体育祭練習編もしくは銭湯(玉城)
「勝利は白組にあるー! フレー! フレー! し・ろ・ぐ・み!」
「フレ! フレ! 白組! フレ! フレ! 白組!」
グラウンドの片隅で、白組の応援団長の応援に続き、俺たち団員も声を張り上げた。
「続いて……紅組の健闘を祈ってエールを送る! フレー! フレー! あ・か・ぐ・み!」
「フレ! フレ! 紅組! フレ! フレ! 紅組!」
俺の応援団としての役割は、他の平団員と同じく応援団長に続けて声を張り上げるだけだ。声援自体は短いが、それでも腹から全力で声を出すことで、軽く酸欠のような状態になる。
これがやってみると意外と気持ちが良い。ストレス発散には力いっぱい歌うといいと聞くが、まさにこういうことなのかもしれない。ただ、時々加減しないとマジで頭がクラクラしてくるからそこは注意だ。
「……よし、今日はこの辺りにしておこう、みんなよく頑張ってくれた」
白組の応援団長の三年生がこちらに向き直った。
「明日もまたこの時間にやろう、解散だ」
今日もこうして応援団の練習は終わった。
俺が応援団に入るために生徒会室に行った時、対応してくれたのがこの白組の応援団長だった。
名前は遠藤。三年だから俺の先輩だ。
身長は俺と変わらないくらいで、四角い顔に角刈り、そして野太くて大きめな声。俺とは別の意味で威圧感のある先輩だった。
『玉城彰……?』
応援団に入りたい旨を伝え、俺が名前を名乗った時、遠藤先輩は首をかしげた。
俺の事を知っているのか、と問うと、
『……確かゲームセンターで他校の生徒をリンチしたとか……』
長谷川の例のクソ迷惑なデマを信じている様子だった。
そういえばあの件で長谷川のことをしめわすれていた。あとできちんと落とし前をつけなけねばなるまい、と決意したところで、その噂はデマであることと俺自身は人畜無害のしがない男であることを伝えた。
『……そうか、それならばとりあえず応援団の練習に参加してくれ、今年は応援団の希望者が多い、練習で様子を見て、そこから選抜する形になると思う』
なるほど、やはり応援合戦は体育祭の花形。応援団にも人気があったか。
俺はそう納得し、頷いた。
あの日以来、応援団の練習を真面目に参加しているが、果たして俺は遠藤先輩のお眼鏡に適っているだろうか。自分で言うのもなんだか、結構声は出ていると思うし、見た目的にもインパクトは充分あると思う。他の団員には負けない自信はあった。
しかし、なにぶん応援団なんて初めてやることだ。もしかしたら、応援団をやる上で俺が知らない何かしらの基準があり、そこが評価の対象になっている……なんてことも有り得る。
このあたり、選考される立場である俺が深く考えても仕方ない事なのだが、それでもどうしても考えてしまう。そもそも後輩にも友達にも身内にも「応援団をやる」と言ってしまっているのだ。これで選考から落ちて応援団に入れないと、非常に格好悪いことになる。男して、そんな情けない結果だけは避けなければならない。
ドン
「あ……」
「ああ、すまん……」
上を見ながら考え事をして歩いていたせいで、思わず人とぶつかってしまった。
足元をゴロゴロと転がるソフトボール、それらを追う、見知ったジャージ姿の男子生徒。
「山口君?」
「……どうも」
俺に声をかけられた山口君は少しばつの悪そうな顔でこちらを振り向き、またすぐに散らばったボールを追い始めた。
山口の手にはソフトボールの入ったカゴがある。どうやら、俺とぶつかった時にボールを数個こぼしてしまったらしい。
「すまなかった、考え事をしていたんだ」
「あ、大丈夫ですから……」
俺もボール拾いに参加する。というか俺のせいでボールをこぼしてしまったのだから、俺が率先してボールを拾うべきだ。
四方八方に逃げるボールたちを走って追いかけ、すべて回収すると、それをカゴの中に入れた。
「ありがとうございます……」
「いや、俺が悪かったんだ、手間をかけさせてすまない」
「……玉城先輩だけのせいじゃないですよ、僕もよそ見しちゃってましたし……」
山口君はソフト部のマネージャーである。
夏休み中、ソフト部のマネージャーを手伝った時、彼にやり方を教えてもらって以来だ。
一応その時、ラインで連絡先は交換し合っていたが、それ以降、特に連絡を取り合う、ということはしていなかった。
「よし、お詫びにこれは俺が持とう、運ぶ場所は体育館倉庫でいいんだよな?」
「い、いや、いいですよ、別にそこまでしなくても……」
「気にするな、俺が勝手にやることだ」
「あぁ……」
山口君からカゴを少々強引に受け取ると、体育館倉庫を目指して歩き出す。山口君はあっけにとられたようだが、すぐに小走りで俺の隣まで来た。
「今日も真面目にソフト部のマネージャーを務めているみたいだな」
「別に真面目とかじゃないです、普通ですよ」
それは謙遜というものだ。
山口君は身長が低いし腕も細い。恐らく体格は秋名と同じくらいだろう。とても力があるように見えない。にもかかわらず、こうして力仕事をやっているのが、真面目にやっているという証拠だ。
「花沢たちは真面目に練習してるか?」
「してませんね」
山口君はバッサリと切り捨てた
「え……してないのか?」
「監督が見ている前では黙々とやりますけど、監督が見ていない時はなんか喋りながらやっています」
それはある程度仕方ない事だろう。常に緊張状態を維持したままなんて、疲れるだけだ。
前に手伝った時にも薄々感じていたが、どうにも山口君は花沢たちに厳しい目を向けているように思える。
「山口君は何でソフト部のマネージャーになったんだ?」
「え、なんですか急に……」
「気になったんだ、教えてくれよ」
花沢はソフト部のエースピッチャー、そしてその女房役の栞はソフト部を仕切っている部長だったはずだ。その二人に対してトゲがあるのに、ソフト部のマネージャーを真面目にやっている、というのは少々違和感がある。
「……まあ、ちょっとした理由ですよ、言うほどの事じゃないです」
「なんだ、逆に気になるぞ、そういう言い方は」
「ぼ、僕の話は別にいいでしょう……そうだ、それよりも応援団をやるんですか?」
山口君が露骨に話を変えてきた。どうやらソフト部のマネージャーをやる理由は話したくないことらしい。
そういう誤魔化し方は余計に気になるだけだが……あまりしつこく聞くのも、うざがられるだけだろうから、ここは山口君に合わせて話を変えよう。
「ああ、そうだ、体育祭にむけて応援団の選考をな」
「応援団の選考?」
「今年の応援団は人数が多いらしい、練習に参加させてもらって、選考をするんだ」
「へえ、そうなんですか」
「というか、山口君、俺が練習していたところを見ていたのか?」
「ええ、まあ……」
確かにグランドの隅で大声を上げていたし、近くにはソフト部の連中もいた。マネージャーである山口君が俺の練習する様子を見ていても不思議ではないか。
「山口君から見て、俺の応援はどうだった?」
「え? えーと、良かったんじゃないですかね、先輩の声が一番目立っていましたし」
そうか、客観的に見て俺の応援は目立っていたか。それならば俺の悩みも少しは晴れるというものだ。
「あ、山口君、着いたぞ」
話していたら体育館倉庫に着いた。
俺は体育館倉庫の中にカゴをいれる。
「山口君、もうソフト部は終わりか?」
「いえ、もうちょっとありますけど、ストレッチとかいろいろ……」
「そうか……それならだいぶ時間かかりそうかな?」
山口君とこうして話すのも久しぶりだ。このまま一緒に帰るというのも悪くないと思ったが、まだ仕事が残っているというのなら、無理そうか……
「そうですね、部員の人たちはストレッチやって、総括やって、色々やるからあと一時間はかかるかもですね」
「なるほど……山口君もそれに付き合うわけか」
「いえ、僕はこのままほかの機材の片づけをやれば終わりです」
「え? じゃあすぐに終わるのか?」
「まあ、2、30分後くらいですかね、僕が帰れるのは」
2、30分……それなら待てるか。というか、俺も機材の片づけを手伝ってやれば、さらに早く帰れるのではないだろうか。
「山口君、久しぶりに一緒に帰らないか?」
「えっと……いいですけど……」
グッと俺は親指を立てた。
山口君と肩を並べて、適当に話しながら駅に向かって歩く。
「山口君、お腹が減っているのなら例のラーメン屋でもよるか?」
「……いえ、お腹は減っていませんし、あのラーメン屋はパスですね」
「あのラーメン屋嫌いだったのか?」
夏休みの時は『ぽんた』を普通に食っていたはずだが。
「……別に嫌いってわけじゃないですけど、多分、あの人たちと鉢合わせするかもしれないので……」
「あの人たち?」
山口君が「あの人たち」という人物。心当たりはなくもない。
「花沢か」
俺の言葉に山口君が眉をひそめた。
やはりな。花沢達はあそこを行きつけにしているらしいし、花沢達に対してのトゲのある態度を考えれば推察することは容易だ。
「なあ、山口君、なんでそんなに花沢たちを毛嫌いしているんだ?」
もう直接聞いてしまおう。俺の知る限り、花沢奈江という女子は誰かに嫌われるような性格はしていない。きっと何かしらの理由があるはずだ。
「……まあ、いろいろあるんですよ」
「ふむ」
山口君はこちらを見ながら、含ませるような言い方をしている。
言うか言うまいか悩んでいる、という顔に見えた。
なんだか山口君には隠し事をされてばかりだ。
「……山口君、一緒にお風呂に入らないか?」
「え?」
「山口君も部活で汗をかいただろうし、俺も応援団の練習で汗をかいた、ちょうどいい機会だし、銭湯でも行かないか?」
裸の付き合い、という言葉がある。
銭湯でゆっくりお湯につかれば、リラックスして口も軽くなり、きっと何が原因で花沢のことを毛嫌いしているか教えてくれるだろう。ついでにボールを運んでいる時には教えてくれなかったソフト部のマネージャーをやっている理由も教えてくれるかもしれない。
「銭湯ですか? そんなに汗はかいてないんですけどね、それにタオルとかも持ってないし……」
「タオルくらいなら貸してくれるだろ、銭湯なら」
「はあ……でも……」
「まあまあ、いいじゃないか、裸の付き合いって言葉がある、銭湯で男同士気軽に話そうぜ、銭湯代くらいは俺が奢ってやるから」
この世界に来てから初めてできた仲の良い同性の後輩だ。これからも仲良くしていきたいし、お互いに言いたいことがあるのならスパッと言える関係になりたい。
それに何よりも、俺は『裸の付き合い』というものちょっと憧れがあったのだ。兄貴分として弟分を気にかけてやるなんて、まさに先輩のあるべき姿だと思う。
「……ちなみにですけど、この辺りのどこに銭湯があるか分かってます?」
「いや? とりあえず今から探す」
この辺りは学校とゲーセンと駅しか知らない。
俺がスマホを取り出すと、山口君がため息をついた。
「……僕が一軒知っていますから、そこに行ってみましょう」
「おお、さすがだ、山口君」
山口君が案内してくれた銭湯は、駅から少し離れたところの住宅街にあった。その外装は「昭和の古き良き銭湯」といった感じで、天に向かって大きな煙突が突き出ている。
「へえ、この辺りまでは来たことがなかったが、ここに銭湯があったのか」
「ソフト部は時々使ってますよ」
なるほど、だから山口君は案内できたわけか。
「ちょっとここで待っていてください、中を見てきます」
「うん? ああ……」
入り口で待たされ、山口君が一人で銭湯に入っていった。
営業しているかどうかを確認しているのだろうか。
しばらくして、渋い顔をした山口君が帰ってきた。
「ここに入るのは止めておきましょう」
「営業してなかったのか?」
「いえ、営業はしていますが……」
営業をしているのならいいじゃないか。一体何で入れないのだろう。
「……番頭さんが女性です、それも若い人が」
「そうか」
「ええ……」
「……」
「……」
「……うん?」
「……はい?」
お互いに妙な間があった。
番頭が若い女性であるということはわかったが、それがどうしたというのだ。
「いや、営業しているんだろう? 入ろう」
「で、ですから番頭さんが女性なんですってば」
「だからどうした」
「え!? ……あー、いやですから、ここって番頭さんが着替えを見れるようになっているんですよ」
「……ああ、そういうことか」
昔の古いタイプの銭湯はそういうのが多いらしいな。俺も小学校くらいの頃にそういう話を聞いて、番頭になりたいと思ったことがある。
そして、山口君が何を懸念しているかわかった。
ここは貞操観念逆転世界。つまり、『女が男の裸を見たがる世界』であり、『男は女に裸を見られたくない世界』だ。
「よし、それならこうしよう、山口君は俺の影に隠れて着替えろ、それなら山口君は恥ずかしくないだろう」
「え?」
俺の図体のデカさならば山口君を覆い隠すくらいはできるだろう。これで山口君は恥ずかしい思いをしなくて済むはずだ。
「い、いや、それじゃあ玉城先輩が裸を見られちゃうじゃないですか……」
「俺は問題ないぞ」
俺の裸なんて好きなだけ見ればいい。番頭が若い女性というのならばむしろこちらも見返してやろうかとすら思える。
山口君が頭を抱えた。
「もう本当に何なんですか、玉城先輩って……」
「なんで呆れられてるんだ俺は」
「呆れますよ!」
「まあ、俺が気にしないっていうのならいいだろう、さあ行こうぜ」
「……うーん……分かりました! ……それならなるべく死角になるところで着替えますよ!」
山口君がそうしたいというのならば素直にそれに従おう。俺はコクリと頷いた。
苦い顔をする山口君とともに俺は銭湯の中に入った。
番頭は確かに若い女性だった。20代か30代くらいだろう。アルバイトか、それともここの経営者の家族か。
俺は山口君の分まで金を払い、さらにタオルも貸してもらった。
その間に山口君は死角になる場所を探しだし、手を振ってこちらに知らせてくれた。
山口君の見つけた場所は、確かにロッカーが目隠し代わりになって番頭からは裸が見えない。
山口君と隣り合い、制服を脱ぐ。まだ衣替え前なのでワイシャツとズボンとパンツを脱ぐだけだ。
そんなわけでとっとと裸になったわけだが、山口君の方を見ると、なにやらもぞもぞとしながら服を脱いでいた。
「山口君、何をしてるんだ?」
「え?」
俺に話しかけられてこちらを見たが、すぐに山口君は目を逸らした。
「だ、だって、恥ずかしいじゃないですか、人に裸を見られるのって」
「そうか? 俺は特に感じないが」
どうやら山口君は、異性だけでなく、同性の俺にも裸を見られるのに恥ずかしさを感じてしまうらしい。
俺の方は、銭湯で裸になることに関して、羞恥心は特にない。だってここはみんな裸になる場所だし。
「……玉城先輩は色々と図太すぎなんですよ……」
「山口君はちょっと繊細だと思うぞ、俺は山口君の裸を見ても何と思わないし」
山口君の裸を見ても、色白で線の細い少年、くらいの感想しかない。もうちょっとたくさん食べて太った方が、健康的に見えると思う。
「……はあ……玉城先輩がうらやましくなります」
「それは呆れてるのか、それとも俺を尊敬しているのか、どっちだ?」
「……両方です」
それから山口君はたっぷりと時間をかけて制服を脱ぎ終え、ハンドタオルで前を隠した。
「……お待たせしました」
「じゃあ行くか」
「……あの先輩、前を隠した方がいいと思うんですけど」
「男二人で別に隠す必要はないだろう、というかむしろ山口君が隠しすぎなんじゃないか?」
俺は股間すら隠していないが、山口君はハンドタオルを縦に伸ばし、胸のあたりまで隠している。
「それはだから先輩が図太いからで……いえ、もうなんでもないです、本当にうらやましく思いますよ、玉城先輩の事は」
「あ、今のは完全に呆れただけだな」
はあ、とため息で返事をする山口君とともに風呂場に入った。
身体を洗って湯船につかる。大きな湯船に身体を伸ばしながら入るのは実に気持ちが良い。まだ人がほとんどおらず、ほぼ貸し切り状態であるのもこの気持ちよさに拍車をかけている気がする。
「たまには銭湯もいいなあ……そう思わないか、山口君……」
「はい、いいですね……誘ってくれてありがとうございます」
隣にいる山口君の方を見ると、肩までつかってリラックスしきった顔をしている。顔が真っ赤なのは、血行がよくなったせいだろう。色白だからその辺り分かりやすい。
ただ、湯船に入ってもなお、タオルで身体を隠すのは頂けないな。
「山口君、恥ずかしいのは分かっているが、タオルは湯船から出した方がいいぞ、それはマナーだ」
「……そうですね」
俺の言葉に頷いた山口君は、タオルを湯船から出すと、それを絞り、頭に乗っける。
「素直じゃないか」
恥ずかしいという理由で「嫌です」と拒否されるかとも思ったが、山口君はすんなりと俺の言葉受け入れた。
「なんか湯船に浸かったらどうでもよくなってきました」
さすが銭湯だ。リラックスすると細かい事も気にならなくなるのだろう。
こういう状態なら、いろいろと話を聞けるかもしれない。
「山口君、実はな、銭湯に寄ったのは山口君と仲良くなりたいのと、もう一つ目的があるんだ」
「なんです?」
「なんで花沢を毛嫌いしているか、その理由を聞きたかったんだ」
「ああ、それですか……」
「少なくとも俺の知る花沢は良い奴だからな、あまり嫌われるってことが想像できない」
「……まあ、玉城先輩の前だったらそうでしょうね」
山口君は大きく伸びをした。
「まず最初に断っておくと、別に毛嫌いしているわけじゃないです、ただちょっとデリカシーがない事にイラっときているだけで」
「……何か前もそんなことを言っていたな」
「まあ、この場だから言いますけど……玉城先輩は花沢キャプテンと二人三脚をやるんですよね」
「よく知っているな、やるぞ」
「それでまあ……花沢キャプテンはどうすれば先輩ともっと密着できるかとか、そういう話を渡部部長と話してたんです、部活中に、そばにいる僕に聞こえる声で」
二人三脚で異性と密着したいという気持ちは大いにわかる。やはり花沢も俺と同じ気持ちだったようだ。それなら俺としても積極的に密着できるように努力しなければなるまい。
「ねえ? デリカシーないでしょ? そういうところが苦手なんです」
確かにこの世界の男子は下の話とかをあまりしたがらない。少なくとも異性の前では。だから山口君は、男子の前でそういう話をする女子に抵抗感を覚えてるのだろう。
しかし、山口君が怒っているのは、他ならぬ俺が性的な目で見られていることに対してだ。なるほど、これは……
「……つまり山口君は俺のために怒っていたわけだな?」
「いや……別にそういうわけじゃないですけど……」
「はは、照れるなよ、お礼に頭を洗うのを手伝ってあげよう」
「もう洗いましたから結構です」
山口君にきっぱりと断られてしまった。そんな無下にしなくてもいいじゃないか。
「まあ、なんにせよ、花沢が何を思っていても俺は気にしていないぞ」
「……先輩ならそういうと思いましたよ」
山口君は何かも諦めたように言うと、滑るように身体を沈め、鼻から上だけをだしながら、ボコボコと湯面に泡を立てて遊び始めた。
「そういえば、山口君、もう一個疑問があるんだが」
「……なんですか?」
山口君が顔を上に向け、湯面から顔全体を浮上させた状態で答えた。
「何でソフト部のマネージャーをやっているんだ?」
「……」
俺の質問に、山口君の鼻から下がまたも湯面の下に潜航した。
「山口君」
俺の呼びかけに山口君はボコボコで答え、さらにゆっくりと俺から遠ざかっていく。
逃げられると思っているのか。俺も山口君と同じくらいの速度で、ゆっくりと後を追う。
それからほどなくして、他に客がいない事をいいことに行われた銭湯鬼ごっこは、山口君を端まで追い詰めた俺の勝利で終わった。
「さあ、観念するんだな、山口君」
「……」
俺の勝利宣言に、山口君はボコボコを止めて、顔を湯面から出した。
「……誰にも言いませんか?」
「勿論だ、ここで話したことは俺と山口君だけの秘密だ」
「……」
秘密と約束は必ず守る。それこそが男というものだ。
「……好きな人がいるんです」
「え?」
「ソフト部に」
「ええ!?」
「な、何でそんなに驚くんですか……」
「いや……そうか、そういう理由だったか……」
衝撃の告白だった。
まさか山口君にそんな人がいるだなんて……山口君は花沢に対して厳しいから、てっきり他の女子に対しても厳しい目を向けているのかと思っていた。
「ちなみに誰なんだ、俺の知っているやつか?」
まあ、俺の知っているソフト部員なんて三人くらいしかいないが。一応、うちのクラスにも何人かいた気がするが、正確に誰がソフト部員かは覚えていない。
「……先輩も知っていると思いますよ」
「俺も知っているやつ、だと……」
一気に候補が絞られた。山口君が知っている『俺が知っているソフト部員』なおかつ花沢以外ということになると、答えは……
「……栞か」
「違いますよ! 何であの人なんですか!」
「いや、なんか気安く話してた気がするから……」
「そんなわけないでしょう、まったく……」
栞でも花沢でもないとすれば、後は一人だけだ。
「そうか、美波が好きなのか」
「……」
「美波か、うん、美波な……」
「……あの、あんまり連呼しないでほしいんですけど、恥ずかしいので」
坂口美波、アイドル顔負けの整った容姿の美少女だ。俺も一目見た時から「この子はモテるだろうな」とは思っていた。
「そうか、美波が好きなのか……しかし、俺はよく知らないが、多分競争率は高いんじゃないか?」
「……そうですね、多分高いと思います」
「なるほどな……よし、わかったぞ」
「え? 何がですか?」
山口君の……後輩の恋の悩み、これを応援しないで何が先輩か。幸い、俺は花沢を通して美波にいろいろと働きかけが出来るポジションにある。これを利用しない手はない。
「山口君、何とか俺の方からも色々とやってみよう」
「色々……? いえ、別に大丈夫ですから……」
「遠慮するな、俺と山口君の仲じゃないか」
「……まだ会って話すのは合計で二日目くらいですよね?」
「こうして裸の付き合いをしているじゃないか」
付き合った時間自体は少ないが、『裸の付き合い』のおかげで俺たちの関係そのものは急速に深まっているはずだ。少なくとも俺は山口君と腕を組んで街中を歩けるくらいには、気の置けない関係になっていると思っている。
「……まあ、いいですけど、変なことはしないでくださいね?」
「任せてくれ!」
まだどのようなサポートをしてやるか、具体的には決めていない。だが、この恋路、必ずや成就させてやらねば。