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背徳の画家ミロスラヴとそのパトロネス  作者: 水上栞
Season3/女であることの悦びと苦悩
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第五話/怪人メッシーナ辺境伯



 メッシーナ伯爵領は、ペルコヴィッチ伯爵家から馬車でおよそ一週間。リマソール王国北端の国境に張り付くように広がる、国防の要とも言うべき土地である。砦が四か所あるため常に国軍が駐留し、軍備や運送に関する産業が盛んである。


 ペルコヴィッチ伯爵領と比べると、同じ伯爵でも羽振りは雲泥の差と言えよう。表門から長々と続く屋敷への道を眺めながら、アデーレは敷地の広さに吃驚した。やがて馬車が屋敷の正門へ到着すると、そこには大勢の使用人に囲まれて、二人の男性と一人の女性がアデーレたちの一行を待っていた。



「はるばるようこそ。当主のエリオ・メッシーナです。こちらは長男のトレヴァーと妻のナディア」



 互いの家族は玄関で礼を交わし、広々とした応接間へ通された。あまりじろじろ見ては行儀が悪いと思いつつも、アデーレは素晴らしい拵えの調度品から目が離せなかった。



 先ほどアデーレたちを出迎えてくれたメッシーナ辺境伯は、薄くなった頭髪をきれいになでつけ、半白の口ひげを蓄えている。大きな鷲鼻と鋭い目つきで厳つい雰囲気に見えるが、口調や態度はとても穏やかで、アデーレは少しだけ安心した。



 その日はお茶で歓談したあと、長旅の疲れを癒すために、それぞれの部屋に入って休んだ。明日からは長男のトレヴァーが、アデーレを領内の主要地に案内してくれるとのことだ。



「本当なら私がご案内するべきですが、足が悪いので申し訳ない」



 そう言ってメッシーナ辺境伯は、椅子の横に立てかけた杖を持ち上げた。領主としてはもちろん、軍人としても国境を守護してきた歴戦の雄らしく、数え切れないほどの古傷に悩まされているらしい。




 翌日、アデーレはトレヴァーに連れられ、メッシーナ領視察に出発した。両親も一緒かと思ったが、メッシーナ伯と話があるため屋敷に残るという。初対面に近い男性と二人で出かけるのは居心地が悪かったが、間もなく二人は法の上で親子になる。こういう距離感にも慣れておくべきだろうと、アデーレは理解した。



 しかし、視察は思いのほか楽しかった。メッシーナ領は広大なため端から端までとはいかなかったものの、自分の育った土地とは植生や空の色、空気の匂いまで違うことをアデーレは実感した。



「毎年、年末から3月ごろまでは、この土地は深い雪に閉ざされます。その間は農業ができませんので、代わりの産業として機織りや窯業が発達したのです」



 トレヴァーの説明に、アデーレは深く頷いた。ペルコヴィッチ伯爵領も、鉱山が死んでいくのを見守るのではなく、代わりの産業を開発するべきであった。きっとメッシーナ領から学ぶものは多くあるはずだ。父や兄がそれに気づいてくれることを、アデーレは期待した。




 メッシーナ伯爵家に戻ると、母が部屋に閉じこもっていた。急に具合が悪くなったらしい。父も疲れ果てた顔をしている。アデーレは自分の外出中に、ここで何かがあったことを直感的に悟った。しかし父に訪ねても、何も教えてはくれない。



「お前は気にしなくていい。家長同士の取り決めだ。結婚前には、すり合わせが必要だからな」



 そして翌日も翌々日も、アデーレは外へ連れ出され、屋敷では大人同士の話し合いが続いた。やがてとうとう帰る日となり、有耶無耶のままアデーレは馬車へ押し込まれた。玄関の馬車回しで見送りをしながら、にやりと笑みを浮かべたメッシーナ辺境伯の目がまるで獲物を狩る鷹のように見えて、それが何かを示唆しているようであった。




 もはや、アデーレは確信していた。メッシーナ伯爵家とペルコヴィッチ伯爵家の間で、婚姻に関する何らかの密約が交わされた。それは自分たちの側に厳しく、呑まざるを得ない条件に違いない。


 これ以上、何かを強いられるのかと思うとうんざりしたが、一方で辻褄が合うことも否めない。あれだけの資産があり、国政にも影響力のある辺境伯家の当主が、若くて健康だけが取り柄の娘を、巨額の借金を肩代わりまでして後妻に迎えるのは不自然である。



 いったい自分は何と引き換えに売られたのか。家に帰ってからも、父と母がそれをアデーレに告げることは、とうとうなかった。不気味ではあったが、家長同士が話し合いで決めたことなら、娘は従うしかない。アデーレはもう、どうとでもなれという気持ちになっていた。






 そんな重苦しい日々の中でも花嫁支度は着々と進み、あっという間に木々の葉が赤や黄色に染まる季節がやってきた。あと1カ月と少しでアデーレは辺境へと嫁ぐ。


 この頃では、アデーレがレヴェックへ遊びに出かけることも少なくなったが、ある日知人の茶会に招かれ、遅くまで過ごしたことがあった。その帰途、繁華街からほど近いアパルトマンの外階段で、先日ヴィトーと一緒にいた女を見かけた。



「あの女です。タチアナとかいう、例のキャバレーの踊り子」



 ハンナがそう言って、窓の外を睨みつけた。月が明るい夜だったので、見間違いではないはずだ。タチアナは下着のような格好にショールを引っ掛け、男にしなだれかかっている。やがて男がタチアナの腰を引き寄せ、往来から見える場所にもかかわらず、二人は熱烈な接吻を交した。



「馬車を、止めてちょうだい」



 彼らがさっきまで何をしていたか、聞かずともわかろうという光景である。しばらくして男が帰っていくのを見届けると、アデーレは馬車の戸を開けて外へ出た。



「アデーレ様、どちらへ!」


「大丈夫、ちょっとお話をするだけよ」



 ハンナを振り切ってアパルトマンへと小走りに道を横切り、アデーレはタチアナに声をかけた。自分でも突拍子もない行為だと思ったが、そのまま見過ごすわけにはいかなかった。



「あの、ちょっとよろしいかしら」



 タチアナは外階段に腰かけて、細い女物のパイプで煙草をふかしていた。突然声をかけられ、訝しそうにアデーレを眺めている。



「貴族のお嬢さまが、何のご用?」


「私はアデーレ・ペルコヴィッチと申します。ヴィトーとは幼なじみなの。あなた、彼と一緒に暮らしているのではなくて?」


「ヴィトー?」


「ミロスラブよ、画家の」


「ああ、ミロス? 一緒に住んでるわよ、ここに」



 また不快な仇名を聞いてアデーレは苛々がこみ上げてきたが、努めて冷静を装い、さらに質問を続けた。



「彼と一緒に暮らしている部屋で、あなたは別の男性と……その……」



 アデーレが恥らって言い澱んでいると、タチアナは可笑しそうに大口を開けて笑った。彼女はそこそこの美人ではあるが、開けた口や鼻から煙草の煙が噴き出して、品がないことこの上ない。



「あんた、領主の娘さんね。昔、お屋敷で働いてたって、ミロスから聞いたわ。大方、幼なじみが阿婆擦れに誑かされてると思ったんでしょうけど、私がお客を取るのはミロスも知ってるわよ」


「でも、あなたたちは……」


「もちろん、私はミロスが好きよ。いい男だもの。でも、それとこれとは別。踊り子の給金なんて雀の涙なのよ。客を取らなきゃ食べていけないわ」



 野育ちと言っても、所詮は貴族令嬢である。タチアナの言葉がアデーレに理解できるはずもなく、ただ自分の想い人がそういう世界で暮らしていることに、深い絶望を感じた。しかし落胆するアデーレに、タチアナはさらに衝撃的な言葉を投げた。



「それに、ミロスだって他の女と寝ているから、おあいこよ」



 アデーレは絶句した。ヴィトーは女性のモデルと、たびたび関係を持っているという。一度失敗しているので、後腐れのない相手に限定されるらしいが、アデーレの常識に照らせば、ふしだらにも程がある。しかし誘ってくるのは必ず女の方で、モデルとしてヴィトーに見つめられるうち疑似恋愛に陥ってしまうらしい。そして女性を拒めないヴィトーが、彼女たちを受け入れてしまうというわけだ。



「世間では女を花、男を蜜蜂に例えるけど、ミロスは逆よ。彼の周りに女が集まってくるの。彼から溢れ出る甘い蜜の香りで、頭がおかしくなっちゃうのよ」






 その夜、ベッドに横になり暗い天井を眺めながら、アデーレはタチアナと交わした会話を思い出していた。少なくともヴィトーは誑かされたわけではなく、自分の意志で彼女の部屋に住んでいる。そうであれば、彼らが何をしようがアデーレには関係ないことだ。


 しかし、この土地を去る前にヴィトーに会って、彼の口から真実を知らされなければ、諦めきれない気がした。女として愛されないのはわかっている。だからせめて、彼が画家として独り立ちする支えになりたい。自分の我儘ではあるが、アデーレはその衝動を抑えきれなかった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ついにあらすじの部分キター♪───O(≧∇≦)O────♪ [一言] 『こういう男を好きになっちゃいけないんやで』という気持ちと『こういう男と恋愛したいよな〜』という相反する気持ちでおりま…
[良い点] ヒーローに腹が立って来るものの、そう思うような読者こそミロスに振り回されてる内に結局好きになっちゃいそう(笑) 彼にはそんな魅力がありますね。
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