ep3
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「お嬢様、お荷物これだけでよろしいんですか?」
二泊するくらいのキャリーバッグサイズのカバンひとつをメイドに渡すと、今にも「信じられない」と口から溢れ出てしまいそうな顔をされた。そりゃあ貴族のお嬢様の荷物がこれだけならそんな顔にもなるだろう。だが生憎私はIT社会を生きるミニマリストを目指していた趣味が断捨離なOL。身軽さだけが取り柄である。数枚の下着と、メイドから貰ったお古の服二着、それから紙とペンに財布、あと金策として宝石があしらわれたアクセサリーを数点に、小型ランプ。それだけをカバンにつめた。
「殿下から頂いたぬいぐるみは、」
「要らないわ」
「奥様から譲り受けたブローチは、」
「昨晩返したわ」
「旦那様が生誕祭に特注されたオルゴールは、」
「お父様の書斎へ置いてきたわ」
「クローゼットにある大量のドレスは、」
「メイドに好きなものを持って行っていいと伝えるつもり」
この部屋のもの全部、ノエルにとっては思い出深いものかもしれないが、私にはどれも不要なものであった。毎日スーツを着て出勤していた身としては、服なんて着れれば良くて、一度来たドレスに二度袖を通すことは無い、という社交界の謎ルールを思い出してからは空いた口が塞がらなかった。無駄遣いは良くない。
「本当に、行ってしまわれるのですね……」
メイドこと、アンは少し寂しそうに言う。①の一番傍に仕えていた彼女には暇を与えた。暇と言っても二週間の休みであり、以後はまたこの屋敷で働いてもらうつもりだ。ただ、そこに私はいないが。
殿下に手を離せと言い帰宅した邸宅でそうそうに家族会議は開かれた。あんなに豪快に手を振りほどいたのだ、婚約破棄は確実であり、その誹謗中傷を浴びせるのは忍びないと、両親は領地の端の方で療養するよう取り計らってくれた。まあ建前はそんなものであるが、要は厄介払いだ。皇子との婚約を控えていたが白紙となった侯爵の娘。誰が嫁に貰ってくれるというのか。家を継ぐのはもともと兄であったし、私はこの家の完全な膿となった。きっと一生をその領地の端の方で暮らすのだろう。
「望むもの全て与える。何でも言いなさい」
だが、両親は慈愛に満ちた眼差しを向けていた。もしかしたら、厄介払いが建前で、本音は本当に様々な悪意に晒されないようにという便宜なのかもしれないな。
「アン、今までありがとう」
「とんでもございません……!」
一方的に愛され別れを偲ばれるのは何とも歯がゆいものだ。お父様はメイドも連れていくよう取り計らってくれたが、ノエルのことを知っている人物からはなるべく距離を置きたかったため拒否をした。アンのことは、全部この家に、街に、置いていこう。馬車に乗り込み、家族に手を振る。手紙書くのよ――帰ってきたくなったらいつでも帰ってきなさい――俺らは家族だろ――またお会い出来るのを楽しみにしております。暖かな春の風が吹いた。
前の世界でしがないOLでしかなかった私でも、第一皇子の婚約者であったノエルも、もうどこにもいない。私はここで一からやり直そう。
――花咲く丘、ギプソフィラで。