第二話/出戻り娘に故郷の風は冷たい
吹く風が日毎に冷たさを増し、山肌の木々が赤や黄色に染まろうかという頃、アデーレの服喪期間が終わった。
リマソール国の法律では、夫を亡くした女性は一年間喪に服し、その間は慶事への出席は控えることが決まりとなっている。もちろん再婚もできない。亡き夫を弔いながら静かに身を潜めて過ごすのが、品行方正な貴婦人の在り様である。
しかし服喪期間が明けてしまえば、事情はがらりと変わる。特にアデーレのように年若くして未亡人になった場合は、すぐにでも次の嫁ぎ先を探し始める家が多い。たくさん子を生めるうちでないと、嫁ぎ先の選択肢が狭まってしまうからだ。ペルコヴィッチ伯爵家も例外ではなかった。
「スカレー伯爵家の三男坊なんだが、会うだけ会ってみなさい。お前とは4歳違いだから、話も合うのではないかな」
「お父さま、またですか。しばらく再婚は結構ですと申しあげたじゃありませんか」
「そうは言っても、ぐずぐずしていてはすぐに薹が立ってしまう。お前の年頃ならば、まだ初婚と変わらない条件で嫁ぎ先を見つけられるのだぞ」
「子も生んでいませんしね、表向きには」
伯爵がぐっと言葉に詰まる。借金返済のため、アデーレに辛い結婚生活を強いたことは自覚しているようだ。アデーレは父親が黙ったのをいいことに、きっぱりと拒絶の言葉を投げつけた。
「とにかく、まだしばらくは再婚する気はありません。せっかく画廊とサロンが軌道に乗り始めているのですから、いまのうちに足場を固める必要があります」
「しかしそれは、管理している人間に任せておけばいいことだろう?」
「富裕層の方々は、メッシーナ前辺境伯の妻が主宰しているからこそ、あの場所に集うのです。近隣の有力者たちと顔を繋ぐ絶好の機会ですわ。現にお父さま、馬が三頭も売れたではありませんか」
サロンに訪れた大商人が、アデーレを気に入って馬を購入してくれたのだ。それがペルコヴィッチ伯爵家の家計に大きく貢献しただけに、伯爵は返す言葉がなかった。しかしまだ、納得しきれない顔をしている。アデーレは追い打ちをかけた。
「お父さま、この田舎でメッシーナ家の看板は、とても強い後ろ盾になります。私が再婚してしまえば、その恩恵に預かれなくなってしまうのですよ。私がメッシーナを名乗れるうちに、うまく利用するべきです」
実際には、メッシーナ家を追い出されたも同然なのだが、傍目からはわからないことである。以来、親が再婚を急かすことはなくなった。しかし、アデーレとていつまでも出戻りのまま過ごせないことは理解している。とりあえず目下の急務は、メッシーナ家の威勢を利用して富裕層を囲い込むことだ。ただし、人付き合いには煩わしい問題もついてくる。
父親には言わなかったが、アデーレは馬を三頭買った成金商人、シャイロから、下心を含んだ誘いを受けている。平民が貴族の婦人を口説くなど身の程知らずも甚だしいが、彼は王都で成功を収めて富を成し、故郷のレヴェックに錦を飾る格好で商会の本店を据えた。ペルコヴィッチ伯爵家にとっても、無碍にはできない実力者なのだ。
そのため、アデーレも商売のためだと割り切って愛想よく対応してきた。すると、シャイロは次第に札びらをちらつかせ始めたのだ。これにはアデーレも内心で憤慨していた。これまでは服喪中だからと跳ね付けることができたが、今後は露骨に仕掛けてくる可能性がある。それもアデーレの頭痛の種であった。
「あの男は、領主のご令嬢であるアデーレ様を、平民の分際で娶れるとでも思っているんですかね」
堅物のハンナは、シャイロがサロンに来るたびに機嫌が悪くなる。今日もシャイロは一抱えもある薔薇の花束を持って現れたが、生憎アデーレが接客中だったのでハンナが受け取り、その際に「この薔薇は王宮御用達の職人が作った新種なんだ。この一束で、お前さんの給金ひと月分くらいはするぜ」と、下衆な台詞を残して帰ったらしい。
「本気じゃないわよ、あの方は奥さまも子どもさんもいらっしゃるでしょ」
「ええ、存じてます。ついでに、妾も何人かいますよね。アデーレ様がそのお仲間に加わらないか、私はそれが心配なのです」
アデーレには全くその気はなかったが、金に目がくらんだ両親が、乗り気にならないとは限らない。前の結婚でそれが証明されているだけに、一抹の不安は拭いきれなかった。
「良いお相手がいらっしゃれば、今度こそお幸せになっていただきたいと、ハンナは願っております。そうしたら、あのいけ好かない商人だって、手が出せなくなりますもの」
ハンナの言うとおりである。さっさと再婚先を見つけてしまえば、落ち着いた暮らしができるのだ。画廊やサロンの経営も、リュドラスに大半を任せられる程度には、既に軌道に乗っている。
しかしアデーレは、もう少しだけ今のままでいたかった。再婚すれば、間違いなくペルコヴィッチ伯爵領から出ていくことになる。そうすれば、ヴィトーと会えなくなってしまう。それが、アデーレがレヴェックにしがみつく、最大の理由であった。
彼と結ばれることは一生ないとしても、レヴェックにいれば画廊の経営者として、彼の仕事を支えられる。彼が困っている時や道を外れそうになった時は、真っ先に手を差し伸べるのが自分でありたい。それがアデーレの望みだった。
そんなある日、リュドラスから内密に話があると申し出があった。予測はついている。先日、2枚だけ試しに売った絵の残りを、再び闇で売らないかという打診であった。そろそろ言ってくる頃だろうと思っていたので、アデーレは予め答えを考えておいた。
「ああ、あれはもう結構よ。あくまでも、画商としての勉強のために試してみただけなの。お咎めを受けて商売が立ち行かなくなっては困るから、もう非正規の取引には手を出さないことにしたの」
「ある資産家のお客さまが、かなりの高値でお求めになりたいと仰せです」
リュドラスが食い下がったが、ここまでは想定内である。アデーレはあまり得意でない駆け引きに冷汗をたらしながら、顔ではうんざりした様子でリュドラスにひらひらと手を振った。
「申し訳ないけど、お断りしてちょうだい。もうミロスラヴは、正規の作品しか販売しない。これは、決定です」
アデーレは、精いっぱい尊大な女経営者を演じた。高慢ちきな領主の娘が、絶対に嫌だと言っているのだから、平民の雇われ責任者は引き下がるしかない。
「承知いたしました。事情が変わった際は、お知らせください」
いつものように流麗な礼をして部屋を出ていくリュドラスの目に、憤懣の光が一瞬宿ったことを、アデーレは見逃さなかった。それを開いたドアの外に控えていたハンナに伝えると、やはり彼女もリュドラスには注意すべきという考えだった。
「リュドラスは、信用なりません。アデーレ様も、あの男と秘密を共有なさったのは迂闊でした。どこからつけ込んでくるかわかったものじゃありません」
「耳が痛いわ。しばらくは用心しておいた方がいいわね」
二人は相談の上、怪しい動きがないか気を付けて過ごすことにした。こうなる前に、ヴィトーの絵を伯爵家の金庫に移したのは賢明であったと言える。それにしても、あの絵を高値で欲しがる物好きが、世の中に多くいるということが驚きである。アデーレは鑑定眼はさっぱりであるが、画商として経験の長いリュドラスが売りたがるのだから、やはりヴィトーの才能は本物であるに違いない。
それから数日後、執務室を掃除していたハンナが、ある異変に気付いた。
「アデーレ様、これをご覧ください」
「何かしら、……えっ」
執務室のクロゼットは、上下二か所に鍵がかかる仕掛けになっており、そのうち下の鍵穴の部分が、よく見ればわずかに傷ついている。何かでこじ開けた形跡だろう。アデーレとハンナはぞっとして血の気が引いた。
やったのはリュドラスに違いない。あるいは、彼が仲間を引き込んだ可能性もある。幾重にも施錠した執務室の、さらに鍵のかかったクロゼットに、泥棒の手が伸びたのだ。二人は恐怖でどうにかなりそうだったが、誰にも助けは求められない。闇取引が露呈してしまう可能性があるからだ。
「ハンナ、大丈夫よ。クロゼットに目当ての物はないのだから、いくら物色されたって平気だわ。ただし、リュドラスがやったという証拠はないから、私たちは何も気づかなかったふりをしましょう」
リュドラスは今ごろ、何食わぬ顔をしてサロンに出ているはずだ。こうなれば、狐と狸の化かし合いである。残りの絵が伯爵家にあることをリュドラスは知らない。アデーレたちが彼の行いに気づいていることも知らない。せいぜい気の済むまで探し回らせて、相手が諦めるのを待とうと、この時のアデーレは考えていた。




