第一話/危険な二人の男たち
年が明けて、アデーレは20歳になった。いくら再婚とはいえ、のんびりしていられない状況である。ブランドンの伝手でいくつか縁談の候補が上がったが、これらは先方から断りが来た。
メッシーナ辺境伯の未亡人という肩書きは立派だが、アデーレは元の婚家に影響力があるわけではない。せめて見た目や実家の家格が良ければ、相手の食指も動くのだろうが、ぱっとしない田舎の貧乏伯爵家の次女であり、生意気にも女だてらに画廊やサロンを切り回している。要するに娶る側にとって、旨味のある縁談ではないということだ。
そんなわけで、いまだアデーレの独身生活は継続しており、画廊にも頻繁に顔を出している。これは経営者としての務め以外に、リュドラスの動きを見張るためでもあった。実はこれまでに何度か、誰かが執務室に忍び込み、家探しをした形跡が残っていたのだ。
それが発覚したのは、ハンナの手柄である。彼女は昨年王都に旅立つ前、クロゼットや机など、あちこちの扉の開閉部に細い絹糸を貼り、開けるとそれが切れる仕掛けを施していた。帰ってそれらを調べてみれば、何と全ての糸が切れていたのだ。それ以来、定期的に罠を仕掛けて観察することにしている。
「全く証拠を残さないところが癪に障りますね」
「そうね、お陰で解雇にもできないわ。仕事に関しては有能だし」
「今のところ実害はないとは言え、誰かが探っていると思うと、気味が悪くて仕方がありませんよ」
「向こうもいらいらしているはずよ。たぶん屋敷に持って帰ったことは気づいているでしょうけど、さすがにうちの金庫には手が出せないわ」
「このまま諦めてくれるといいんですけどね」
二人の望み通り、このところは執務室が荒らされることはなかった。アデーレはこれを「ようやくリュドラスが諦めた」と解釈したのだが、実際には水面下で暗躍していたようだ。何と、手を出すはずがないと確信していた伯爵家の金庫がこじ開けられてしまった。
「アデーレ、お前は誰が何のためにやったのか、心当たりがありそうだな」
ブランドンに詰め寄られ、アデーレはヴィトーの絵を闇取り引きしたことを白状した。それに関しては、二度とやるなときついお叱りを受けたが、重要なのは誰が金庫のある地下室に忍び込んだのかということだ。
「金庫のダイヤルの数字は家族しか知らないので、犯人は無理にこじ開けたのだろう。しかし、地下室へ入るための三か所の鍵はどれも無傷だ。これが何を意味するかわかるか? うちの使用人の中に犯人の手先がいるということだ」
ブランドンの言葉を聞いて、アデーレはぞっとした。リュドラスは使用人の誰かを買収したと思われる。さらに不気味なのは、金庫の中には他にも貴重品や権利書などが入っていたにも関わらず、絵だけが消えていたということだ。
「盗まれた物が物だけに、公にはできない。そして、リュドラスという男が、どうしてそこまでヴィトーの絵にこだわったのかもわからない。だから、身辺には十分に気を付けてくれ」
「ご迷惑をおかけしてごめんなさい、お兄さま」
「今後は外出には私の許可を取りなさい。そして必ず男の従者をつけるように。アデーレが画廊の仕事を大切にしているのは理解しているが、ヴィトーとは距離を置く方が賢明だろう」
こうしてアデーレは、監視付きになってしまった。妹を守ろうという兄の愛情なのはわかっていたが、自由に動きにくいのは困る。それにしても、リュドラスはあの大量の絵をどうしたのだろう。大口の買い手がついたのかもしれない。それはいったい誰なのだろうか。
考えても全く目星がつかないため、アデーレは思考を放棄した。しばらく画廊には行きたくないので、用事は手紙で済ませるつもりだ。リュドラスはきっと何食わぬ顔で出勤しているだろう。いつかあの男の尻尾を捕まえて、魂胆を暴いてやらねば腹の虫がおさまらない。
リュドラスと並んでもう一人、アデーレを悩ませる男がいた。成金商人のシャイロである。現在は画廊から遠ざかっているため、しばらく相手をしなくて良いと安心していたが、驚いたことに近々、一代男爵として叙爵されることになったらしい。
王都で新しく建設が進んでいる大聖堂に、多額の工事費用を喜捨したことに加え、貴族院の議員たちへの付け届け、地場の公共事業への支援など、金に物を言わせて社会的地位を買い漁った結果が、彼に名誉となって返ってきたのだ。
レヴェックの街はその話題で持ちきりである。シャイロはもともとレヴェック郊外の貧しい小作農の倅で、少年時代から破落戸たちに交じって怪しげな商売に手を出していたが、生まれながらに商才があったようで、要領よく小銭を貯めて王都へ出て行った。
その後は、商店の丁稚からあれよという間に自身の店を構え、独自の商材と販売方法で次々と支店を増やしていった。今では王都だけでもシャイロ商会は20店舗を超える。リマソール王国全土となれば、軽く50は下らないだろう。
その巨額の資産を引っ提げて、シャイロが故郷へ帰って来たのが10年ほど前。中央広場近くの屋敷を三軒まとめて買い上げ、更地にして絢爛豪華な御殿を建てた。さらにはシャイロ商会の総本山を設立し、100名を超える従業員を雇っている。それらは領の経済に大きく貢献している一方で、富裕層からは冷ややかな目で見られている。
「品のない成金め。そのうち札束を暖炉にくべて悦に入るのではないか」
「住まいは大きければよいと思っているのね。あの下品な装飾、見ているだけでぞっとしますわ」
シャイロは着るものも派手好みで、大柄な目立つ容姿をしているため、余計に暑苦しく思う人もいるようだ。アデーレも彼の押しが強すぎるところにうんざりしていたが、爵位を得たとあっては、ますます強気に出てくることは間違いない。
そして思った通り、けばけばしい大きな花束とともに「ノヴァク男爵/叙爵記念祝賀パーティー」なる招待状が、ペルコヴィッチ伯爵家に届いた。シャイロは国王から、ノヴァクという貴族名を賜ったそうだ。招待状には当主のブランドンと前伯爵、アデーレの三名がゲストとして記載されていた。
バージットとセルジュが家を出たことは、表向きには発表しておらず離縁もしていない。そのため、他家に招かれた際は「妻と長男は療養中のため」と断りを入れるし、相手も暗黙の了解で詮索しない。それが上流階級のマナーであるのだが、シャイロの招待状はあからさまに在家の者だけを招くという、無神経極まりないものであった。
「爵位を得てもこの作法では、社交に苦労するだろうな」
「しかし、領主家が新男爵の祝賀に行かないわけにはいきません。それに、ノヴァク男爵には保管庫の区画を10以上も契約していただいていますので」
シャイロは早速、ペルコヴィッチ伯爵家の新事業である酒の保管庫に、大量の極上酒を詰め込んだという。それではアデーレも顔を出さざるを得ない。ただし、父は持病の腰痛が悪化したため、ブランドンがアデーレをエスコートして出席する形となった。
シャイロの祝賀パーティーは、ノヴァク男爵邸と名を改めた件の豪邸で行われた。馬車の中から通りすがりに眺めて「なんとにぎにぎしい佇まいか」と思っていた屋敷は、内部も外観に相応しい絢爛な装飾であった。いかにも派手好きなシャイロの趣味らしい。
シャイロは王都の一流職人に誂えさせたという衣装に身を包み、焦げ茶の髪を油でこれでもかと光らせていた。やや浅黒くいかつい顔立ちが強調され、男爵というより羽振りのいいやくざの親分のようだ。
シャイロはアデーレたちの姿を認めると、大勢の客をかきわけて歩み寄ってきた。肘で押されたご婦人が嫌そうな顔をしているのを、アデーレは見ないようにした。
「やあやあ、ご領主様。ようこそいらっしゃいました」
「ノヴァク男爵、このたびは叙爵おめでとうございます」
兄の挨拶と共に、アデーレが行儀よく淑女の礼を取る。しかしシャイロはおかまいなしで用件を述べた。いつもこの調子である。
「アデーレ様に、見せたいものがあるんですよ。後ほど召使に呼びに行かせますから、それまでどうぞ美味い酒と料理でも楽しんでください」
これまで何度も「メッシーナ夫人とお呼びください」と頼んだのだが、一向にシャイロは呼び方を変えない。失礼千万な態度にブランドンが呆気に取られているうちに、シャイロは他の客の方へ行ってしまった。普段は温厚なブランドンが眉根を寄せているのを見て、アデーレは早々に疲れを感じていた。




