06.聞こえちゃった
正直、何が起こっているのか分からなかった。確かこの学校は部活に入るときや、マネージャーに応募するときは必ず入部届を出さなければならない。
しかし、俺は入部届を出していない。なのに今こうして、女子ソフトテニス部のミーティングに参加している。
なぜ?なぜなんだ?頭の中はなぜ、の二文字で埋まりつくす。
「俺、マネージャーに応募した覚えはないんですけど……」
分からないときは誰かに訊くのが一番手っ取り早い方法だ。ここは正直に顧問らしき先生に尋ねる。
「っていきなり言われてもなあ。ここに入部届はちゃんと届いてるぞ。」
いやなんであるの入部届!?出してないはずなのに何である?
「少しその紙を確認してもらってもいいですか?」
俺はそう言うと席を立って自ら顧問の先生のところへ。こうして歩いているときにもあちこちでざわめきが起こる。恥ずかしいったらありゃしない。
顧問の先生から紙を受け取るとじっくりと眺めた。入部届として、俺の名前、親の名前、さらに印鑑まで丁寧に押してある。
どこをどう見ても入部届。提出するのに必要なものはこの紙に全て揃ってあった。文句の一つも言わせないような気迫があった。
「……どうだ、納得したか?」
「……。」
ただ、どうしても納得できなかった。というより、ここで納得したら半年前に自ら断ち切った部活の世界へ逆戻りしてしまうのだ。しかも選手ではなく、マネージャーとして。
「答えは出ない、か。じゃあこうしよう。先生もこの後職員会議あるしな。」
俺が納得できず、黙っていると先生の方から提案をしてきた。
「3日間期限をやる。それまでに答えを出してこい。3日後というのは週明けの月曜だ。」
「……分かりました。」
俺はそう言って煮え切らない気持ちのまま教室を後にしようとしたそのときだった。不可抗力で菜月の顔が視界に入ってしまった。
それはとても真っ青な顔をしていた。まさか、まさかとは思うけども……。
「失礼しました。」
理科講義室を出るや否や速攻で菜月に連絡をする。この件を問いただすためだ。間違っていたら間違っていたでそれで終わる話だし。
ミーティングが終わったら教室に来てくれ。待ってるから。
「ええっと……本当にすみませんでした。」
呼び出しされて教室に入った後の菜月の第一声はこれだった。花園や開登はいなく、俺と菜月朱音二人だけだった。
「やっぱり菜月が犯人なのか?一人だけ異常に真っ青な顔してたからもしやとは思ったけども。」
「……怒ってる?」
「いや別に。こんなんで怒るほど短気じゃないし。」
それを聞くと菜月は胸をなでおろした。相当切羽詰まってた状況だったのだろうか。
「ただ、理由が知りたい。」
「やっぱそう来るよね。んーと、どこから話せばいいのかな。」
菜月はそう前置きをした後、続ける。
「うちの学校って、年初めに2年と1年合わせて5人以上いなきゃ廃部じゃん?」
確かにそうだ。以前の開登の話にもあったように、部活を創設するときも5人以上が必要となるが、部活を継続していくにも5人以上が必要となる。
だが、普通にしていれば部員は5人以上はいるはずなので、普通の生徒は忘れてしまっている。
「で、困ったことにうちの部活2年が3人しかいなくて、さらに今年の入部届は未だ0なわけ。」
確かにそれは危機的状況だ。テニスというメジャーなスポーツにおいてその少数さは非常にまずい。個人戦ならまだしも団体戦すらできない。
「で、部員を増やすために、男子マネージャーをつけようって話になって、そこであんたが抜擢されたわけ。」
なんでその流れで俺の名が出てくる!?抜擢されたって簡単に言うけど、その抜擢されたという事実を知ったのはたった今だ。
「大体の流れは分かったんだが、部員を増やすために男子マネージャーが必要って案はどこから出てきたんだ?」
「そう言われてもそのまんまなのよね。女子部員を釣るにはやっぱ男子だよねーって。」
いや軽いな!そんな流れで俺を部活に引き戻そうとしていたのか……。恐ろしい。
「じゃあなんでそのマネージャーに俺が抜擢されたんだ?」
「単純にテニス経験者なのと、皆顔知ってるってのもあるわね。」
「……そこらへんは分かった。で、一番の問題なんだが、なんでその事実を俺が知らされてないんだ?」
その話題になった瞬間、菜月はさっき理科講義室で見せたあの苦い顔を見せる。分かりやすいなこの人。
「実は2,3日前にあんたの家行ったら凛ちゃんが出てきてね。事前にもらってあった入部届を見せて、ここに来た理由を説明したら」
「ああ、そういうことですか!全然構いませんよ、むしろあのサボり兄をみっちりしごいてください!」
「って入れてくれたから勝手に書いちゃったのです。」
そして俺はため息をしてから一番気になっていることを言った。
「で、何でそこまでの流れを今日のミーティングまでに言わなかった?」
「ええっと……単純に忘れておりました。」
それを聞いて俺は肩をがくっと落とす。何から何までしょうもないことだった。
「でも、修をマネージャーにするって無理にも程があるとは思ったんだよね。」
「それは……どういうことだ?」
「あんなことがあったんだから……今部活から離れてるのも当然って言っちゃ当然だよね。」
「……。」
菜月朱音が低いトーンで悲しげに喋るのは小さい頃から幼馴染として接してきたけども、初めてだった。いつも明るく、元気で、元気すぎて周りをいつも振り回していた、あの菜月が……。
「それを無理矢理私達の勝手な判断で戻そうなんて自己中だよね。……ごめん。」
そう締めくくって、菜月は深々と頭を下げた。あんなこと、か。思えば半年前のあのことから逃げるために俺は部活を辞めたんだっけな。
初めから菜月を責める気はなかったけども、菜月は菜月で罪悪感は持っているらしい。
「俺さ、考えてみる。期限の3日後まで。」
菜月はその言葉を聞くとゆっくりと頭を上げた。そして続けた。
「……ねえ修。」
「今度は何だ?」
「今日、一緒に帰らない?」
「校内美化お疲れ様。香住さん。」
「こっちこそお疲れ様だね。すっかり遅くなっちゃったね、入江くん。」
俺は今年の委員会は美化委員になった。特に美化委員にこだわりはない。何となーくやりたかったからかな。でも、委員会って皆そんなものだよね。
このクラスは男女比が1:1だから、委員会は必ず男女1人ずつ選ばれる。で、俺とペアになったのは香住優紀さん。聞けば花が大好きらしい。
おっとりした感じの人で、オレンジの小さいポニーテールを横に流している。いわゆるサイドポニーテールってやつかな。
透き通った緑の瞳が特徴的で、いつもくしゃっと笑いながらニコニコ話してるからおっとりしたイメージを与えてしまうんだと思うけど、たまにかます天然なボケがまたいいのですよ。
「そうだね、香住さんはバッグ持ってきてるってことはこのまま昇降口かな?」
「うん。」
「じゃあここでお別れだね!俺はバッグを教室に忘れちゃったし。じゃあまた明日だね。」
「じゃあねー。」
今日は今年度の美化委員会第一回目の活動で、内容は恒例となっているらしい花壇の手入れらしいんだけども、春休みの間放置し続けた雑草がよく伸びきっていることで、終了が長引いたってわけ。
別に終了が長引くのはいいんだけど、一人で帰るってのがまたむなしいよなあ……。さて、教室についたわけだし、ちゃちゃっと支度を済ませて帰ろう帰ろう。
「それを………………戻そうなんて……。」
「……考えてみる……。」
……教室の中から声が聞こえる?声が小さくてよく何を言っているかはよく分からない……ってこの声ってもしかして。
二つとも幼少期から聞いている声だったからすぐ分かった。修と朱音だ。でも何してるんだろう。
……まあいっか。せっかくのチャンスだしドアの前で待ち構えて驚かしてやろう。
そう思ってドアの近くに寄った瞬間だった。ドアに寄ったからか、急に二人の会話が透き通るように聞こえるようになった。
そうして聞こえた言葉が次だった。
「今日、一緒に帰らない?」