塩系令嬢と呼ばれた私1
本日二話目の投稿です。
甘いチョコレートに焦がしバターの香り。
さらさらとボウルの中に流れる小麦粉や砂糖の音も、生地が焼けていくジリジリという音も。
いつだって、それらは私の心をときめかせる。
表情筋が死んでいる、なんて、面倒見の良い同僚の先輩達は私のことを揶揄するけれど。
作るお菓子は、甘くて優しい味がするって笑ってたっけ。
目をキラキラさせてケーキを選ぶ子ども達や、大切そうにお菓子の箱を抱えてお店を出るお客様を見ると、心が温かくなった。
ああ、ここはなんて優しい空間なんだろうって、毎日感じていた。
こんな時間がいつまでも続けば良いのにって思っていたけれど。
その終わりは、突然やって来た。
職場からの帰り道、今日の遅めの夕食は何を作ろうかなと思いながら、スマホでレシピを見ていたのがいけなかった。
歩きスマホは危険、なんて知っていたはずなのにね。
信号が変わったと勘違いして、横断歩道を渡ろうとしたその時。
激しい音のクラクションで、はっと気付いた。
違う、赤だ。
そうして、私の二十五年の短い生涯は、幕を閉じたのだった。
* * *
転生したことに気付いて早十五年。
今日も私は動きやすいシンプルなドレスに身を包んで、最低限の身だしなみを整えてもらっていた。
「はぁぁ、いつ触れても、お嬢様の肌は透き通るようになめらかで、ツヤツヤですねぇ」
「この御髪もです、まるで絹糸みたい!はぁ、ずっと触っていたいですぅ」
「……それは困るわ。終わったなら、もう行っても良いかしら?」
あーん名残惜しいですぅ!とさけぶ侍女たちに簡単にお礼を言って、私は朝食をとるために部屋を出て食堂へと向かった。
それにしてもさすが我が家の侍女達、今日も楽なドレスと邪魔にならない程度に緩く纏めた髪、私好みだわ。
しかも、前世と同じく表情筋の死んでいる現世の私を相手にしても、あのように笑顔と褒め言葉を絶やさないあたり、プロだわね。
この屋敷にいると自分が無表情だということを忘れてしまう、それくらい、ここの使用人たちは私にとても良くしてくれている。
現世の私の名前は、ジゼル・シュタイン。
さらりと流れるグレージュの髪と青みがかった藤色の瞳を持つ十八歳。
先程も触れたが、感情が表に出ず、饒舌なわけでもないため上手く気持ちが伝えられないという欠点がある。
そんな私だが、ここアルテンベルク王国の貴族で、魔法学・騎士学・算術学とあらゆる分野において優秀な者を輩出している、シュタイン伯爵家の長女である。
さて、ここまで話せば、私が西洋風の異世界に転生したのだということがお分かりだろう。
三歳で流行り病にかかり、高熱にうなされた時に突然、私は前世の記憶を思い出した。
ああ、交通事故にあって死んでしまったんだって、涙が流れた。
無愛想で人付き合いの下手な私だったけれど、働いていたパティスリーでは大好きなお菓子作りに没頭することができたし、同僚達もとても良い人ばかりだった。
幸せだった。
どうしてあの時スマホを見ながら歩いてしまったんだろうって、後悔するくらいには。
涙が止まらないのは、前世を思い出したからなのか、高熱で体が辛かったからなのか。
それは分からなかったけれど、そこで意識を失い、次に目を開けた時にはもう、私の頭の中は鮮明だった。
前世の私はもういない。
これは全く違う人生なんだって、理解した。
それから私は、ジゼルとしての今世を生きてきた。
……まあ正直、三歳児として新しい人生を始めるのは色々と大変だったのだが。
「おはよう、ジゼル。うん、今日も綺麗だ」
「馬鹿の一つ覚えのような挨拶だな。おはよう、ジゼル。今日の髪型も似合ってるぞ」
……理由のひとつが、このお兄様達である。
「馬鹿とはなんだ、僕は王宮きっての天才と評判の魔術師なのだが?」
こちらが兄その1、ジークハルト。
王宮魔術師団に在籍する若き天才……と呼ばれているらしい。
「はっ、お前ごときを天才と呼ぶとは、我が国が誇る王宮魔術師団も程度が知れるな」
こちらが兄その2、リーンハルト。
王宮騎士団に在籍する、これでも一個隊を任されている隊長である。
「おい、騎士風情の無骨な手でジゼルに触れるな。お前の馬鹿力でジゼルの美しい玉の肌を傷付けたらどうする」
「力加減もできない素人と一緒にするな。おまえこそ、魔力操作を誤ってジゼルに怪我をさせるなよ」
「ふん、それこそ天地が返ってもありえないな」
「はっ!そんなすましたツラをして、油断などするなよ」
「お前こそ、生意気な顔をしていると、あの恐い団長に目をつけられるぞ」
……そんなことを言い合っているけれど、顔はふたりともまるっきり同じよね?
内心でそう思いながら、まるで鏡に映したかのようにそっくりなふたりのお兄様達の顔を見比べる。
どちらもすましているし、どちらも生意気そうな顔をしている。
さて、ここまでのやり取りを聞いてお分かりの通り、ふたりは一卵性双生児、そうつまり双子だ。
母親似のふたりは、少しクセのある金髪に鮮やかなコバルトブルーの瞳の、一見すると白馬に乗った王子様のような容姿をしているが、中身は実に残念なシスコンである。
こうしていると仲が悪そうに見えるが、その実、結構仲は良い。
特に悪巧みをしている時は最高に意見が合う。
ちなみに私を巡る争いになる時だけ、またたく間に今のような言い合いを始めてしまう。
……何故私のことをそれほどまでに好いているのかは、謎だ。
年も三つしか違わないし、年の離れた妹をかわいがるってわけでもなさそうなのだが。
未だわーわーと言い合っているお兄様達をじっと見つめていると、すぐ側で使用人達がおろおろしているのに気が付いた。
そして眉を下げて、なにかを訴えるような目を私に向けてきた。
ああ、またか。
ふうっと息をついて、しょうもない言い合いを続けるお兄様達に向かって口を開いた。
「ジークお兄様、リーンお兄様。そのあたりにして早く朝食へと向かいましょう?昨日私が焼いたスコーンを用意してもらうよう、料理長に頼んでおいたのですから」
「「分かった、すぐに行こう!」」
目を輝かせてピタリと喧嘩を止めたふたりに、やれやれと内心でため息を零す。
そして使用人達からは、さすがお嬢様!とキラキラした眼差しで見つめられた。
なんとも不可思議なことだが、これが我が伯爵家の日常なのである。