第五話/ペルコヴィッチ御家騒動
今度こそアデーレは後悔した。ハンナが言う通り、知らぬが仏ということも世の中にはあるのだ。テッサロから聞いた話がきっかけで、母の過去を迂闊に暴いてしまった。それはアデーレにとって、受け入れがたいものであったが、聞いてしまった以上はどうにもならない。
アデーレは悩んだ挙句、元侍女から聞いた話を頼りに、セルジュの本当の父親なる人物に会いに行くことにした。全くセルジュと似ていなければ、「噂は真実でないかもしれない」という、僅かな希望に縋り付くことができる。もし似ていれば、その時は今度こそ事実を受け入れる覚悟だ。
ただし会いに行くといっても、バージットの娘だと名乗りを上げるつもりはない。そんなことをしてしまえば、ペルコヴィッチ伯爵家の問題に発展してしまう。その男性はもともとバージットの実家で従僕をしていたが、現在は領内で小さな商店を経営しているという。アデーレはその店をちらりと覗いてみようと考えていた。
もうハンナも何も言わなかった。ここまで来れば、納得するまで確かめれば良いと思っているようだ。当のアデーレも、事実を知って何かしたい訳ではなく、ただ本当のことが知りたいだけである。このままでは、胸の痞えが苦しくて辛抱堪らないのだ。
しかし、どうやって母の故郷であるオレニア領まで遠出するかが問題だった。アデーレには母方の親戚以外、オレニアに知り合いはいない。馬車で4日かかる遠方であるため、女性が気まぐれで遊びに出かけるには、不自然な距離だ。第一、父や兄が許してくれないだろう。
そこでアデーレは知恵を絞り、フィニッシングスクール時代の友人に手紙を書いた。彼女は結婚して王都に住んでおり、時たま手紙のやり取りを続けている。その彼女へ、「王都大劇場で公演される人気の芝居を鑑賞したいが、父や兄が心配するので出かけられない。申し訳ないが貴女から招待されたということにしてくれないか」という内容の手紙を送った。
王都はオレニア領のさらに遠方にあるため、往復の道中で目的の店に立ち寄ることが可能である。ちょっとした長旅になるので画廊の方が心配だが、どうしてもこの件だけは自分の目で確かめるべきだとアデーレは考えた。
幸運にも友人は暇を持て余していたようで、ぜひ自宅に逗留してくれと返事が来た。早速アデーレは、「友人から芝居に誘われた、王都で久々に買い物や社交を楽しみたい」と父に許しを請い、伯爵も先方からの招待ならば仕方がないと、従僕を護衛として付けることを条件に渋々ながら許可を出した。
こうしてアデーレは何とかペルコヴィッチ伯爵領を脱出し、本来の目的を隠しながら王都へ向かった。偶然に知ってしまった母の秘密を、どうしてここまで究明したいのか自分でも不思議だったが、途中で投げ出すと延々と引きずりそうな気がしたのだ。
アデーレは10日ほど王都に滞在し、芝居を観たり友人と食事に出かけたり、いくつかの社交の場にも顔を出した。全て従僕も同行したので、後で父に報告されてもおかしく思われることはない。そして帰途の道中、計画していた通りにオレニア領の親戚宅に一泊し、その翌日ペルコヴィッチ伯爵領に向かう道すがら、目的の店の前で馬車を止めた。
「ちょっと婦人用の買い物をしてくるわ。ここで待っていてちょうだい」
アデーレは従僕にそう言って、ハンナと二人で店内へ入った。店には雑多なものが所狭しと陳列されており、その中から適当なものをいくつか見繕って、ハンナが奥の店員に声をかけた。二十代半ばくらいの女だ。ハンナは代金を支払いながら、女に質問をした。
「ところでこの店に、領主様のお宅に奉公していた人がいるって聞いたんだけど。昔そこに勤めていた女中の嫁ぎ先をお尋ねしたいのよ」
用意していた嘘を、ハンナがすらすらと述べる。アデーレはその背後で耳をそばだてていたが、残念ながら目当ての人物はここにはいないようだった。
「ああ、それなら先代ですね。何年か前に亡くなって、私の夫が後を継いだんです」
「あら、そうなのね」
「でも、主人が何か知ってるかもしれません。ああ、ちょうど帰ってきました」
店の戸口から「ただいま」と言いながら入って来た男を見て、アデーレとハンナは目を疑った。髪の色こそ違うものの、その男はセルジュに生き写しだったのである。
「このお客さんたちが、領主さまのお宅にいた女中さんの嫁ぎ先を知りたいそうだよ」
「そりゃあ親父でなきゃわかんねえな。すいませんね、お役に立てなくて」
口調は平民そのものであったが、声までセルジュとそっくりである。アデーレたちは礼を言って退出したが、馬車に乗り込んだ後も冷汗が止まらなかった。間違いなくさっきの男性はセルジュと腹違いの兄弟であり、亡くなった先代の店主はバージットの恋人だったに違いない。
「アデーレ様、どうなさいますか」
ようやく少し冷静になったころ、ハンナがアデーレに尋ねた。もとよりどうするつもりもなかったので、アデーレは「何もしない」と答えて、車窓の風景をぼんやり眺めながら残りの旅程を過ごした。
思いのほか衝撃が大きかったので、家に帰って母やセルジュの顔を見るのが恐ろしい。動揺を気取られないように、アデーレは心を落ち着かせようとしたが、こんな経験は今までにしたことがない。結局、帰宅早々「長旅で疲れた」と、部屋に引きこもってしまった。情けない話だが、自分で掘り起こした現実を、受け止めきれないでいたのである。
そんな日々がしばらく続き、なんとかアデーレが心中の平静を保てるようになったころ、ペルコヴィッチ伯爵家に嵐が巻き起こった。ある日アデーレは伯爵の書斎に呼ばれ、驚くような報せを受けた。緊急に呼び戻されたブランドンと、姉のセヴェリナも一緒だ。
「バージットとセルジュが、オレニア領へ居を移すことになった。ここへはもう、帰ってこない」
「どうしてですの、お父さま!」
セヴェリナが真っ青になって父親に詰め寄った。伯爵は大きく溜息を吐いて、やがて決心したようにその理由を述べた。
「セルジュは私の息子ではない。バージットが余所の男との間に身籠った子だ。本人も認めている。事情を知る善意の方が、告発状で教えて下さったのだ」
アデーレが旅から帰った後、匿名の手紙がペルコヴィッチ伯爵に届けられた。内容は、「オレニア領にセルジュと瓜二つの男性がおり、その父親はかつてバージットの実家である領主家に奉公していた」というものである。それだけで伯爵はその手紙が意図するところを理解した。
伯爵はすぐさま執事をオレニア領へ派遣し、内密で裏取りをさせた。その結果、確かに店の主はセルジュの異母兄弟であり、亡き父親とバージットは結婚前からの恋人であったことがわかった。バージットがペルコヴィッチ伯爵家に嫁いで一時は疎遠になったが、セヴェリナを連れて帰省した折に関係が復活してしまったそうだ。
その結果、生まれたのがセルジュである。当然、ペルコヴィッチ伯爵の血は受け継いでいない。伯爵はこの事実を胸の内に収め、今まで通りにセルジュに家督を継がせるか、庶子であっても自分の血を受け継ぐブランドンを跡取りに据えるか、さんざん悩んだ末、ブランドンを選んだ。セルジュのことを愛していなかったわけではない。自分を裏切ったバージットのことが、どうしても許せなかったのだ。
「兄上だけでも、このままペルコヴィッチ家に残ることはできませんか。今まで嫡子として育ててこられたのです」
ブランドンは兄の将来を慮っているのだろう。セルジュには何の咎もないのだし、家族が内密にしていれば済むことではないかという意見だった。アデーレもそれに賛成である。
「本人が、それを拒絶した。自分が平民との間に生まれたという事実に、強い衝撃を受けたらしい。この家ではもう暮らせない、母親についてオレニア領へ行くと言っている」
皆が沈黙する中、アデーレの胸中は穏やかではなかった。間違いなく今回のことは、自分が母の過去を究明したことが原因だ。激しい後悔に襲われたが、もはや手の打ちようがない。愛する母と兄は、自分のせいでこの地を追放されてしまうのだ。
問題は、誰がそのことを告発したのかである。家族の誰ひとり心当たりがなかったが、アデーレはそれが誰なのかを確信していた。




