15.開幕
「いけえ!」
「走れ走れ!」
とうとうこの日がやってきました。まあ色々な声援があちらこちらで飛び交っているのだが、
……暑い。とにかく暑い。晴れているのはとてもありがたい話なのだが、天気予報を見るに今日から夏の気温に入るとかかんとか。まだ5月下旬だというのに。
ともあれ、無事に今年の体育祭は開催することができた。去年は学年だけでも3位とかだった気がするので今年は出来れば優勝したいなあぐらいの心構えで臨もうと思っている次第です。
「開登プログラム見せてくれね?忘れちゃってさ。」
「ほいよ。お前は騎馬戦だから午後だけどな。」
「さんきゅーっと。」
プログラムを見るに今行っている100m走の後は午前は800m走、400mリレー、二人三脚、ムカデ競争。昼食を挟んで、大縄、綱引き、騎馬戦、障害物競走、そして学年別の全員リレーでフィニッシュ。
午前暇だなあこれ……。しかし、ただ椅子に座っているだけっていうのも虚しい。開登はこの後すぐの800mの選手の招集がかかっているし……。
まあ何となく見ていよう。ああほんとだったらこの100m走に出て競技は終わっているはずなのに……。クラス対抗の競技も午後だし。
ただいつまでも暇しているのではなかった。そこに救世主が現れたのだ。
「神谷練習しようぜ!」
名前を呼ばれて振り返るとお馴染みの騎馬戦メンバーが揃い踏み。これはいいタイミングで来てくれたこと。
「お、丁度暇だったんだ。みんなは騎馬戦だけ?出るのは。」
「そうだけども、女子の競技は全部見ようってリーダーと話つけてあるから、800mまでには戻るぞ。」
なぜ女子の競技だけ?しかもわざわざ800mまで待たなくても今なら現在進行形で女子走ってるぞ。
「いや、リーダーって誰だよ……。俺聞いてねえぞ。」
「リーダー。香住さん速いですねえ。」
800mの時がやってきた。基本プログラムは男子、女子の順で行われる。ということはあいつも観客席に戻ってきているということだ。
「あーはいはい。あの人ねはい。普段はおっとりしているけどこうしてみると結構胸ありますねえ。」
正面のトラックでは中学のマラソン大会で2位を謳っていた香住さんが爆走している。第三者から見てもまあ恐ろしく速いわけだが……。
「ズバリ?」
「私の予想だとDカップといったところでしょうかねえはい。」
馬鹿真面目に観戦をする俺のすぐ横でまたくっだらない会話をしているのは入江ファミリーの皆さん。初めから嫌な予感はしていたけども、まさか本当にリーダーという隠語の正体が開登だったとは……。
「……君たちはそこで何を?」
「何をって応援に決まってるじゃないか。修もやる?」
「いや、やめとく。」
別に俺も健全な男子高校生だからたまにはこういういかがわしいことも……とは考えなくもないが、俺は既にこの時、背後から忍び寄る刺客に気づいていた。
「いや、まてよ……?もしかしたら香住さんはE以上あるのでは……?」
「高校生でEってやばくないですか?」
乗らなくていいぞ、うん。
「うん、やば……っていってえ!」
背後からげんこつと共に姿を現したのは、こんな暑いなか上下学校指定の紫のジャージ姿の菜月朱音。俺はこれが怖かったのだ。
「応援なら応援でちゃんとしなさい。」
「なんで俺だけ……。」
菜月が正義の鉄槌を下したのは入江開登1人。まあ菜月が近藤や志賀あたりと話しているのを見たことがないし、関わりがあるとも思えない。
「だってリーダーなんでしょ?そこらへんちゃんと責任取るんだよね?」
いったいどこから話を聞いていたのやら……。リーダーという隠語を最後に口に出したのも結構前だというのに。
「そうだそうだ!しっかりしろよリーダー!」
「痛い痛い!固め技はだめだって!」
そしてこの手のひら返し。本当に人望ないんだなリーダー。もはや競技を見てすらいない。
トラックでは見事学年1位を獲得した香住さんが立っていて、女子も男子も喜んでいる。
「修は参加してないの?」
開登の成敗が終わったのも束の間、今度は菜月がすごいけんまくで標的をこちらに変えてくる。
「してない!してないから振りかぶるのやめて!」
これはほっとしてられない……。こちらも必死で抵抗すると分かってもらえたのか、拳を下げる。
「……その顔は嘘をついてなさそうね。」
そしてやっと一息をつく。体育祭だってのになんでこんな波乱万丈な一時を過ごさなければいかないんだ……。
「分かってもらえりゃいいんだ。つーか暑くないのか?その恰好。」
気温は26度くらいか。その気温の中上下ジャージは見ているこちらも暑苦しいというもの。
「そりゃ暑いわよ。暑いけど日焼けしたくないし。」
「日焼けしたくないってお前テニス部じゃん。」
「そりゃ部活の時は日焼け止めつけるわよ。でもこんなときまでつけたらもったいないでしょ!?」
周りを見れば、上下ジャージ姿なのは別に菜月に限ったことではなかった。さすがに男子は気にしてないのか、半袖半ズボンの体育着姿が多かったけども。
「随分ケチりますねえ……。」
「これはケチじゃない。エコロジーよ。とりあえず選抜400mリレー命かけてでも応援するのよ!」
そう言う菜月の瞳には青き闘志がメラメラと湧き上がっていた。そういえばこいつ昔から足めちゃくちゃ速かったな……。別に足だけに限ったことではないけど、選抜されるのは必然と言える。
「そう言えば選抜されてたんだっけなお前。」
「修は?」
「俺はずば抜けて速いってわけじゃないからなあ。スピードなら開登の独壇場だ。」
開登も昔から足が速かった。というか俺の周りの人って基本運動神経良いんだよなあ……。凛もバスケで県大会とか行っていた気がするし。
「ま、いいや。そろそろ招集かかるしお互い頑張りましょ。」
「おうよ。まあ俺出ないけど。」
観客席を見ると開登は既に招集に行ってしまっていた。
「渡部君ファイトー!」
「頑張れー!」
プログラムは男子が先に始まるので、まずはレベルの高い男子の選抜リレーが最初だ。
始まったは始まったでいいものの一生懸命に走る男子というのは女子の目にも留まるわけで、あちこちで黄色い応援の声が飛び交っている。
「……なんか羨ましいよなあ。」
「俺も出ておけばよかったなあ……。」
そんな中、俺の後ろでコソコソとやっているのは柔道部のバカ2人組。口では簡単に言えるけども、この競技は出たいから出れるって感じじゃないんだぞ。
「なあ?神谷?」
「そこで何で俺に振る……。お前らも応援しろ俺らの騎馬戦のメンバーだぞ。」
「へーい。」
俺がそう促す頃には3走目の渡部がバトンを渡してアンカーの開登へ。現在の順位は8クラス中4位と中々に健闘している方だが、得点が入るのは上位3位から。
つまりここで開登は誰かを抜かさなければならない。無論、抜かされてもダメ。女子側もそのルールを把握しきった上で応援しているので、黄色い声援もラストになるにつれ大きくなっていく。
幸い、前とはそんなに開きは出ていない。
「入江君ふぁいとー!」
「もうちょっとで抜けるよ!」
開登は残り半分というところで俺らの観客席の前を通る。俺らの応援の声が一番よく届くところだ。
つまり、ここしかない。俺は大きく息を吸い込んで叫んだ。
「開登ーー!抜かせーーー!!」
心なしか開登は少し笑ったような表情をした。そしてその後はスタミナも落ちてきている前の選手との差をどんどん詰めていって……。
ゆっくりと抜かした。