芽生えた想いは1
その日も私は午前中にお菓子作り、午後からは家の書類仕事の手伝いをして過ごしていた。
副団長さん達は午前中から近くの森へと魔物討伐に出ているとのことなので、今日は家でもくもくと仕事をこなすのみだ。
といっても今日のお菓子は討伐時でも食べやすい、ひと口サイズのクッキーにしたため、簡単に大量生産できて時間もそれ程かからなかった。
書類だって今日は急ぎのものはないし、量も少ない。
ということで夕方、久しぶりにザックさんの手伝いをしに行くことにした。
庭園の花々は今日も綺麗に咲き誇っている。
ザックさんは本当に植物のお世話が上手だなぁと感心してしまう。
菜園の野菜達も立派に育っているし、ザックさん様々だ。
「お嬢様、今日は暇なんですかい?」
声をかけられぱっと振り向くと、すっかり日焼けをしたザックさんが立っていた。
「ええ、今日は時間に余裕があって。最近なかなか手伝いに来れなくて、任せっきりになってしまってごめんなさい」
「いーんですよ、時々こうして見に来てくれるんですから。どうです、野菜達、元気でしょう?」
にぱっと笑うザックさんは、まるで向日葵のようだなと思う。
「はい。ザックさんが一生懸命お世話して下さっているんだなと、ひと目で分かりました」
へへっと照れ笑いをするザックさんは感情の表現が上手だなと思う。
副団長さんも表情豊かだし、エリザさんだって。
笑顔を交わし合うことができるのって、素敵だよね……。
そんなことを考えながらじっとその顔を見つめていると、ザックさんが訝しげに近寄ってきた。
「お嬢様、またなーんか考え込んでます?」
「……そんなことないわ」
しまった、ザックさんは勘が良いんだった。
ぷいっと顔を逸らすと、がしっと頬を掴まれた。
「怪しい!顔は無表情に近いけど、行動は分かりやすいんですよお嬢様は!」
「ひたひ(痛い)!はなひてくらはい(放して下さい)!」
もうこのやり取り、何度目だろう。
いい加減学習しないな私もと思いながら必死に抵抗するが、ザックさんはびくともしない。
諦めて脱力すると、よしよしと手を放してくれた。
「それで?今日はどんなくだらないことで悩んでるんです?」
くだらない話で確定なのか。
それもどうなんだろうと思いつつもザックさんを誤魔化せる気がしないため、渋々口を開く。
ふたりで水やりをしながら、ぼんやりとではあるが今の気持ちを話してみた。
「なるほどねぇ、感情豊かな人間が羨ましくなったんですか」
「羨ましいというか……。随分言葉では伝えられるようになったんですけど、言葉だけでなく、表情だけで相手と気持ちを通わせることができるのって良いなと思って。最近たまにですけど、笑えている時がある気がしてるんです。このまま頑張れば、少しずつ表情豊かになれるかなぁと思いまして」
言葉だけの嬉しいよりも、笑顔を伴っての嬉しい!の方が、やっぱり伝わると思うのだ。
それに私の場合、言葉でだって副団長さん達からどうしたの?と言われてやっと話し出せるようになった程度だし。
とにかく、人より数倍も伝えることが下手なのだ。
表情でも、言葉でも、伝えられるようになりたい。
「ふーん、なるほど。お嬢様、変わりましたね」
「え?」
予想外の言葉が返ってきて、思わず聞き返してしまった。
「少し前はさ、無表情でも仕方ない、シュタイン家の人以外にどう思われても構わないって感じだったのに。どうしたんですか、最近外に出て誰かに出会ったりしました?」
「い、いえ。外出はしていませんけど……」
ザックさんはやはり鋭い。
しどろもどろになって答えるが、ゼンの瞬間移動のことは秘密なので仕方ない。
「まあお嬢様が外出したなんて話、聞いてないしそれはないか。じゃああれですか?俺は見たことないですけど、例の新しい仕事の関係者だっていう、赤い髪の男ですか?」
赤い髪……恐らくゼンのことだろう。
確かにゼンが運び役をしていることはお兄様達も知っているし、内容こそ秘密にしているが、私が新しく仕事を始めたことは使用人達にもなんとなく伝えているため、ひょっとしたら目にしたことのある人もいるのかもしれない。
何と答えて良いものかと言いあぐねていると、ザックさんは別のことを話し始めた。
「なら質問です。変わりたいと思ったのは、誰の影響ですか?」
誰の影響……。
その時思い浮かんだのは、副団長さんの姿。
「はい、思い浮かんだ人のことが好きなんですよお嬢様は。きっとね」
「す、き……?」
自分には一生縁のない言葉だと思っていたものが出てきて、思わず口にしてしまった。
すき、好き?
私が?
誰を?
……副団長さんを?
「好き……かどうかは、分かりません。ただ、良い人だなぁって思うだけで。その周りの方も、とても良い方ばかりなんです。皆さんにすごく良くして頂いているのに、自分がこんな感じでいるのが、何となく嫌というか。引きこもりだし、かわいらしく笑えもしないし。……上手く言えないんですけど」
「あーまだ芽生えたばっかってやつね。めばえちゃんなんですねお嬢様は」
めばえちゃん?
ザックさんの言っていることが良く分からなくて、戸惑ってしまう。
「お嬢様はすごいですよね、その人に近付きたいって、変わりたいと思えるんですから」
急に話が戻った?
もう話の流れが良く分からなくなってしまった。
「んー。お嬢様って、自己評価は低いけど、卑屈にはならないっていうか。自分なんてっては言うけど、そこで諦めないのはすげえなって思いますよ」
ぽんぽんとザックさんが私の頭を優しく撫でた。
「謙遜はお嬢様の良いところでもありますが、努力家なのも素晴らしい長所だと思います」
まるでその成長を優しく見守るようなザックさんの言葉が、すっと胸の中に入ってくる。
「大切な人のために努力できる人ってのは、意外と少ないもんですよ。ありのままの自分を受け入れてほしいって、綺麗な言葉ですけど、変わる努力をしないっていう風にも聞こえるというか」
「……そうかも知れないですね。私も、努力できる人になれるかしら?」
「だからもうなってますって!話聞いてました?」
はっはっは!と笑いながら、今度はガシガシとちょっと乱暴に撫でられた。
いつもの撫で方。
ちょっぴり痛いけど、その手は温かい。
「やっぱりザックさんて、おとう……」
「だから“お兄ちゃん”だって言ってんだろーが!」
“お父さんみたい”と言おうとしたら思い切り遮られてしまった。
「痛っ!だから、痛いんです、それ!」
そして頭を撫でてくれていたはずの手は、またぐりぐりと私の頭を押し潰す手になってしまったのだった。




