芽生えた想いは3
「十四歳で領地で勉強することになって、二年間離れ離れになったんだ。たかが二年、されど二年だったよ。会いたくて、たまらなかった」
こんな話をしてくれるのは、初めてだ。
幼馴染だということは知っていたけれど、ただなんとなく縁があって夫婦になったわけではなかったのね。
「恋焦がれているだけではいけないと思ってね、二年後に立派な男になって彼女を驚かせてやる!と必死に勉強したよ。あの頃の私は若かったなぁ。彼女もまた、二年間で変わることをちっとも考えていなかったのだから」
そして、驚かされたのはお父様の方だったのだと言う。
「強く、優しく、美しく成長した彼女に、多くの男達が婚約を申し込んだ。けれど彼女はそのどれもを袖にしてね。そんなところはジゼルに似ているね」
そう、なんだ。
お兄様達の方がお母様似だと言われてきたので、お母様に似ているなんて言われると、ちょっと不思議な気持ちになる。
「それでも彼女は男達に囲まれることが多くてね。私は嫉妬したよ。うちよりも高位の貴族達が相手では、会話に割って入ることもままならないから、ひとりで胸を痛めたものだ」
異性と一緒にいる姿に胸を痛めた……。
何だろう、どこかで似たことがあったような。
「笑顔を見ると嬉しくて。彼女の力になりたい、邪魔はしたくないと考えて。彼女に相応しい男になりたいと努力したよ。幼馴染だからじゃない、ひとりの男として私を見てほしかった」
お父様がふっと部屋の扉の方を見る。
もういない、誰かの姿を探すように。
「恋とは、弱くも強くもなれるものだと、私は初めて知った。彼女が私の気持ちを受け入れてくれた後も、色んな感情を知ったよ。……そんな彼女を亡くした時はとても悲しかったけれど、君達という宝物を遺してくれたから、私は強くあろうと今も立つことができている」
お母様が遺してくれた笑顔、言葉、想い。
そのひとつひとつが、お父様を支えてくれているのだという。
「会いたいと思える人に、自分を磨いて近付きたいと思える人に出会えると良いね。そんな人との出会いは、一生のうちに何度もあることではないから」
会いたいと。
近付きたいと、思える人――――。
そうか。
「……私、恋をしたのですね」
ぽつりと落とした呟きが、自分の心の全てを表しているような気がした。
* * *
「最悪だ……」
同時刻、森での討伐を終えたユリウスは執務室で頭を抱えながら座っていた。
「ジゼル様が菓子の作り手だとバレないようには根回しをしたつもりだったのですが……。まさかこんな内容で噂になるとは」
エリザも予想外でしたと眉を下げる。
ふたりの憂いの原因はもちろん、今ものすごい勢いで王宮内に広がっている噂についてである。
ユリウスが職場である執務室を個人的な面会に使用している。
しかも最近始めた菓子販売まで、その密会のためのカモフラージュだという。
「人間とはなかなか面白いことを考えるのだな。だがまあ言い方は悪いが、ジゼルとの密会で間違ってはいないのではないか?」
ゼンの発言に、エリザは確かにと少しだけ思った。
「いや、ジゼル嬢が菓子の造り手だとバレていないならば、俺のことを他の奴らが何と言おうと別に良いんだ。問題は別にある」
ユリウスは難しい顔をした。
ジゼルの立場からすると、今回の噂が良いものとは言えない。
もし執務室に通っている女性がジゼルだと知られたら?
菓子作りのことがバレなくても、彼女に対する不名誉な言葉を囁かれるようになるかもしれない。
噂だけがひとり歩きして、ジゼルの人となりを知らない者たちが、あることないこと言い出す可能性だってある。
ただでさえ“塩系令嬢”などと勝手な名を付けられているのだ。
ジゼルが傷付く姿を見たくはない。
「……申し訳ありません。私の対応が不十分だったばかりに」
あの騎士にもっと圧力をかけて、あの日のことを完全に忘れさせるべきだっただろうか。
ユリウスの話を聞き、そこまで考えが至っていなかったエリザはぐっと唇を噛んだ。
「考え過ぎなのではないか?まあ慎重なジゼルのことだ、これからしばらくはここに来ることを控えるだろうし、噂が落ち着くまで会わずにいれば良いではないか」
「それだ」
ゼンの言葉に、ユリウスは即座に切り返してきた。
「もうひとつの問題がそれなんだ。きっとジゼル嬢は迷惑をかけられないと言ってそうするだろう」
「?主、それのどこが問題なのだ?」
良く分からんと首をひねる鳥姿のゼンに、ユリウスはくわっと目を見開いた。
「俺が!俺だけがジゼル嬢に会えなくなるだろうが!!」
はぁ?とゼンとエリザは間抜けな声を上げた。
「お前達は良いさ。ゼンなどいつでもどこでもホイホイ移動できるし、エリザも俺のいないところでゼンに協力してもらえば良い。だが俺は!こんな状況で、ジゼル嬢のような麗しい女性と一緒にいるところを見られたら、噂の女性だとすぐに知られてしまうだろうが!!」
「まあ、確かに」
「そうだな。我はいつでもどこでもホイホイ移動してジゼルに会えるからどうでも良い」
うんうんと頷くふたりをユリウスは恨めしい目をして睨みつける。
「それに考えてもみろ!あのジゼル嬢のことだ。ひょっとしたら噂の女性とやらが自分のことでなく、他のどこかの女だと勘違いしているかもしれん!俺は、自分の作ったお菓子をどこぞの女に貢いでいる男だと思われているのかもしれんのだぞ!?他の奴らからはどう思われても構わないが、ジゼル嬢にだけはそんな男だと思われたくない!!」
その発想はなかったと、黙って話を聞いていたふたりは思った。
そんな馬鹿なとも思ったが、確かにジゼルは自分の容姿や能力に無頓着なところがある。
それにユリウスとは数回会ったことがあるだけ。
信頼関係がそれほど強いかといわれると、そうでもない。
「……その可能性、ないこともないですね」
「そうだな。主よ、不憫だな」
「お前達、他人事だと思って……!俺が不憫だと思うなら、何か案を出さんか!」
いつの間にか一人称が“俺”になるほど動揺しているユリウスのことがあまりに可哀想になってきて、ひとりと一羽はとりあえずこれからの対策を考えることにした。
「っていうか、ジゼル様にだけは誤解されたくないっていう時点で、もう完璧に落ちてる気がするんですけど」
「気付いていないのは本人とジゼルだけだな。あんな男が主で良いのだろうかというのが最近の我の悩みだ」
再び頭を抱えて蹲るユリウスのことを、エリザとゼンは残念なものを見る目で見つめるのであった。




