玉響〜たまゆら〜
うだるように暑い季節だった。
鳴き続ける蝉の声にもいい加減うんざりだけど、止められないそれを、私は険しい顔して聞き流していた。
昼下がりの公園。
人っこ1人いやしない。
それもそうだ。
この暑さだもの。
ようやくありついた木陰のベンチに、崩れるように座り込んだ。
うんざりしてたのは暑さや蝉の声だけじゃない。
この時の私は、身近な状況にも、世の中にも、自分自身にもほとほと愛想が尽きていて、後先を考えずに会社をとびだしたのだ。
毎日毎日上司になじられる。
同僚とは見栄の張りあい、足の引っ張りあい。
居心地の悪さにいつも吐き気がする。
努力したって何も変わらない日常……
入社して3年目。
いつしか頭の中は、ここから抜け出すことでいっぱいになっていた。
小さなコップに日々数滴ずつ落ちていた鬱積が、ついにこの日、溢れてしまったのだ。
後悔なんてしていない。後のことも知らない。
背後から投げかけられた上司の怒声も無視して、私は飛び出した。
手ぶらだったことにはすぐに気づいたけど、まさか会社に戻ることもできない。
自宅まで3駅。
歩きに歩いたけれど、ここで限界。会社の制服まで汗だく。
死んでしまいそうなぐらい疲れて喉も渇いていたけど、定期も無ければ財布もない。
空調のきいた場所でオフィスワークばっかりしてたから、体力もなくなったのか。
惨め。それもここまでくるとなんだか滑稽で、笑えた。
私は人がいないのをいいことに、ベンチに横になった。
ふと、この馴染みのない公園を見渡すと、地面からはゆらゆらと熱気がたっていて炎天下を感じる。
脱水がすすんで、考える力も薄らいでいく。
私はこのままこんな寂しい公園で、こんな惨めな姿で死んでいくんだろうか。
その光景も、フワフワとした感覚もなんだか不思議で、夢か現かわからなくなっていた。
「ちょっとあなた、大丈夫ですか」
激しい蝉の合唱に紛れて、男の声が聞こえた。
久しく男と付き合っていないものだから、間際に願望が幻聴を聞かせたのか。
そんなことを思いながらうっすら目をあけると、それはなるほど生身の男で、私の顔を心配そうに覗きこんでいた。
大丈夫です。乾きがひどく、貼りついたような喉からそう絞りだしてはみたけど、こんな有り様だから説得力がない。もう起きあがることさえできなかった。
再び目を閉じると、すぐに生ぬるい夢をみる。
誰かが、私の名前を呼んでいた。
ボロボロの私を抱きしめて、これもまたドラマのようで笑えるぐらい、一生懸命呼んでいた。
それからどれくらい眠ったのだろう。
目が覚めると、意外にも私はちゃんと生きていた。
ただ、見知らぬ部屋に見知らぬベット。
まだ重くだるい体をなんとか起こしてみると、ご丁寧に見知らぬパジャマに着替えもしていた。
耳なりの酷い頭の中。
なんとか公園のあとの記憶を手繰ろうとするが、できない。
多分、“記憶が無い”のだと思われた。
相当大変な事になっているのにどうしようもなく無気力で、私はまたゆっくりと横になった。
「佐藤さん」。
聞き覚えのある男の声に、ビクリとした。
寝返りをうってみると、男は開けっ放しのドアの前にアホ面さげて立っていた。
……アホ面ではあるけど、顔は悪くない。小さな顔は精悍で、背が高かった。肌もほど良く灼けていて、とても健康的な彼は、むしろ好きな俳優に似てる。
非常事態にそんなことを考えていたら、男が血相かえて近寄ってきた。
私の手を握り、額を撫で、何度も
「良かった」と繰り返す。
今にも泣き出しそうな様子を、私は他人事のようにぼんやり見ていた。