ヤンキー娘in悪役令嬢〜乙女ゲー世界の中でも喧嘩上等〜
何故か度々ランキングに入るので蛇足かと思いつつ続きを書きました。✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦以降、追加エピソードです。
「あ?どこだここ」
目を覚ますと、サヤカの視界にふりっふりでゴッテゴテの真っ赤な色彩が飛び込んで来た。
サヤカはぼりぼりと頭を掻き、なんだまだ夢の中かと布団を被る。
『いや、夢の中で布団被るってなんだ』
布団をバサッと押し退けて飛び起きると。
「なんだよここ!!」
サヤカは叫んだ。
天蓋付きのベッド。甘ったるい匂いのする空間。家具やらカーテン、何から何までそこらじゅう真っ赤っかだ。こんな悪趣味な部屋には当然ながら全く見覚えが無い。
「どっかの金持ちの家かぁ?」
腕を組んで胡座をかき、暫し考える。
放課後他校の奴が絡んで来て喧嘩して、喧嘩の途中で電柱に頭をぶつけてからの記憶が無い。
『頭打ったって事は多分たんこぶ出来てるはずだ。たんこぶは早く冷やさなきゃだめだろ』
ばーちゃんから教わる常識だ。一刻も早く冷やさなければ。
たんこぶのせいか、頭が重い。ふらつきつつ、「くそっ、頭痛てぇ」と呟きながら、サヤカは鏡を探した。
「たんこぶは……」
姿鏡の前に立つと、鏡の向こう側に何処かのお綺麗なお嬢サマが立っていた。
イチゴの水飴みたいな透き通った赤い目に、何回ブリーチしたらこの色になるんだと聞きたくなるような明るい金髪。お人形サンみたいに可愛い見た目をしているものの、何故かすこぶる目付きが悪いように見える。
『やべっ、あたしが勝手に部屋に入ったから怒ってんだ』
サヤカは慌てて頭を下げた。
「サーセン!さっさと出て行くから見逃して……」
いや、あんたも謝るんかい。
『こんなお嬢も足を肩幅分開いてがに股で頭下げたりすんだな』
ヤンキー式の礼の仕方だと思っていたがもしや世界共通だったのだろうか。それともこのお嬢サマもしかして地元一緒?
すげー、めっちゃキグウじゃん。
などと思いつつ。
……よく見たらお嬢サマの前髪にぴょいんと寝癖がついている。
サヤカは「寝癖ついてんぞ。しょーがねぇなー……」と手を伸ばした。すると何故か相手も同じようにこちらに手を伸ばしてきた。
サヤカはぱちくりと目を瞬かせた。
「あ?あれ、あんた……鏡……」
お嬢サマは鏡の向こうに立っている。そんでもって随分間抜けな表情をしている。
「あ?」
暫し見つめ合う。サヤカはよっ、と手を上げた。お嬢サマもよっ、と手を上げた。なんだこれ。なんだこれ。
「なんっだこれ!!!何がどーなってんだ!!!」
思わずぺたぺたと顔を触る。日焼けして真っ黒だったのがいつの間にこんななまっ白い肌に。生え際がプリンになってきてたブリーチしまくりでギシギシの髪もツヤッツヤだ。ていうか目の色赤ってどういう事だ。毎日夜更かしなんてせずに夜10時には寝てるのに。いやよく見たら充血じゃないこれ瞳が赤だ。どこの国の何人だ。
「何人……じゃない、別人じゃねーか!」
そう、別人。別人だ。これはあたしじゃない他の誰かの身体だ。
「どうしましたお嬢様!?」と女の人の声がしてドアがノックされる。ガッとドアを勢い良く開くと、目の前にメイド服を来たオネーサンがおったまげた顔をして立っていた。こっちの方がおったまげだ。
「は!?あんたこんな真昼間から堂々とコスプレか!?」
「こ、こすぷれ……?じゃなくてお嬢様、口調が……」
「あたしはお嬢サマなんかじゃねえ!何がどーなってんのか説明してくれ!」
「一体どうされたんですかお嬢様、そんなに声を荒らげて……」
「あたしは誰だ!?」
コスプレのネーチャンはぱちぱちと瞬きをすると、「頭を打たれてしまった衝撃で混乱していらっしゃるようですね」と悲しげな顔をした。
「貴方様はこのマグノリア家のご令嬢、レイン・マグノリア様です」
「……レイン・マグノリア……」
どっかで聞いた事がある名前だ。いや正確にはレインたそ……レインたそ?
「あーーっ!あのオタクが貸して来たゲームの悪役の女じゃんかよっ!!!」
思い出した。思い出した。落としたメガネを拾ってやってからというもの、妙に懐いて度々話しかけて来るようになったあのオタク。
「このゲーム……悪役令嬢レインたその境遇に涙腺崩壊不可避で最早主人公よりも推せるんですぞww」とか早口で言いながら押し付けてきて、あたしは乙女ゲーなんざやらねぇって言ってんのにまあまあサヤカ氏もきっとやればハマりますぞと強引に鞄の中に入れられた、あれだ。
『あの帰りに他校の奴らに絡まれて喧嘩して頭打ったんだ。その時確か電柱のとこに鞄置いてて……』
「あっ」
ゲームが入った鞄ごと頭を打った。頭の後ろでメキョッて音がしたから多分壊れただろう。ほらあたしなんかにゲームを貸すから言わんこっちゃない。
『で、今あたしはその乙女ゲーのレインの中に入ってんのか』
どうやらそういう事、らしい。
「くそっ、何がどーなってんだ!」
ガン!と壁を殴ると「何事だ!?」としかめっ面した髭面のオッサンが、これまたコスプレがお上手な執事のニーチャンを引き連れてやって来た。
「レイン!おまえはいつもいつも学園で問題を起こして!遂に令嬢としての品も無くしたのか!」
「ああ?誰だこのオッサン」
偉そうにふんぞり返って、なんだこいつ。
後ろを振り向くとメイドのネーチャンが震えている。
「この方はレイン様のお父様のマグノリア伯爵様ですぅ……」
「へー、父ちゃんか」
ふん、と鼻を鳴らして肩を回す。出会って早々ガン飛ばして来やがるとはいい度胸じゃねぇか。
その態度が気に入らなかったのか、オッサンが益々激昂した。
「父親に対しての礼儀も忘れたとは!この……我が家の恥晒しめが!!!」
「ああん!?顔に唾飛んでんだよ汚ぇな!ごちゃごちゃうっせーんだよオッサンが!そんなに言うならヤンキーの礼儀ってもんを見せてやろうじゃねぇか!!」
「!?」
突然吠えたサヤカに、髭面の男が怯んだように一歩後ずさる。サヤカはグイッと間合いを詰めると男の胸ぐらを掴んだ。
瞬間、ゴンッ!という鈍い音が響いた。
「きゃーっ当主様!!?」
「な……お嬢様がこんな野蛮になっているなんて……!昨日帰ってくるまでは大人しくしていると報告が上がっていたはずなのに……」
「誰が野蛮だ!」
サヤカの頭突きを受けて床に伸びた髭面を見下ろす。父親と名乗った男を睨み付け、サヤカは叫んだ。
「あんたみてーな訳分かんねーオッサンなんか父親じゃねえ!父親気取りてぇならいっぺん顔洗って出直してこいや!!!」
最初に会ったメイドのコスプレしたネーチャンはサヤカ……いや、レインが頭をぶつけたことを知っていた。娘が怪我して休んでるのを知らないオッサンが家族なもんか。
『娘を自分の娘として可愛がらずに自分の事は敬えとか頭沸いてんじゃねぇか?』
敬いたくなるような行動をしてからふんぞり返れという話である。
「あらあらまあまあ、どうしたのこれは」
「あ?」
背後から声が聞こえて振り向くと、こじんまりした品の良さそうなおばあちゃんが立っていた。おばあちゃんは口に手を当てて驚いた様子で目を丸くしている。
「大奥様!お帰りだったのですか……」
「レインちゃんどうしたの、そんな怖い顔して」
コスプレ執事の声を遮り、おばあちゃんは真っ直ぐこちらにやってくるとサヤカの頬を包み込んだ。しわくちゃだがあたたかい手だ。なんだか凄くほっとする。
「怖かったねぇ、もう大丈夫よぉ。……この人はどうしてこんな地べたに寝転がってるのかしら、みっともない」
「大奥様、これはレイン様がなさった事で……」
「何言ってるの、レインちゃんが理由も無く人を殴るわけがないじゃない。大方その人がまたこの子を怒鳴りつけたんでしょう」
コスプレ執事とメイドが黙り込む。おばあちゃんは「ほらみなさい、この男が先にレインちゃんを傷付けたんじゃないの」と言うと二人を睨み付け、コスプレ執事に「客間のソファにでも寝かせておきなさい」と言いつけてサヤカに向き直った。
「長く家を空けるんじゃなかったわ。辛かったわねぇ、頑張ったわねぇ」
「ば……ばあちゃん〜!!!」
めちゃくちゃいい人だ。「よしよし」と頭を撫でられて縋り付く。
『あたしのばあちゃんはお線香の匂いがするけど、このばあちゃんは穏やかで優しい香水の匂いがする』
めちゃくちゃ安心する。
おばあちゃんは一頻り優しく抱き締めてくれた後、「ああ、そう言えば」と声を上げた。
「レインちゃん、今日は夜から学園の卒業記念パーティがあるんでしょう。やだわ、私うっかりして」
「レインちゃん、卒業おめでとう」と言われこくりと頷く。そうなのか。今日はあたしの卒業記念パーティがあるのか。初耳だな。
「素敵なドレスを用意してるんでしょう。お昼になる前にレインちゃんが目を覚ましてくれてよかったわ。さぁ、準備してらっしゃい」
「うげぇ、あたしドレスなんか着たくねぇんだけど……」
ガラじゃないにも程がある。遠慮すると言おうとして「さぁさぁ早く」とぐいぐい背中を押された。
「マトイ!でなきゃ制服着せてくれ!あっちょ、待っ……!」
腕っ節には自信があるのに勝てなかった。
あのばあちゃんただもんじゃねぇな。
「はぁ〜〜〜〜……なんでこんなとこに来ちまったんだか」
とんでもねぇ所に来ちまった。キラッキラのシャンデリアを見上げアホみたいな顔をして呟く。
優雅に談笑する同い年くらいのお坊ちゃんお嬢サマ。噎せ返るような香水の匂い。
「くっせぇ!おぇえ……」
なんだここ地獄じゃねぇか。マスクはねぇのかマスクは。ばってんマスク用意しろ。
真っ赤なドレスをずりずりと引き摺り、産まれたての子鹿のようながに股になりながらなんとか歩く。
『ハイヒールなんざ生まれてこの方履いたこともねぇのによ……』
着付けをしていたメイドにこちらを、とハイヒールを履かされ、サヤカはあまりのバランスの悪さに一、二の三歩で盛大にずっ転けた。
こんなんじゃ走る事は疎か歩行すら出来ねぇじゃねぇかと「おい今すぐ健康サンダル寄越せ。頭に赤いリボンを付けた白い猫の女の子が描かれたやつだ」と凄んでコスプレメイドに詰め寄るとぶんぶんと首を振られてしまいには怯えて泣き出されたため、サヤカはそれ以上言うのをやめた。
それにしてもあっちもこっちもカップルだらけだ。みんな仲良く男女で手を繋いで入場してくる。一人で足ガクガクしてすっ転びながら入って来たのはあたしだけだ。ぼっちか?いじめか?誰か手握ってて欲しい転けるから。
『まあいいか。なんか豪華で美味そうな飯もあるし適当に楽しんでとっとと帰ろう』
サヤカはのしのしとご馳走様の載ったテーブルに近付き、ローストビーフの山にそのままフォークをぶっ刺した。あーん。
「おっ、うめぇ。んっ、こっちもいけるな」
テーブル横に立っているスーツ姿の男が何故かポカンとした顔でこちらを見つめてくる。顔にソース付いてんのかな。ごしごし拭う。何も付いてない。
『並んであるもん全部うめぇ。よし決めた、今日は時間が許す限り食って食って食いまくる!』
イートインスペースでガツガツとがっついていたら「レイン・マグノリア!」と誰かが叫び始めた。
サヤカは『誰か迷子になったんかな。はよ出てきてやれよ』と気にせず食べ続ける。旨い旨い。
「おい貴様、貴様だそこで犬のように下品に食い漁っているそこのレイン・マグノリア!この僕が呼んでいるのに無視するとはいい度胸だな!!」
「レイン様、ウィル様を無視するなんて酷いですぅ!」
「んあ?」
きょろきょろとイートインスペースを見渡す。あたし以外誰も居ない。あ、そっかレイン・マグノリアって今のあたしの名前だ。
「……んだよ、あたしに何か用か?」
口を拭いながら振り向くと、ザッと人が割れた。その真ん中にいけすかねぇ面をしたどっかのお坊ちゃんと、ぶりぶりに着飾ったちまっこい女がお坊ちゃんに腕を絡めてぴったりくっ付いて立ってこちらを睨んでいる。
『誰だこいつら』
どうやらレインの知り合い、らしい。こんな新喜劇みたいなコテコテの空気を纏った奴らとはお近づきになりたくないものである。ふざけんなコントやってんじゃねーんだぞとサヤカはくるりと背を向けた。
「エスコートも無しに堂々とここまで来るとはとんだ恥知らずだな」
「うふふっ、レイン様はきっとおひとりの方が好きなんですよぉ!私はウィル様が居ないと寂しいのでずっと一緒に居てくださいねっ」
「ああ、リリア……!君はなんて可愛らしいんだ……!それに比べて貴様は……っておい!まだ話は終わってないぞ!ローストビーフを食うな!!」
「ああ?突然訳分かんねー茶番見せられるあたしの身にもなってみろよ。お前らの下手な茶番見るよりも肉食ってた方がよっぽど有意義だっつーの」
「ここの料理全制覇するんだから邪魔すんな」と言い捨てて再度くるりと大根役者二人に背を向ける。やっぱ肉は最強だな。手っ取り早く幸せになれる。
「ふ……ふざけるな!!!さっきからなんだその態度は!!!?」
『いちいち声がでけぇなこいつ。ちょっと黙らせてやろうか』
べきべきと指の骨を鳴らしていると、お坊ちゃんが訳の分からねぇ事を叫んだ。
「もう我慢ならん!レイン・マグノリア!今日ここでお前との婚約を破棄する!!!」
「……はぁ?」
婚約破棄?って誰と誰が。この坊ちゃんとあたしがか?ていうかこいつあたしの婚約者だったのかよ。
じゃあこの坊ちゃんの腕にしっかり掴まって離れないコアラみたいな女はなんだ。
「そして僕は僕の隣に居る愛するリリアと新たに婚姻を結ぶ事をここに宣言する!」
「ウィル様……!嬉しい……!」
うるうると目を潤ませ抱き着くコアラ女。その目がこちらを向き、見下すようにして歪んだのをサヤカは見逃さなかった。
「あ?んだあいつ。あたしに喧嘩売ってんのか?」
ふりふりピンクのふざけた格好しやがって。
ローストビーフの皿を置いて二人の前に歩み出る。怒りを目に宿したサヤカを見て気分を良くしたのか、ウィルはふん!と鼻を鳴らした。
「リリアが可憐で可愛らしいのを妬んだおまえはリリアに度々強く当たったそうだな。そのような陰険な女を僕が選ぶと思うなよ!リリアは僕が守る!」
「私ぃ、いつもいつもレイン様に怒られてすっごく怖かったですぅ……」
「はぁ?怒られただけでか?」
殴られた蹴られたならまだしも怒られただけで男に泣きついてんのかこいつ。弱すぎんじゃねぇか?いっぺん走り込みして鍛え直せよ。
「おい坊ちゃんよぉ、レインはなんでこいつに怒ったんだよ」
「はぁ?自分がしたことも忘れたのか?平民の出で貴族の作法が分からず戸惑う彼女を、お前がマナーがなっていないと公衆の面前で何度も怒鳴りつけたんだろうが!」
「いつも私、あんまり怖くって逃げ出してましたがぁ……今日は逃げません!私はこの場を借りて貴女を断罪します!」
びしっ!とこちらを指差したコアラ女に「人に指さすんじゃねえ!!」と怒鳴る。ぴゃっとウィルの後ろに隠れ「ほら!また怒ったじゃないですかぁ!」というリリアに、サヤカは首を傾げた。
「あんたさ、人に指さすなって大人から習わなかったのか?」
「えっ」
「そりゃ誰だって怒るに決まってんだろ、それか影で悪い噂広められて馬鹿にされて虐められて終いだ。あんたがいっつも怒られてんのはあんたが失礼だったからだろ。レインは田舎っぺの礼儀知らずなあんたに都会のルールを教えたかっただけじゃねぇのか?泣き出して、逃げ出す前にレインの話ちゃんと最初から最後まで耳かっぽじって聞いたことあんのかよ」
「……それは」
「あたしだって、昔あたしが肘ついて飯食ってたりしたら行儀悪いってすっげーばあちゃんに怒られたぞ」
あたしはばあちゃんと2人で暮らしている。いつもは優しいばあちゃんもあたしが小さい頃はマナーに厳しくて、箸を米に突き刺した日には烈火のごとく怒り狂った。
正直めちゃくちゃ怖かったがそのおかげで今ではもうしなくなったし、作法は完璧とは言えないが致命的な程ではなくなった。あれは必要な恐怖だったと思う。
「話聞かずに怖い、酷いって被害者ヅラして逃げて、レインを悪者にして男に泣きついて。それで満足かよ」
「わ……私……そんなつもりじゃ……ふぇえ……!」
「貴様!!リリアを泣かせたな!?この場で土下座して今すぐ詫びろ!!!」
「あーあー。……ごちゃごちゃうっせぇな」
自分に都合が悪くなったらすぐぴーぴー泣いて、自分の好きな物をちょっとでも傷付けられたら犬のようにギャンギャン喚いて。
「聞こえなかったのか?今すぐリリアに土下座……ぐぁあっ!!!」
「きゃーっ!!ウィル様ーッ!!!」
「……っと……へー、ハイヒールって結構強ぇんだな」
強く踏み込んでから放った蹴りはかなりキツかったのか、坊ちゃんが腹を抑えて蹲る。立ち上がることも出来ずに痛みに悶え苦しみ、脂汗を流しながら恨みがましくこちらを睨み付けていたが、暫くして何も言えずにその場で倒れた。
「はっ。情けねぇなぁ……女の蹴り食らったくらいで伸びてんじゃねぇよこのヒョロガリ野郎。そんなんでよくこのコアラ女を守るとか言えたなぁ?威勢がいいのは口だけか?腹筋鍛えて出直しな」
「信じらんない……元婚約者を蹴り倒すなんて頭がどうかしてるんじゃないの!?」
コアラ女の目付きが変わる。やっぱり本性を隠してやがったか。お坊ちゃんの意識が無くなった途端これじゃあ、そりゃお里が知れるってもんだ。こんな女にどれだけ逃げられても悪く言われようと根気強くマナーを教えようとして挙句の果てに婚約者も奪われたレインに心底同情する。
「……なぁあんた、あたしは少ねー頭でよーく考えてみたんけどよぉ、お前がレインの婚約者にちょっかい掛けたのがそもそもの始まりなんじゃねぇの?」
カノジョ、いや婚約者が居る男に近付くなんて、私を徹底的に潰して下さいと言っているようなもんだ。
寧ろよく怒られただけで済んだもんだ。しかもマナーに対する注意とかめちゃくちゃ優しいじゃねぇか。
「既に婚約者が居るのに中身スッカラカンの愛想だけ良いコアラ女に惚れたコイツも大概だけどな。……てめーが浮気する理由を他人の所為にしてんじゃねぇよ」
浮気は大罪だ。地元の先輩も浮気した男をタコ殴りにして病院送りにしていた。お綺麗な顔に蹴りを入れて半殺しにしなかっただけマシだと思え。
「テメーも同じだ。歯ぁ食いしばれよ」
「ひっ……や、やめ……!」
ベキボキと指の骨を鳴らしながらゆらりと近付くサヤカの影に、リリアの顔が恐怖で醜く歪む。
サヤカはぬっと手を伸ばし、そして……
「いっ……たーーーーーい!!!!!」
顔面にグーを入れられると思われていた丸いデコに、ビン!!とデコピンを食らわせた。
あたしのデコピンはめちゃくちゃ強力だ。近所のクソガキ共が悪さをした時にたまに食らわすと、痛すぎて「頭割れる!!」と叫びながら暫く悶え苦しむほどだ。最後にはいつも泣きながらごめんなさいと謝ってくる。
リリアは額を抑えて泣いた。
「ごめんなさいごめんなさいもう許して……」と土下座して繰り返すリリアにサヤカは「デコピンで許してやったんだから感謝しろよ」と言ってやった。
いつもなら喧嘩ふっかけて来た奴はボコボコのフルボッコにしている所だ。寧ろ優しすぎたかもしれない。
「じゃーな、二度とレインに近付くんじゃねえぞ!」
さて、ローストビーフローストビーフ。軽い足取りでイートインスペースに足を踏み出した瞬間、サヤカはドレスの裾を踏んづけた。
「あ?」
ツルリとハイヒールの踵が滑る。
ゴンッ。
「ぐっ……!」
目の前が真っ暗になった。
「サヤカ氏、サヤカ氏!」
ぼんやりと、視界にぽんぽんと並んだ二つの丸が浮び上がる。
「ん……」
「大丈夫ですかな、サヤカ氏!」
「……メガネ……ああ、オタクか……」
だんだんとくっきりしてきたシルエットが見知った男の形になっていき、サヤカは痛む頭を抑えながら尋ねた。
「……なんでお前がここに……」
「偶然通りがかったところでサヤカ氏が一人で大勢のおなごに暴力を振るわれていましたゆえ、助けに参ったんですぞ!」
「……あいつらは」
「拙者がお巡りさんこっちです!!と叫んだら散り散りに逃げていったでござる!今はサヤカ氏が頭を強くぶつけていたので体を動かさず、救急車を呼んで待っていたところで……」
「そうか……ありがとな」
オタクに助けられちまった。起き上がろうとして「うっ」と頭を抑えると、オタクに「起きちゃ駄目ですぞ!大人しくするのであります!」と寝かされて仕方ねぇなと再度横になった。
「オタク……わりぃ、今日借りたゲーム壊しちまった」
「ななな、なんですと!?そんな……乙女ゲームをプレイして貰えたらサヤカ氏の好きな男性のタイプが分かるかと思ったのに……」
「ああ?ボソボソ喋んじゃねぇよ、聞こえねぇだろ」
「聞こえなくていいんですぞ!!!」
「ふーん……」
オタクが急に無口になった。なんか喋れよとじとーっと見つめると、オタクは沈黙に耐えかねたのか「おっと指紋が!」とわざとらしく言いながら分厚い瓶底みたいなメガネを外して磨き始めた。丸いレンズの下から丸っこい大きな目が出てくる。
「……お前、メガネ取ったらそんな顔だったんだな……メガネが本体かと思ってたわ」
「失礼な!メガネは本体ではありませぬ!」
「……メガネ、なしの方が良いんじゃねぇの」
「えっ!?さ……サヤカ氏にそう言われると……コンタクトに変えることも検討しようかと思いますなぁ〜……」
「あのさ。ゲームはさ、あたしはやっぱ乙女ゲーとかよりも格ゲーのが好きだよ」
メガネを掛け直したオタクがきょとんとした。
ん?あたしなんか変な事言ったか?ぽりぽりと頭を掻く。
「それは……拙者とサヤカ氏が、一緒にゲームをすると……?」
「お前ん家格ゲーあんだろ、今度行くから。対戦な」
「えっサヤカ氏が拙者の部屋に……!?そ、掃除を……じゃなくて、相手がサヤカ氏でも絶対に負けませんぞ!」
サヤカはにやりと笑った。
喧嘩ならぜってー負けねぇ。それが例え現実でも、ゲームの世界の中でも。
「上等じゃねぇか。ワンパンでKOしてやるから覚悟しとけよなっ!」
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丸、バツ、丸、棒、上、右。ズギューン、ドギューン。
「おらおらおらおら!」
「うおっ!?体力が……ぐぬぬ!負けませんぞぉ……っ」
画面の向こう側で派手な音を立てながらカクカクと動きつつパンチを繰り出すキャラクターが二人。
こちらも二人、肩を並べて必死でカチカチとボタンを押している。
オタクの家にあったのはすっげー昔のゲームで、所謂レトロゲーというやつらしい。
すぐにバグるしすぐに落ちる。あたしはすげーイライラするけどオタクは「これがレトロゲーの醍醐味なのですぞ」とか言いながらにやにやしていて、まあオタクは楽しそうだしと仕方なく付き合ってやっている。
段々と減るオタクのHP。バーの色が黄色になり、赤になり。
「よっしゃ!あたしのか……」
ち、と言いかけて。
プツン、と画面が切れて真っ暗になった。
画面にちょっと前のめりになった二人が映る。
メガネをかけた奴の顔が明るくなった。金髪プリンが雄叫びを上げた。
「だー!また切れやがった!やってられっか!」
「さ……サヤカ氏!落ち着くんですぞ!その、五戦五勝するまでは付き合って下さると約束されたではありませぬか。この勝負は引き分けということで〜仕切り直して〜……」
「あーもーやめる!あたし帰るかんな!」
「そ、そんなぁ……!」
傍に転がっていた鞄を引っ掴んで立ち上がる。オタクが涙目で縋り付いてきた。やめろスカート引っ張んな。
「せ……拙者家まで送りますぞ!おなごを一人で返すなどなりませぬからな!」
「ああ?このあたしがか弱い女子に見えるってーの?」
オタクを見下ろしつつ、ははんと笑う。
生傷だらけの身体に頭の包帯。こないだ頭打ったとこはもう少しで治りそうだ。まあまた違うとこに痣やら傷やら出来たけど。
「タッパもあるし腕っ節も強い。あたしはあんただって片手で投げ飛ばせるんだよ」
頬の絆創膏を指でつつきながら「ほら、か弱くなんて見えないだろ」としゃがんでやると。
「さ……サヤカ氏は強い……ですが!おなごであります!だから……その……サヤカ氏のことは拙者が守ります……!ゆえ……」
「は……」
「……………」
顔突き合せて、沈黙。
多分、今のあたしは相当間抜けな顔をしていると思う。
今、こいつなんて言った。
「……えーと……あ、指紋が……ハハハ……」
オタクがメガネを取った。こいつはどうやら気まずくなるとメガネを拭き始める癖があるらしい。
俯いているのをじっと眺める。
丸っこい目だ。髪が癖毛でもっさりしている。全然外に出ないから肌が白くて細っちょで。
でも、それでもあたしを守る、とか。
それって。
「…………」
オタクが顔を上げた。メガネをしていない丸い瞳と目が合って、びっくりして目を逸らす。
「サヤカ氏……なんか、顔、赤いような……。あっ!もしや熱中症……!?クーラーの温度もっと下げるべきでしたかな!?あああ今冷たい麦茶を……!」
「う、うるせっ。おらっ」
「あっ!返してくだされ!」
オタクのメガネを奪う。
メガネを高く掲げて取れないようにするとつんのめったオタクがバランスを崩した。
「あっ」
どさりと倒れ込む。目の前には真っ赤になったオタクの顔。ぷるぷると震えて、涙目で。
ぷっと笑って、サヤカは言った。
「なんだ、もやしっ子だと思ったけどけっこー力強いじゃん。起き上がれねーんだけど」
「あああももも申し訳」
「……守られてやってもいいよ。あんたなら、許す」
今、自分がどんな顔してるか。見られたくないからメガネを取った。
多分分厚いメガネ掛けてるこいつはこんな至近距離でも見えてないだろうと思って。
「……照れ顔、可愛いが過ぎる……」
「えっ」
「はっ」
オタクがしまった、という顔をした。
「なんっ、おまえまさか見えて……」
「…………」
覆いかぶさっていたオタクの顔が近くなる。よく見ると睫毛長い。唇ちょっと乾燥してる。じゃなくて。
……こいつコンタクトしてんじゃん。
「〜〜〜!おまえっコンタクト……!」
「ずっとメガネで隠してましたが最近はコンタクトにしておりまして……」
「は!?なんでだよ!?意味ねーじゃん!なんで両方掛けてんだよ!訳わかんな……」
「ず……ずっと横目でサヤカ氏見てるの、バレたくなくて……」
「は」
「見すぎてキモいって思われたらどうしようと思ったら、言い出せず……でもサヤカ氏の好みはメガネ無しの時なのかとか色々考えてちょっとメガネ外す頻度増やしてみたり……?よくよく考えなくても拙者キモ過ぎ……土に埋まりたい……」
「…………」
サヤカは顔を覆った。
「……ずっと見てたんだ?あたしのこと」
「キモキモ侍で申し訳……」
「ふーん……あっそ、ふーん……」
言いつつ頭でぐるぐるぐるぐる考える。
じゃああの時も、あの時も。なんとなく顔見られたくなくてメガネ奪ってたあの時も、全部。
「ずっと見てたんだ、あたしの……ああああああああぁぁぁ……」
「さ、サヤカ氏?サヤカ氏ー?」
悶絶。一頻りじたばたして、顔を覆っていた手を外す。キッと目の前の男を睨み付ける。
「良い度胸じゃねーか。……あんたはあたしが大好きなようだからとびきり凄いのをお見舞いしてやるよ」
「と、とびきり凄いの……」
頬を両手で包み込む。ぐっと顔を引き寄せる。オタクが何かを察して目を閉じた。
ガツン!
サヤカは頭突きした。
「いっ……だーーーーっ!痛い痛い痛い痛過ぎでござる脳震盪一歩手前!うわー!!!」
「あたしを騙してた罰だ」
オタクが額を押さえて吹っ飛んでった。
頭を抱えて悶え苦しむもじゃもじゃから背を背け、ふんと鼻を鳴らす。何想像してんだ、ばーか。
ちらと横目で見て、ちょっとだけ近付く。
「……なぁ。家まで送ってくれるんだろ。エスコート、ってやつしてよ」
今のサヤカはドレスでもなければハイヒールでもない。別にエスコートなんて必要はない、が。
「あんたにだけ、特別に女の子扱いさせてやる。特別に。……この意味、分からないとか言うなよ」
「そ、それって……!」
目をキラキラさせたオタクが差し出した手を取った。
汗びっしょりだった。
まあ、夏だし。
あたしも多分けっこー汗かいてるからお互い様か。
家を出て並んで歩く。もう夏の夕日が沈みかけていて、結構遅い時間だ。
こいつと居ると時間があっという間に過ぎる。
「なぁ、そこのガチャガチャ寄りてーんだけど。りぼんの、白い猫の、女の子のやつ。……新作出たって」
「寄りましょうぞ寄りましょうぞ!拙者こういう時の為に百円玉専用ケース持ち歩いておりますからな〜」
「えっまじで。やるじゃん」
「お褒めに預かり光栄の極みー!」
口調とか、髪型とか。色々変なとこはあるけど、きっとこいつと一緒なら毎日楽しいだろう。
あたしの、サヤカの人生の乙女ゲーはオタクの攻略でじゅうぶんだ。
……まあ、たまに格ゲーもするけど。
小宅君、その後ガチャガチャで大はしゃぎするサヤカの横顔見ながら拙者の彼女超かわい〜と言ってしまい照れ隠しでサヤカに殴られる。一回休み。
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