の訓練最後の日に、涙目でありがとうって言ってくれたのも。あの時そこで蹲っていた子が、メキメキと力をつけて“青獅子”と呼ばれるほどに活躍するなんてね。感慨深いものだ」
「もう勘弁して下さい……」
幼い頃の情けない姿を思い出し、真っ赤になった顔をうずくめる。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
幼すぎた自分が、勝手に愛されていないと不貞腐れていただけの思い出話。
だが当時の自分にとってはとても深刻なことだったし、あの時伯爵に出会えて良かったと心から思っている。
「なぜ俺がバルヒェット家の者だと分かったのですか?名乗らなかったはずなのに」
「まあ君のお父上とは面識があったから」
当時彼が君のことで悩んでいたことも知っているしねと伯爵は付け足した。
なるほど、それで“最初から知っていた”ということだったのか。
「仲良くやっているかい?」
「はい、お陰様で」
本当に、俺は、俺達家族はあなたに救われた。
そう心からの感謝を込めて、頭を下げる。
今ここにこうしていられるのは、あの日の伯爵との出会いのおかげだ。
「うん。君が幸せそうで良かった。それにしてもジゼルの菓子を口にしたのはあの三日間だけだったのに。十年以上経ってからよく気付いたね」
王宮で過ごした三日間、伯爵は毎日俺にジゼル嬢の菓子を分けてくれていた。
そのどれもが優しくて、甘くて。
「……俺と似ていると言ったあなたの娘さんはどうなったのだろうって、ずっと思っていたんです。優しい味のあの菓子にも、俺は救われたから」
自分よりも小さい少女も、頑張っている。
剣術の稽古に精を出す俺を励ましてくれたのは、あの日の伯爵の言葉と思い出に残る菓子だった。
会ったことも、話したこともない少女。
彼女が作ったものではないけれど、菓子を口にしながらいつも思い出して、考えていた。
彼女は今、心から笑っているだろうかと。
「……三年前、君が声をかけてくれたのに、あの子は素っ気ない対応をしてしまったね。それに、そのことをちっとも覚えていないようだ」
「はは……。やっぱりそうですよね」
そう、俺は三年前のデビュタントの日に、ジゼル嬢に会っていた。
当の本人はちっとも覚えていないようだけれど。
「でも、君はもう一度見つけてくれた。そして、一歩だけ踏み出したあの子がなかなか踏み出せずにいた二歩目を、手を差し伸べ、支えてくれた。今となってはもう、外の世界は怖くないんだと知って、あの子はひとりで走り出してしまったよ」
「はは。ジゼル嬢はいつの間にか俺の手も放してしまいましたよ。今は、追いかけている途中です」
導いているつもりだったのに、いつの間にかひとりで自由に進むようになってしまった彼女を、捕まえたいと思うようになった。
まるで翼を得た鳥のように羽ばたく彼女に、追い抜かれないようにしないと。
「さて、休憩時間も終わりだ。君もお付きの騎士に怒られてしまわないように、そろそろ戻った方が良い」
「はい。……今日こうして話すことができて良かったです。俺を覚えていてくれていたことも、嬉しかった」
腰を上げて空を見上げる。
中庭の木にとまっていた鳥が、鳴き声を上げて飛び立った。
さあ、手の届かないところに飛んでいってしまう前に、彼女に気持ちを伝えなければ。
そう決意する俺に、伯爵が最後にちょっと良いかい?と声をかけてきた。
「それにしてもまさか泣き虫だった君にジゼルを奪われそうになるなんてねぇ。追いかけることを止めはしないけれど、泣かせるようなことや、無理矢理捕まえようとすることは許さないよ?誤解だったから良かったけれど、昨夕は本気で君を切るつもりだったからね」
そして笑顔を向けてきたが、そのうしろに黒いものが見える。
先程ジゼル嬢のことを語っていた優しい目は一体どこへ行ってしまったのか。
恩人であるシュタイン伯爵も、かわいい娘のこととなるとただの過保護な父親になってしまうのだなと、俺は笑顔を引きつらせるのであった。




