第四話 お酒のお供は進路相談
日本人街の隣には中国人街がありその境目を縫うように、飲み屋街が200メートルほど続いていた。
日本的な雰囲気と中華的な雰囲気が混ざり合うこの場所には、夜な夜な多くの人が訪れる。
居酒屋『鳥太郎』。日本人街からの入り口近くにあり、炭火で焼いた美味い焼き鳥を出してくれる数少ない店だ。
時間は夜11時。障子で仕切られた個室でのんびりと鳥のモツ煮込みを味わう。
飲みの相手はなんとベックだ。マリーさんがやって来た次の日、突然ベックが居酒屋に行かないかと誘ってきた。
ベックは焼き鳥をつまみにビールを飲んでいる。
和やかというほどでもないが、お互いのペースで美味い酒と鳥を堪能していた。
「困ったことだな」
「ん?」
やや無口な飲み会だったが、ベックがポツリと言った。
「強いスキルを持つならそれだけ周りに気を配らないといけないんだ。周囲にも自分のことにも」
「自分のことも?どういう事だよ」
どうやら唐突に深刻な話が始まったらしい。
このベックという男は、常に低く抑えたような、落ち着きを通り越して感情の起伏を捨て去ったような口調で話す。楽しい話題でも重要な事項でもそれは変わらない。
そして話題の出し方は唐突な事が多かった。
「この世界にはいるんだよ。強いスキルをコレクションするみたいに人間を捕まえて自分の物にする奴が」
抑揚のない口調で語られる物騒な内容は、俺を震え上がらせるには充分だった。
「金持ちの道楽や人材を探すスカウトマン、聖都の司祭の中にも裏でそういうことをしている奴がいる。そして連れ去られた奴は、大概二度と見つからない」
姉さんやガッツと引き離されて、消されるようにどこかへ連れ去られて、奴隷のように酷使される自分の姿が浮かんだ。
「そんなんじゃ俺、魔法を使わない方がいいのか……」
正直浮かれていた。珍しい強いスキルを貰って、これからの人生を少しは楽に渡っていけると思っていた。
実態はその逆だったのだ。
じわじわと絶望が背筋を這い上がる感触がした。
ベックは懐から何か取り出した。
飾り気の無い、無色の透明な小さな石のついた腕飾りだった。
「これを付けている間は、魔法補正のランクを一つ下げられる。魔力補正のスキルでAランクは前例が無いが、Bランクならまだ珍しい程度で済ませられる」
そうだ、こいつは俺を担当してくれている役所の人間だった。
脅すだけのために俺を呼び出したのではないのは当たり前じゃないか。しかしそれを忘れさせられるほど怖かったんだ……。
「不幸中の幸いは正式な検査前だったことだな。書類にはランクを落として書いておく。マリーばあさんとも話を合わせてな。だから人に話す時はランクをBと言うように」
そうすれば心配ないだろう。と、ベックは締めくくった。
地味なアクセサリーが輝いて見えた。
こんなスキルを貰ったばかりに、俺の異世界生活が早くも詰んでしまうところだった。
「しばらくは不安だと思うが、家族や俺を頼るといい。気兼ねせずにいつでも言ってくれ。サクラさんにはもう説明してある」
「スキルそのものを隠して生きていくってのは、できないもんかな」
「オススメはしない。虚偽のスキルを履歴書に記載するのはむしろリスクの方が多い。強力なスキルを隠して生活していたが、そのうち見破られて集る者達に全てを台無しにされたってのはこの世界ではよくある話だ」
ゾッとした。
『強い』ということは俺が想像しているよりもずっと不自由なものだった。
「何よりも大事なのは、タイチ君自身がスキルに負けないほど『強く』なる事だ。若い奴や弱い奴に強い力がくっついた状態が一番危ない。一番悪用されやすいからな。スキルの使い方をしっかり覚えて、この世界での振る舞いを方を覚える事。すぐには難しいが」
「……強く」
強くか。
どうすれば強くなれるのか、どうなれば強くなった事になるのか、検討がつかない。
全く目指す先が見つけられそうになかった。
「この街には防衛って仕事があるのは知ってるか?」
俺の様子を見ながらベックが口を開いた。
「いや、聞いたことないな」
「この街は高い壁で守られている。壁の外には危険な生物の生息領域があるからだ。人間程度なら簡単に殺してしまえる凶暴なやつが、時折壁を越えてこちらへやって来ようとする事がある。それらから街を守る仕事を『防衛』と呼んでいる」
「それって……」
この流れはまさかその防衛の仕事を俺に勧めようとしている?
戦う自分の姿が想像できなかった。
凶暴とはいえ、生き物と戦って殺すなんてできるとは思えない。
「待て防衛の仕事に就けという話じゃないぞ」
「お、おお」
それならよかった……。
「俺がよく知る人が防衛訓練の教官をしている。その人に魔術の訓練を受けるというのはどうだ?スキルの使い方をしっかり覚えてから就職先を決めるというのも大事だぞ。訓練中なら転生後一年を越えても支援金は続くしな」
「一年を越えてもって、訓練はどれくらいの期間になるんだ?」
「だいたい2年くらいだな。俺も昔その人に訓練を受けた事がある。その時認められるまでに2年かかった」
「2年か……。他にはないのか?魔法の学校とか」
教官、という響きに馴染みがなくて、なんとなく怖い。物凄いスパルタでしごかれる、というイメージが浮かんでいる。
「学校に行くなら6年かかる。学校で教わればもちろん色々な知識が身につくだろう。だがな、俺がその人を紹介するのはちゃんとした理由がある」
ベックはジョッキのビールをグイッと飲み干した。
あれ?そういえばこんないっぱいしゃべる人だったっけ?少し顔が赤くなっている気がする。
「現在の教育機関では個々人のスキルに添う個別の教育は行われていない。その人はスキルを強く使うよりも安全に使う事に重きを置いている。タイチ君は元々魔法の威力に関しては誰よりも才能があるから、後はしっかり使い方を覚えれば最強なんだよ」
今のところ聞き取れるが、だんだん呂律が怪しくなってきている。
態度や表情は変わりない。だがどうやら酔っ払っているようだ。
「俺はなタイチ君、こういう仕事をしているが惰性で仕事をした事なんて一度もないんだ。色んな人を担当してきたが、この人のこれからの人生がいい物になるようにと思って仕事をしているんだ」
普段こんなこと言わないだろう人が、普段と同じ口調や態度で色々としゃべるのはなかなか見応えがあった。
もしかしてこれはかなり酔ってる?
「あ、ああ。少し考える時間を貰ってもいいか?」
「もちろん。じっくり考えてくれ。いつでも返事を待っているからないつでも」
ベックが更にビールを頼みそうな気配があったので、急いで勘定を頼んだ。
店を出た頃にはベックは見るからに酔っ払っていて、しゃっきりしているようで色々おぼつかない。
コイツはどうしたもんか。と考えていたところ、
「ああすまないね、タイチ君だろう?」
急に後ろから声をかけられた。
振り返るとそこには映画女優が立っていた。
何を言っているのか分からないだろう。俺も分からない。
この人そっくりな女優が出ていた映画を覚えている。
それは確かSFアクションの大作映画だった。
物凄い美女でもちろんヒロイン役、情熱的な顔立ちとグラマラスな体型で正に大人の美女。
確か名前は、……そうだシェリル・ベイカー。
目の前の人は映画で見た姿よりも少しだけ歳を取っていて、綺麗だった長いプラチナブロンドの髪はキュッとした三つ編みになって後ろに垂れていた。
まるで戦闘服みたいな締まった服装で、体つきが強調されているはずなのにまるで隙がない。
夜の街の明かりが美人を更に引き立てているように見えた。
「……リサ・ベイカーさん?」
そう呟くと彼女は少し表情を変えた。その目元に俺では読みきれないような複雑な感情の波が一瞬打ち寄せたような気がする。
「ああ、君も私を知っているんだね。私自身は覚えていないけど、よくその名前で言われるよ」
「あ……すいません」
失礼だっただろうか。例え生前どんな人物だったにしろ、今は何も覚えていないし、こちらの世界では違う名前で呼ばれているかもしれない。
何が失礼に当たるのか、簡単に想像がつかない。
「構わないよ。すくなくとも自分の名前を考える手間は省けた」
彼女が口元にわずかに笑みを浮かべたので少し安心した。
「昔は映画女優だったかもしれないが、今はお役所勤めでその髭眼鏡の一応先輩をしているんだ」
ベックを指さした。
酔っ払ったベックは俺に支えられながら何かむにゃむにゃと喋ろうとしている。
「迷惑をかけたね。こちらで預かろう」
「すいませんお願いします」
それなりに体の大きなベックを、リサさんは細腕でヒョイと肩に担いだ。
「こらお前、あれだけ張り切っていたのにこのざまか!飲めないのに無理して飲むもんじゃない」
ベックはむにゃむにゃ謝っている。
なんとなくわかっていたが、この飲み会は少しでも俺の動揺を抑えるためのベックなりの気遣いなんだろう。
ベックとは出会った時に殺されそうになってから、ずっと怖いやつだと思って避けていたが、少し考え直してもいい気がした。
「また後日改めて話をしよう。今夜は遅いからそろそろ帰りなさい。おやすみ」
リサさんは俺に手を振った。
「おやすみなさい」
美女に手を振られるというのは、何ともテンションが上がるイベントだ。
俺が手を振り返すと、ぐったりとしたベックが担がれたまま少し手を振った。
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美人を見ているとそれだけでいい気分になる。実物となるとその効能は画面越しの場合を遥かに凌駕する。
転生前がどうだったか全く記憶はないが、たった今から俺は彼女の熱烈なファンだ。いや転生前からきっとファンだったに違いない。
アルコールが入っている事も相まってハイになってしまっていた。
真っ直ぐ家に帰るのがもったいなくて、余韻を楽しむように飲み屋街を当てもなく散歩した。
ぶら下がった赤提灯が冷たい夜風に揺れた。
ああ寒いと上着の前をきつく締めていると、提灯のように赤い柱が見えた。
見上げるとそれは大きな鳥居だった。
鳥居……。
そういえば自分を日本出身と言い張る蛇が、鳥居の向こうで店をやっていると言ってたな。
俺は鳥居をくぐった。
飲み屋通りに神社があるのは不自然に思えたが、何か理由があるのだろうか。
神社の境内は閑散としていた。
通りの明かりからはぐれるように、薄暗い石畳の先に小さな社があった。
一体どこで店をやっているんだ。
見回すと、こじんまりと明かりで照らされた建物があった。
小窓から光の漏れる引き戸があって、その上には『うわばみ』と彫られた木の看板がかかっていた。小料理屋みたいなたたずまいだ。
置かれた立て看板には、『本日のオススメ、煮付け、豚汁』と書かれていた。
店はきっとここだな。
普段ならためらいまくるだろうが、酔った勢いで力を込めて開けた。
「いらっしゃい」
酒に焼けた声で歓迎された。
カウンターだけのそれほど広くない店内。内装も家具もなんだか古臭くて、昭和の店という雰囲気だ。
客は丸々した狸が一匹だけ。湯気の出る豚汁をフーフーしている。
「おー昨日のにいちゃんか!早速来たんやな」
カウンターの向こうで大蛇が声を出した。
焼酎の瓶を口で咥えると尻尾の先で掴んだカップに注いだ。
「お待たせ」
狸の前にカップを置いた。器用な尻尾だ。
俺は椅子に腰掛けてカウンターに腕を置いた。なんだか落ち着く雰囲気の店だ。蛇と狸がいることを除けば、日本に戻ったような気持ちになる。
「にいちゃん何にする?酒は一通り、煮付けは金眼やで」
金眼鯛か。お祝い事みたいだ。
「日本酒ある?」
「あるで〜甘口辛口?」
「甘口を熱燗で。それと煮付けを」
「ほいちょっとまってな〜」
じわじわと回ってきた酔いにぼーっとしつつ、店の雰囲気に何とも懐かしい気分にさせられた。
少しして熱燗と金眼鯛の煮付けが合わせて出てきた。
「にいちゃん今日2軒目やろ?まあまあ酔っとるな〜」
「まあぼちぼち」
鯛に箸を入れる。
味がよく染みた身はホクホクで美味しかった。
実は転生後はじめての酒だったが、その力は絶大だった。美味しい料理を食べただけでとても幸せな気分になれて、自分でもわかるくらい満面の笑みになっていた。
「にいちゃんええ具合やなぁ。こっちまで気持ちよくなるで」
声のした方を見ると、さっき狸がいた場所に丸々したお腹の普通のおじさんが座っていた。
「あれ?狸は?」
毛がフワフワだったからちょっと触ってみたかったのに。
「なんや?僕の事か?」
ボワンとアニメみたいな気の抜けた音がしておじさんが狸に変身?した。
何じゃこりゃ。
「あっちの方が喋りやすいんやけどなぁ」
おじさんと同じ声で狸が喋っている。
「おー!喋ってる!」
フワフワの狸が喋っている!家に連れて帰ってもいいだろうか。
「あ、こりゃ!なにするんやいかんでー!」
抱き上げでモフモフするとまたボワンと音がして、次は狸がおじさんに変わっていた。
おじさんを抱き上げる趣味ないんだ。俺は大人しく手を離した。
「あはは〜にいちゃんバチが当たるで〜。その狸さんも一応神様やからな〜!」
蛇がゲラゲラ笑いながら言う。
神様って神社とかにいるあの?あ、だから鳥居か。
でもそれだとおかしいな。
「でも、もう女神様がいるのに」
この世界には女神が既にいるのに、他に神様がいたらおかしいじゃないか。
それか多神教なのか?
「あんまり知られとらんけどこの世界はな、ランダムに転生する生き物を選んどるんや。いちいちコイツにしようとか決めとるんと違うけん」
訛りが凄い。
アニメによくある「あなたは選ばれました」みたいなのとは違うってことか。
これだけ転生者がいたらそんなもんか。
「やけん生まれるもんも犬猫人バラバラや。そんで、たまにワシらみたいなおかしなもんを引っ張り出しちゃう時があるんや」
「おかしな、もん?」
「ワシら日本に住んでた頃は神様してたんやで!元が神様やから記憶も取られとらんし、なんやったらスキルやってあげれるで〜。まあ、あげんけどな」
だから日本出身と名乗ってたのか。喋る蛇が普通に日本にいるわけないよな。
気持ちよく酔っていたのに、変にびっくりしてシラフに戻ってしまった。
「僕はおじさんが神様してたけん、たまに代理やってただけやけどね。」
狸が焼酎の入ったカップを大人っぽく揺らしながら言った。蛇と同じ訛りだ。
しかし神様に代理とかあるのか。
いや待てよ。
元が付いても神様なら、あのボロボロな自称女神の事も知ってるんじゃないか?
「あの、俺……聞きたいことがあるんですけど」
「ん?」
「俺が転生した時、会った女神のことで」
「目無しの女神様のことやろ?」
「……どっ」
どうして分かった。
「にいちゃん見た時からわかってたで、こりゃあの人の子やなって。やけんワシから声かけたんや」
「知ってたんですか」
「ワシとあの女神様とは深い仲やからな〜」
それならきっと、知っているはずだ。
この世界の二人の女神について。
俺は庭園で見た石像を思い出す。上に立つ女神は、統治者と崇められ光を受けて輝いている。そしてもう一人の女神は、統治者の足の下で無様に苦しんでまるで悪鬼のようだった。
一体何があってそうなったのか。俺を導いたのは本当に女神なのか。それが知りたかった。
「その女神の事、教えて欲しいんですが」
「すまんなにいちゃん。ワシからは教えてあげられん」
「どうして!」
「そういう取り決めなんや。ワシらは過剰に世界に干渉しない。そのかわりあっちもワシらに手を出さず存在を保証する。最初に神様を転生させてしまった時にそういう決まりが作られたんや」
やっと手がかりらしきものを掴んだと思ったのに、何も引き出せることなく拒まれてしまった。
図書館に入れるまであと一年。待つしかないか。
「やけど、ヒントくらいあげてもバチは当たらんやろうな」
「え?」
「役所の大元はあのキラキラした女神様を信仰しとるやつらの総本山や。頼めば経本の写しくらいもらえるんやないか?」
蛇はまな板を退けて、そこに白い紙を一枚置いて何やら書き出した。
「こいつはダメ押しや」
差し出された紙にはこう書かれていた。
『推薦者 うわばみ店主 隠谷
推薦 タイチ殿
私はこの者を推薦し、図書棟使用許可の検討を願います』
図書館の推薦状だ!
「昔は目無しの女神様の本もあったんやけど随分前に廃棄されちまった。まあでもなんかヒントくらいは見つかると思うで」
蛇はニカっと笑った。
ん?推薦状にしっかり『タイチ殿』の文字。
まだ名乗ってないぞ。
「俺、まだ名前言ってない……です」
「そりゃ分かるに決まっとる!ワシは神様やからな!」
蛇はガハハと笑って、奢りださあのめ〜とカップに酒を注いだ。
俺はひきつった笑いを浮かべつつカップを受け取り、今夜は長そうだなと思った。
つづく
作中登場する女優は架空の人物です。