11.やっぱり好きなんだ
「鶴田先生か……あいにくだけど今ここにはいないなあ。」
俺は職員室に出向いて女子ソフトテニス部の顧問がいるかどうかを尋ねる。すると偶然近くにいた先生が反応してくれた。
どうやら鶴田先生というらしい。在籍中にもう一度その名を呼ぶことになるかどうかは分からない。なぜならマネージャーの1件を断る予定だからだ。
思えば金曜の俺はどうかしていた。部活とは縁を切ったのにマネージャーなんて言語道断、それにやったとして俺が前入っていた男子ソフトテニス部の連中からの冷たい視線も怖い。
「そうですか……。部活のことで用があったんですけども。」
「部活のことならコートにでも行ってみるといいよ。そこにもいるかどうかは分からないけど。」
まあ職員室にいなければそうなるわな。普段なら部活中のコートになんて近づかないが、今日はもう心には決めている。決断の日も遅らせてもらったんだ。
「試しに行ってみます。ありがとうございます。」
俺は全てを蹴りに行く。開登の部活の件を考えるのはそれからだ。そう思って俺はコートへ急いだ。
「……栞大丈夫!?」
審判台が倒れると同時に女子ソフトテニス部全員が花園に駆け寄る。男子や女子硬式テニス部は何が起きたかさっぱり分からなく、ただ動きを止めている。
花園栞は脚が倒れた台の下敷きになっていて、倒れたときに顔にもダメージが来ていた。その上、気絶している様子で、返事はなかった。
「先生は!?いないの!?」
そう誰かが言った。辺りを見渡しても不幸なことに、どの部にも顧問の先生はいなかった。グラウンドに出て、グラウンドで練習している部の顧問に見てもらうのでもいいが、グラウンドまで遠すぎる。
それならその時間を使って保健室まで連れて行った方が断然いい。
「大丈夫だよ……大丈夫。そんな大事じゃないから。」
皆が軽く絶望しかけたとき、花園が目を覚ました。それを見て部員が一気に肩の力を抜く。ここで返事をする元気があるってことは大事にはならなさそうだ。
「良かった……。立てる?」
既に台は花園の体の上から撤去されていて、いつでも立ち上がれる状況だったが、足がどうにも動かないようすだった。
不慮の事故とはいえ、責任は全部自分にある。菜月はそのまま花園の体を抱きかかえると、コートの出口に向かってゆっくり歩き始めた。保健室に運ぶためだ。
「朱音、一人で大丈夫?」
「手伝うよ。」
その様子を見た同じ部の先輩も同級生も声をかけてきてくれた。が、振り向かずに断った。
「いや、非があるのは私だから。……気持ちだけ受け取っておきますね。」
手伝おうとした部員達は皆、その言葉を聞いて足を止めた。菜月朱音が悲しげな低いトーンで喋るのに驚いてしまったのだ。
菜月はそのまま走ってコートを出た。行先は保健室だが、テニスコートと保健室は丁度端から端だった。言葉以上に長い距離を走ることになる。
それに花園を抱えたままだ。華奢な体つきの菜月は息切れをし始めるが、保健室に着くまでは止まるわけにはいかない。
「本当にごめんね。栞。」
菜月は走りながらそう花園に語るも、返事はない。表情を見ても目を閉じたままだ。おかしい。さっきは意識あったはずなのに……。
いずれにしても今菜月朱音自身で判断できることではない。全ては保健室に連れて行けば解決するのだ。解決するのだ……が……。
菜月は思わず足を止めてしまっていた。後ちょっとなのに足が動かない。なんでこんなときに……!
「……何やってんだお前。」
急に前方から気の抜けた声が聞こえてきた。神谷修だった。紫の普通の長さの髪に、普通の大きさの目、普通の身長。
「あんたこそこんなとこで何やってんのよ。帰宅部は早く帰りなさい。」
「いや、鶴田先生に用があってな。コートにいるんじゃないかと思って。」
「今いないわよ。じゃ。」
そう吐き捨てて菜月は通り過ぎた。神谷修が今こうして鶴田先生を探しているのも、元はといえば菜月のせいだった。自分からそうさせておいてこの対応をするのは少し心苦しかった。
後で謝っておこう。そう思った瞬間だった。
「何急いでんだよ!」
神谷修がそう叫んだのと同時に菜月は振り返った。神谷はそこから一歩も動いてないのか、まるで点のように見えた。
「……大丈夫だから!」
「いや、見た感じ大丈夫そうじゃねえから言ってるんだよ!特にその……は、花園とかやばそうだぞ。」
神谷修は少し恥ずかしがっている様子だった。そう言えば栞は告白をしたんだっけ。この男に。だえだえの息の中、菜月はそんなことを思った。
「これは……私が悪いの……。」
菜月は下を向いてそう呟いた。当然相手に聞こえるはずもない。
「……今なんつった!?」
「ごめん!後で話すから!」
神谷修は追ってはこなかった。ただ、長居をしすぎた。本来ならばもう着いているはずなのに。
なぜ、こんなに苦しいのだろう。
「よし、これで寝ておけば大丈夫だね。」
あの後すぐに、菜月は保健室に到着した。保健室の先生がリアルタイムで保健室にいたのは不幸中の幸いだった。
保健室に菜月自身はあまり来たことはなかったので、あまり先生と面識は無かったのだけども、驚きの手際の良さで傷口を消毒してくれた。包帯も巻いてくれた。
「これで本当に大丈夫なんですか……?」
「私の腕を舐めてもらっちゃ困るね。……って言っても応急処置だから目が覚め次第病院に行くよう勧めるけどね。」
養護の先生は決して若くはないが、活気を感じさせる元気なおばあさんだった。
「……ありがとうございます。本当に……ありがとうございます。」
「何、大事に至らなくてこっちもよかったって。ただ足は相当きてるねこれ。しばらくは運動できなさそうだ。」
「じゃあ体育祭や部の大会は?」
「大会はいつだかこっちは分からんが、体育祭は微妙なところだね。」
体育祭も大会も重要なイベントだ。体育祭の全員リレーなんかは特に重要だし、大会も先輩が最後だから重要だ。
「……そうですか。」
「まあそう気を落とさんなって。ひとまず部の人かなんかにこの嬢ちゃんのこと伝えた方がいいんじゃないかい?」
「……そうします。本当にありがとうございました。」
「本当にごめんね、栞。」
本当はこのとき私は意識があった。でも、息を切らしながらも運んでくれている朱音ちゃんのことを考えると、どう返事すればいいか分からなくて。
頭を打った衝撃で意識が鮮明になったり、朦朧としたりの繰り返しだったっていうのもあった。
やっと返事をしようと思ったその時、目の前に神谷君が現れたのです。
「特にその……は、花園とかやばそうだぞ。」
このとき、私はドキっとしました。同時に嬉しかった。神谷君が私を気にかけてくれているのが嬉しくて。そこからはまた意識が薄れちゃってあまり覚えていないけど。
それに朱音ちゃんは全部自分が悪いみたいな言い方をしていたけど、全部自分で背負い込むことはない。
ボールがイレギュラーな跳ね方したのも、それが私に当たってしまったのも全部偶然。わざとじゃないんだから……。
でも、これで自分の気持ちに改めて気づくことができた。
私、やっぱり神谷君のことが好きなんだ。男性として。恋愛対象として。
どこかそっけないところもあるけど、その中に潜んでいる優しさがとても温かくて……。思えばそのキッカケをくれたあの日もこんな優しさだったな。
少しでも思い出したら後は鮮明に蘇ってくる。あの日、確かこんなことを言われたんだっけ。
「花園……大丈夫か?」
保健室の白いベットに入ったまま、そんなことを考えていると、突然男の人の声が聞こえてきました。男らしい、低くて、おっとりしていて、安心させる。
私は目を覚ましました。目の前には神谷君がいたのです。