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最愛の人を殺した男と結婚した王妃の話  作者: 木津川 結
第一幕 とこしえの春
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1.王と王妃(4)

「すべて落として、はじめからやり直してよろしいですか?」


 鏡台の中で尋ねるジャニスに、エリノアはうなずいた。


「ええ、お願いするわ」


 鏡の前には、エリノアが先ほどまで身につけていた真珠の耳飾りと、紅玉を中心に金の輪を連ねた首飾りが置かれている。ドレスは今日で四着目となる新しいものに変わっている。黒レースの身ごろに深紅の裳裾を重ねた、艶めかしい夜会用の衣装である。


「今日はずいぶん、お疲れのようですね」


 やわらかい香油を両てのひらに広げながら、ジャニスが口を開いた。

 今年で二十六だというジャニスは、気だるげに垂れた目と厚いくちびるを持つ、物憂い雰囲気の美人である。ほっそりとして背が高く、褪せたような金色の髪をいつも簡素な型に結っている。化粧を生業にしているというのに、自分自身の顔にはほとんど何もつけていない。そして、主であるエリノアの前でも決してつくり笑いをしない。

 だからエリノアもジャニスの前では、無理に自分を取り繕ったりはしない。ジャニスに化粧を施してもらう間は、女官も訪客も決して部屋に入れないようにしている。


「王妃の誕生日ですもの。忙しいのは仕方がないわ」


 ジャニスが指の腹をつかって、エリノアの顔に香油を塗り込んでいく。すっきりとした木の香りが広がるとともに、重ねた白粉が溶けて剥がれ落ちていくのがわかる。

 すぐにまた別の化粧を施されるのだとわかっていても、この瞬間は重荷が肩から外れたようにほっとする。


 エリノアの十八歳の誕生日は、地方から王都を訪れた領主たちの祝いの言葉を聞くことに費やされた。謁見の間にある玉座に夫と並んで座り、入れかわり立ちかわりやってくる彼らを迎え、幸せそうにほほえみながら祝辞と手の甲へのくちづけを受ける。


「疲れたなんて言ってはいけないわね。わたくしはただ座って、笑っているだけなのに」

「常に笑みを絶やさないのはかなり骨の折れる仕事ですよ。お疲れになるのは当然です」


 ジャニスへの感謝の気持ちをたたえ、エリノアはほほえもうとした。

 だが、かわりに顔に浮かんだのは、両目から溢れ出してきた涙だった。


「王妃さま――」

「ごめんなさい」


 エリノアが自分でそれを拭う前に、ジャニスが湯を含ませた布を顔に当ててくれた。あたたかさが肌を通して体の中まで沁みわたり、抑えていた感情が溶け出してくるようだった。


「誕生日だったから、思い出してしまったの。一年前のことを」

「去年までは、あの方がお祝いしてくださったのですね」


 エリノアは小さくうなずいた。嗚咽が飛び出してきてしまいそうで、もう声を出すことができなかった。


 ダウランド王太子の長女として生まれたエリノアは、このヘザー城で毎年の誕生日を迎えた。両親はエリノアが幼いうちに相次いで世を去ったが、祖父である先々王エセルレッドが、その死後は祖父の甥にあたる先王ギルフォードが、エリノアの生まれた日を祝ってくれた。


 そのギルフォードは今から八か月前、国土に攻めてきた反乱軍との戦で命を落とした。

 かわって王位についたのが、反乱軍の中心にいたウォルター・グリフィス――エリノアの夫である。


「大丈夫です、王妃さま」

 ジャニスの手がエリノアの肩から肘を、ゆっくりとさすった。

「今のうちに吐き出しておしまいなさいませ。誰も見ておりません」

「ありがとう――」

「お礼などけっこうです」


 エリノアは耐えきれず、とうとう肩をふるわせて泣きはじめた。

 こんな姿を見せられるのは、この城でもこの国でもただひとり、ジャニスだけだ。公にはエリノアは、新王と結ばれて幸せな日々を送っている、うら若く美しい王妃と言われている。

 その新王の手で屠られた先王こそが、エリノアの愛する人だったなどとは、誰も夢にも思わない。


 ギルフォード。父と祖父を亡くしたエリノアを、娘のように慈しんでくれた人。


 彼が反乱軍との戦で敗死したという報せを、エリノアはこのウィンバリーで受け取った。ヘザー城からほど近い、祖母のいるディラック城に身を寄せていた時のことである。

 それからおよそ十日後、新王ウォルターが随員を引き連れてディラック城にやってきた。結婚の申し込みであることは、会う前からわかっていた。

 新王の廷臣たちが見守る中で、エリノアは恭しく彼の求婚を受け入れた。

 生まれ育ったヘザー城はウォルターのものになる。父親も、祖父も、そのかわりになってくれたギルフォードも喪ったエリノアに、他に選ぶ道は残されていなかった。


 ウォルターの宮廷がヘザー城に落ち着くのを待って、およそ半年後の冬。

 エリノアはダウランドの王妃となった。愛しい人を殺した男の妻に。


「ありがとう、ジャニス。もう大丈夫」


 エリノアは手の甲で自分の顔を拭うと、深呼吸して目の前の鏡を見つめた。

 涙で顔中を濡らし、目を腫らした金髪の女が、年齢よりも幼い顔をしてそこにいる。


「王妃の顔にして」


 いつものように命じると、ジャニスが再び布をエリノアの顔にあてた。


 熟達した化粧師の手で、エリノアは国中の誰よりも美しい、幸福な新妻の顔になる。

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