第四話/もしかすると似た者同士
それ以後、何とか仕事だけは予定通りこなすようになったヴィトーだが、とても立ち直ったとは言えない暮らしようで、相変わらず街娼を買っては家に引っ張り込んだり、食事もせずに酒ばかり飲んだりするため、アデーレの目の届きにくいアトリエは引き払って、元の屋根裏部屋の下宿に戻ることになった。
下宿なら外からおかしな輩を引き込むことはできないし、家主の奥さんが面倒を見てくれる。誰かに監督されないとまともな生活ができない男なのだ。もう20代も半ばでちゃんとした大人になるべき年齢なのだが、伯爵家で下男をしていた頃から絵以外は進歩していない気がする。
「アデーレ様はヴィトーに甘すぎます。いくら才能があるとは言っても、あんなろくでなし、放っておけばいいんですよ」
ハンナが呆れてアデーレに進言するが、恐らくこの腐れ縁はどうにもならない気がする。とりあえず仕事さえしてくれれば、画廊としては文句を言う筋合いはない。アデーレはだんだん大きくなってきた腹をさすりながら、もう何度目かわからない溜息を吐いた。
それからしばらく経ったある日、アデーレはエリザベッタの部屋を再訪していた。昨夜の客が帰って、次の客が訪れる夕刻までの支度時間に、無理を言って通してもらったのだ。
これが一般の者なら妓楼も追い返すのだろうが、何しろ現領主であるペルコヴィッチ伯爵の妹君で、街の顔役とも言えるノヴァク男爵夫人である。そうそう素気無い扱いはできない。アデーレはそういう権力は躊躇せずに使う主義であった。
「今日はどんなご用件でしょう。しばらくあの坊やも来てませんし、お宅のご主人もいらしてませんわよ」
エリザベッタは洗い髪を布で包み、豪奢な刺繍の入った絹のガウンを着ている。これから化粧をして髪を整えるのだろうが、素のままでも神々しいほどに美しい。アデーレは暫しその姿に見惚れた後、単刀直入に用件を切り出した。
「あなた、悋気を起こした奥さまに、男の誑かし方を学べとおっしゃったのよね」
「ええ、言いましたよ。それが何か」
「それ、私に教えてくれないかしら」
「えっ?」
目を丸くしながら、エリザベッタがアデーレを凝視している。まさかそんな頼みのために、貴婦人が娼婦の部屋を訪れるとは思いもしなかっただろう。エリザベッタはどう反応していいものか、返答に窮している。
「ごめんなさい、急にそんなことを言われても困るわよね。例の絵描きのヴィトーなんだけど、まだあなたに未練があるみたいで、ひどく落ち込んでいるの。もちろん、あなたにそれをどうにかして欲しいなんて言わないわ。ただ……」
「ただ?」
「……どうやったら、そこまで彼を魅了できるのか、知りたかったの。彼は今まで、どんな女にも心を動かされたことがないわ。つまり、あなたが初恋なの。どうして彼は、心を動かされたのかしら」
そこまでアデーレが言うと、エリザベッタは数秒考えて、にやっと意地の悪い笑みを浮かべた。まるで小鳥を狙う猫のようだ。
「奥さま、あの坊やをお好きでいらっしゃるのね」
エリザベッタが図星を突き、たちまちアデーレの頬が紅潮する。自分でも馬鹿な質問をしているのはわかっている。ノヴァク男爵夫人であり妊婦でもある女が、平民の男に執着するなど、破廉恥にも程がある。しかし、エリザベッタはそれを笑い飛ばさなかった。
「恋なら、仕方がありませんわね」
細い女物の煙管に火をつけ、エリザベッタが紫煙をふっと吐き出す。
「結局、ないものねだりなんですよ。誰かを愛したからって、報われるとは限らない。むしろ手に入らない分、欲しくて仕方なくなるのが人間の業ってもんです」
散々ああでもないこうでもないと悩んでいたことが、その一言で、すっと腑に落ちた気がした。以前シャイロが言っていた「餌を鼻先にぶら下げる」に通じることなのかもしれない。アデーレは手に入らないヴィトーを求めて、その渇望から逃れられなくなっているのだ。
「だから、矛盾するかもしれませんが、男を誑かすには男に惚れないことですね。みんな、そこで加減を間違えて失敗するんですけど」
そう言ってエリザベッタは、苦笑いをした。その表情を見て、もしやどんな男も手中に落とせそうな彼女も、自分と同じ苦悩を内に抱えているのではないかと、アデーレは想像した。
「あなたも……恋をすることがあるの?」
愚問だと思ったが、聞かずにいられなかった。エリザベッタはふっと微笑み「そりゃあね」と眉尻を下げた。
「もちろん、お客に惚れたりなんてしませんよ。そうでなきゃ、こんな商売はやってられませんから。でもね、こんな生業でも女は女です。むしろ娼婦は、惚れたらとことんって女が多いんじゃないですかね」
あまり長居するわけにもいかないので、礼を告げてアデーレは部屋を辞去した。帰りの馬車の中で、エリザベッタの言葉が頭の中を渦巻く。
――男を誑かすには男に惚れないこと
アデーレには無理な話である。ヴィトーがエリザベッタを追い、そのヴィトーをアデーレが追う。なんと不毛な構図であろう。ヴィトーがこちらを向いてくれない限り、誑かすことさえできないのだから。
一方、妓楼から馬車が遠のく音を聞きながら、エリザベッタはアデーレに妙な親近感を覚えていた。この領で最も権威あるペルコヴィッチ伯爵家に生まれ、王家も一目置くメッシーナ辺境伯に嫁いだ。さらに前夫亡き後は国で十指に入る豪商、シャイロことノヴァク男爵の夫人となって子にも恵まれた。傍から見れば、幸運の花道を歩んできたような女性である。
それなのに、欲しい男の情けが手に入らず、思春期の少女のように焦れているのだ。人生とは、何とうまくいかないものだろう。まるで自分たちは同類ではないか。少なくとも、本当に誑かしたい男に見向かれていないところは、似た者同士かもしれない。
エリザベッタは鏡に向かい、白粉を叩いて真っ赤な紅を指した。男たちに誉めそやされる容姿も、次第に輝きが失われつつあるのは否めない。いつまで自分はこの場所にいればいいのか。それを考えると、大声で叫んで泣き出したい気分になるのであった。
その年の夏がようやく終わろうかというころ、アデーレは元気な女の赤ん坊を生んだ。生まれるまでは、心のどこかで気がかりなアデーレとハンナであったが、その子はシャイロによく似た濃い栗色の髪をしており、顔立ちにはアデーレの幼いころの面影がある。
まだ生まれたばかりなので、どんな娘になるか想像もつかないが、17歳で初めて出産してから約6年。23歳にしてようやくアデーレは、我が子を腕に抱く幸せを手に入れたのだ。娘の誕生が嬉しかったのはシャイロも同じようで、前妻との子は男の子ばかりなので、ことのほか小さな姫のお出ましに浮かれていた。
「早く大きくなってくれ、いや、大きくならなくていい。嫁になんぞ行かずに、ずっとこの家にいてくれ。どんな贅沢も、この父が叶えてやろう」
「あんまり甘やかさないでね。高慢ちきな娘なんて、ごめんだわ」
「ははは、そこらへんはお前さんがうまくやってくれ。ところで名前だが、前に言っていたやつで決まりかい?」
「ええ、この子の名前はアイリスよ」
女の子が生まれたら、その名を与えようと考えていた。シャイロには、メッシーナ辺境伯家でお世話になった親友の名前だと伝えてある。賢くて愛情深かったアイリスのように、素敵な女性に育って欲しいという願いをこめた。ただし偏屈な男に惚れて、要らぬ苦労はしないでもらいたい。
「女らしい、きれいな名前だ。愛しているぜ、アイリス」
シャイロがおでこの産毛をなでると、アイリスが気持ちよさそうにあくびをした。愚かな行いに走ったり、迷い路を彷徨ったりもしたが、もう恋で自分を見失うことなど絶対にないと今なら誓える。
固く握りしめられた小さな手を見ながら、どうかこの幸せが消えてなくなりませんようにと、アデーレはまどろみ始めた愛娘の重さをひしひしと感じ、天上の神に心からの感謝を捧げた。




