49話 お目覚め
『バルトロメウス、私の愛…。こんな母で、ごめんなさいね』
『母上は何も悪くありません。僕は大丈夫です』
『あぁ、私の太陽…どうかその輝きを、永久まで……』
『母上…?』
この会話をした数刻後、夕食に出された母の料理に毒を盛られた。
成長してある程度知識を得た俺は、母は自分が殺されるのを分かっていたのだと気付いた。それがどれだけ恐ろしく、辛いことだったか計り知れないのが悔しくて仕方がなかった。
今でも母の優しい温もりと、慈雨に似た眼差しが恋しくなる日があるのに、俺には縋る誰かが居ない。国王も王妃も俺を嫌っているし、兄上は次期国王として政務に励むお方だ。成人してから寝所に女を送られるようになったが、誰も彼も俺自身を見てはくれない。
何度泣きたい夜を過ごしたか、どれだけ自分の心を隠してきたか…数えるのを早々に諦めたことだけが記憶にある。
だから、この温もりは…柵も何もかもを失くした俺に与えられた、最後の褒美なのかもしれない。
柔らかく、温かく、そして愛おしい…そんな何かに包まれる感覚に俺は子供のように縋った。もう手放したくない、離されたくないッ!
「ぁ……母、上…」
口をついて出たのは、記憶の中の儚げな微笑みを浮かべる母の姿。母は俺に手を差し伸べ、抱擁してくれた。ずっと求めていた、あの懐かしい温もりが俺を包み込む。
「母上…母上……ッ」
『バルトロメウス、私の太陽…。もう大丈夫、何も怖くないわ』
「嫌だ、行かないでくれ、母上ッ!」
『彼女が、貴方を守ってくれるわ。だからもう…大丈夫よ……』
「ッ母上!母上!!」
光の泡となって消えた母は終始笑顔で、記憶の中の微笑みより喜びと慈愛に満ちていた気がした。
最後の泡が消えて無くなった時、背後から眩い光が差した。夜明けの如く光に包まれ、俺の視界は温もりを持つ白に染まった。
「……ん……、……?」
緩やかに撫でられる頭の感触に意識を呼び起こされた俺はかなり深い眠りに落ちていたようだ。夢を見た気がしたが、どんな夢だったか思い出せない。
もう1度寝たら思い出せるだろうか…。自分の体温とは違った温もりを持つ柔らかい何かに顔を押し付けて寝ようとした時、頭上から聞いたことのある声が降ってきた。
「俺は抱き枕じゃねぇっての…」
「……………っ!!?」
その声の正体が誰であるかを確認しようと目を開けば、視界を覆うのは変わった生地の布と日焼けしていない陶器と見紛う程美しい肌で…。
それが女性の胸部であると理解した俺はすぐに距離を取った。女性の経験は少なくないが、こんなに優しく抱き締められた経験は無かった。慣れない羞恥に顔から火が出そうなくらい熱い。
「な、な…ッ!?」
「お、目ぇ覚めたか。そんだけ動けりゃ大丈夫だな」
「あ、貴方は…!」
図らずも俺が抱き締めていた相手は、何とあの時の異世界人の男……。……男?
「え、男だった筈…何で胸が……?夢か…?」
「現実だから。俺は性別は女だが、普段は男のフリしてんだよ」
「じょ、女性……」
今までで一番驚いたかもしれない衝撃の事実を噛み締めている間に異世界の方は服を着てくれた。その胸は並の女性より豊満で、髪も下ろしているからか女性に見えてきてしまった。
俺は女性の胸に顔を埋めて寝ていたと言うのか…ッ!
「も、申し訳ない…。淑女にこの様な無体を強いるなど、騎士道に反する行為ッ」
「やめろ、淑女なんて柄じゃねぇ。大体お前怪我で死にかけてたんだろうが」
「怪我…、ッ!」
そうだ、俺は確かにマリユスに斬られた筈…なのに何故怪我が治って……?
斬られた脇腹には傷跡すらなく、吸い取られた魔力は完全に回復している。もしや、彼女が?しかし彼女には魔力もスキルも無かった筈だ。
だったら、一体どうやって…?
『あら、目が覚めたのね。お2人さん』
1人思案に没頭していると奥から声が聞こえてきた。艶やかで品のある美しい声、それだけを聞けば誰しもが絶世の美女を想像するだろうが、姿を見せたのは美しい猫だった。相も変わらず毛並みが美しいが…何故喋れるんだ?
「おぉ、おはようガーティ」
『おはよう、イサギ。王子様も元気そうで良かったわ』
「ぁ、あぁ…。……もしや、ケット・シーなのか?」
『あら、よく分かったわね。そうよ、私はケット・シーのガーティ。彼女はイサギ。貴方は確か、バルトロメウス王子だったわね』
妖艶に微笑むケット・シーに俺は小さく頷く。
ケット・シーと言えば、過去には国を築き上げた例もある程賢い猫の妖精として有名だ。中には国お抱えの魔術師と並ぶ実力を持つ個体も居たと文献で読んだ覚えがあるが…あの猫は異世界のケット・シーなのだろうか。
こちらのケット・シーの常識が通じる相手なのか判断しかねていると、イサギと呼ばれた女性が身支度を終えて戻ってきた。その姿はあの時よりこの世界に馴染んでいて違和感がない。
強いて言うなら、先程の美しい女性が完全に男になっていることに疑念が生じることだけだ。
「バルトロメウス…あー長ぇな。バルトロで良いか?」
「構わないが……聞きたいことがあるんだ。それに答えてくれないか…?」
「いいけど、先に飯だ。俺の従魔が腹減らして待ってるんでな」
そう言ってどこかに行ってしまった彼女を見送ってから、俺は自分が今どこに居るのかを自覚した。
「ここは…洞窟か」
『そう。外にもう2匹従魔が居るわ。彼女、今は冒険者で調教師をやっているのよ』
「冒険者?異世界の人間にこの世界の魔獣は危険なのでは…」
『あら、イサギは昨日従魔の力を借りずに1人でトロールを倒したわよ?』
「トロールだと!?」
馬鹿な、トロールは弱い個体でもBランクの魔獣だ。それをたった1人で倒したなんて考えられない。そもそも彼女は勇者の素質を持っていないのではないのか?
『まぁ、色々考えるのは食事の後でも遅くはないわ。外でイサギ達が待ってるから、行きましょう?』
白い猫、ガーティの案内で俺は洞窟の外に出た。空は綺麗に晴れ渡り、雲1つない。
朝の清々しい空気を吸って、俺はようやっと自覚出来た。
生きているんだ、と…。




