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背徳の画家ミロスラヴとそのパトロネス  作者: 水上栞
Season6/二人目の良人(おっと)
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第四話/あなたを一生許さない



 アデーレの結婚から遡ること、約2カ月。リュドラスが蓄電したため、アデーレの画廊は暫し休業状態を続けていたが、シャイロの口利きで代わりの責任者が来ることになった。王都の有名な画廊から引き抜いたベテランである。それに合わせて再稼働の準備を進めなくてはいけないのだが、結婚式の準備があるため、ハンナはペルコヴィッチ伯爵家と画廊の往復で天手古舞だった。



 この日も朝からアデーレの花嫁衣装の仮縫いに立ち会い、午後には帳簿や支払い書一式を抱えて画廊にやってきた。休んでいる間にも絵の搬入など雑務があり、アデーレに成り代わってハンナが店舗を仕切らなくてはならない。朝から何も食べずに走り回り、ようやく塩漬け肉を挟んだパンにかぶりつこうとしたとき、非情なノックの音がして恨めしくハンナはドアを睨んだ。



「あれっ、ハンナひとりなの?」



 ドアの隙間から、ヴィトーがひょっこり顔を出す。呑気な声で話しかけられ、ハンナは苛々が首元から滲んでくるのを感じたが、パンをナプキンに包みなおして居住まいを正した。



「アデーレ様はお忙しいのよ。ご結婚なさることは、あなたも聞いているでしょう?」


「うん、まさかシャイロさんだとはね。あの人、よく画廊に来てたよね。アデーレとは釣り合わない感じの人だから、結婚するって聞いたときは驚いたよ」



 そう言ってヴィトーは白い歯を見せた。最近は下宿の奥さんに世話をしてもらえるため、痩せぎすだった体に多少の厚みが出て男らしくなった。着ている物も昔は絵の具と油の浸みた破れシャツだったのが、今ではしみひとつないシャツに毛織のジャケットである。


 濃い褐色に前髪だけ一筋の白が入った特徴的な巻き毛も、きちんと櫛を通してあるので、昔ほど不潔そうに見えない。そのため、以前にもまして女の噂が絶えないと聞く。それらが全て、アデーレの尽力の上に成り立つことを思うと、ハンナの不快感は最高潮に達した。



「あんたのせいよ!」


「えっ」


「あんたが、あんな嫌らしい絵を描くから、アデーレ様は望まない結婚を受け入れる羽目になったのよ。あんたのせいよ!」



 顔を真っ赤にしたハンナに怒鳴りつけられ、わけがわからずヴィトーは縮こまった。そしてアデーレが自分を守るためにシャイロと結婚した経緯を聞き、ヴィトーは罪悪感で目の前が真っ暗になってしまった。



「嘘だろ、そんな……」


「嘘なもんですか、表には出せないけど値打ちのある絵だからって、伯爵家の金庫で大事に保管していたのよ。それを、リュドラスが盗んでシャイロ様に売り飛ばしたの。あんたがあんな絵を描かなければ、こんなことにはならなかった」


「リュドラスさんが……盗んだ?」



 ここでようやくヴィトーは、なぜ急にリュドラスが辞めたのか。画廊がしばらく休業することになったのか。そしてアデーレが敬遠していたシャイロとの結婚を決意したのか、一連の流れを理解した。ハンナはアデーレから「ヴィトーには秘密にして欲しい」と頼まれていたのだが、まるで他人事のようなヴィトーの態度に我慢がならず、怒りをぶちまけてしまったのだ。



「わかったら、二度とアデーレ様の迷惑になることはしないで。言っとくけど、私はあんたを一生許さないんだからね!」



 ヴィトーはふらふらと画廊を出ていき、一旦下宿の方角へ足を向けたが、立ち止まって暫し考えを廻らせた後、レヴェック市街の反対方向を目指した。そこはかつてタチアナや仲間たちと暮らしていた、雑居アパートのある界隈であった。






 アデーレが再び画廊に出てくるようになったのは、結婚式の約一カ月後。式の後も、逗留している親戚や挨拶に訪れる客の相手で、女主人としての仕事に忙殺されていた。しかし、そんな煩瑣な日々からアデーレを解放してくれたのは、意外にもシャイロであった。


 結婚したのだから、画廊は誰かに任せろと言われるかと思いきや、シャイロは結婚しようがしまいが、仕事は信念をもって貫けとアデーレを励ました。



「お前さんの名前で始めた商売だろ? 人任せにしないで、責任もってやんな。家のことは家政婦に放り投げときゃいいんだ」


「世間に体裁が悪くないかしら」


「体裁? そんなもんは犬の餌にでもしてしまえ。商売は信用が第一だ。お前さんの裁量でお抱えにした絵師や、雇い入れた従業員、わざわざ来てくれる客もいるんだろ。不義理はしちゃいけねえぜ」



 それは彼の経営哲学でもあった。シャイロは粗野で横柄で、目的のためには手段を選ばない男だが、商売に関しては実に真正直で真摯である。アデーレはこと社会の仕組みに関しては、彼から学ぶところが大きかった。



「大鉢いっぱいの小麦を売るとしよう。いいか、たった一粒の麦もごまかしちゃいけない。むしろ、客が見ている前で一握り多めに入れてやるんだ。客っていうのは、少なけりゃ大騒ぎするが、多いと知らんふりして、また買いに来る」



 このような考えに、最も感化されたのはブランドンだろう。最初こそシャイロの粗暴な物言いを嫌っていたが、それが決して貴族を虚仮にしているのではなく、単に育った環境のせいであることを理解すると、積極的に事業についての意見を求めるようになった。



「廃坑の性質を生かして保管庫に、っていう思い付きはいい。しかし、まずいことが起こった時、どうするかは考えてあるかい? 例えば大雪が降って出庫できないとか、流行り病で人が足りなくなるとか、泥棒が入ることだってあるかもしれん」



 ブランドンよりもシャイロの方が10歳近く年上なので、義理の兄と弟ではあるが傍から見ていると逆に見える。最近ではブランドンや父も、シャイロの口の悪さには慣れたようで、よく一緒に酒を酌み交わしているようだ。



「盗難の対策は当然してあるさ。坑道の出入り口はひとつだ。そこへ警備員を配置しているし、定期的に庫内の点検をする人間も雇っている」


「甘いな、泥棒の大半は身内だよ。金に目が眩んで中から手引きをする奴が、お宅の保管庫にいないと断言できるかね?」



 ブランドンがぐっと言葉に詰まる。母親は平民とはいえ、幼少時から伯爵家で育って、大人になってからは軍隊しか知らない人間である。叩き上げの商人であるシャイロから見れば、甘ちゃんの坊やであるのは如何ともしがたい。



「想定しうる難儀を、ありったけ書き出して、それにどう対処するか事前に考えておくんだ。いいかい、うまく行っているうちに、うまく行かなくなった時のことを考える。それが商売で生き残る、最も利口な方法だ」



 シャイロは自らが長年の経験で培った知恵や情報を、実に気前よくブランドンやアデーレに授けた。彼は敵と味方の区別が明確であり、敵に回すと恐ろしいが、いったん懐に入ってしまえば、これほど頼りになる男もいない。アデーレは徐々に、この結婚は思ったよりも遥かに成功であったと思うようになってきた。






 シャイロが王都から連れてきた、画廊の新しい責任者トーラスも非常に有能な男だった。アデーレがメッシーナ夫人でなくなったことで、客離れが起こるのではないかと危惧されたが、結果的には客足は途絶えず、客層が大きく変化した。


 以前は観劇前に画廊併設のサロンに立ち寄り、噂話に興じる上流マダムが主な客層だったのだが、トーラスが取り仕切るようになってからは、美術品を目当てにくる「本物の客」が主となった。


 トーラスはヴィトーたちお抱え画家の個性を見抜き、より売れる絵を描くコツを伝授した。自由なモティーフで描くにしても、客の需要を知ると知らないとでは、訴求力が大きく違ってくる。そのお陰で、若い画家たちの表現力が飛躍的に伸びた。客に媚び諂って注文を取っていたリュドラスとは大違いである。



「奥さま、ミロスラヴの予約が既に半年後までいっぱいになりました。最近では高位貴族の方々からも打診がありますので、一旦ここで手を空けておくのがよろしいかと存じます」



 大貴族からの注文に、いつでも応じられる準備をすべしということだ。実際、最近のヴィトーは環境が整ったせいもあって、技術が個性に負けないようになってきた。誰が見ても圧倒的な輝きが画面から漲っている。画家として躍進の時期に入ったと言えよう。




 そしてついに、大きな仕事が舞い込んだ。ミロスラヴに、侯爵家から肖像画の注文が届いたのだ。侯爵夫人が知人宅で、ミロスラヴの作品を見て大層気に入られたらしい。田舎町レヴェックの小さな画廊としては、これ以上ないほどの栄誉に、アデーレもヴィトーも興奮を抑えきれなかった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] まさかの良い方向に。 [一言] アデーレラブすぎて全部ぶちまけちゃうハンナ、嫌いじゃない(笑)
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