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第一話 はじまりの洞窟

 俺の名前は……なんだっけ?

 思い出せない。

 どうしてこんな場所にいるのかも、全く覚えがない。


 あたりを見回しても真っ暗闇。

 小さい電球のような頼りない光が俺の頭上にあって、その真下で俺は椅子に座っていた。


 俺は誰だ?

 何が起こった?

 何も思い出せない。記憶のわずかな断片さえ頭のどこを探っても出てこない。


 とりあえず体におかしなところはない。どこにも怪我もしていない。

 咳払いしてみる。喉を唾が行き来する感覚。自分の耳にもしっかりとそれは聞こえた。


「おめでとう価値なき者よ。お前は選ばれたのです」


 急に大音量の声が響いてビクッとしてしまった。


「だ、誰だ?!」


「光栄に思いなさい。これは非常に名誉な役目です」


 若い女の声だ。


「どこにいるんだ!」


「これから訪れる世界が、お前の成すべきことを教えてくれるでしょう。精一杯力を振るい役目を果たすのです」


 こんな唐突で理不尽なことはない。

 突然価値なき者なんて言われた挙句、役目を果たせ?どこぞへ行って頑張れだと?

 ふざけるな!


「おいお前どこにいやがる!勝手なことばっかり抜かしてるくせに顔も出さねえのか!それが人に物を頼む態度か!何様のつもりか知らねえがまずは顔出して名乗りやがれ!!」


 椅子を蹴り飛ばして、闇の中へ。


 何も見えない。とにかく両手を前に出して何か触れるものが無いかと闇をかき分けながら進んだ。


 誰でもいい出てきやがれ!

 自分の中の不安を打ち消すための乱暴でもあった。


 その時、指先に柔らかいものが触れた。


 布だ。


 暗幕があった。


 掴んで一気に引いた。


 女が座っていた。

 髪はボサボサで生気が感じられず、うつむいていた。


「ああ、ずいぶん威勢のいいこと。これは期待できそうだ」


 今しがた響いていた声と同じだった。

 しかしこの声には張りがなく弱々しかった。


「……お前は誰だ」


「私は女神。よくいる女神さ。これからお前が向かう世界を治める、女神様だ」


 ヒヒヒと、わざと老人ぶるように女神は笑った。


「記憶が無くたって知ってるはず。よくあるだろう?死んで異世界に転生するってやつが。これはそういう話だよ」


 何かがしたたる音がする。


「俺、俺は……死んだのか?」


「さあ」


「はっきり答えろ!どうして記憶がないんだ!」


「不要だからさ。役目以外は全て無意味なのさ。お前は成すべきことだけを成せばいい。その他はいらない」


「ふざけるな!女神だかなんだか知らないが、人をなんだと思ってやがる!!今すぐ詳しく説明しろ!」


「言ったはず。お前は価値のない者。無駄口をたたかず黙って私に従えばいいんだ」


 女神は顔を上げた。

 怒りのままに言葉を投げつけようとしていたはずなのに、俺は思わずたじろいだ。


 女神には目玉が無かった。

 空っぽの暗い眼孔からは、どす黒い血がしたたっていた。


「今にわかる」


そこで俺の意識は途絶えた。





 タプタプと液体が波打つ音と、体が揺れる感覚があった。


 俺の体は液体の中でゆっくりと揺れているようだった。

 不思議と息苦しくはない。

 ここはどこだ?

 女神は転生したと言っていた。

 それはつまり今俺は赤ん坊として母親の腹の中にいるということか?


 衝撃とともに水が流れ出し、体も同じようにどこかへと流されていく。


 俺は、生まれるのか。


 優しい母の手に包まれるものと思っていたが俺の体は強かに打ち付けられた。


「イテェ!!」


 思わず口から漏れたのは声変わりも終わった低い男の声だった。

 赤ん坊からのスタートじゃないのか。


 しっかりと痛みも体の感覚もあった。

 地面に手をついて起き上がる。


 ここは、何だ?

 そんな疑問が湧き起こるくらい不思議な場所だった。


 土壁に松明がかかっただけの薄暗い空間には、巨大な樹木のようなものが生えていた。


 樹木に葉はない。しかし実は付いていた。リンゴのような形の、これまた大きな実だった。

 足元を見ればかつて実だった物が破れて萎びていた。


 俺はどうやらこの実から生まれ出たらしい。

 木の実から生まれるなんて、なんとも不思議な気分だ。今の俺は人間と呼べるのだろうか。樹人?とりあえず体は柔らかくて人間のようだけれど。


 そういえば木の実から赤ん坊が生まれる小説があったな。


 あれ?

 自分のことは何一つ思い出せないが、読んだ小説のことはすんなり出てきた。

 どういう経緯で、どんな場所で、いつ読んだかは全く出てこないのにただその内容だけは頭の奥からはっきりと浮かび上がってきた。


 それだけを抜き取ったように。いや、それ以外が消え去ったのか?


 自分が何者かであったような気がするのに、何も分からず、あるのは掴みきれない朧げな感覚だけだ。

 なんとも歯痒い。


「はあー」


 深いため息が出た。うだうだしてても始まらないな。

 とりあえずここを出たい。他に誰かいるのだろうか。


 よろめく足に力を入れつつ部屋を出た。

 出てすぐに小部屋があり、木製のテーブルがあった。

 テーブルの上には簡素な服が数種類と、パンの乗った皿。机の下にはこれまた簡素な靴が並んでいた。

 テーブルの隣にはそれより少し高いくらいの水瓶。上のふたにひしゃくが乗っているから、きっと中には水が入っているのだろう。

 急に文明の臭いがしてきた。なんというか、もてなし慣れているという感じがする。


 樹木の部屋とは違って十分な照明が設置されているため、この部屋は隅々まで明るい。


 さて、ここで明るみに出た自分が素っ裸という事実を思い知らされたので、いそいそとテーブルの上の服を引っ掴んで袖を通したのだった。

 少しサイズが大きいかなと思っているうちにスッと服が縮まって体にぴったりフィットした。


 これは……!地味だが確実に魔法の所業だ。

 生まれも奇想天外だと思ったが、どうやら魔法も存在する世界らしい。

 ああこの驚きはきっと元々俺が住んでいた世界では魔法が存在しなかったということだろう。


 とりあえず水瓶から一杯飲んで落ち着くことにした。

 ゴクリと喉を伝って、胃袋に水が入ると妙に腹が減ってきた。

 皿の上のパンを掴んでちぎって食べる。ほのかに甘味のある美味いパンだった。


 部屋の出口は上から垂れた布によって外と仕切られていた。

 少しめくって外を覗くと、壁にかかった松明が見えた。まだ屋外には出られないらしい。

 この様子では特に脅威などないだろうが、少しためらいつつ部屋から出た。


 岩をくり抜いたようなゴツゴツした石壁の廊下が果てしなく続いている。他に人の気配は無かった。

 松明の下にこちらに進めと指示するように矢印の描かれた板があったので、どこに向かうものかも分からないが、今はこれに従って進むしかない。


 松明の明かりの他に、先程と同じような布のかかった小部屋を見つける。

 布の下からは眩しい光が漏れて少し廊下を明るくしていた。

 小部屋の向こうにはきっと俺を産み落とした樹と同じものが生えているのだろう。


 ここはおそらく俺のように転生した者を迎え入れるための施設か何かか。などど冷静ぶって考察してはいるが、そわそわとわき立つ不安を押し殺して前に進むことに精一杯だった。


 不意に数メートル先の小部屋の布が揺れた。


 同時にそこからニュッと首が出てきてキョロキョロと辺りを見回す。

 廊下の薄暗さも相まって真っ黒く見えたその首は、振り返ると同時に俺の姿が視界に入ったようだった。


「きゃああああ!!!!」

「え、うわぎゃあああああああ!!!!!」


 突然現れた黒い首が叫ぶものだから俺も驚いて声が出てしまった。


「え?!人間……?人間なんですか?」


 俺も相手も思いっきり叫んだ後で、弱々しい声が聞こえてきた。

 声の主はこちらを探るような様子だ。


「は、はあ人間ですよ」


「よ、よかったぁ……」


 力が抜けたように飛び出した首はシナシナと布の下部へスライドした。


「急にこんなところに来たからびっくりしちゃったんですよ。モンスターとかいたらどうしようかと…」


 這うように布の仕切りからその人は出てきた。

 若い、女性だ。


 俺と同じく用意された簡素な服を着て、不安そうな表情で周囲を見回している。


「この場所しばらく歩いてましたけど、今のところ何もいなかったですよ」


「そっか…よかった」


 彼女は立ち上がると気分を変えるように明るく話しかけてきた。


「せっかく生まれ変わったのにこんなところで死んじゃったらもったいないですよね。私、あ…そっか名前覚えてないんだった」


 この人もか。


「俺もですよ。名前も以前のことも全部忘れさせられてる」


「どうしてこんなことしたんでしょう。昔のことは忘れて全部一からやり直せって意味なんでしょうか」


「さあ……でも覚えてることもあるんじゃないですか?昔読んだ小説の内容は思い出せたんです。十二……なんだったかな。これは普通に忘れてますね」


「あはは。それじゃあ好きだったドラマとかアニメの話でもしましょうか」


 それから俺と彼女はお互いの記憶を確かめ合うように子供の頃流行ったアニメの話をした。

 どうやら彼女は俺より年下のようだ。見ていたアニメの世代が違ったからだ。

 幾分かショックを受けたが、カードキャプターさくらを彼女も知っていたためそこで話が噛み合った。

 彼女は最初不安げだったが話すうちに随分落ち着いたようだった。


 俺の方も人と会えたことが嬉しくて、この得体の知れない状況も忘れてつい話し込んでしまっていた。

 未だ廊下は終わる兆しを見せなかった。


 そんな時


「ワウッ!」


 不意に小部屋の布の向こうからヌッと大きな犬が現れた。

 犬も転生するのか!


 犬は人間との遭遇に嬉しそうに尻尾を振ると、俺たちにまとわりついてきた。

 ハフハフと荒い息遣いで俺の手を涎でベタベタにしてくる。

 どうやら一緒に行動してくれるようだ。


「雑種かな?可愛い!」


 彼女は犬の頭をぐりぐりと撫で回す。


 犬は尻尾をちぎれんばかりに振り回し、その猛烈な勢いが俺の太ももに繰り返し直撃した。

 暗がりの中でも、松明の光が雑種犬の瞳に反射しキラキラとしていた。


 2人に1匹が加わったことでなんとなんく心強くなり、犬を構いつつ色々話をしながらズンズンと進んだ。


 犬は時折こちらを見上げてくる。頭を撫でると嬉しそうに尻尾を振った。

 こいつは可愛いやつだ。

 彼女もその様子を見て笑っている。


 顔を見合ってしばらく話しているが、実は結構ドキドキしていた。話すほどに、彼女の若さや可愛らしさが目に飛び込んでくる。

 顔つきにまだ少女のあどけなさが残っている。


 この暗さが幸いだった。顔が赤くなっているのに気づかれない。そんなウブな年でもないだろうに。


「そういえばよく流行ってましたよね。異世界転生のアニメや小説。転生する前に読んでたみたい。いくつか覚えてるんですよ。同じ異世界転生物でも色々バリエーションがあって」


「俺、多分その頃にはアニメを観なくなってたみたいで、ほとんど記憶に無くて。そんなに流行ってたんですか」


「アニメも漫画もいっぱいありましたよ。生まれ変わったタイミングで便利なスキルが貰えたりするのがセオリーでしたね」


「スキル?RPGみたいな?」


「ええ。でも実際はその人だけの特別な権能みたいなもので、大抵そのスキルで誰よりも強くなってどんどん出世していくってお話が多いんですよ」


「そのスキルって俺たちも貰えるんですかね。コイツも」


 見下ろすと犬もちょうど俺を見上げた。


「ところで、敬語やめませんか?」


 彼女が急に改まった様子で言うので、犬と2人揃って顔を向けた。


「え?」


「こういうのって最初が大事なんですよ。タイミングを逃すとずっと打ち解けられなくて、後から距離が縮まらないんですよ」


「は、はぁ」


 ずっと敬語で話していたものを、今から急にタメ口に変えようというのは何かむず痒い恥ずかしさがあった。


「それに見た目の年は違っても、私たち生まれ変わったばかりでお互い同い年みたいなものじゃないですか」


 確かにそう言われればそうかもしれない。


「それじゃあ、敬語やめるね」


 そんな早速!

 俺の中のシャイな部分が顔を赤くして悲鳴をあげている。

 しかしこんな俺でもあくまで見た目は年長者。ここで恥ずかしがっていては男が廃る。


「そ、そうだね。こ、この感じでよろしく」


 なんともぎこちないタメ口デビューである。

 いや、生まれてはじめての会話が敬語ってのもおかしい話なのか?


「うん!よろしくね!」


 笑顔が眩しい。


「あ……」


 急に犬が走り出した。

 どこへ行くのかと思ったがすぐに立ち止まり、前足を上げてここを開けてくれと爪で扉をガリガリと叩いた。

 いつの間にか出口がもう目の前まで来ていた!


 重々しい両扉は犬の足ではびくともしそうにない。

 ドアノブに手をかける。この外に一体どんな世界が広がっているのか。

 一度彼女と顔を見合わせた。

 生唾を飲み込む。


 まるで産道から生まれでる瞬間のようじゃないか。


 思い切ってドアノブを回した。


 眩しい光が差し込む。

 少し肌寒い風が吹き込んできた。


「早く出てください。洞窟内を冷やすと木の状態を悪くするので」


 目が慣れない内から急に横から声をかけられた。


「あ、はいすいません」


 ニッポンの社会人らしさ溢れる低姿勢でいそいそと外へ飛び出た。

 まだ視界が白む。洞窟内のじんわりとした暖かさとは違う、乾いた空気の冷たい感触と味を感じた。


 目が慣れてくると、真っ先に青空が目に入った。

 扉の外は運動場のような殺風景な広場だった。取り囲む柵と、隅に小屋が一つ。

 小屋の屋根から煙突が伸びていてうっすら煙を出していた。


 しかし高台にあるようで、周辺は恐ろしいほど見晴らしが良い。


「凄い景色ー!」


 

 彼女は楽しそうに広場の端まで走った。木製の頼りない柵から身を乗り出して景色を堪能している。

 犬も嬉しそうに近寄ったが、柵の手前で急ブレーキをかけて小さくなった。


 寄ってみると、そこは凄まじい高さの崖だった。

 遠い地面に目がくらむ。


「ひええぇ……」


 景色を堪能する余裕なんてない。

 震える犬の横に俺も転がって、震えた……。


「そっちは危ないぞー!その柵を信用しすぎるな」


「はーい!」


 小屋から男が顔を出して注意している。

 男は髭面のボサボサ頭。お父さんのようなメガネをかけていた。


 彼女が離れると柵が嘘のように外れて崖の下へ落ちていった。


「ぎゃああああ!!!」


 犬と抱き合いながら悲鳴が止まらない。

 年下の彼女が涼しい顔をしているのに……!

 生理的な恐怖には敵わないのだ。


「とりあえずそこの3人!説明するからこっちへ来なさい」


 男が小屋のドアから急かすように声を張り上げた。

 犬も含めて3人だろうか。

 だが腰が抜けて動けない……。


「大丈夫?」


 彼女は俺と犬をずりずり引きずって崖から遠ざけてくれた。


「先に行ってるから落ち着いたら来てね」


 まるで好奇心の塊のような人だ。何を見ても楽しそうで、俺が尻込みする間にあっという間に先に進んでしまう。


「怖かったぁ……、なぁ?」


 犬を見下ろすとうるんだ瞳で俺を見上げてきた。

 子供の頃犬を飼いたいと思っていた、気がする。

 頭を撫でると不安そうだった犬の表情が少し和らいだ。


「行こうぜ!」


 俺が立ち上がると、犬もスクッと起き上がって軽い足取りで歩き出した。


 (人化して美少女になったりしないかな)なんて思ったが、後ろ姿に立派なωを見つけた。さすがに都合が良すぎるか。


 犬と一緒に小屋に入った。

 彼女は髭面男と書類を見ながら何やら話し込んでいる。


「この申請は後になるほど証明や手続きが面倒になるから、やるなら早いうちか、なんなら今すぐ済ませておいたほうがいい」


「なるほど……」


 何やら難しい話をしているようだ。

 途中から入ったため何の話か全く分からず、書類を覗き込んでも小難しい単語が並んでいていまいちよく分からなかった。

 とりあえずタイトルは、『同期転生者による近親関係構成の申請について』

 うう小難しい……。

 ん?この書類の文字は日本語ではない。それなのに読めている。どういうことだ。


 何故だ何故だと考えている中、彼女は勢いよく首を回転させてこちらへ振り向いた。


「ねえ2人とも!!」


「!?」


「私と姉弟にならない?!!」


「え?え?え?!」


 どんな急展開だ!


つづく

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