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最愛の人を殺した男と結婚した王妃の話  作者: 木津川 結
第一幕 とこしえの春
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2.吟遊詩人(1)

 勇壮な王は馬を駆った 乙女の待つ城を目指して

 乙女は悪漢の城の中 震えて助けを待っていた

 聞こえてきた蹄の音 乙女は導かれ城壁の上へ

 現れたのは若き王 銀の鎧に金の冠

 手には乙女に捧げる麗しの薔薇



 吟遊詩人の歌声が絶え間なく響きわたっている。


 広間に集まった人々はともに歌ったり、拍手を送ったり、あるいは耳を貸さず隣の者と談笑したり、めいめい自由に楽しんでいる。

 細長いテーブルの中央で夫と並んで席に着き、エリノアはその光景を他人事のように見つめていた。王妃の誕生日を締めくくる祝宴だが、まるで浮き立つ気分にはならなかった。


 テーブルは壁の三面を背にして置かれ、中央にできた空間では先ほどから詩人が何度も同じ歌を奏でている。窓のない広間を照らしているのは、壁に掲げられた松明の灯りと、料理とともに置かれた蝋燭の火だけだ。どのテーブルにも葡萄酒で満たされた壷、焼き色がついた鶏を載せた大皿、宝石のように盛りつけられた果物の器がある。

 エリノアはそのどれにも手をつけていなかった。五月にしては暑い気温に松明の熱、焼けた肉と次々に注がれる酒の匂い、所狭しとテーブルを囲む列席者の人いきれで、一口も飲んでいないというのに酔いそうだった。


 もちろん、そんなことは一分も顔に出さず、満ち足りた表情で人々を見てほほえむ。



 我が勇者 我が正統の王

 乙女は彼をそう呼んだ

 あなたがこの地を救ってくれた

 終わることのない争いの日から

 あなたがわたしを救ってくれた

 恥知らずのあの悪漢の手から

 暗い冬は終わり とこしえの春が来る



「まさしく、この国は春だ」


 ウォルターの向こうにいるスティーヴンが、鷹揚な仕草で杯を掲げた。同じテーブルにいた複数の男女もそれに倣った。


「この喜ばしい季節にあなたが生を受けたということが、神の恩寵そのものですな」

「ありがとう存じます、ベレスフォード公」


 エリノアがほほえみかけると、相手もウォルターごしに笑みを返した。

 王の叔父であるベレスフォード公スティーヴン・グリフィスは、国王夫妻に年長の血族がほとんどいないこともあり、こういった席では必ずふたりと並んで座っている。


 ウォルターとスティーヴンをこうして同時に見ていると、少なくとも容貌ではいくつかの点が似通っている。少しくせのある灰茶色の髪、狭い額、薄いくちびる、椅子に座っていてもわかる上背の高さ。特に説明を受けなくても、血縁であることは一見してわかるはずだ。

 それでもこの叔父と甥があまり似ているように思えないのは、三十歳の年の差があるだけではなく、それぞれの雰囲気が異なっているせいだろう。壮年の男性らしくゆったりと構えているスティーヴンに対して、ウォルターは常にまわりの空気を察知し、笑顔でいながらも頭で何かを測っている雰囲気がある。


 そのウォルターも供された酒や料理には手をつけず、詩人の演奏や叔父の言葉に深く耳を傾けていた。間を空けずこまめにエリノアの顔を覗きこみ、目を細めて気遣うようなほほえみを向けてくる。妻が宴を楽しんでいるか、疲れた顔をしていないか、常に気にかけているように見える。


「両陛下におかれましては、まことに仲睦まじいことで」


 エリノアたちの席と垂直に置かれたテーブルから、ひとりの貴婦人が声をかけた。


「『暗い冬は終わり』――本当に終わったのですね。お若いおふたりを拝見しておりますと、心からそのように感じられますわ」


 エリノアはにっこり笑った。


「わたくしの陛下への愛がダウランドに平和をもたらしたのなら、これ以上に幸せなことはございませんわ」


 そして視線を移し、今度はウォルターにほほえみかける。戦場でギルフォードの命を奪った男に。


 先ほどから吟遊詩人が歌っているのは、シェリンガム王家の始祖であるハロルド王と、その妻であるエリノア王妃の物語である。

 初代王妃エリノアは前王朝の姫君だったが、暴君として恐れられた最後の王によってヘザー城に幽閉され、無理やり結婚させられそうになっていた。そこにハロルド王が軍を率いて現れ、暴君の手から姫君を救い出した。

 シェリンガム王家の創始を語るこの歌は、女主人公の名が現王妃と同じということもあり、今のダウランドでもっとも好まれている。


 エリノアは自分が王妃になって以来、この歌を聴くたびに胸を引っかかれるような心地がする。暴君に例えられるのが前王ギルフォードであるためだ。

 ギルフォードは短い治世の後半で、考えを異にする幾人かの貴族と対立した。彼らの一部が反逆を企てたため、やむを得ず厳刑に処したこともあった。それらのことがウォルターの即位以来、事実よりも惨たらしく語られている。

 王妃になっていくらも経たないうちに、エリノアは吟遊詩人も、彼らが奏でる歌も、すっかり嫌いになってしまった。


 そんなエリノアの心中など、この物語に酔う者たちには知る由もない。暴君の死によって姫君が救い出されたばかりではなく、オニール家のウォルターとマロリー家のエリノアの結婚は、長く続いた王位争いに終止符を打ったとも言われているのだ。


 エリノアの誕生日の祝宴にも、オニール派とマロリー派、双方の貴族が姿を見せている。


 先ほどエリノアたちの夫婦仲を讃えてくれた貴婦人は、長らくオニール家を支持してきたアビントン伯の未亡人だ。その隣ではマロリー家に重用されたコーニッシュ卿の孫息子が居並び、婚約者だというレッドメイン公の娘と笑みを交わしている。葡萄酒に溺れているライルズ公は戦場ではギルフォードについて戦ったが、勝利がウォルターの手に転がりこむと身を翻して新王に忠誠を誓った。日和見を決めこんだというスレイド候は抜け目なくエリノアの美貌を褒めそやし、ウォルターの参謀として戦ったウェルボーン卿は、その功績で国王夫妻と同じテーブルについている。


 彼らに対して何か思うということを、エリノアはとうの昔にやめてしまった。ギルフォードを死なせるために戦った者も、死なせまいと戦った後でウォルターに寝返った者も。

 百年近くものあいだ、この国の領主たちは、ふたつに分かれた王家の間で揺れ動いてきた。時流を読み、勝算を見極め、家に繁栄をもたらしてくれる王についてきた。立ち位置を見誤れば一族もろとも滅ぼされる、危うい戦いを生き抜いてきたのだ。彼らを恨んだところでギルフォードが甦るわけでもない。


 エリノアにできるのは、幸福な王妃としてほほえむことだけだ。この国に平和が訪れた証として。

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