芽生えた想いは2
ザックさんにぐりぐりされた後、私は頭をさすりながら自室へと戻っていた。
まだ少し夕食までは時間がある。
お父様やお兄様達もそろそろ帰ってくる頃かしら。
残業とはほとんど縁のないうちの男達は、だいたいいつも夕食までには帰ってくる。
さすがにリーンお兄様は討伐などに出ると多少遅くなることもあるが、終了次第すぐに帰宅しているわねとエリザさんに聞いたことがある。
ジークお兄様なんて、ノー残業主義を魔術師団内で公言しているらしい。
……うちの兄達、大丈夫かしら。
「ジゼル!ジゼル!!」
げんなりとしながら自室の扉のノブに手をかけると、うしろから呼び止められた。
リーンお兄様だ。
今日は早く終わったのね。
おかえりなさいと伝えようとしたのだが、鬼気迫る勢いのお兄様に、何事!?と後ずさりする。
「ジゼル!おまえ、副団長の執務室なんぞに行っていないよな!?」
「え……?」
!?ば、バレた!?
「ええと、」
「落ち着けリーン。僕のGPSには引っかかっていないから、大丈夫なはずだ。しかしあえて聞こうジゼル。あの男の部屋になど、連れ込まれていないよな!?」
リーンお兄様の迫力にたじろいでいると、そのうしろからジークお兄様まで現れた。
な、何事!?
「いや実はねえ、騎士団副団長のユリウス殿が執務室に女性を連れ込んでいるって噂があってね」
はははと笑うお父様まで帰ってきたのだが、その目は全く笑っていない。
私、上手く誤魔化せる気がしないんですけど……。
とりあえず三人を落ち着かせて談話室で話を聞くと、どうやらある騎士さんが副団長さんの執務室から知らない女性の声を聞いたという話を、仲の良い騎士にぽろりと零したらしいのだ。
そこに尾ヒレがついて、副団長さんが執務室で女性と密会している、最近の美味しいお菓子はその女性をもてなすために取り寄せており、女性騎士への販売はそのカモフラージュだという噂になっているのだそうだ。
執務室から聞こえたという知らない女性の声、それにはものすごく心当たりがある。
あの時、部屋の外の騎士さんに聞かれていたのだ。
でも噂のほとんどは真実ではない。
「そんなの嘘に決まっているじゃありませんか」
呆れた私はつい、そう言ってしまった。
「“嘘に決まっている”?なぜ“私ではありません”ではないんだ?」
ジークお兄様がすかさず突っ込んできた。
しまった、何て答えよう。
「“私ではないのはもちろんですが、副団長さんがそんなことするはずありません”という意味じゃないかな?ほら、ジゼルは大切な仕事仲間を信じているんだよ」
さすがお父様!
思わぬ援護に心強くなる。
どうやら事情を知っているお父様は、恐らく噂の女性は私のことで間違いないだろうが、不名誉な噂の的にされては困ると思っているらしい。
お父様の愛情の深さに感謝だわ。
そしてジークお兄様も、まあそうだろうねと続けた。
「僕のGPSでジゼルの位置情報を把握しているけれど、ジゼルが彼の執務室に行った様子はないからね。まあ別の女だろうとは思っていたんだ」
ここでまさかGPSが役に立つとは……。
「ふん、ジゼルでないならどうでも良い話だな。副団長の恋愛事情になど興味ない」
それを聞いたリーンお兄様はすぐに興味をなくしたようで、ソファによりかかってお茶を飲み始めた。
良かった、何とか収拾がつきそうだ。
内心でほっとしたのだが、それでも副団長さんが不名誉な噂を立てられていることに変わりはない。
お菓子の販売が女性と密会するためのカモフラージュだなんて、そんなこと絶対にないのに。
そもそもあの時、私が迂闊に声を出してしまったせいだし、責任を感じてしまう。
謝らないと……。
でも、ご迷惑かしら。
また私の存在を知られてしまったら、それこそどんな噂が生まれるか分からない。
とすると、下手に接触しない方が良いのかも。
……けれど。
会いたい。
そう思って、はっとした。
私、今何て……。
「ん?どうした、ジゼル」
黙ってしまった私のことを不思議に思ったのだろう、リーンお兄様が私の隣に座り直した。
「いえ、その。……お兄様、先程副団長さんの恋愛事情、とおっしゃいましたが、恋とはどんなものなのでしょう?お菓子販売をカモフラージュにって、あの副団長さんに限ってと思うのですが、恋とはそれほどのことをしてしまうものなのですか?」
珍しく長文を話す私に、隣にいたリーンお兄様は目を丸くした。
私の発言が意外だったのだろう。
じっと答えを待つ私に、お兄様はたじろいだ。
「お、俺には分からん。恋など、落ちたことがないからな!」
何故か自信満々に言うリーンお兄様、何となく不憫な気持ちになってしまう。
「うーん。僕も経験ないけれど、恋とは人を愚かにしてしまうとよく聞くね。ジゼルにとっては良い人だった彼も、恋に落ちてそうなってしまったのかもしれないよ?もし本当にジゼルのお菓子を利用して下らない女と密会しているのであれば、僕がちゃんと始末してあげるからね」
さらっと笑顔で怖いことを言うジークお兄様に、寒気がする。
どうやら氷の魔力が漏れていたようで、お父様が止めてくれた。
「“恋とはどんなものなのか”か……。ジークの言うように、確かに恋に落ちて愚かな行いをしてしまう者は残念ながら多いね」
やはりなとジークお兄様がなぜか偉そうに胸を張った。
「けれどねぇ……。恋を経験した者としては、悪いことだけじゃないと言いたいね」
誰かの面影を探すような表情をしたお父様の左手の薬指には、ひとつの指輪が光っている。
そしてそれと対になっている指輪が、チェーンに通されてお父様の首にかかっていることを私は知っている。
「君達の母とは、幼馴染だったんだ。幼い頃は会えるのが当たり前で。ずっと一緒にいられるものだと、幼い私は信じて疑わなかった」
懐かしそうにお父様は話し始めた。




