第五話 過酷!いと美しき女教官
気持ちよく晴れた朝。空の青さが透き通るように綺麗だ。
時間は朝7時。規定の服に着替える。
作業服と制服を足して割ったような訓練服を着て、いよいよ今日から訓練が始まる!
玄関先で姉さんとガッツが俺を見送る。
「気をつけてね。最初は無理しないで、まずは慣れることからね」
なんだか無茶苦茶心配されてる。
そんなに俺は頼りなく見えるかな。いやそんなことないはず。きっと姉さんが過保護なんだ。
「うん。姉さんもな。もうすぐ出発だろ?」
「あたしは大丈夫だよ。あと20分は余裕あるし」
姉さんも今日から職業訓練だ。今日は髪をキチッと後ろにまとめて勉強モードになっている。
隣でガッツはしゅんとしている。寝る時も含めてほとんどずっと一緒にいたので、長時間離れると思うと急に寂しい。
「またすぐ会えるからそんな顔すんなよ」
頭を撫でると力なく尻尾を振って、やっぱり寂しそうだ。
ガッツは今日からドッグカフェでアルバイトだ。何気に家族の中で最初の就職者である。
「行ってきます」
「いってらっしゃーい」
道を歩きながら、少し照れ臭い。
最初はただ同じタイミングで転生した者同士だった。それが本当に家族になったんだなと、今更妙な実感が湧いて嬉しかった。
これから向かう訓練場は街の西端にある。歩きだと遠いので列車を利用する。
地球街アジア区駅。
地球出身の者が多く住む場所をひっくるめて地球街と呼ぶ。その中のアジア人の多く住む区域、それで地球街アジア区駅。
看板に地球のイラストが描かれている。
券売機に近づくと空中に画面が現れ、目的地のリストと金額が表示された。少しレトロでアナログな装いの駅構内に突然マジカルな要素が。
目的地は『西部魔術訓練場前』で、大人一人で……ええと。
今日初めて列車に乗るので、切符を買いながらずっとドキドキしている。
これを押してここにお金を入れて……、初めてスマホに触るおじいちゃんみたいだ。ややパニックになりながらなんとか切符を買えた。
駅員に切符を見せ、改札を抜けて階段を登る。
線路は街中に張り巡らされた石橋の上に伸びている。皆が生活する住居の上や、高い建物の間を縫って列車は走るのだ。
ベンチに座って電車が来るのを待っていると、不意に声をかけられた。
「おー!にいちゃん」
見覚えのあるお腹の大きいおじさんがいた。
確かこの人は。
「居酒屋で会った、狸さん」
「そうそう僕やで」
ボワンと音がしておじさんは狸に変わった。
「にいちゃんその服、訓練生か。どこの訓練場や?」
狸さんはベンチによじ登り俺の隣に座った。
冬毛だろうか。モフモフが凄い。
「西部魔術訓練場です」
「お、僕の職場のすぐ近くやね」
「狸さん働いてるんですか?!」
狸さんは失敬な!という顔で俺を睨んだ。しかしびっくりするほど怖くない。
ガッツも働くのだから不思議ではないのだろうが、このモフモフぽんぽこタヌキさんが働く姿が想像できなかった。
「もちろん!一応神様やけどご飯を食べんと生きていけんからね。それに僕は人間よりずっと長生きで、暇しとる時間が多かったけん今は働きたくてしょうがないんや」
「人間より長生きって、どれくらいですか?」
「うーん、500年くらいかなぁ」
「500年!本当に神様なんですね」
「本当の神様は僕のおじさんなんやけどね。おじさんは凄い有名な大狸で、1000年生きた凄い狸なんや。太三郎っていう名前なんやけど、にいちゃん知っとるか?」
少し考えてみる。狸。1000年。
そういえば、ジブリの平成狸合戦ぽんぽこで1000年近く生きたという狸のキャラクターが出てたな。
「えーと、源平合戦で那須与一を見たっていう?」
那須与一くらいは知っている。海の上で揺れる小船の扇を、浜辺から見事射抜いたと言われる伝説の人物だ。
アニメの太三郎狸は、自身の幻術でかつて見た那須与一を再現していた。
「そうそう!僕はおじさんの若い頃によう似とったらしいけん、小三郎って名付けられたんや」
小三郎さんがポンとお腹を打つと太鼓のような音がした。
それがとても可愛らしく見えて、思わずモフモフを触ってしまった。
「どうせ触るんやったら背中掻いて」
「はい失礼します」
指先がモフモフに埋もれる。幸せだった。
しばらくして列車がやって来た。駅に止まるとドアが開く。それと同時にピタリと静止して、動作音の一切が止んだ。
「?」
エンジンが止まった?故障かな?
すると何故か鉄の棒を持った駅員が現れて、ホームから降りて線路へと近付いた。
「あの駅員さん何してるんですか?」
「ありゃ列車への電力供給や」
電力供給?あの棒で?
「列車を走らせようってなった時、色々あって街から電気を貰えんかったんや。やけんああやって一駅毎に駅員さんの雷魔法でエネルギーを貰って運行しとるんや」
駅員の持つ鉄の棒がバチバチと音を立てる。それを線路に当てると、停まった列車がガタンと震えてごぉおおおと音を立てた。
「ほー。駅員になる条件に雷魔法が使えるかとかありそうですね」
俺たちは列車に乗り込んだ。
列車内の座席はクロスシートでゆったり座れそうだ。しかし何やら様子がおかしい。
「なにこれ」
とにかく内装が豪華だった。
全体的にシックな色使い。天井からは小さなシャンデリアがぶら下がり、座席毎の壁に小洒落たランプが備え付けられている。
座席も広々としていて、シートは上品な柄だった。他にも力の入った装飾や品のいい見た目の物が使われている。
映画のオリエント急行みたいだ。
これじゃあまるで観光列車じゃないか。
もしかして乗る列車間違えた?いやでも時間通りだし、うーん?
「びっくりしたやろ。内装の費用はスキルや魔法を使えばかなり安く上がるんや。アホみたいな話やけど、列車作る時にどうせやったらとにかく豪華にしちまえってなってな。そしたらこの様や」
「凄いですね」
「そのうち食堂車とかバーも併設して観光客も呼び込む作戦みたいやで」
商魂逞しいな。
俺は小三郎さんと共に席に腰掛けた。やはり座り心地もなかなかだ。
ガタンと揺れて列車が動き出した。
『本日はご乗車誠にありがとうございます。当列車は間もなく地球街アジア区駅を出発し、次は赤石街斜陽区駅で泊まります』
アナウンスが響いた。
赤石という名前は知っているぞ。確か全身に鱗をまとったトカゲみたいな生き物が住む星のことだったはず。
車内時計は大体7時半を指していた。
目的の駅まで20分程度。
訓練場には8時半までに行けばいいとベックに言われたが、下見も兼ねて早めに着いておきたかった。
『ドアが閉まります。ドア付近のお客様はお気をつけください。間もなく出発いたします』
汽笛が鳴って列車が出発した。
窓際の席に座ったので外がよく見える。俺は子供のように窓に張り付き外の様子を眺めてしまった。
普段見る街の景色も、少し高いところからだと随分違って見えた。
見応えは充分。最初はしばらく居住区だったが、突然切り取ったように景色が閑散として、畑や果樹園など農作物を栽培するエリアに入った。
見慣れた作物も多くあるが、中には見たこともない物もちらほらあった。
ただ乗っているだけで楽しい。
今度は姉さん達と一緒に乗りたいな。
通常料金しか払っていないのに、この列車の豪華さと快適さを味わえるのは贅沢に思えた。
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『西部魔術訓練場前駅』に到着した。
列車を降りて、プラットホームで体を伸ばした。気を抜けば寝てしまいそうな快適さだった。
「ふあああ、乗り心地が良すぎるのもかんがえもんやな」
小三郎さんは眠たそうにあくびをしながらボワンと人間の姿に戻った。
「狸のまま方がよかったのに」と、口に出さないよう努力した。
「にいちゃんこれからいつもこの時間の電車で来るんか?」
「いや、今日は下見で少し早めに来たんです。明日からはもっと遅い時間ですよ」
「あんまり遅い時間やと観光客が増えるけん気をつけた方がええで。他の街にはまだ列車がないから、物珍しさで乗りにくるやつが最近増えとるんや」
物珍しさもあるだろうが、あの贅沢な内装なら誰だって一度は乗りたくなるんじゃないかと思う。
俺たちは駅を出た。
訓練所前と駅名になっているに相応しく、本当にすぐ目の前に訓練所はあった。
というより駅舎と訓練所が直結している。同じ建物内にあるのだ。
大きな駅にデパートが併設されている感覚に近い。
「僕ここでお店してるけん、お昼はよかったら食べにきてな〜」
この建物内にある飲食店で小三郎さんは働いているそうだ。「仕込みがあるけんまたな〜」と小三郎さんは去っていった。
一人になってやや心細くなるが、意を決して訓練場の入口ドアに手をかけた。
重々しいドアが開き、駅からの風が中へ吹き込んでいく。
「おーでけえな」
思わず声が出てしまう程、訓練場のエントランスはとにかく広くて解放感があった。
六階建の訓練場の最上階まで吹き抜けだ。
まだ訓練前だというのに、俺と同じ訓練服を着た奴らが大勢行ったり来たりしている。
「よおおはよう」
「?!」
柱の影からヌッとベックが現れた。
普通にびっくりするからやめてほしい。
「お、おはよう」
「いよいよだな。緊張してるか?」
「まあな」
「どうした?上ばっかり見て何か気になるのか?」
「いやぁ凄い天井だなと思って」
「面白いだろ。魔術を応用しているから多少無理のある設計でもこうやって作れてしまうんだ」
鉄骨製のビルならそこまで珍しい構造ではないのかもしれない。異様なのはこの建物が木造な事だ。
通常の技術に魔法が加わることで、自由度が高くなるなんて思いもしなかった。
「なんだか訓練場じゃないみたいだな」
列車に負けず劣らず内装が凝り気味なので、どちらかというとホテルや迎賓館のような雰囲気だ。
「ここは元は防衛団の活動拠点に使われていたんだ。当時使っていた設備や備品をそのまま引き継いで使っている」
「なるほどな」
「そういや、この前もらった図書館利用の推薦書についてなんだが。すまん無理だった。あと一押しだったんだけどな」
珍しくベックが申し訳なさそうに言葉を発した。
自分でも意外だが、それを残念とは思わなかった。まだできることがあるような気がして。
あと一押しと言うなら、もう一枚くらい推薦状が有ればどうにかなるんじゃないか?
少し考えて結論が出た。
推薦状もう一枚、どうにかなるかもしれない。
「それとこれは頼まれてた経典の写しと、教団のパンフレットだ」
こちらは問題なく取り寄せられたな。後で知ったが普通にフリーペーパー的に配布されている物らしい。
「こんなもん読んでどうするんだ?教団側の俺が言うのもなんだが、そんなに面白くもない、下らないものだぞ」
自分が属するものなのに、そこまでこき下ろすのか。
その経典に従って、あの時俺を殺そうとしたんじゃないのか?
「色々知りたいと思ったんだ。じゃないと、これから自分がどうしたらいいのか分からなくなりそうで」
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「今日から魔術訓練に加わったタイチ君だ。これから皆と共に訓練に励むことになる。彼は転生してから日が浅い。まだ慣れないことも多いだろう。困っている事があったら助けてやってくれ」
モッサリした芝生が青々と広がった屋外の訓練場。
他の訓練生が大勢並ぶ前で紹介されてドキドキしている。
だがこの状況だけが俺をドキドキさせているわけじゃない。
俺を紹介する教官は誰であろう、転生前は女優として名を馳せた、あのリサ・ベイカーさんなのだ。
ベックと酒を飲んだ日から数日して、ベックとリサさんが訪ねてきた。
リサさんが訓練場の教官をしていると聞いて本当に驚いた。しかし同時に俺の中で訓練という厳しそうな環境へのハードルが格段に下がった。
この美人にシゴかれるというならそれもまた人生。なんてアホみたいな考えが浮かんだのだった。
そして今この場所に俺は立っている。
訓練を始めた動機は墓場まで持っていくつもりだ。
「本日午後から上位生には的当てのテストを実施する。各自それを踏まえ、担当の講師の指示に従い訓練を始めてくれ。それでは開始!」
開始!と叫んだ時のリサさんの語気が、とても迫力を帯びていて、俺は思わずたじろいでしまった。
しかし振り返ったリサさんは今の迫力が嘘のように柔らかい表情だった。
「タイチ君。まずは訓練の計画について話そうか」
他の訓練生を横目に、ベックも交えて3人で今後の計画について話す。
「私は魔法を包丁だと思っている。うまく使えば日常に彩りを添えるが、使い方を間違えば自分や周囲を傷付ける凶器になる」
麗しい声を聴きながら俺はうっとりしていた。
「しかし君の魔法は包丁ではない。調節の効かない機関銃だ。君から放たれる魔法をスキルが作り替えてしまうからね。それをまずは理解してほしい」
うっとりしつつもしっかりと内容は頭に入ってきていた。
リサさんの語りが上手いせいだと思う。
「機関銃は撃てば反動で体が動くだろう。それは魔法も同じ。強い魔法を使えば強い反動が、時には使い手の方が吹き飛ばされてしまうかもしれない。だからまずタイチ君が訓練で鍛えるべきは魔術の腕じゃなく、何より体だと私は考える」
うーん何てステキ声……今何て言ってた?体を鍛える?魔法の訓練は?
「あの、魔法の訓練は……?」
「ある程度体幹がしっかりして体を支えられる筋肉が付けば、魔法の訓練を初めても問題ないと思うよ」
リサさんが眩しい笑顔でニコッと笑った。
その笑顔で俺の迷いは全て飛んでいってしまった。
「大丈夫!タイチ君ならきっとできる。私が保証するよ」
「はい!俺頑張ります!」
その時の俺はきっとキラキラした瞳で返事していただろう。
俺の目にはリサさんの姿しか写っていなくて、隣で「この人は……」という顔をするベックに気付く事も出来なかったんだ。
それから俺の戦いが始まった。
「タイチ君頑張って!あとリレーコース3周!」
「はい!!」
「まだまだこれから!限界と思ってからが勝負だよ!腕立てあと20回!」
「ふぁい!」
「気を抜かずに体を動かして!重りを増やしてあのポールまでもう一走り!」
「ひゃい……!」
「そろそろ休憩にしよう。よく頑張ってるよ。お昼を食べてゆっくりしておいで。お昼からは座学だから、体を休めるつもりで大丈夫だよ」
「h…………」
もう本当に付きっきりで、みっちりトレーニングだった。並々ならぬ美女が、俺だけにトレーニング……!
俺はきっと前世でかなり徳を積んでいたに違いない。
満身創痍だ。芝生の上でぐにゃっと横たわったまま動けない。全身の筋肉が悲鳴を上げている。
ガッツとの散歩くらいじゃ全く足りなかった。
俺の体は確実に運動不足だ。
「フフ、若い子は可愛いね。起き上がれるかな?」
俺は見た目だけならリサさんより年上の自覚があった。
可愛いなんて言われてちょっと恥ずかしい。
でも美人に可愛いと言われると本当にそんな気がして、それだけでまた元気が湧いてきた。
「……はい!」
足はまだいくらか元気だ。毎日の散歩が積み重なった結果だろうか。
俺は立ち上がって体に付いた砂埃を払い退けた。
「座学の後にはまた訓練。このままの勢いでついてこれそうかな?」
「はい!なんだか俺やる気が止まらないっす!」
転生してから一番頑張っている気がする。
苦しいけど体を動かす事が楽しくて堪らなくて、まだまだ頑張れそうな気がした。
物凄く清々しかった。
なんだろうこの感覚。筋肉信仰の人の気持ちがちょっと分かった気がした。
しかしこれが、魔法を全く使わせてもらえない筋トレ天国の幕開けだという事を俺はまだ知らなかった。
つづく