表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
背徳の画家ミロスラヴとそのパトロネス  作者: 水上栞
Season6/二人目の良人(おっと)
39/60

第二話/カーテンの向こう側



 宴もそろそろ終盤という頃、シャイロが言っていた通り召使がアデーレを呼びに来た。案内されてブランドンと一緒に別棟へと向かうと、小さなドアの前でシャイロが待っていた。



「ご足労いただき、ありがとうございます。今ならみんな酔っぱらっているので、私たちがいないのを気にしません」



 シャイロが冗談めかして笑うが、それを遮るようにブランドンが質問をした。彼にしては珍しい。シャイロに良い印象を持っていないせいだろう。



「どうして、ここへ呼ばれたのかお聞きしても?」


「この部屋の中にあるものを、アデーレ様にお見せしたかったのです」


「ノヴァク男爵。妹のことは、メッシーナ夫人とお呼びいただきたい」



 しばしの沈黙の後、シャイロは肩をすくめた。つい先日まで平民だった人間が、上位貴族である伯爵、しかも領主に向かって取る態度ではない。ブランドンの機嫌がいよいよ悪くなってきたので、アデーレがすかさず話を継いだ。



「じゃあ、見せていただきますわ。兄も一緒でよろしいかしら」



 アデーレがそう尋ねると、シャイロは少し困った顔をした。



「できれば、内密にお話ができればと思うのですが」


「それはアデーレの保護者として認められない」



 夫婦や家族でない男女が部屋に二人きりというのは、この国の社会通念としては非常識である。特に女性側は、いかなる誹りを受けても仕方ない状況だ。しかしシャイロは譲らなかった。



「不埒な真似をするつもりは、毛頭ありません。メッシーナ夫人のお立場のために、その方が良いと判断したのです。ご心配でしたら、ドアを開けておきますが?」


「いや、私も同席する。それとも、私に聞かれてはまずい話なのかな?」



 ブランドンは頑としてアデーレとシャイロを二人にしたくないと主張した。しかし、アデーレは兄を制して前へ進み出た。普段は言いたい放題のシャイロが、密談したいと申し出たからには、何かよほど特別な理由があるに違いない。



「お兄さま、ここで待っていらして」


「しかし、アデーレ」


「大丈夫よ。もしもしばらく経って出てこないようなら、どうぞ中に入っていらして」




 そう言ってアデーレは部屋に入り、拳ふたつほどドアの隙間をあけて、シャイロが続いた。部屋はひどく殺風景で、手前に二人用のテーブルと椅子、奥の空間とはカーテンで仕切りがしてあった。シャイロがアデーレに手で椅子を薦め、自分もどかりと腰を下ろす。



「時間がないから手短に言う。俺は、お前さんに結婚を申し込みたいと思っている」



 粗野な平民の口調に戻ったことに気づかないほど、内容が衝撃だった。アデーレが言葉を発せないでいると、シャイロはそのまま話を進めた。



「伯爵家にとって、悪い話じゃないぜ。お前さんの兄貴が銀行から借りている金を、俺が全部肩代わりしてやっていい」


「……あなたには、奥様がいらっしゃるでしょう」



 ようやくアデーレがそれだけ絞り出すと、シャイロはにやりと笑って足を組んだ。油で固めた髪の一筋が額に垂れて、ますますやくざ者の風体に見える。



「離縁すればいい。あれは金で片が付く女だ」


「なんてことを」


「あんただって、メッシーナの爺さんに金で買われたじゃねえか」



 アデーレは憤怒と羞恥で、顔に血が上るのを感じた。そうではないと断言できないことが悔しくて、シャイロを睨みつけたが彼は一向に怯まない。



「まあまあ、そう睨むな。どっちみち貴族なんて、好いた惚れたで一緒になる夫婦なんぞいねえだろ。お前さんの次の嫁入り先だって、実家の利になることが絶対条件じゃねえのか? だったら俺と結婚すりゃあ、借金は帳消しになるし、お前さんもペルコヴィッチ領を離れなくて済むんだ」



 最後のひと言に、アデーレの心が揺れた。確かに、夫の傍若無人に我慢できるのであれば、これほど好条件な再婚先はないだろう。それだけに罠がある気がした。



「あなたには、どういう利益があるの? ご存じのようにうちには資産もないし、私は奥様みたいに絶世の美女ってわけでもないわ」


「うむ、頭のいい女は嫌いじゃないぜ」



 シャイロは愉快そうに口の端を歪めた。彼の妻はかつて、王都の大劇場で人気を博した歌姫である。国王の御前で歌を奉じるほどの実力と、類稀なる美貌を併せ持つ。王族の愛妾に召されるのではと囁かれていたが、突然引退してシャイロの妻となった。噂によると、純金と宝石で飾られた花束を贈って求婚したらしい。その光景をアデーレは容易に想像できた。



「俺は、欲しいものは手に入れる主義なんだ」



 貧しい少年時代を過ごしたシャイロは、我武者羅に働いて商売を成功させた。しかし、いざ富を手に入れると次は名声が欲しくなった。美貌の歌姫を娶り、権力者や富裕層、聖職者とも懇意になり、故郷に錦を飾って貴族の身分まで手に入れた。


 その仕上げとして、シャイロが欲したのがアデーレである。幼いころひとかけらのパンを家族で分け合いながら、見上げた丘の上に建つ領主の屋敷。没落の危機に瀕しているとはいえ、ペルコヴィッチ家はシャイロにとって権力の象徴であった。その末娘が、メッシーナ前辺境伯の未亡人となりレヴェックの街に舞い戻って来たのだ。



 当初シャイロはアデーレを金の力で支配し、妾にして優越感に浸ろうと考えた。しかし自身が男爵の位を得たことで、婚姻により雲の上だったペルコヴィッチの一族と肩を並べるのは、さぞ愉快だろうと思うようになったらしい。



「それに男爵位は一代限りだが、あんたと結婚すれば俺の息子たちが成人後に貴族籍を得られる。せっかく大金を積んで買った爵位だ。有効に使うのが商売人ってもんだろう」



 自分本位で強欲な心の内を、シャイロは悪びれもせずあけすけに語る。アデーレは腹立たしいよりも、呆気に取られた。しかしそのお陰で思考は明瞭である。要するに、これは求婚ではなく取引だ。感情はどこかへ追いやって、お互いの利益をすり合わせる話し合いである。



「あなたの目的はわかったわ。でも、私が断るとは思わなかったのかしら」



 確かに損得で考えれば悪くない取引ではある。しかし、相手は格下の新興貴族だ。人物的な評判も、すこぶる悪い。ペルコヴィッチ伯爵家の名誉を捨てるほどの値打ちはない。



「思ったさ。でも、これを見てもそう言えるかな」



 そう言いながらシャイロが壁際の紐を引くと、部屋を仕切っていたカーテンが音もなく開き、部屋の奥が露になった。そこには何と、盗まれたミロスラヴの絵がずらりと並んでいるではないか。アデーレは息を呑んだ。



「こ、これは」


「ミロスラヴって言ったっけか。お前さん、この絵描きにずいぶん肩入れしてるようだな。画廊にいる髭の気障野郎が、これを見せれば話がつけやすくなる、って言うから、買ってやったんだ」



 叫びそうになるのを我慢して、アデーレは自分に「冷静になれ」と言い聞かせた。ミロスラヴの作品だと認めてはいけない。盗まれたことも言ってはいけない。この絵は最初からこの世に存在しなかったのだ。シャイロがこの絵にまつわる事情をどこまで知っているかは謎だが、アデーレはとぼけることにした。



「ミロスラヴの作風と似てるわね。もっとも、彼はこういう絵は描かないけれど。でも、うちの画廊のリュドラスが取引を持ちかけたのね?」


「そうだとも。あの野郎、ふっかけやがって、金貨100枚だとよ。まあ、俺と結婚したら、この絵はお前さんのもんだ。売るなり何なり、好きにすりゃあいい」



 絵は合計41枚あった。間違いなく金庫から盗まれたものである。リュドラスはこの男に絵を売ったのだ。アデーレは冷汗が背中を伝うのを感じたが、「考えさせていただくわ」とだけ答えた。まずは頭の中を整理しないといけない。断るのは簡単だが、下手をすると大けがをしそうな気がする。






 恐らく話をしていたのは、10分くらいだったはずだ。しかしアデーレにはひどく長い時間に思えた。部屋を出るとブランドンが仁王立ちしており、そのまま早々にパーティーを辞去して家へ連れて帰られた。



「何を話していたんだ」


「交渉事を持ちかけられたのよ。ちょっと整理してからお話するわ」


「どうせ、ろくでもない話なんだろう。ひどいことを言われたりしなかったか?」



 帰りの馬車の中でアデーレは、ブランドンから質問攻めにされた。「明日以降に改めて説明をする」と言ったものの、落としどころを見つけられる気がしない。その夜から数日、ハンナさえも部屋から閉め出してアデーレは思索に耽り、ようやく覚悟を決めた表情で父と兄に宣言をした。



「ノヴァク男爵から結婚のお申込みを頂戴しました。私、お受けしようと思っております」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] アデーレ……どうしてそう……クレバーなんだ。 (T_T) [一言] その男と結婚してもぜっっっっったいに幸せにならないけれども。 (T_T) アデーレにはきっと『その先』まで見えてて…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ