1話 俺の仕事は…
時刻は深夜の2時。月も恥じる時間に店仕舞いを始めている、夜だけの女の遊び場。
煌びやかな物で飾り付けた大人の色気と上品さを演出した部屋で、私…いや、"俺"は飲み潰れた客が残したブランデーを飲み干す。カランとタンブラーの中で鳴る氷の音が涼し気で心地良い。
フルーツの盛り合わせの残骸を抓んで食ってるとスタッフルームから見慣れた新人が顔を出した。新しいウェイターの大学生だったか。
「あ、イサギさん、お疲れ様ッス。…って、何でフルーツの食べかけなんか食ってるんスか」
「食えるモン食って何が悪い」
「あーもー、手が汚れてるじゃないスか!ティッシュ、ティッシュ!」
「いらねぇよ」
ちゅ、と指に付いた果汁を舐め取ると新人は顔を真っ赤にして目を逸らす。大学生でもまだまだ子供なんだなと思うと可愛げがある。弟が居たらこんな感じなのかと思っていると、新人の後ろから店長もとい父の後輩の雅樹さんが出てきた。顎鬚がよく似合う渋いおっさんで、気さくな所が人に懐かれる美点なんだろう。
「イサギ、新人を惚れさせんのはやめてくれ」
「知らないですよ、指舐めただけですから」
「色気がダダ漏れ過ぎッス!これで"女の人"って信じられねぇんスけど!?」
そう、俺はれっきとした"女"なんだ。
だがここは従業員が俺以外全員男の夜の店、ホストクラブ。俺はここで男装して働いている。理由は簡単で、雅樹さんが他の店に客を卑怯な手で横取りされたから俺が連れ戻しただけ。そっからズルズル続いて今じゃ本業になっている。
別に金が欲しい訳じゃなかった。ただ、ここは俺が男の恰好すると喜ぶ人間が大勢居たから、だからここを選んだ。それだけの事だ。
勿論他のホストは俺が女だって知ってる。知ってても普通に接してくれる良い奴ばかりだ。それも雅樹さんの人徳の為せる業と言ったところか。
俺を放置して新人と雅樹さんは俺の"女性説"を何故か熱く語っている。控えめに言ってウザい。
「イサギの性別は俺が保証する。イサギの高校の卒業式に立ち会ったからな」
「ブレザーッスか!?」
「黒のセーラー、しかも女子校」
「うわ、超見たい!」
こいつらアホだ、そう考えた俺はさっさと帰る支度をすることにした。
上着と鞄を持って雅樹さんがくれたバイザーを掛けてからホールに戻ると、雅樹さんが入口で屈んで何かに呼びかけていた。後ろから覗き込もうとする前に、その何かが俺の胸に飛び込んだ。
純白の長い毛に筋肉質な足、エメラルド色のぬめっとした目、ピンと立った長めの耳、シンプルな細いムーングレーの首輪。紛う事なき、俺の大事な愛猫だ。
「ガーティ、来てくれたのか」
「ミャーォ」
甘えるように俺の顔に自分の鼻を擦りつけるメスのメインクーン、それがガーティだ。まだ子供だが、俺の店を把握して時間が遅い日は迎えに来てくれる。中々賢い猫だ。
喉を撫でればゴロゴロと喉を鳴らすが、満足したのか俺の肩に乗って尻尾で早く帰ろうと催促する。ゆらゆら揺れる長い尻尾がまたこの美人の魅力だ。
「じゃ、俺帰るわ」
「あぁ、お疲れ。また頼むな」
「お疲れ様ッス」
店を出ると外は秋から冬に移ろうとしていた。空は黒く染まっていて、都会の光が邪魔で星は見えない。俺の首に擦り寄って寒さから身を守ろうとしているガーティの為にも、さっさと帰ろう。
そう意気込んでいた数分前の俺に一言忠告したい。
夜遊びしている学生に碌な奴は居ないってな。