55.
あれは、高1の春でした。
6月、先輩にとっては最後になる大会である総合大会が開かれました。そこで私は1年生ながら先輩と組んで試合に出ることになっていたのです。
と言うのも、とにかく女子ソフトテニス部は部員が少なく、3年生、2年生がフルメンバーで出て、やっと3ペア分の団体戦の枠が埋まるくらいでした。
でも、その直前に2年生の先輩が怪我してしまい、その先輩が前を守る前衛だったから私が出ることを余儀なくされたのです。
正直言って、私は出たくありませんでした。3年生の先輩と出るなんて私には荷が重すぎるし、責任重大でした。
でも、その分、たくさん練習をしました。とにかく一生懸命練習して、最低でも迷惑はかけないようにしないと……。
でも、本番で事件は起きました。
「ゲームセット!」
1番目の3年生の先輩がゲームを取った後、2番目の2年生の先輩のペアが接戦の末、負けてしまった後の、要はこの試合の結果で団体戦の勝敗が決まる、そんな大事な試合でした。
でも、そこで私は緊張のあまり、絶対に点を落とすことの出来ない場面でボレーミスをしてしまいました。
絶対に点を落とせない場面。そう、それは相手にマッチポイントを握られている時。それに後1点取ったらデュースに持ち込める。そんな大事な場面。
でも、私はそこでミスをしてしまったのです。当然、チームはその時点で敗退、そしてそのまま先輩は引退。
まるで1本のレールが敷かれているかのようでした。
「栞気にすることないって!」
「あれは仕方ないボールだよ。」
「2戦目落とした私達もいけないんだし、落ち込むことないよ。」
先輩達、朱音ちゃんを含むみんながそう言ってくれました。でも私はそう声をかけられるごとに自分の中にある責任感が膨らんでいってしまったのです。
「……ありがとうございます。」
私はついに耐え切れなくなって、一旦その場から席を外しました。負けたのですが、シングルスで入賞した先輩がいて、その表彰待ちに会場には残ることになっていたのです。
その時は、出来るだけみんなから距離を取ることを考えました。一旦1人になって気持ちを落ち着かせよう。
そうやって1人、会場の端のベンチで座っていた時でした。こうやってぼーっとしていても、あの試合の記憶がなくなるわけではないことは自分でも分かっていた。
けど、どうしても現実逃避したくなるのです。今も誰かが目の前で試合をしている。私のせいで先輩達はあのステージから降ろされた、そう考えるとだんだん虚しくなって……。
気づいた頃には私の顔は涙で濡れてました。人前で泣くなんて……みっともなさすぎる。それでも私の涙は止まりませんでした。
幸い、会場の端っこだったから誰も見ている人はいない。そう思ったその時でした。
「……なんで泣いてんだ?」
突然、背後から低い男子の声がしました。でもそれは初めて聞く声じゃなかった。私は恐る恐る後ろを向きました。
「な、なんでここに……?」
それが、私、花園栞と、神谷修の初めて交わした会話でした。同じクラスで存在は知っていたけど、直接会話をする機会は今まで全くなかったのです。
「いや端の自販機、なんか格安で売られてるらしくて。はい。」
そう言って、神谷修君は私にスポーツドリンクを渡しました。
「いや、私は遠慮しておくよ……。」
「……何があったか知らんけど、がぶ飲みしたら少しは楽になるぞ。まだ口つけてないしな。」
今考えると謎の理論だったけど、その時の私は誰かが優しく接してくれることがそれだけで心の支えだったのです。
「……あ、ありがとう。」
私は一気に半分くらい飲んだ後、今日の試合のことを全て神谷君に話しました。でも、その時の神谷君は決して私を責めなかった。
「……すげえじゃんそれ。」
「……え?」
「だから、1年の今から試合に出れるって相当すげえぞそれ。今日の俺なんか先輩の応援だけだしな。」
この日、慰めの言葉はたくさんかけられたけど、褒められたのは初めてでした。
「でも……先輩が怪我したからだし、それに元々人数も少なかったから……。」
「いやもっと自分に自信を持つべきだって!むしろ先輩と一緒に試合に出れたことを誇りに思うべきだよ絶対。」
そして、神谷君はベンチから立ち上がって言いました。
「じゃ。また教室で。」
それが、私の恋の始まりでした。
教室では上手くきっかけが作れなかったけど、部活だと割と接する機会も多くて、神谷君の存在が私の部活のモチベーションの1つにもなりました。
でも、気が付くと神谷君は部活を辞めてしまっていました。理由は分かりません。それでも私は諦めませんでした。
関わる機会はぐっと減ったけど、それでも私は神谷君の背中を追い続けました。
1度振られても、それでも諦めませんでした。それほどあの日、あの時の出会いが重要だったのです。不思議なことにそれから神谷君と接する機会がぐっと増えました。
そして、今、目の前に神谷君がいる。もう、チャンスはない。
絶頂の緊張の中、私は静かに言った。
「告白、していいですか。」
神谷君はあの日のことを覚えているのかな。
「はい。」
いや、覚えてなかったとしてもいい。それは私の心の中にずっと閉まっておくから。
「1度振られても、ずっとずっと、好きでした。ここまで好きになれたのも、全部神谷君が素敵な人だったからです。」
もう嘘もつかない。後ろも向かない。弱音も吐かない。涙も流さない。
「もう1回、言います。何度でも言います。」
これが、本当に最後。
「あなたのことが、好きです。」
5秒程の沈黙が流れました。そしてそれは静かな屋上に静かに響きました。
「……俺も、好きです。」
その瞬間、今までの重りが全て外れました。辛かった今までの日々が走馬灯のように駆け巡って……駆け巡って……。
それは、全部涙として出てきました。泣かないなんてやっぱり無理だった。こらえていた分の涙が大粒の涙となって、姿を現しました。
「神谷君っ……神谷君っ……神谷君っ……!」
思わず、そこに座り込んでしまいました。嬉しかった。それ以下でも、それ以上でもない。
その時でした。座り込む私の外で、人肌が私の体を包み込みました。
「ごめん……今まで悲しくさせて。」
あったかい。大好きな人の体はとてもあたたかかった。
私は抱きしめられていました。
「神谷君……。」
「だから、今から行こう。俺たちの場所へ。」
神谷君はそう言うと、私の手を引いて、走り出しました。座り込んだ状態から急に走り出すから私はバランスを崩しかけます。
だけど、この手はもう離さない。そう決めました。
「ちょっ、どっ、どこへ!?」
「……内緒っ。」
何も考えが無いようには見えませんでした。そう信じて私はその手を一切離しませんでした。
そして、着いた場所は……。
「教室……。」
神谷君は小さく頷くと、ゆっくりとドアを開けました。そしてその先に待っていたのは……。
「綺麗……!」
花火、でした。そう言えば、みんなは校庭で18時に上げられる花火を見ている……。
そして時刻は18時2分。
「あの日も、花火、上がってたよな。」
あの日……。夏祭りの、あの日。
もしかして……神谷君……。
「今度は俺からキスしても、いいか。」
私は小さく頷きました。
そして、神谷君の顔がゆっくりと近づいてきました。今度は違う。私から強引にしてないし、合意の元でのキス。
だけどそれがとても嬉しかった。
そして、また唇が重なりました。また背景には花火が上がっていました。
「……好き。」
「……俺もだ。」
こうして、文化祭は幕を閉じました。
次回、本編最終回です




