第六話/要注意人物、リュドラス
辺境の地が雪解けを迎えた3月中旬、エリオ・メッシーナの葬儀が領都ソルティアの大聖堂で大々的に行われた。国内外合わせて1000名以上の弔問客が訪れ、王室からは王太子夫妻が参列してエリオの死を悼んだ。
既に遺体は埋葬されているので、儀式としては祈祷と献花くらいであるが、錚々たる顔ぶれの弔問客の対応で、アデーレはトレヴァー夫妻とともに忙殺された。その大騒ぎがようやく収拾したある日、アデーレは事実上の絶縁を新メッシーナ辺境伯、すなわちトレヴァーから宣言された。
「父の葬儀も終わりましたし、ご実家でゆっくり服喪期間を過ごされてはいかがでしょうか」
要するに、これ以上メッシーナ家の役に立たない人間を、置いておく義理はないということだ。アデーレはこれ幸いと実家へ帰る準備をした。そう言われるのではないかと思っていたので、あれこれと準備をすすめていたのだ。
まずは、ペルコヴィッチ伯爵領の領都、レヴェックにある店舗の買取りである。以前は木工職人が商売をしていた場所を、改装して小さな画廊兼サロンを作る予定である。
以前、ティトリー子爵から相談を受けていた、研究院を卒業した画家たちの受け皿として、アデーレはこの画廊を活用したいと考えた。画家たちはそれぞれ作品を持ち込み、サロンに展示する。客は気に入ったものがあれば購入しても良いし、好きな作風の画家に制作を発注することもできる。
そして画廊には、軽い飲み物を楽しめるサロンを併設する。本来は画家と交渉するための場所であるが、上流階級の社交場としても宣伝するつもりだ。なぜなら、この場所はレヴェックで二番目に大きな劇場の裏手にあたり、芸術を眺めながら開幕を待ちたい人々に需要があると考えたからだ。
このような計画を実行に移せたのは、アデーレの肩書きが大きい。領主であるにも関わらず、ペルコヴィッチ伯爵家は社交界への影響力が弱かったが、短い間にせよメッシーナ辺境伯夫人の立場を得たことで、アデーレに箔がついた。店の貸主は二つ返事で場を提供し、気取ったことが好きなレヴェックの富裕層たちも、アデーレ・メッシーナの芸術サロンに期待している。
そして、何より計画を後押ししたのが資金である。実はアデーレの懐に、思わぬところから金が転がり込んできたのだ。それは先日逝去したアイリスに教えられたことがきっかけだった。
「アデーレ様、金縁のグラスを見つけました。カッティングが素晴らしいですが、残念なことに3客しかありません」
「あら、いいわね。サロンで使いましょう。数が少ないんなら、1日に限定3杯までの、特別な飲み物を用意すればいいのよ。金持ちってそういうのが好きだから」
アデーレとハンナは、来週メッシーナ家を去ることになっており、実家に持ち帰る予定の骨董品や衣類を仕分けしていた。離宮には大きな倉庫があり、元々アイリスが管理していたが、もう何年もガラクタ置き場になっている。そこから二人は役に立ちそうなものを掘り出したのである。
「どれも立派なものなんだけど、もう長いこと放ったらかしなの。どうせ使わないものばかりだし、処分しようと思っている間に面倒になっちゃって」
「あら、じゃあ私が時間のある時に片付けておきますよ」
生前、アイリスとそういう会話を交わしたのを思い出し、預かっていた鍵であけて見れば、そこはアデーレたちにとって宝の山であった。数が揃わない食器や、流行おくれのドレス、そして少し修繕すれば使える古い額縁など。アデーレとハンナは埃避けの口布を当てて、猛然と倉庫内に突進した。そして荷馬車一台分の戦利品を獲得したのである。
「ドレスなんて、高価なレースや宝石がついたままですよ。不揃いな銀の食器もたくさん出て来ました。お金持ちの人たちって、こういうのはゴミに見えるんでしょうかね」
ハンナが布でスプーンを磨きながら、信じられないといった表情をする。アデーレも同じ気持ちだ。ペルコヴィッチ伯爵家では、半端な銀器はこっそり売って生活の足しにしていた。これらの不用品も、レヴェックの古道具屋で売り捌けば、まとまった金額になるに違いない。
「そのお陰で、ひと財産ができたわ。肩書きでも不用品でも、使えるものは利用できるうちに使わなくちゃね!」
こうしてアデーレとハンナは、荷馬車一杯のガラクタを引き連れてペルコヴィッチ伯爵領へと帰って来た。別れに際しては、執事と家政婦長が見送っただけで、トレヴァーやナディアからは伝言さえもなかった。彼らの顔を見ずに済んで清々したアデーレであったが、最後まで自分が生んだ小さなマルティーンのことは、棘が刺さったように心を痛めていた。たぶん、一生忘れることはないだろう。
ペルコヴィッチ伯爵家に戻ってからのアデーレは、表向きは服喪期間の未亡人としてひっそりと過ごし、水面下ではやがて開店する画廊の経営者として精力的に暗躍した。中でも大変だったのは、店の運営を任せる責任者選びであった。
「アデーレ様、こちらはリュドラスといいます。もとは画家を志しておりましたが、画商の道へ進みました。つい先日まで、王都の画商で働いておったのですよ。美術品を見る目は、私が保証します」
そう言ってティトリー子爵が紹介してくれた男は、30代半ば。黒い髪を油できっちりと撫でつけ、手入れの行き届いた口ひげを蓄えている。いかにも画廊の店長といった風貌だ。
「奥さま、初めまして。リュドラスと申します。画廊の責任者をお探しとのことで、ぜひ私にお任せいただけましたら光栄に存じます」
そう言ってきれいなお辞儀をするリュドラスは、物腰の優雅な洒落者だ。きっと金持ち連中には好まれるだろう。しかし、アデーレの中で得体のしれない警鐘が響いている。もしかするとこの人物は、見た目通りの好漢ではないかもしれない。
それでも、専門的な知識を持つ責任者を探すとなると、大変なことである。ティトリー子爵の紹介でもあるし、アデーレはこの男を雇うことにした。加えて、ハンナがレヴェックに住んでいた頃の友人2名を、サロンの接客係として雇い入れた。
そうしているうちに店の調度が少しずつ整い、店内に飾る作品の搬入が始まった。この画廊で展示する画家は、ヴィトーをはじめ3名である。彼らの作品を吟味していたリュドラスが、満足そうな笑みを浮かべた。
「なかなか良い若手が揃いましたね。中でも、ミロスラヴは素晴らしい。肖像画が中心ということですが、いろいろな題材を描かせて経験を積ませると、さらに深みのある絵になるでしょう」
ヴィトーの才能を褒められて、アデーレは鼻が高かった。そのせいで、油断していたのかもしれない。ヴィトーが最近よからぬ絵を描いていることを、うっかりリュドラスに洩らしてしまったのだ。
「それは興味がありますね。後学のために拝見できますでしょうか」
言ったあとで後悔したが、口にしてしまったからには仕方ない。アデーレは先日、ヴィトーから取り上げた「不道徳なモティーフの絵」をリュドラスに見せた。
画廊との契約の際、アデーレはヴィトーに作風についての意思を尋ねた。もしも表舞台で活躍したいなら、淫らな絵は封印する必要があることを伝えると、ヴィトーはあっさりと「じゃあ、もう描かない」と約束したのだ。
「自分で題材を選んだんじゃなくて、みんなが描いてくれっていうから、描いてあげたんだ」
ヴィトーは、けろりとしてそう言った。要するに、そういう環境に首まで浸かっているということだ。アデーレはそれらの絵を全て回収し、画廊のクロゼットにしまっておいた。それをリュドラスが今、目をぎらぎらさせて眺めている。
「ふむ、このような絵は、こちらの画廊では扱えませんね。しかし……」
リュドラスの優美なカイゼル髭が、にやりと吊り上がった。
「芸術的な価値は非常に高い。きっと、高額でも買いたいという人々は多いでしょう。もしも奥さまがご希望であれば、私が公にならない形で売買を代行いたしますが」
もちろん、それは闇取引のことである。アデーレの勘は正しかった。この男は闇社会に通じているのだ。
アデーレは模範的な貴族の婦人として「まあ、ご冗談を」とだけ答えて、さっさと執務室のクロゼットに絵を戻し、鍵をかけてしまった。しかし内心では、ひどく動揺していた。
画廊とサロンの設営で、用意した資金は使い果たしてしまった。手持ちが心許ないことに加えて、アデーレはヴィトーに幾らかの金を渡してやりたかった。独り立ちした今こそあの雑居アパートを出て、まともに絵の描ける環境が必要なのだ。
アデーレは何日か眠れない夜を過ごし、教会で祈りを捧げ、街をあてもなく歩き回り、さんざん逡巡した挙句、リュドラスに「ちょっとお話できるかしら」と声をかけた。リュドラスは、アデーレがそう言うのをわかっていたように、優雅な仕草で頷いた。
「もちろんですとも、奥さま」
Season4――完――




