一
『警告! 予定航路からのズレを検知しました』
恒星間航行の宇宙船において重心のバランスはとても重要なことだ。
マンガや小説では平然と加速中に動き回っていたりするが、そんなことをしたら重心が移動してしまう。
力学によれば、力は重心を通る成分と重心周りのトルクに分解される。
トルク。回転させる力だ。
トルクの発生は、進行方向が変わってしまうとても危険なことだ。
一応対策として船体を加速する進行方向を軸として回転させて大幅な航路からのズレを打ち消すようになっているのが基本だ。
だが螺旋を描けばそれだけ燃料を食う。逆噴射前の慣性航行の時間を増やせばよいと言うものでもない。
増してや方向が正確ではなくなっているのだから、慣性航行だと更に航路から外れる可能性が上がる 。
そして密航と言うことはその者の重量は重心に考慮されていないということだ。
そうなると上記の問題が表面化してくる。
地上やその惑星近隣ならば燃料にも余裕があったり、迷子でも通信が届いたりと望みはあるが、恒星間ではそのような希望は抱けない。
全方位に通信を飛ばせばすぐに背景放射の影に隠れてしまう。レーザーであっても広がりは存在する。
広がれば通信の強度は弱くなる。
更に自分の位置が明確に分からなければ通信を送る相手へも上手く届けれはしない。
通信強度上げるために的を絞れば、目的地とのズレは致命的となる。
そのため航路を外れるということは死につながる。
星図があっても加速航行中であれば充分な観測精度が得られない。もちろん重心がズレていなければ問題にもならないのだが。
慣性航行中であっても時間が掛かる。大雑把なことは当然分かるんだがそれでは役に立たない。
だからこそ、それに気付くことが出来たのは幸運だった。
遠くの背景と出来るような星の位置と近くの星が重なる。
正しい軌道ではあり得ないため、早期に気付くことが出来た。そのため警報がなったのだ。
人の目では調べていたら一体いつになることやら分からない貴重な情報。
重心のズレがどのくらいか。その推論と位置の特定。それから宇宙船の現在位置の特定とともに余計に消費した燃料と目的地までの航路計算。やることは山積みだ。
まずは密航者だ。こんな自殺行為に巻き込まれたんじゃ堪らない。探し出してとっちめてやらなきゃ気が済まない。
進行方向を軸にした回転からの推測を得たため、一度回転を止め、逆噴射用の方向転換のための回転をさせる。その時、噴射剤などは使わない。船内の物を回転させることによって反動で宇宙船自体を回転させる。これはもちろん燃料節約のためだ。この方法は時間が掛かるのが玉に瑕だ。しかしそれで重心のズレを観測と合わせて調べることができる。
分析結果は出た。ただこれは一つの塊だった場合だ。複数の質量源があれば捜索のためにまた動かしてみる必要があるだろう。
とりあえず目的の位置へと赴く。
目的の倉庫の扉の前まで来ることが出来た。
ゆっくりと扉を開く。と言っても自動だが。
明かりを点け、荷物の間の通路を行く。
今回は運が良かったのだろう。不幸中の幸いだ。密航者はあっさりと見つかった。床に体を磁石で固定し、横たわっていた。
密航者は寝ていた。まあ当然だ。恒星間航行で起きていたら餓死するのが落ちだろう。だからこその宇宙服型の冷凍睡眠だった。
背中の横にあるつまみを回すと磁石が回転して床から簡単に引き剥がせた。
暢気なものだ。こんな犯罪を起こして自分は寝ているんだからな。
無重力だから簡単に人一人を運ぶことが出来る。
だがそれだと歩けない。歩くために靴の踵には磁石が付いている。磁石が踵だけなのは歩くとき爪先を返せば簡単に剥がせるからだ。
そのため通路など床は鉄板に覆われている。船が重くなるが便利さが勝った部分でもある。資金的な問題もあるけどな。
しかし地上の事務とかは運動不足なのか足首を返すということすら儘ならない人物もいるという。宇宙船での活動が出来ない人たちだ。
――グイっ
そんなことを考えながら移動したら密航者の腕が引っ張られた。
何だと思い腕の先を見てみると、腕に紐が付いていて、大きな瓶に繋がっている。
瓶の中身は植物の種のようだった。
漂って迫ってくる瓶を受け止めると中がぎっしりと詰まっていて重い衝撃。
変なものを持ち込んでいる。
現在位置を確認中で慣性航行はまだ続けるため、今しばらくは時間がある。
宇宙服型の冷凍睡眠も使い捨ての単発ではないらしいため、この密航者を起こして話を聞くことは可能だ。
密航者は今、回転していた。
質量や重心を確認するために覚醒させる前に調べている。
宇宙服越しだと詳細な検査が出来ないからだ。宇宙服は宇宙線対策がされているためレントゲンとかで調べるわけにはいかないということ。
脱がすにしても冷凍睡眠を解除する必要がある。結局目覚めさせることになる。
しかし宇宙服の中に危険物がないとは言えないため、質量的に問題がなさそうなのかをまず調査している。
いろんな角度で回転させているのは質量分布を調べるためだ。
そして出てきた検査結果を見ても怪しい物はなさそうだ。冷凍睡眠時の体らしい。ただ体を削ってまでプラスチックなどで銃器を所持していたら分からない。警戒はしておくべきだろう。密航とは一歩間違えると自殺にも等しい行為なのだから。
本当は宇宙服から使用者の情報が取れないかとも思った。しかしダメだった。性能が低すぎてデータがないような簡易式ではなく、冷凍睡眠も可能な高性能機だからこそだった。
まず情報を取得するための差込口が知らないタイプが多すぎる。
次にセキュリティが厳重だ。生態認証以外だとパスワードの桁数が膨大過ぎた。
最後に力業でやろうにも今、船のコンピュータの演算は現在位置特定に全力を傾けている。さすがに宇宙船のより高性能だとは思わないが……
つまり宇宙服からの情報取得に失敗した。
冷凍睡眠の解除には時間が掛かる。
その間を利用して浪費した燃料と重心のズレから発生した慣性航行の向きのズレ。その計算をして、修正に掛かる時間や燃料はこの慣性航行で稼がないといけなくなったため、その向きの確認や予想される時間も計算しないといけない。現在位置が不明のままでは向きのズレを修正するわけにはいかないから、その結果待ちではあるのだが。
燃料の浪費は余分な荷物のため十分な加速を得られなかったという分。これは実際には浪費とは言わないけれども。
それと重心のズレによる加速が、トルクに割かれた分。こちらは充分に浪費だと言える。
さらに付け加えるならば、慣性航行中における向きのズレ、それとそのために移動した分を修正するのに必要な燃料も当然浪費と言える。
この修正は早い方が良いのだが、加速中のズレは本来の加速方向を軸にして回転させて相殺している分、修正に必要な角度が現在位置を解明して経過時間とともに正確な情報を得ないとどうにもならない。
銀河間とかであればまた違ったのかも知れない。
しかし今伝わっている情報だと未だにこの天の川銀河内でしか連絡網は繋がっていない。
宇宙開発が初期の頃にアンドロメダ銀河へと目指して旅立った者がいたらしいが、光でもアンドロメダ銀河とか200万ほどの時間が年単位で掛かるわけだし往復だとその倍。加・減速や生存に適した惑星などの捜索などを考えたら一体いつになることやら。まあ、戻ってくる必要はないかも知れないが充分な強度の連絡をしようと考えると戻ってくるのが一番確実だ。超新星爆発でも信号を送るように連続で起こせれば別なのだが。実際にはそんなわけにもいかないだろう。だがそれぐらい強度が欲しいと思うぐらいには銀河間は広い。
星食の位置、密航者と手荷物の重量、現状の情報であるそれだけでも上限下限でかなりの違いが想定されている。
加速終了から慣性航行に移って警報がなるまでの経過時間。
恒星間、同一銀河内で近距離なため、星系間の速度差もほとんどない。
つまり星系との速さが最も違うのが慣性航行中の現時点だ。
だからこそそのときのズレという物は大幅に効いてくる。例え燃料をケチっていようともこの事実は曲げられない。
亜光速での物体が航路をわずかな角度ズレれば時間が経てば航路からの距離のズレは時間とともに拡大していくことが想像できるだろう。
実際にはそれだけではなく、安全な航路も捜索しなければならない。
亜光速で小惑星帯などに突っ込めば木っ端微塵だ……
最短コース上に何もなければ良いが、迂回路が必要になったりすれば更に燃料が困ることになる。
元のコースに戻るわけにもいかない。慣性があるわけで、すぐに戻れるならそうするだろう。
そもそも星図との照合の難しさ。
亜光速の宇宙船の中からどのように見えるのか。
これが難しさに拍車を掛ける。
光行差というものが惑星上で見られる。
公転による影響の一つだ。
これは車や電車などから風もないのに雨が前方から斜めに降っているように感じる現象と似ている。
亜光速で宇宙を覗けば進行方向に光が集まる。こちらも同じく。
スターボウ。
『星の虹』と呼ばれる現象。
つまるところ星図をただ見ても、とても同じとは思えないわけだ。
亜光速での配置を計算に入れないといけない。時々刻々と変化していく。
非常に手間が掛かるわけだ。
そして一つ一つの星を確定させていき、現在位置を推定する。
一番の決め手は星食であったことは言うまでもない。
前方だけでも立体角で2πという角度が3.4142……倍に収束されてごちゃごちゃしている。
0.6πもなかったはずだ。
現在は逆噴射用にジェットノズルが進行方向に向いているために、それを利用して情報を集めている。
パラボラアンテナは要は放物線を回転させた面で出来ている。
ジェットノズルも効率良くするため同じ曲面を描いているため、代用が可能なのだ。
これは球面上に拡がる爆発を一方向へと向けるため。
パラボラアンテナは逆に一方向からと言っても良い遠方から来る光を一つに集めるため。
逆転の発想なのだろう。
前方から来る光は青方偏移によって振動数の高い、高エネルギーになっている。
光のドップラー効果。音のドップラー効果はサイレンを鳴らす物の通過時に良く聞かれるという。
高音だった物が低音に変わる。
それと同じく光にもドップラー効果は存在する。
前方からではより青く、後方からではより赤く色を変える。
色とは光の波長、振動数のこと。
またエネルギーのことでもある。
前方からは正面衝突。エネルギーが高いということが想像できる。
しかし元が小さく弱い光しか放っていない星もある。
そういう星にジェットノズルを用いたパラボラアンテナを向ける。
一つ一つ星の位置を割り出してく作業。
明るく大きい星は小さい観測機器でも詳細は分かるためで、基準に近い扱いでもある。
ふと眺めていた画面の星図に表してある推定現在位置の範囲が唐突に削れた。
漸く重要な手掛かりを手に入れたようだった。
しかし削れた範囲が悪かった。迂回が確定した。
これは警報が鳴らなかったら知らずにお陀仏だった可能性がある。例え僅かではあっても。
小惑星間が一天文単位ぐらいの幅があってもこの相対速度では対処できないからな。
「そろそろ冷凍睡眠が解除される頃か」
ふぅっと出そうになった溜息を深呼吸へと変える。億劫な気持ちを入れ替える。
密航者との対面。相手がどんな人間か分からないために緊張が体を縛る。
かと言って密航者を捨てていくわけにもいかない。それはもはや殺人と同義だから。
こんなところでは法も何もあったものではないが、それでも一線は引いているからだ。
さて。一体どんな人物なのだろう。
狭い一室の壁に磁石でくっ付いている密航者。
別に嫌がらせとかではない。
慣性航行中の無重力なために寝かせるということが出来ないからだ。
密航者の胸部にあるランプによって意識も覚醒したようだと把握できた。
「おはよう、密航者君。もし名前があるなら答えてくれるかな?」
声を出して話しかけた。
そう、この一室には空気がある。わざわざ空気で満たしたわけだ。
自分もヘルメットも宇宙服も脱いで、素顔を晒している。
密航者がバイザーを上げる。
「密航者は止めてくれるかな。あと君もね」
密航者は女性だった。
「密航したのは悪かったわ。時間が無くって急いでいたから」
ヘルメットを取ってショートの髪がぼさぼさに広がる。無重力なため当たり前だ。
「あら忘れていたわ、髪を固めておけばよかった。そうそうまだ名乗っていなかったわ。私はノア。ノア・パルバースよ、あなたは誰なのかしら?」
「あ、ああ悪い。この船の船長のケイン・アームストロングだ」
「それから何も持ってないから脅えて無理な威嚇はしないでね」
「ぐっ……」
見透かされた。髪爆発してるくせにっ……
と何か収納から取り出し、髪を纏めてしまう。
「輪ゴムぐらいはあるわよ」
み、密航者のくせにっ……
「あら、瓶も持ってきてくれてるのね」
そう言ってノアは瓶の蓋を開けた。
「ああああああああ!!」
「大丈夫よ、これは生物としての形態が別だから。感染とかそういったことは起こらないわ」
「そ、そうは言ってもだな、検閲とかもあるんだぞ」
「だからアミノ酸が光学異性体で作られている、と言えば理解する? DNAの螺旋の向きが逆でもいいけど。実際にはもうちょっと違うのだけど。逆にこれらを食べても栄養にはならないわよ」
言っていることを漸く理解する。安堵の吐息が自然と口から漏れる。
生物としての起源が完全に別物だということか。地球由来ではないのだろう。
「なんでそんなもの持っているんだ。いやそもそもなんで密航なんて危険な真似をしでかしたんだ?」
「まあ、これも関係あるんだけどね。ちょっと話が長くなるかな」
そう言ってノアは語り出した。