塩系令嬢と呼ばれた私2
ウキウキと足取りの軽いお兄様達と共に廊下を進み、食堂へと足を踏み入れると、もうすでにお父様が席についていた。
「やあ、おはよう。今日も兄妹仲良しだね」
これが私達の父、アルベルト・シュタイン。
アッシュグレーの髪にアイスブルーの瞳の穏やかな美中年、シュタイン伯爵である。
そんなお父様の隣の席は、今日も空いている。
そう、お母様は私が幼い頃に亡くなっており、お父様は後妻を娶らずにこうして私達三兄妹を育ててくれた。
「ジゼルの焼いてくれたスコーンは今日も美味しそうだね。早く起きて来ないかと待ちくたびれていたよ」
「遅くなってごめんなさい。今日もたくさん食べて下さいね、お父様」
相変わらず私の表情は無に近いだろうに、そう言って席に着く私に、お父様は穏やかに微笑んでくれた。
前世の記憶を取り戻してから、中身が大人なだけあって新しい父に甘えることは気恥ずかしく、例によって無表情の対応となってしまうのだが、私はこの父が人間的にとても好きだ。
それは、なんとなく雰囲気が前世で私を雇ってくれたパティスリーの店長に似ていたからという理由がひとつ。
そしてもうひとつ、記憶を取り戻して貴族令嬢としての適性がなさすぎる私の意志を尊重してくれているからという理由もある。
お父様が容認してくれているそのひとつが、このお菓子作りだ。
「うん、今日も絶品だな!ベリーのジャムとスコーンが紅茶に良く合う」
「ジャムもジゼルの手作りなんだろう?ジゼルが料理長をはじめとするこの屋敷の料理人たちに指導するようになって、もう外の料理なんざ食えたものじゃなくなったな」
ご機嫌な様子でお兄様達がスコーンを頬張る。
「まあ、そうだねぇ。正直、王宮の料理すら、我が家のものとは比べ物にならないと私も思うよ」
苦笑いしつつも、お父様もそれに同意する。
「……私は別に、美味しいものを食べたいし、お菓子を作るのが好きなだけだから」
実際料理人のみんなにも大した料理は教えていない。
けれど舌の肥えたお父様やお兄様達がそう言うのには、訳がある。
なんとこの世界、料理がとんと発展していない世界だった。
最初は分からなかった。
だって見た目はとても良い。
ものすごく美味しそうなのだ。
それなのに、味が……なんとも言い表せないが、微妙だった。
不味いわけではない、食べられないわけでもない。
しかし、美味しくはなかった。
そしてそれはお菓子も同じ、いやさらにひどい。
こちらは見た目も味も微妙という酷さ。
材料も用具も揃っているのに、何故。
衝撃を受けた私は、自分で作らせてほしいと父に頼んだ。
しかしその時私は記憶を取り戻したばかりの三歳。
包丁を握らせてくれるわけもないし、火を使わせてくれるわけもなかった。
ならばと妥協案で、料理人達に私の指示通りに作ってもらうことにした。
はじめは我儘お嬢様の気まぐれに付き合わせられるのかという様子の料理人達だったが、出来上がった料理を口にして、私を見る目が変わった。
「「「一生お嬢様についていきます!!」」」
と、料理長までもが膝を折ったのだ。
三歳児を相手に。
それもどうかと思うが、とりあえずそんなこんなで、私は調理場への立ち入りを許してもらえることになった。
結果、シュタイン家の食事事情はものすごい発展を遂げた。
そして我が家の使用人達は住み込みの者がほとんどなのだが、食事が美味しいという理由から、大幅に離職率が下がった。
なんなら、仕事を辞めてこの家を出たら美味しいご飯が食べられなくなってしまうという理由で、婚約者や恋人との結婚を渋る若い女性使用人だっている。
そんな時には、誰でも作れる簡単レシピをいくつか載せたノートをそっと渡すことにしている。
そんな理由で結婚を断られる相手の男性が気の毒すぎるから。
とまあ話は逸れてしまったが、そういった経緯があり、この家の者達は不愛想で貴族令嬢として欠陥のある私にも優しくしてくれている。
俗に言う、胃袋をつかまれているというやつなのだろう。
「こんなに愛らしくて、料理や菓子作りが上手で、賢くて、謙虚な女性は他にいないぞ?全く、相変わらずジゼルは自己評価が低いな」
私の思考を読んだかのように、ジークお兄様がそう言って手の中のフォークを弄ぶ。
「はあ。別に、そんなつもりはないんですけど……」
良く分からないと首を傾げると、まあそんな所もかわいいんだけどな!とリーンお兄様が頬を緩めた。
まあね?
三人からしたら、私は身内だし、美味しいものを作ってくれる存在、というくらいには価値のある人間だと思う。
けれど、だからってそこまでかわいがってもらえるほどかしらと疑問には思うのだ。
とすると、やはり胃袋をつかまれているというのは、それだけ彼らにとっては大事だということなのだろう。
「お兄様達、意外と食いしん坊よね」
「「そりゃあ君の作る、とくにお菓子は絶品だからね。今日のオベントウとお菓子も楽しみにしてるよ」」
双子の声が重なった。
伯爵家以外での食事なんて食えたものじゃないから、学校にも仕事にも行かないと宣った彼らのために、お弁当を提案したのは、幼い頃の私だ。
「今日のオベントウは、料理長自信作のサンドイッチだそうだ。それと、間食用のお菓子はジゼル特製のマドレーヌだと聞いているよ」
父がほくほく顔でそう言うと、兄ふたりも楽しみだな!と破顔した。
兄ふたりだけでなく、父も食いしん坊だったみたいね……。
でもまあ、こうして喜んでもらえるのは嬉しいことだ。
「……夕食のデザートは三人の好きなスイートポテトを用意しておくわ」
言葉にするのは少し恥ずかしかったが、好き勝手やらせてもらえているお礼は言わねばとそう伝えれば、何故か三人は顔を覆って悶え出した。
どうしたのだろう、朝食のソーセージに添えてあるマスタードが鼻にきたのだろうか。
「はあ……うちの娘はこんなにかわいいのに。一体誰だろうね、“塩対応の塩系令嬢”なんてジゼルのことを呼び始めたのは」
最初に復活したお父様がそう言って深いため息をつく。
そう、三年前のデビュタントの日、私はある貴族男性からのダンスの誘いを断わったのだが、それ以来、非常に冷たい人間だと社交界で評判になってしまった。
いつの間にかそんな汚名を着せられるくらいに。
前世の現代日本の若者達は、素っ気ない対応を“塩対応”という表現をしていたが、どうやらこの世界でもそんな言葉があるらしい。
そういえば前世の私も、『塩対応傷付くわ〜』なんて言われたことがあった。
別に冷たくしたつもりはなかったのだが……。
まあでも愛想が良くないのは自覚しているし、仕方がないことだと当時の私も諦めていた。
今世も同じこと、慣れたものよ。
ひとりそう納得していると、ダン!とリーンお兄様が机を打って立ち上がった。