表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最愛の人を殺した男と結婚した王妃の話  作者: 木津川 結
第一幕 とこしえの春
9/65

3.昔語り(2)

「頬紅を少し、多めにお載せしてよろしいですか」

「いいわ」


 エリノアは鏡台の前に座り、自分のまわりで動くジャニスの手をぼんやりと眺めていた。

 太い筆が頬骨の上を這うと、春の花のような薄紅色がほんのり残る。起き抜けの冴えない顔色が、幼い子どものように瑞々しくなる。

 鏡の前にはジャニスの仕事道具が置かれている。多くは硝子の容器に粉を入れたものだ。頬紅の瓶は深紅から淡い桃色まで、途中で橙も混ぜながら濃淡の順に並んでいる。


「ジャニス、あなたはどこで化粧を覚えたの?」


 顔から筆が離れると同時に、エリノアは尋ねた。


「イヴェールです、王妃さま」

「イヴェールのどこ? 他の職人と同じように、技術を身につける場所があるの?」


 化粧という文化が海を隔てた異国イヴェールで生まれたことは、エリノアも聞いたことがある。ダウランドにいる数少ない化粧師のほとんどが、イヴェールから渡ってきた者であることも。


「工房のような修行の場はございません。わたしに化粧を教えてくれたのは、さる貴婦人にお仕えしている化粧師でした」

「その方についていって、その場で仕事を覚えたの? 医者の見習いのように?」

「はい。独り立ちした後は、わたしも同じように高貴な女性に仕えることができました」


 うらやましい、という言葉を、エリノアはすんでのところで呑みこんだ。働く女性にはその立場にいなければわからない苦労があるはずだ。

 それでも想像せずにはいられない。ジャニスのように手に職をつけることが許されるならば、愛しても愛されてもいない男に体を開かなくても、自分で自分を養うことができたのに。


「いかがですか」


 最後に紅を引いた筆を置くと、ジャニスは一歩下がって鏡の中のエリノアに問いかけた。


 頬の薄紅色が引き立つように、他の部分にはあまり色を使っていない。瞼の二重幅を灰色で優しくぼかし、くちびるに頬よりやや深い紅を引いただけだ。エリノアは顔の要素のひとつひとつが大きく、はっきりとしているので、それぞれに濃い色を使うと勝ち気な顔つきに見えてしまう。

 顔全体にはたいた白粉だけは、普段よりやや厚めにしてある。ジャニスは何も言わないが、エリノアの顔色が冴えないことにきっと気づいているのだろう。


 〈王妃の塔〉でエリノアに仕えている女性たちの中で、ギルフォードの生前のことを知るのはジャニスだけだ。ウォルターはウィンバリーにやってきてエリノアと婚約した直後、エリノアについていた女官をすべて入れ替えてしまった。ギルフォードがエリノアにつけてくれた者たちに暇を出し、オニール派の支持者に連なる女性をあてがったのだ。

 ジャニスだけは女官ではなく、化粧師という特殊な職で雇われた者だったため、また同じ技能を持つ者を見つけるのが難しかったため、王妃となったエリノアの側に残ることを許された。

 悪夢のようなできごとの連続だったこの八か月間で、それだけが幸運だったとエリノアは今も思っている。


「参りましょう」


 エリノアはジャニスの手を借りて立ち上がった。

 今朝も〈王妃の塔〉を出て、〈王の塔〉から来た城壁の上でウォルターと合流し、愛の言葉とくちづけを受ける。それから礼拝堂へ向かうのがエリノアの日課である。


「失礼いたします、王妃さま。言伝をお預かりしてきた者がおりますが」


 女官のひとりが木の扉を開き、王妃の居間に入ってきた。

 ヘザー城で暮らす者は互いに伝えたいことがある時、使用人に言い聞かせて伝言させる。エリノアもそうして伝えたことも伝えられたこともある。

 しかし、こんな朝早くに届けられることはめったにない。


「どなたからなの?」

「カルヴァート卿のお遣いです、王妃さま」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ